12-5 飯を食って落ち着け

 落ち込んだ様子で椅子に座り込むビオラは、鏡を覗き込むと小さく「師匠」と呟いた。

 そう簡単に封印が解けるとは思っていなかったろうが、落胆した顔を見ると、俺もやるせない気持ちになるな。

 今、俺が出来ることと言ったら、ビオラの頭を撫でてやることくらいか。


「お力になれなく、申し訳ないです……」

「いや、いい。元からそう簡単に解ける封印じゃないって分かってはいるからな」


 曖昧に笑い、すっかり冷めた紅茶を俺は飲み干した。


「円環の鏡を作った記録は、残っているのか?」

「いいえ。それも作った五人の魔術師うちの誰かが持ち去ったと聞いています」

「そうか……」


 生半可な魔術師じゃ、模造品すら作れないということが分かっただけでも、収穫とするべきなのか。

 ひとまず、メナード家にこれ以上いても仕方がない。


「急に訪ねて、すまなかった」

「いいえ。お二人が元気そうで安心しました」

「しばらくはマーラモードの外に出ることはないから、また、何か困ったことがあったら、店を尋ねてくれ」

「ありがとうございます」


 俺たちが当たり障りのない言葉を交わしている横で、突如、椅子から降りたビオラは窓に向かって走っていった。


「おい、ビオラ。帰るぞ!」

「何か気になるものでもありますか?」


 勢いよく窓に手をついて立ち止まった後ろ姿に声をかけるが、振り替える素振りもなく、ビオラは窓に張り付いている。

 その後ろに立った俺は、何を食い入るように見ているのかと、庭に視線を向けた。

 夏の日差しに輝く庭では、初老の庭師と一緒に少年が植木の手入れをしている。その小さな体で押している手押し車には、花の苗が並んでいた。

 

「あれは、マーサーか?」

「はい。庭師見習いとして、うちで働きながら学校に通っているんですよ」

「オリーブを死なせた罪滅ぼし、か?」

「……そうんなところです」


 少し困ったように眉をひそめて笑ったダグラスは、ビオラに視線を向けた。


「マーサーに、会っていきますか?」

「どうする、ビオラ?」

「……花じゃ」

「花? 何だよ、急に。そりゃ、庭だから花くらい咲いているだろ」

「そうではない! 花を咲かせるのじゃ!」


 俺を振り返ったビオラは、自身に満ちた顔だ。


「花を咲かせる?」

「そうじゃ! ラス、今すぐマイヤーたちのところにくぞ!」

「はぁ!? 突然何を言い出すんだ」

「ダグラス、邪魔したの! さぁ、帰って旅支度じゃ!」

「おい、人の話を聞け!」


 そもそも俺は謹慎中だ。今、このマーラモードを出る訳にはいかない。

 訳が分からず、俺の言葉が届かない様子のビオラを追った。


 それから帰宅して、俺が声をかけるのも聞かず、部屋に飛び込んだビオラはバタバタと騒がしかった。

 マイヤーたちのところへ行くと言っていたから、荷物でもまとめているのだろう。

 困ってため息を零すと、銀狼のシルバが何事だと言うように、足にすり寄って俺を見上げてきた。


「ほんと、何事だか」


 冷蔵庫を覗き、卵とベーコン、芋と玉ねぎ、牛乳にチーズを取りだす。昼飯の用意が終わる頃には、あの騒ぎも落ち着くだろう。

 バタバタと響く足音にため息をつきつつ、野菜の皮を剥き始めた。


 芋は茹でて軽く潰す。そこに、ベーコンと玉ねぎを炒めたものを混ぜ、皿に敷き詰めた。その上から、卵と牛乳を解いたものを流し込み、チーズをたっぷりかける。後はオーブンで焼くだけだ。

 チーズが焦げる匂いが待ち遠しいが、焼ける間に、朝に作ったスープを温めつつ、サラダを用意を始めた。ライ麦パンも切って皿に盛り、ヨーグルトには切ったオレンジを添える。


 育ち盛りなのか、もとから大ぐらいなのかは分からないが、このくらいの量では、ビオラは満足しないからな。あとは何が用意できるか。

 昼飯の用意を着々と進めていると、騒々しかった足音が近づいてきた。


「ラス、行くぞ!」


 顔を出したビオラが声を上げるのと、オーブンの焼き上がりを知らせるベルが鳴るのは同時だった。

 チーズの焦げる良い香りが鼻腔をくすぐったのか、ビオラの小さな鼻が、すんっと鳴った。


「どこに行く気だ。昼飯だぞ」


 そう尋ねれば、ビオラの腹がぐうっと返事をする。

 数秒の間を置いた後、ビオラは背負っていた鞄をいそいそと下ろし、定位置の椅子に座った。

 こんがりと焼き上がったグラタンの皿をテーブルに置くと、感嘆の声が上がる。


「美味しそうじゃの!」

「熱いから気を付けて食えよ」


 皿に取り分けてやると、ビオラはいつものように胸の前で手を組んだ。


「すべての命の重みに感謝し、我が魔力の糧となるものに祝福を」


 ビオラと共に食事をするようになってから始めたこの祈りだが、案外悪くない。

 どこか興奮していたビオラも、その言葉を口にすると少し落ち着くようで、ふうっと息をつき、静かに目を開けた。


 冷やしておいたレモン水を二人分のグラスに注ぎながら、俺はビオラが顔をほころばせてグラタンを頬張る様子を眺めた。

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