1-3 町中で襲われるのには慣れているが、子どもの恨みを買った覚えはない。

 ここは、他の島に比べたら裕福な部類の海上都市だが、貧民街もあれば、身寄りのない子どももいる。

 路地裏でうずくまるぐらいだ。こいつも身寄りがなく、今日食べる物にも困っているガキなんだろう。

 一瞬、自分の過去を重ね見て、俺は立ち止まっていた。


「ほんと、俺は運が良かっただけだろうな」


 あの子どもは運がない。ただそれだけのことだ。

 残念だが、見かけた孤児に食い物を恵むほどの傲慢ごうまんさや、浅はかな慈愛とやらを俺はもっちゃいないんでね。諦めてくれ。

 立ち去ろうとしたその時、うつろな瞳がこちらを見た。


 背筋に寒気が走った。

 ぎょろりとした赤茶色の目が、確かに俺をとらえた。そこにあるのは敵意。


 風がごうっと音を立てるのが早かったか、抱えていた紙袋を投げ出す方が早かったか。

 腰のベルトに挿してある折りたたみ式の杖を引き抜くと、その接合部分ジョイントがカチリと音を立てた。腕二本分程の長さとなった杖に魔力を込めて振りかざせば、光の壁が展開する。

 辺りから悲鳴が上がった。

 俺自身の身を守るのは簡単だが、このままじゃ、町に被害が出るのは明白だ。


「挨拶にしちゃ、乱暴だな。小僧!」


 路地に向かって声を張り上げると同時に、ナイフが数本飛んできた。それを杖で弾き飛ばし、視線を再び暗がりに向けたが、すでに子どもの姿はなかった。

 投げたナイフは俺の意識をそらすための一手か。子どもにしては考えている。あるいは、悪い大人の入れ知恵か。

 俺は小さな姿を探して辺りを見渡した。街路樹の陰、人混みの中、それとも──


「姉さんの仇!」


 幼い声が上空から降ってきた。

 咄嗟とっさに飛びのくと、ズドンっと衝撃音が響き、落ちてきた少年の手に握られたナイフが地面に突き刺さった。その足元では、転がったプラムがひしゃげている。

 婆さんの笑顔が脳裏をよぎった。


「お前が誰だか知らないが……食い物を粗末そまつにするやつは、許せないな!」

「うるさい、うるさい、うるさい!」


 がむしゃらに振り回されるナイフがくうを切り、ひやりとした風が頬を撫でた。

 不意打ちを狙ったようだが、全く訓練されていない子どもの動きを避けるくらい雑作もない。


 それにしても、この小さな体でどうやってあの路地から飛び出し、俺の上まで跳んだのだろうか。しかも、飛び降りた衝撃で石畳にヒビまで入れている。武装した体格の良い騎士ならともかく、発達途上のガリガリの子どもが出来る芸当じゃない。


「お前のせいで、姉さんは死んだ!」

「おいおい、何を言ってるんだ? 人違いだ。俺は、女子どもに恨まれるような覚えはないぞ」

「嘘をつくな! お前が、姉さんを殺したんだ!」

「俺はただの魔術師だ。人殺しの依頼なんてのは、請け負わねぇよ!」


 子どもは目に涙を浮かべながら、滅茶苦茶な動きで切りかかってくる。あんな涙目じゃ視界もろくに見えていないだろう。それでも、切っ先を俺に向けたまま、足を踏み出す執念だけは凄まじいものを感じさせた。


 このままではらちが明かない。

 ひとまず、そのナイフを払って落ち着かせる必要がありそうだ。そうとなれば、打つ手は一つ。


「まず、落ち着いて話そうぜ」

「お前なんかの話、聞くもんか!」

「そう言うなって」


 ある程度痛みを与えれば、簡単にナイフを手放すだろう。そう思い、子どもの手首を杖でしたたかに打ち上げる。

 瞬間、杖を伝って強力な魔力の波が押し寄せてきた。まるで音が耳の奥を叩くように、重苦しい魔力の塊が指から伝わり、肩の奥に響き渡っていく。

 荒れ狂う嵐の海原が脳裏をよぎった。


 け反った子どもの手には、まだナイフが握られて震えている。その顔は困惑と恐怖に歪んでいて、赤くなった自分の手に向けられている。

 取り落としたと思ったのに、なぜ。と言っているようだ。


「……そういう事か!」

 

 子どもはナイフを自分の意思で握っているんじゃない、放せないのだ。

 理解できた。あのナイフは間違いなく魔術で強化されているか、何かが封じられている。所謂いわゆる、魔剣のたぐいだ。

 切っ先が一瞬、青くきらめいた。

 振り下ろされた刃を避けた時に巻きあがる風が冷たく頬に当たる。

 初夏の夕暮れに、こんな冷たい風が生まれるはずはない。


「水か……っ!」

 

 魔力の流れを感じ、子どもの様子を探った。

 荒い息を吐き、細い足をがくがくと震わせている。どう見たって正常じゃない。あのナイフの膨大な魔力に振り回され、立っているのもやっとだろう。


 そうと分かれば、今度は遠慮なくいかせてもらう。さっさと手放させなければ、小僧の命すら削られかねないからな。

 握られているナイフ目がけて、もう一発、強打を繰り出した。今度は、練り上げた俺の魔力を叩き込むのも忘れずにだ。

 杖から発せられた輝きが子どもの指の隙間から入り込み、力業ちからわざよろしく指を開かせてナイフをむしり取る。

 一瞬のことだ。当然、誰にも見えてはいないだろう。


 悲鳴を上げた子どもが道端にうずくまった。

 骨にひびが入ったかもしれない。その姿を横目に、俺は転がるナイフを踏みつけた。足の裏からびしびしと嫌な魔力を感じる。それはまるで冷気のかたまりのようで、デカい氷塊ひょうかいを踏みつけているようだった。

 

「おい、ナイフこいつは誰にもらった?」

「お前なんかと話すことはない!」

「俺はあるんだよ。こんな物騒なもん、ガキに持たせる下衆げす野郎やろうは誰だ!」


 声を張り上げると、子どもはびくりと肩を震わせた。

 しばらくの沈黙ののち、周囲で様子を伺っていた顔馴染みたちが寄ってきた。


「今日は何の騒ぎなんだ?」

「その子がどうしたって言うんだ」

「仇とかなんとか言ってたけど……」


 怪訝けげんそうな言葉と視線が、蹲る子どもに向けられる。

 遠巻きに見る大人たちが気に入らないのか、子どもは噛みつかんばかりの勢いで振り返り、憎々しそうな眼差しを向けてきた。


「ラス、何ごとだい?」

「婆さん……」


 振り返ると、果物が残る手押し車カートを止めた婆さんがいた。

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