1-4 魔術絡みの騒動はさっさと片付けるに越したことはない

 け反った子どもの手には、まだナイフが握られて震えている。その顔は困惑と恐怖に歪んでいて、赤くなった自分の手に向けられている。

 取り落としたと思ったのに、なぜ。と言っているようだ。

 子どもはナイフを自分の意思で握っているんじゃない、放せないのだ。


「……魔術絡みって事か」

 

 理解できた。あのナイフは間違いなく魔術で強化されているか、何かが封じられている。所謂いわゆる、魔剣のたぐいだ。

 切っ先が一瞬、青くきらめいた。

 振り下ろされた刃を避けた時に巻きあがる風が冷たく頬に当たる。

 初夏の夕暮れに、こんな冷たい風が生まれるはずはない。


「水か……っ!」

 

 魔力の流れを感じ、子どもの様子を探った。

 荒い息を吐き、細い足をがくがくと震わせている。どう見たって正常じゃない。あのナイフの膨大な魔力に振り回され、立っているのもやっとだろう。


 そうと分かれば、今度は遠慮なくいかせてもらう。

 さっさと手放させなければ、小僧の命すら削られかねないからな。

 握られているナイフ目がけて、もう一発、強打を繰り出した。今度は、練り上げた俺の魔力を叩き込むのも忘れずにだ。

 杖から発せられた輝きが子どもの指の隙間から入り込み、力業ちからわざよろしく指を開かせてナイフをむしり取る。

 一瞬のことだ。当然、誰の目にも、一連の動きは見えてはいないだろう。それなりの魔術師なら、見えたかもしれないけどな。


 悲鳴を上げた子どもが道端にうずくまった。

 骨にひびが入ったかもしれない。その姿を横目に、俺は転がるナイフを踏みつけた。足の裏からびしびしと嫌な魔力を感じる。それはまるで冷気のかたまりのようで、デカい氷塊ひょうかいを踏みつけているようだった。

 間違いなく、俺の足元で何かが暴れている。

 ビシビシと感じる魔力の波動に、思わず口元を引きつらせずにはいられない。

 どこのどいつだ。こんな危険な代物を素人のガキに持たせたのは。

 

「おい、ナイフこいつは誰にもらった?」

「お前なんかと話すことはない!」

「俺はあるんだよ。こんな物騒なもん、ガキに持たせる下衆げす野郎やろうは誰だ!」


 声を張り上げると、子どもはびくりと肩を震わせた。

 しばらくの沈黙ののち、周囲で様子を伺っていた顔馴染みたちが寄ってきた。


「今日は何の騒ぎなんだ?」

「その子がどうしたって言うんだ」

「仇とかなんとか言ってたけど……お前、何やったんだ?」


 怪訝けげんそうな言葉と視線が、蹲る子どもに向けられる。

 遠巻きに見る大人たちが気に入らないのか、子どもは噛みつかんばかりの勢いで振り返り、憎々しそうな眼差しを向けてきた。

 おいおい、襲われたのは俺だぜ。

 そりゃ、このガキの指が一本か二本は折れてるかもしれないが──


「ラス、何ごとだい?」

「婆さん……」


 顔馴染みに詰め寄られていた俺に声をかけたのは、果物が残る手押し車カートを止めた婆さんだった。

 もうすぐ夕暮れだ。露店を閉じた婆さんは帰り道の途中だったのだろう。

 引き車カートが路肩に止められる。

 子どもに寄り添った婆さんは自分のスカーフを解き、涙にぬれる顔を拭うと、俺に厳しい眼差しを向けてくる。

 警戒していた子どもだったが、婆さんの顔を見たとたんに、憎しみが宿っていた瞳を、驚きに染めた。


 ますます、俺が悪者に見えるのは、気のせいだろうか。

 厳しい眼差しの婆さんを前に、さてどうした説明するかと困っていると、怒りを滲ませた声が俺を呼ばれた。

 

「ラス! 子どもにこんな手荒なことをすることはないだろう」

「ああでもしなきゃ、ナイフを放せなかったんだよ」

「ナイフ?……どういうことだい」

「誰かがこの小僧に魔法がかかった武器を持たせやがった。こいつはナイフを振り回していたんじゃない。振り回されていたんだ」

「だからって……やり方ってもんがあるだろう!」

「そうだけど、そいつは話を聞く気が──」

「ラス! 大人だろう。言い訳しなさんな!」

「……あー、悪かった! 怪我をさせたことは詫びるよ。だけど」


 今でも動き出しそうな力を感じるナイフをさらに踏み込み、もう一度、子どもに視線を向けて尋ねた。


「お前にこれを持たせたのは、誰だ? それはきっちり、話してもらう」


 ナイフを手放したからか、それとも婆さんに抱きしめられたからなのか。子どもに先ほどの反抗心や勢いは見られなかった。それに僅かながら安堵を感じ、まずは厄介なナイフから、魔法を分離させることにした。

 俺は杖を持ち直し、その先を、石畳の上で鈍く光る刃に押し当てる。


「まったく……余計な魔力を使う羽目になるが、仕方ない。まずは封印を解くか」


 ぶつぶつと文句をこぼしながら、びしびしと婆さんの視線を感じつつ、俺は息を深く吸った。


「おい! ラスの解除が見られるぜ!」


 誰かが声を上げた。それに釣られて、人がさらに集まりだす。

 俺の仕事は見世物じゃねぇっての。

 

「お前ら、見世物じゃないからな。金取るぞ?」

「ケチくせーこと言うなよ!」

「だから守銭奴っつわれんだぞー!」


 げらげらと笑い声が上がった。

 やれやれ、これは少しばかり派手に見せないと満足しなさそうだ。詠唱省略でもいける程度のものだが、きっちりやるか。

 

「守銭奴上等! お前ら、満足したら、酒の一杯でもおごれよな!」


 人混みの中に見えた顔馴染みが「飯もつけてやるよ!」と気前よく声を上げた。

 ひときわ大きな歓声が上がり、後には引けない空気になる。

 上等だ。今夜は贅沢させてもらおうじゃないか。


「おい、小僧! お前が持っていたナイフ。こいつがどういうもんか、その目でしっかり見ておけ! 話はそれからだ」


 婆さんに肩を抱えられる子どもに、一度、視線を向ける。

 場の雰囲気にのまれたのだろうか。その幼顔は不安そうで、小さな手は婆さんの手をしっかりと握りしめていた。

 にぎわいが増す沿道に、夕闇を照らす街灯が明かりを落とし始めた。


「天に花なく地に星なく」


 自然の理を説くなんてのは性に合わないが、民衆ってのはこういうのが好きなもんだ。

 俺の詠唱に呼応するように、杖が白銀の光を灯した。


「白き風に囚われし、青き清流」

 

 足の下で、カタカタとナイフが震え出す。まるで、俺の足を押し上げてこの場から逃げ出そうとしているようだ。


「黒き地に伏せし真の姿を」


 足元からふわりと風が吹き上がる。

 さぁ、見せかけの詠唱はここで終わりだ。さっさと、本性を現してもらおう。

 杖を握る手に力を込め、地面に片膝をつくと、それを地面に勢いよく叩きつけた。


「すべからく見せよ!」


 体内の魔力を練り上げ、その塊をナイフに押し付ける。すると、石畳の上に光の紋様が浮かび上がった。

 古代魔術言語エンシェント・ソーサリーの文字列が円を描いていく。

 俺とナイフを中心に出来上がった魔法陣。その光が吹き上がると、周囲から歓声が巻き起こった。


「その依り代ナイフじゃぁ、お前には小さいだろう」

 

 足をずらせば、それは空高く飛び出した。

 逃がしはしない。

 杖を振り上げれば、地面に描かれた魔法陣が浮き上がり、ナイフを包み込むようにして球体に変わった。それはキラキラと夕闇の中で白い光を放つ。まるで小さな月のようだ。


「天と地のかせを砕く、我が名はラッセルオーリー・ラスト!」


 高らかに名乗れれば、光は四方八方に霧散むさんした。

 ナイフは粉々に砕け散り、灰となって風にさらわれる。その直後だ。ごうっと音を上げて風が吹き上がり、周囲から悲鳴が上がった。

 ややあって風が凪ぎ、顔を上げた人々はそこに立つ青い陽炎を目にし、ざわめき出した。

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