3-7 冷静でいられるか! 今のビオラに魔女の力はない。

 目が覚めた場所がジョリーの店だと気づくのに、十数秒かかった。首を巡らせ、壁に掲げてある格言の額縁に見覚えがあった。

 

 “安易な近道を選ぶな。地道に積み重ねよ。行動し、考え、修正する。それが最良の道だ。”


 ジョリーの曾祖父が残した言葉だったか。

 ここは店の裏にある事務所の一室か。

 気怠い体を起こした俺は頭を抱え、なぜ自分がここで寝ていたのか思い出そうとした。その時、店舗に通じるドアが開いた。


「起きたのか?」

「ジョリー……やっぱり、お前の店か」

「おう。とんだ災難だったな」

「災難……」


 何のことだろうかと記憶を辿たどろうとし、腫れぼったく感じる頬に触れた。瞬間、パーキングで気を失ったことを思い出した。たしか、殴られて──

 慌てて部屋を見回すが、ビオラの姿がない。


「──ビオラ! ビオラはどこだ!」


 かけられていた薄い毛布をはねのけ、立ち上がった俺は勢いそのままでジョリーの胸ぐらを掴んだ。

 ジョリーの目が驚きに見開かれた。


「ジョリー! 俺と一緒に子どもがいたはずだ!」

「お、おう……」

「どこにいる!」

「どこって、それは……」


 口籠るジョリーを見て、よからぬ考えが脳裏を横切った。

 どこかで鏡の封印解除の話が漏れ、ダグラスの弟ウィニーを推す派閥がビオラを連れ去ったのではないか。今のビオラではあらがうことは出来ないだろう。

 迂闊うかつだったと焦りが込み上げ、ジョリーを突き飛ばした俺は部屋を出ようと一歩、踏み出した。

 

「おい、ラス。落ち着けよ」

「落ち着いてられるか! 俺のバイクはどこだ!」


 これが落ち着いていられるか。

 もしも、ウィニー派の連中が力のないビオラを暴食の魔女だと信じていたら、殺されてもおかしくない。魔力が戻らない状態では逃げ出すことも無理だろう。

 それに、これではダグラスにビオラを引き渡すどころか、彼らの家督争いに巻き込まれる道しか残されないじゃないか。


「何を騒いでおるのじゃ?」


 ジョリーを睨みつけていた俺は聞き覚えのある声に反応し、勢いよく振り返った。視線を下げ、そこに棒付きキャンディロリポップ片手にたたずむビオラを見た。


「……ビオラ」

「起きたのか。まったく、女子おなごの平手を二回うけた程度で気を失うとは、情けないの」


 変わらぬ生意気な口調で笑ったビオラは、ぱくんっとキャンディをくわえた。

 緊張が一気に解け、その場にしゃがみ込んだ俺は前髪をかき乱して大きく息を吐いた。


「ビオラちゃん、そっちにいっちゃ……」


 もう一人、聞き覚えのある声が響いた。

 顔を上げるとリアナと視線が合い、彼女は顔を真っ青に染めた。


「ご……ごめんなさい! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさーい!」


 何回繰り返せば気が済むのか。リアナは頭を下げて叫んだ。

 何のことかと一瞬思ったが、生意気に笑うビオラの顔を見て思い出した。

 そうだ。パーキングで気を失う前、リアナに二発目の平手をくらわされて気を失ったんだ。

 

「リアナが迷惑をかけたな」

「預かっているお嬢さんだって知らなくて……あたし、勘違いしちゃって!」

「……預かっている……勘違い?」

 

 なんの話か分からず眉をひそめてビオラを見ると、得意げな顔を向けられる。その表情から察するに、暴食の魔女を名乗るようなことをせず、上手いこと説明したようだ。

 

「長いこと付き合いが続いてる貴族の爺さんの孫なんだって?」

「教えてくれれば良かったのに!」

「せっかくマーラモード観光に来たというに、爺様は急に仕事だと言っての!」

「……あ、あぁ、そうだな。で、少し預かることになったんだ」

「せっかく、可愛い孫との旅行だというに、薄情な爺様じゃ!」


 可愛いらしく怒るふりをしたビオラは俺の腕にしがみつく。すると、リアナの頬がぴくりと引きつった。


「じゃが、爺様のおかげでラスと買い物も悪くはないの」

「ねぇ……ラスはもう少し休んだ方が良いと思うの! ビオラちゃんは、あたしと向こうで一緒に遊ぼう。ね?」

「いや、もう大丈夫だ。用事もあるし、そう長居は……」

「ラス! 海はまだか?」


 目をしばたたかせて、ビオラは顔を覗き込んできた。

 嫌な視線を感じた。その先には、不服そうに唇を尖らせるリアナがいて、彼女は俺にしがみつくビオラを見ている。子どもに嫉妬するなよ。


 ビオラもビオラだ。いくら見た目が幼女だからと、をして必要以上に絡むな。それを見たリアナがさらに眉間にシワを寄せているのは、分かっているだろうに。

 この状況を楽しんでいるとしたら、根性悪すぎだろう。

 こっちの身にもなれ。そう言いたくなる気持ちを押し込め、俺はおもむろに立ち上がった。


「……そうだったな。少し、待ってくれるか?」

「しょうがないの。また美味いものを食べさせてくれるなら良いぞ」

「分かった。考えとく」


 適当に受け流し、ちらりとジョリーを見た。

 首を傾げたジョリーはリアナに、奥にあった菓子を出してビオラと食べるよう言うと、二人を部屋から出した。

 部屋に静けさが戻った。

 ため息をつくと、ジョリーは俺を呼んだ。


「ラス、何か頼みごとか?」

「察しが良くて助かるよ」

「リアナが迷惑をかけたし、少しなら聞いてやるぜ」

「俺の工房が吹っ飛んだ」

「あー、工房がね……はぁ?!」


 さすがに驚いたジョリーは、顔を引きつらせて声を上げた。その大きな口は、顎が外れんばかりにあんぐりと開かれていた。

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