4-6 「どっちが悪役か分からぬの」

 手首を掴まれて憎々しげに睨んできたエドガー・フルトンは、俺の手を振り解こうとする。しかし、三十も年の差があるんだ。そう簡単に振り解かれて堪るもんか。

 口角を上げて「落ち着きましょう」と言葉をかければ、そのしわの寄った口元が歪められ、ギリギリと歯ぎしりが響いた。

 まったく、上品なお貴族様がするような表情じゃないな。


 睨みあっていると「自己紹介が、まだじゃったの」とビオラの声が響いた。大人たちの張り詰めた様子など気にも留めない、緊張感の欠片もない声音だ。

 ビオラが肩掛けのバッグから銀の手鏡を引き出したた。その瞬間、エドガー・フルトンは目を見開き、ミランダ夫人が小さく驚きの声を上げた。


わらわはこの銀の鏡に封じられておった“暴食の魔女”ビオラじゃ」


 可愛らしく淑女の挨拶カテーシーを見せたビオラはにこりと笑う。

 しんと静まり返った直後だった。


「バカな! 騙されんぞ。“暴食の魔女”は絶世の美女! こんなガキが──」

「この鏡がここにあることには、驚かないんだな」


 エドガー・フルトンの言葉をさえぎるように俺が問えば、彼はハッとして口閉ざした。だがもう遅い。


「ガキとは失礼じゃの。まぁ、この姿では仕方がないか。それもこれも──」

「ビオラ、その話はいいだろう。それよりフルトン卿、なぜこの鏡がここにあるのかと問わず、ビオラを疑うんですか?」

「そ、それは……」

「お答えになれない訳でも? あぁ、ちなみに。彼女は間違いなく、この鏡から現れた魔女です。解除した私が保証しますよ。嬉しいですか?」


 にぃっと笑えば、フルトン卿の歯軋りはさらに酷くなった。どう誤魔化すか考えているのだろうが、そう簡単にはいかないだろう。何せ──


「お待ちください! それは我が家で保管していたではありませんか? 封印を解いたとは、どういう事でしょうか?」


 この鏡が何であるかを知るのは、フルトン卿あんたと俺だけじゃない。気付くのが遅かったようだな、エドガー・フルトン。


 声を上げたのはミラベル夫人だった。困惑の表情を浮かべ、俺とエドガー・フルトンを交互に見ている。問わずにはいられなかったといった様子だ。

 エドガー・フルトンの顔面が青ざめた。


 カツッと踵の鳴る音が響き、そちらを見るとシェリー夫人がよろめき、ダグラス・メナードに助けを求めるよう縋りついている。


「この鏡が何か知っているなら、ミラベル夫人の反応が正しいと思うぜ。シェリー夫人とダグラス・メナードを使って、この鏡の封印を解こうとしたのは、あんただな?」


 そう問いただした瞬間、俺の手を振り払ったフルトン卿はビオラを掴んで抱え上げると、俺から距離を取った。そして、ビオラの手から無理やり鏡を奪い上げる。


「見た目など、どうでも良いこと。“暴食の魔女”が手に入れば私の勝ちだ!」

「フルトン卿、何事ですか。お嬢さんを放しなさい!」

「黙れ!」


 ミラベル夫人が気丈なまでに声を張り上げたが、その言葉を怒鳴り声でねじ伏せたエドガー・フルトンは不敵な笑みを浮かべた。

 

「鏡の所有者は私だ。さぁ、魔女よ。その力、存分に振るってもらうぞ!」

「やれやれ……こやつは契約の何たるかを知らぬのか?」


 呆れてぼやくビオラは「ラス、早う助けよ」と危機感の欠片もない声音で俺に命じた。

 

「そう焦るなよ」

「そう言うてもの。こやつ、外法の匂いがぷんぷんしおる」

「加齢臭だろ」

「貴様ら言わせおけば! お前は私の言うことを聞けばよいのだ!」


 カッとなったエドガー・フルトンは、ビオラの結ばれた豊かな髪を引っ張り上げた。

 幼い顔はわずかだが痛みに歪められ、二人の夫人が「何をなさるのですか!」と異口同音に声を荒げた。

 だいぶ興奮しているようだが、もう少し熱くなってもらおうか。


「ところで、フルトン卿。なぜ、マーサーの顔を見て、あなたは貧民街の子と言ったんですか?」


 震えるマーサーを引き寄せ、俺は笑顔で尋ねた。

 彼の服装は薄汚くもなければ、庶民のいで立ちでもない。それもその筈、ダグラス・メナードがマーサーのために急いで買いそろえた品々だ。オーダーメイドではないが、間違っても貧民街の子どもが着られるものではない。


 エドガー・フルトンは俺の質問に答えず、顔を歪ませてギリギリと奥歯を噛んだ。無言ということは、マーサーの顔を見て彼を貧民街の子どもだと判断したと言っているようなものだ。


「答えられないですか? それじゃ、質問を変えましょうか」


 そう言い、懐に手を差し込んだ俺は魔剣を取り出した。


「それは!」

「おや。この魔剣ナイフが何か、ご存じですか」

「……しっ、知らぬ! そのようなナイフで私を脅すなど、浅はかな男だ!」

「くくっ、俺が、あんたを脅す? こんな、ちっぽけなナイフでか?」


 あまりの発言に、笑いを堪えるのが辛い。腹がよじれるとはこういう事か。

 魔剣をマーサーに預け、俺は腰のベルトに挿してある折りたたみ式の杖を引き抜き、勢いよく振った。接合部分ジョイントがカチリと音を立てる。


「あんたを脅すなら、こっちを使うに決まってるだろう。俺は、魔術師だ」


 杖の先でコンッと足元のタイルを叩くと、エドガー・フルトンが体を強張らせた。


「人の意識に干渉し、記憶を消す魔法があるように、自白させる魔法があるのを、知っているか?」


 そう、魔術師が本気を出すなら、駆け引きなんて必要ない。相手の意識に干渉してしまえばいい。この男が、マーサーにやったようにな。


「ま、まて!」

「やり方次第では、被験者の精神が崩壊するが……まぁ、俺は優しいからな。心配するな」


 にいっと口角を上げ、体内の魔力を練り上げる。

 全身から迸った魔力の陽炎が、長い三つ編みを揺らした。

 ビオラを手に入れたと強気になっていたエドガー・フルトンは一転して、脂汗を描いて慌てふためき始めたが──


「どっちが悪役か分からぬの」


 暢気なビオラの声にハッとしたエドガー・フルトンは、歪んだ笑みを見せた。

 どう見たって悪役はそいつだろうが。

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