4-8 三つの過ちを犯した男、エドガー・ティーグ

 風が吹きあがった。

 舌打ちをしたエドガーが足を後ろに引いた。逃げる気だろうが、そうはさせない。

 杖の先端で地面を覆うタイルを叩くと、カツンッと小気味のいい音が響いた。すると、三つの魔法陣はエドガーとの距離を縮めるように迫っていった。


「一つ、エドガー・フルトンをかたる行為」


 俺が宣言すれば、一つの魔法陣がそれに呼応するよう光を強め、ゆっくりと回り始めた。

 エドガーは一歩後ろに下がろうとするが、その背のすぐ傍に別の魔法陣が待機している。


「二つ、魔剣を使い、子どもに人殺しをさせようとした行為」

「違う! あれはお前の命を狙ったわけじゃ──っ!」

「やっぱり、あの魔剣騒動の黒幕はあんたか。つまり、マーサーの姉オリーブの死について知っているってことだな。後でゆくり聞かせてもらおうか」


 俺がにっと口元を緩めると、エドガーは今にも泡を吹きそうな顔になった。

 彼の背のすぐ傍で、魔法陣が回転を始めた。


「三つ、封印の鏡を用いてメナード家をおとしいれようとした行為」


 最後の一つが動き出し、三つの魔法陣がエドガーの周囲で回転の速度を上げた。

 俺の杖が再度、地面を叩くと三つの魔法陣の中心から光の線が放たれた。それらは繋ぎ合い、正三角形を描く。

 輝く正三角形の中央にいるエドガーは、そこから脱しようと身を屈めた。しかし、それを阻むように光り輝く壁が展開し、彼の行く手をはばんだ。


 これは光の牢獄のようなものだ。

 俺の列挙した行為が一つでも当てはまらなければ、その効果はなくなる。だが、三つがそろえば強固なおりとなり、対象者を決して逃しはしない。

 

「ラス! いたいけな幼女わらわを手荒く扱ったことも、断罪せよ」

「誰が、いたいけなんだよ」

わらわじゃ」


 魔法陣の上から俺の顔を覗き込んだビオラは、俺がため息をつくと不満そうに頬を膨らませた。

 ビオラの乗る魔法陣がおもむろに回転する。そして、エドガーの目の前まで移動した。


「魔女! その男を止めろ!」

「嫌じゃ。妾はラスが気に入っておるのでな」

「鏡の持ち主は私──っ!」


 そう言ったエドガーは、自分の手に握られていたはずの鏡がないことに気づいた。四方八方と辺りを必死に見渡した末、バラの生け垣に突き刺さっていることに気づいたが、彼のところから届く距離ではなかった。

 いつの間に手から落ち、あまつさえ、そんな場所に飛んでいったのか。さっきの風か。と彼は考えているだろう。

 エドガーの様子を楽しげに見ていたビオラはにこりと愛らしい笑みを彼に向けた。


「無能な魔術師、良いことを教えてやろう」


 小さな指がバラの生け垣を指し示すと、ざわざわといばらが動き始めた。まるで意志を持つように動き出し、鏡をビオラの前に差し出す。

 そう、風が吹いた隙にエドガーから鏡を奪ったのは、バラの蕀だ。

 うねうねと動くバラの蕀は、まるでのようにビオラの乗る魔法陣を包み上げた。


「妾が食らうは人ではない」


 鏡を手にしたビオラは、蕀が引き寄せた白いテーブルの上に並ぶクッキーを摘まみ上げる。口に放り込んだクッキーをサクサクと噛み砕いて飲み込むと、口元についた粉をぺろりと舐めた。

 赤い瞳が魔法陣の光に照らされ、キラキラと輝く。


「菓子は好きじゃ。美味い食事もの。しかし、暴食とは、そういう意味ではない」

「どういうことだ! 暴食の魔女は、人を食らうことでその魔力を高めると、文献に!」

「全く、誰がそのような戯言ざれごとを言ったのじゃ?」


 呆れ顔のビオラだが、俺はふと疑問を抱いて首を傾げた。

 鏡の封印を解いた時に出会った女は、褒美として魔力いのちをもらうと、俺に向かって言った。あまりに狂暴な魔力を前に、俺は命を奪われる瞬間を想像したのだが、あれはそういう意味ではなかったと言うことか。

 俺の疑問など知りもしないだろうビオラは、脂汗をかいているエドガーを愉快そうに見た。


「文献など当てにせん方が良いぞ。どうせ嘘八百じゃ」

「なん……だ、と?」

「そもそもこの鏡の封印を解けぬような、下等な魔術師に妾を扱えると思うてか?」


 唇を吊り上げたビオラは、一つの魔法陣の中央にその指を突き刺した。瞬間、エドガーは大量の血を口から吐き出し、魔法の壁に手をついた。

 ビオラの小さな手が何かを掴むような仕草を見せた。

 にぎにぎと指が動くたびに、エドガーの口からはうめき声が上がる。その顔に皴が刻まれ、栗色の髪から色が失われていく。


 何を掴んでいるんだ。

 目に見えない何かは、おそらく、エドガーの体内の何か。まるで、命を吸い上げているようにも見え──そう考えた瞬間、背筋に寒気が走った。


「ビオラ、何をしているんだ!? やめろ!」

「ふむ。少し仕置きをと思うたが……こやつは弱いの」


 魔法陣から指を引き抜き、つまらぬと呟いたビオラは、崩れ落ちるようにして彼女の前でうずくまったエドガーにさげすむような眼差しを向けた。しかし、俺を振り返った顔は純真無垢な幼女のようだった。

 どちらが、本当の顔なのか。

 言葉を失う俺の感情を読むように、顔を近づけてきたビオラは不思議そうに首を傾げた。


「ラス、そう怒るでない。お主は悪党にも甘いの」

「……こいつにはきっちり罪を償わせる! 死んじまったら、何も分からずじまいになるだろうが。マーサーの姉さんのこともだ!」


 俺の怒鳴り声に、マーサーはびくりと肩を震わせ、エドガーを見た。

 体を丸くしてゼイゼイと荒い息を吐く姿は弱々しく、まるで老人のようだ。


「ふむ……それは、困るの」


 頷いたビオラは、魔法陣から飛び降りると、エドガーを指さした。

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