第4話
相変わらずの曇り空。隙間から漏れる微かな光は世界を照らすには心許ない。
世界がゆっくりと終わりに向かうように、いつかあの緞帳が下りてしまう日もやってくるのだろう。つかの間の生を精一杯やりすごすことが、この世界の住人にとっての最後のあがきのようだった。
光の元に一番近い電波塔は今日もかろうじて立っている。錆に覆われ、ところどころ風化し崩れて始めているものの、かつてのこの街のシンボルとして懸命に自身を保っていた。
ロマがそんな鉄塔に入ろうとすると、入れ違いで小太りの男が出てくるところだった。男は不愉快そうに鼻を鳴らし、ロマを一瞥すると横を通り過ぎていく。
男の服装や持ち物はいかにも成金といった感じで、この終末の世界には似つかわしくない。
ロマは男の背中をなんともなしに眺め、受付に向かう。
今日も気だるげな女が、暗闇の奥から気だるげに外を眺めていた。
「いらっしゃい」
「……今、男とすれ違った」
「そりゃ、客だよ。まさかこの世界にはあんたしかいないと思ったのかい?」
「いや……まだ、あんな人種がいるとはな」
「ああ。あの客は――」
そこまで言って、女は口を噤む。
「いや、なんでもない。それより、あの子を希望するなら、ちょっと準備に時間がかかるよ」
「……」
ロマは何かを察したように視線を鉄塔の外に向けた。その様子を見て、女は三日月のようにいやらしく目を細めた。
「なに、少し身体を綺麗にするだけさ。あんたのためにね」
ロマの目が暗くなる。提示された事実は曖昧で、どうとでも想像する余地のあるものだ。だが大抵、悪い方向に思考は巡る。そして、そのイメージは概ね間違いがない。
ロマは無言で立ち尽くし、時が過ぎるのを待つ。煙草を咥えたまま、火も点けずに建物の隅を眺めた。
受付の女はロマを見て何か言いたげだったが、口を開くことはない。塔の軋む音が静かに響いた。
「――準備、できたみたいだよ。ホラ、行ってきな」
ロマは無言で鍵を受け取る。背中を丸めて煙草を加えたまま階段に向かった。
/
最上階の部屋につき、いつもの場所に座り込んだあと、ロマはようやく煙草に火を点けた。
ゆっくりと肺に紫煙を送り込み、細く吐き出す。遠く、世界の果てを見つめるその目は、何を考えているのか分からない。
「ロマさん、こんにちは」
静寂を割って、ニルが扉を開く。
ロマは振り返らなず、片手を挙げてそれに応えた。
ニルは早くも遅くもない足取りでロマのもとへ歩く。煙草をふかすロマの正面に立って、首を傾げた。
「お待たせ、しました」
ロマはなんとはなしにその顔を見て、大きく目を開いた。
ニルは左頬に大きく痣を作り、辛うじて右目だけが笑っていた。いつもの明るい笑顔ではない、押し殺したような表情だ。
「ご、ごめんなさい。ほんとなら、こんな顔で人前に出ると、怒られるん、ですけど」
ニルは左の頬を手で隠しながら、目線を泳がせる。
「ロマさん、せっかく、来てくれたから--わたしも、会いたかった、の、で--」
絞り出すような言葉の途中で、ロマはニルを抱き寄せた。
「ロマさん?」
「何があった」
ニルは喉を鳴らす。
「あの、あ、気にしないでください。よくあること、なんです。ちょっと、転んだ、だけで」
「……」
「せっかく、ですから、楽しみましょ? わたしは大丈夫、ですから、いつもみたいに、おはなしを——」
「あの男か」
「……やめて、ください」
ロマはニルを一度離し、薄着の身体を観察する。両足に強く掴まれた跡、左肩にも顔と同じ痣。ワンピースの下にも暴力の跡があるかもしれない。
ロマは強く歯を食いしばり、壊れそうな少女の肩にそっと触れた。
「わたし、娼婦なのに、役に立たないから。仕方ないん、です」
ロマがニルの顔を見る。
「もう、慣れました」
悲しみも諦めも憂いもない、ただ受け入れることだけを覚えた顔。微笑んではいるが、そこに感情は感じられない。
ロマはニルを隣に座らせ、そっと頭に手を置いた。優しく撫でると、ニルは目を閉じる。
「傷は、放っておけば、治り、ます。
ロマさんだけが、温かさを、くれるんです。
だから……いなく、ならないで」
ニルが子猫のようにロマに擦り寄る。
ロマはそっと小さな背中に手を回し、何も言わずに抱きしめた。
/
夜が来る。
夕焼けは遠ざかり、暗闇が街に降りる。
ロマは、穏やかな表情で眠るニルの髪に指を滑らせる。絹のように柔らかい猫毛を少し梳いた後、立ち上がって窓の外を眺めた。
街に明かりはない。レーテーが徘徊するようになってから、夜は光を失った。月明かに照らされて、かろうじて街の輪郭が見える程度。夜を過ごすには心許ない。
ロマは煙草に火を点ける。くゆらす煙は、火の元を離れ闇に紛れた。
何も言わず、数秒か、数分か。
ニルの寝息と煙草の残り香を置いて、ロマは部屋を後にした。
電波塔と終末の少女 いちりか @9yanagi
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