4-9 バラの花を散らすのは、悪戯な風か魔女の祈りか。

 この場にいる誰もが息を飲み、ビオラの一挙一動を目で追っていた。

 小さな指が、まるで狙いを定めたようにエドガー・ティーグを指さしている。彼はといえば、既に逃げ出す余裕もなく、肩で激しく息をするのみだ。

 今すぐ手当てをしなければ、命がないかもしれない。そう思えるほど、エドガーの顔からは生気が失われていた。


 これ以上、手荒なことをするならビオラといえど止めなければならない。


「ビオラ、これ以上、何をするつもりだ!」

「何もせん。死なれては困るからの。少しだけと思うてな」


 咄嗟とっさにビオラの手首を掴んだ俺は、その小さな手があまりの熱さだったことに驚き、目を見開いた。


「お前、熱が……」

「この体では、食べる量も大人とは比べ物にならん少量のようじゃ」

「……食べる量?」

「うむ。おかげで少々食べ過ぎたようでの。もて余しておる」


 さっきから何を言っているんだ。そう疑問を抱えながら、俺は握ったビオラの手が燃えるように熱いことに不安を覚えた。

 この小さな身体が高熱に耐えられるのか、倒れるのではないか。


 ふと、幼い頃に高熱を出して倒れたことが脳裏をよぎった。あの時は練り上げた魔力の放出を失敗して、散々師匠に心配をかけ──

 古い記憶を思い出していた俺に向かって、ビオラは「心配するでない」と言葉をかけた。

 見上げると、頬を赤くして笑う顔があった。


「この男を死なせなければ、良いのじゃろ? いささか不服ではあるが」


 一度言葉を切り、ビオラはマーサーを見た。


「マーサーのためじゃ」


 自分に言い聞かせていたのかもしれない。

 小さな手がぎゅっと拳を握った。


「その手を離してたも。はようせねば、あの男、死ぬぞ?」


 静かな忠告に俺が手を離せば、ビオラは満足そうに目を細めた。

 小さな指が再び、エドガーを指差した。

 すると、小さな指の先に火が灯るよう、赤い光がポッと現れた。それはまるで固く閉ざされた花の蕾のようでもあった。

 ふっくらとした唇が、すうっと息を吸い込む。


「深き花の園に眠る乙女のつぼみ、その赤きよ」

 

 凛とした声に呼応するように、赤い光はおもむろに膨らみ始めた。それはまるでバラの蕾が膨らむように大きくなっていく。

 広げられた小さな手の上に、赤い蕾がすいっと移動した。そこで、くるくると回りながら開花のごとく、美しい姿を広げた。


 開花した魔力の花が輝きを増し、柔らかな風に揺らいだ。その優しい風はビオラを包むように吹き、美しい髪と鮮やかな青のスカートも揺らした。


「導きの風よ」

 

 小さなビオラの手が空に向かって掲げられる。

 風は赤い魔力の花をいざなうように舞い上がった。

 一枚、また一枚と柔らかな花びらを散らすように、風が赤い光を剥がしていく。


「その光をあるべき地へと誘え!」


 高らかに唱えたその時だ。

 まるで下降気流ダウンバーストが起きたように、激しい強風がうずくまるエドガーの上へと降り注ぎ、次いで、俺の魔法陣を吹き飛ばして地面に叩きつけた。

 夫人たちの悲鳴が上がり、俺はマーサーに駆け寄ると、その体が吹き飛ばされないように引き寄せた。


「ビオラ──っ!」

 

 息苦しくなるほどの激しい風の中、何をしたのか問うべくビオラに向かって叫んだ。

 強風をものともせずにビオラは立っていた。蹲るエドガーを見守るように、静かに。

 目を凝らして状況を見ていると、マーサーが俺の服を引っ張った。


「何が起きてるの!?」

「……分からねぇ」


 マーサーの問いに答えることが出来ず、俺は、風に込められた赤い光がエドガーの背中から入っていくのを呆然と見ていた。

 それはほんの十数秒だったのかもしれない。


 風が治まり、辺りを見れば、植え込みのバラは無残に花びらを散らしていた。

 甘い香りが立ち込める中、その花びらを被ったエドガーは倒れているのが視界に入り、走り寄って息を確かめた。


「……死んじゃった?」

「いや、生きてる。気を失っているだけだ」


 マーサーに安心しろとは言えず、だが、鼓動があることも確かめた俺は安堵していた。

 よく見れば、真っ白になっていた髪は元の白髪交じりの栗色に戻り、老人のように艶のなくなっていた顔にも赤みが戻っている。

 

「ラス、これで良いか?」


 声のする方を振り返ると、頬を赤く上気させたビオラが立っていた。


「……お前、今、何をやったんだ?」

「そのクズに返しただけじゃ」

「返した?」

「そうじゃ。妾が食べ──っ!」


 得意げな顔をするビオラだったが、言いかけた言葉を飲み込むと、ふらふらと体を揺らし始めた。

 倒れると思った瞬間、小さな身体がかしいだ。


「ビオラっ!!」


 咄嗟とっさに地面を蹴った俺は、その体を受け止めると、肩をバラの花びらが散らばる石畳に打ち付けて転がった。

 甘い香りが砂ぼこりと一緒に顔にかかった。

 小さな頭が地面に激突するのを防ぐことが出来たことに、大きく安堵の息をつく。

 そのまま見上げた先には、鮮やかな空が広がっていた。


 駆け寄るマーサーやダグラス・メナードが名を呼ぶ声を聴きながら、熱いビオラの頬に触れた。

 お前は何をしたんだ。そして、何を食べたと言うんだ。

 目を冷ましたら聞くことは山のようにありそうだ。そう思いながら、小さな身体を抱えて立ち上がった。

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