11-7 氷の魔女は微笑まない

 業務用扉は、ペントハウスの戸口に繋がっていた。

 広いエントランスの壁にはいくらするんだか見当もつかない絵画がかかっている。飾り棚には、美しい花々が活けられた花瓶と、よく分からない高価そうなオブジェが並んでいる。

 どれもこれも氷漬けになっているから、その価値は駄々下がりだろうけどな。


 メインルームに通じるだろう扉には、霜こそついているが氷の塊は見られない。まるで、俺たちの訪れを待っていたかのようだ。


「見事じゃの。まるで童話に出てくる氷の女王の部屋じゃ」

「感心している場合か」

「ねぇ、このドアノブに触れたら皮膚が引っ付いたりしないよね?」


 氷に包まれて輝く花々を面白そうに見ているビオラの横で、リアナがドアノブを指さした。

 金属製の豪華なドアノブは霜がついて白くなっている。

 極限まで冷やされた金属に素手で触るのは、俺も願い下げだな。

 

「まぁ、大丈夫だろう」


 そう言いながら、掌に火の古代魔術言語ロー・エンシェント・ソーサリーを浮かべた俺はドアノブを掴んだ。こうしておけば、皮膚に貼りつくほど冷えていたとしても問題はない。


「それは反則というやつじゃないかの?」

「石橋は叩いて渡るもんだ」

「なんじゃ、それは?」

「……用心に超したことはないってことだ」

「用心の。壊してしまえば、もっと確実じゃ」

「ビオラちゃんって、時々過激なことを言うよね」

 

 俺らの会話に割って入るリアナは、ビオラが首を傾げると、そのギャップが可愛いとか何とか言い出した。

 全く、ここに辿り着くまでの緊張感はどこに行ったんだか。

 ふうっと息を吐いて肩の力を抜いた俺は、ドアノブを握る手に力を込めた。


「さぁ、行くぞ!」


 扉を開けると肌に刺さるような冷気が溢れてきた。

 やはり、相当お怒りだな。

 扉の先は広いリビングのようだ。豪勢なオープンキッチンも完備されている。ゲストを十数人呼んだパーティーをするくらい訳のない広さだな。さすがは、最上階を占めるペントハウスなだけある。

 ここにジョリー一家を閉じ込めて、シェフと給仕をつけてもてなし、今日と明日は一歩たりとも外に出さない予定だったのだろう。


 オープンキッチンで棒立ちになっているシェフは真っ青な顔だ。そのすぐ傍には給仕メイド服を着た若い女の子が三人、震えて身を寄せている。彼らからしたら、完全な巻き込まれだと言えるだろう。仕事に来てみたら、突然、部屋が氷漬けになったんだからな。

 彼らは拘束されていない。つまり、は、彼らを巻き込む気がないということか。


「ラス、遅かったわね」


 状況を把握しようとして、ざっと部屋を見渡していた俺に冷ややかな声がかけられた。そちらを見ると、豪華な革張りのソファーに銀髪の美しい女性が座っている。その深い緑の瞳がギラギラと輝いている。まるで凍える森に繁る針葉樹の様な色だ。

 その足元には、男がうずくまっていた。


「久しぶりだな、フリージア。そいつが、お前らをここに閉じ込めた男か?」

「あら、察しが良いわね」

 

 そう言った氷の魔女フリージアは、黄色のパンプスの先で、足元の男を蹴り飛ばした。氷漬けにはなっていないが、両手両足には氷で作られた枷が嵌められている。


「そいつを捕まえたなら、どうして、ここから出なかったんだ」

「そんなの、仲間を捕まえるために決まってるでしょ」

「お義姉ねえさん! お兄ちゃんとアーちゃんは? 怪我してないの?」

「リアナ、あなたまで来るとは思ってなかったわ。ジョリーとアナベルは奥で待たせてる。元気よ」


 フリージアの返答に胸を撫で下ろしたリアナは奥の扉を見た。そこはびっしりと氷で覆われている。どうやら、向こう側から開かないようにしているのだろう。


「そっちのお嬢さんは、噂のビオラちゃんかしら。可愛らしいこと」


 ビオラに視線を送ったフリージアはゆらりと立ち上がった。

 黄色のワンピースの裾がふわりと揺れた。その裾から覗く華奢な足が踏み出すと、床に氷の模様が広がった。どうやら、まだ魔力を押し込めきれないようだ。

 

「何じゃ、思ったより冷静そうじゃの」

「それでこの惨状だから困るんだろうが」


 おそらく、ペントハウスから噴き出した魔力は、拉致されたことに気づいた一瞬の爆発だったのだろう。ジョリーは宥めただろうが、それは失敗に終わったということか。

 駄々洩れな冷気に対してわずかな恐怖を抱きながら、俺はフリージアを見た。


 間近に寄ったフリージアは、俺の後ろで腰を抜かしている偽ジョリーに冷ややかな視線を落とした。そして、男の前に腰を下ろすと、その白い指を青ざめた顔に近づけた。

 青く艶やかなネイルの光る指先が、その頬にゆっくりと近づいた。その直後だ。


「私の夫は、もっとイケメンよ!」


 がしっと顔を掴み、その皮膚に爪をめり込ませたフリージアは、男の顔に被せられていた魔法のマスクを引き剥がした。

 磨かれた爪がマスクを貫き、男の皮膚をも引っ掻いたのだろう。悲鳴を上げた男の貧相な顔に、見事な赤い筋が三本、浮き上がって血が滴り落ちた。

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