5-7 船旅の安全を祈るのは魔術師の仕事じゃないんだけどな。

 展望デッキは観光客だろう家族連れや友人連れと思われる若者で賑わっていた。

 前を走っていくビオラはジュースのカップ片手にご機嫌な様子だ。小さいのをいいことに、人の間を縫うように進むから俺との距離も少しずつ離れていく。


「ビオラ、あまり離れるな!」

「風が気持ちが良いの!」

「よそ見をしていると人にぶつかる──」


 俺の声にビオラは突然立ち止まったが、注意をしたのも時すでに遅しというやつだ。

 ビオラの小さな足が、人相の悪そうな男の足を踏みつけた。さらに、ぶつかった反動で、手に持っていたジュースがいくらか飛び散る。これは男達が因縁をつけるには十分だろう。

 三人組の男の一人が顔をしかめてビオラを見下ろした。


いてぇじゃねぇか、チビ」

「それはすまぬことをした」

「あぁ? それが謝る態度かよ」


 安っぽい因縁をつける男の横で、小柄な男が吠えた。全く、絵に描いたような小悪党ぶりだな。

 周囲の人たちは関わり合いになりたくないとばかりに、そそくさと去っていった。中には、勇敢に「子ども相手に」と声をかけようとした者もいるが、一睨みされてすごすごと去ってしまった。それもこれも、彼らの出で立ちが、いかにも盗掘屋トレジャーハンターですと言わんばかりのもので、武器も携帯しているからだろう。

 

「その手に持つジュースが、ほら、俺の靴を汚しただろうが!」

「それはすまぬの。しかし、お主の靴は手入れもされてなければ泥まみれではないか」

「んなぁことは関係ねぇだろ!」

「ふむ。ちょっと足を踏んだだけではないか。足が折れたわけでもなかろう? それともなんじゃ、お主たちはいたいけな幼女わらわから金銭でも巻き上げようと言うのか? 小さい男よのぉ」

「んだと、口の利き方が分からねぇ、ガキだな!」


 ビオラの一言、二言と多い発言には世話が焼ける。まあ、小さな子ども相手にすごんで睨みをきかせるような小悪党に従うような気は、俺もさらさらないが。


「ビオラ、どうした」

「ラス! こやつらが、ちょっとぶつかったことをと言ってくるのじゃ」


 登場が遅いと言わんばかりに俺を睨みつけるビオラは、男達を指さした。


「うちのビオラがすみませんね。オレンジジュースをかけたとか?」

「そ、そうだ! どうしてくれるんだ」

「それでは……」


 腰に挿している折りたたみ式の杖を引き抜き、一振りして接合部分ジョイントを鳴らした。

 悪人面の男達だけでなく、遠巻きに見ていた客達もざわめき出す。

 武器を携帯できるのは、何も盗掘屋だけじゃない。武器ごときで調子に乗るのが、どれだけ浅はかか少し分かってもらうとするか。


「なんだ、俺らに喧嘩を売る気か!」

「いやいやそんな。ちょっとばかり、かと思いましてね」

「はぁ!? 何のことだ!」

「何って、うちのビオラが汚したおびをと言っているんですよ!」

 

 杖の先で甲板をとんっと叩くと、男達の足元に青く輝く円陣が浮かんだ。それ自体に効力はなく標的を定めるためのものだ。しかし、魔法を知らない人種には、これだけでも心理的圧力になる。

 現に、男達の顔には汗が浮かび始めた。

 こちらから攻撃をしようって訳ではないが、周囲からもひそひそと声が上がる。


「遠慮なく、シャワーを浴びてもらいましょうか。あぁ、無償ですから、ありがたく受け取ってもらいますよ!」

「ふざけんな!」

 

 足を踏み出して武器を抜いた男達に向かって、笑顔で杖を振り上げた俺は、その先で海を指示した。間髪入れずに杖を空に向かって振り上げると、潮の香りと潮騒しおさいが強くなった。


「さぁ、海の癒しを存分に受け取ってくださいな!」


 杖を勢いよく振り下ろすと、ザアッと派手な音を立て、男達の頭上から海水が降り注いだ。

 水圧で男達は甲板に叩きつけられ、声にならない叫びをあげた。海水を被った一人が、何が起きたのか分からないと言った様子で、こちらを見上げる。その顔は、化け物を見たと言わんばかりに硬直していた。


 辺りが一瞬で静まりかえる。

 全く、失礼な反応だ。迷惑な小悪党たちを黙らせただけだと言うのに。

 

「ラス、甲板が水浸しじゃ。これではティータイムが楽しめないではないか」

「お前のそれは、ジュースだろ」


 呆れながらも、もっともな意見に聞こえるから腹立たしい。

 そろそろ騒ぎを聞きつけた船員が来てもおかしくない。この状況を説明するのも厄介だ。下手したら罰金ものだろう。

 無駄金を払うよりは、無償で魔法を披露する方が幾分かはマシか。


「それじゃ、迷惑をかけたお詫びとして、船旅の安全を祈っておくか」


 こんっと再び杖の先で甲板を叩くと、打ち付けられた海水が小さな水玉となって浮かび上がる。

 無数の水玉は光を浴びてキラキラと輝き、まるで宝石のように輝いた。


「海を渡る優しき女神よ、その微笑みで我らの船に祝福を!」


 祈りの言葉を発せば、温かな風が吹き上がった。それに誘われるように、輝く水玉が海の上、空高くへと向かっていく。

 乗客の視線が、上空に釘付けとなった。


 再度、杖で甲板を叩くと、キラキラと輝いた水玉が一斉にシャンっと音を奏でて霧散した。まるで鈴の音のように心地よい音色と共に、次々に散る様は、まるでシャボン玉が割れるようでもある。

 そして、光を受けた細かな水の粒子が空に虹を描く。


良い旅路をボヌス・イテル!」

 

 甲板中に、歓喜の声が上がった。もう、誰も俺の足元に転がっている悪人面の三人を見てはいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る