第3話
霧雨が街に降る。
目を凝らせども遠景は霞のように淡く、人のカタチすらもぼやけて見える。
こんな日は、異形が街に這い出でる。
身体の一部、あるいは心を失った存在。
欠けた器の残滓を求めて、彷徨うモノ。
――廃墟の屋上に、男が立っている。
端の擦り切れた外套を身に纏い、無精ひげを生やした男は、感情のない瞳で街を睥睨する。
「
男は湿気た煙草を口から落とし、飛び降りた。
直後、火柱が巻き起こった。
激しい炎が霧雨をより濃い水蒸気に変え、辺り一面を覆いつくす。
灰燼など生ぬるい、跡形もない消滅。
すべてが燃え尽きたころ、男はただ一人、灰色の空を見上げていた。
取り出した煙草に火は点かず、男は舌打ちをしながらその場に座り込んだ。
「……俺は、いい人なんかじゃない」
/
電波塔の受付にて、妙齢の女が深いため息を吐く。
ロマは最初に訪れたときと同様、死に向かう足取りで現れた。
「あんたも物好きだね。金を積む価値はあるのかい、あの子に」
「お前のとこの商品だろう。それなら何故、俺につけた」
「……怪しい客に、大事な商品を任せられないからね。厄介払いのつもりだったさ」
「あの子は商品じゃない、と」
「そりゃそうさ。客のつかない娼婦じゃ、金は稼げないからね。ただ同然で手に入れたはいいものの、まさか
「……」
「木偶だよ、あの子は。要領が悪くて働き手にもなれやしない。顔はいいがね、男の醜い劣情を煽るだけ煽って、手を出させたらみんなサヨナラだ」
「わかった、俺が悪かった。さっさと案内してくれ」
ロマは紙幣を受付に置き、両手を上げた。
「……行きな。金払いのいい客は嫌いじゃないよ」
女が鍵を放る。ロマはそれを受け取って、背中を丸めた。
/
「オクルタを抜けたのが十五の頃。一通り世界を旅して回って、ある小さな村を見つけた。ここからだと……南西の方角だな」
記憶をたどり、ロマは目を細める。
ニルはロマの膝に頭を乗せ、下から顔を見上げていた。
「『帝国』と『王国』の
不思議と戦火に巻き込まれてない、平和な村だった」
「せんそうが、あったんですか」
「昔な。今はそれどころじゃないが。
……そこに、クネウムの女がいたんだ」
「わたしと、おなじ、ですか?」
「そうだ。その女も俺と同じ、『学術国』出身だったんだが……とんだお尋ね者でな。なんでも、『オクルタ』からも『スキオー』からも厄介者扱いされた異端児で、来るもの拒まずな『学術国』の、数少ない追放者なんだと」
「わるいひと、ですか」
「どうだろうな。変わり者ではあったが」
どことなく楽しげに話すロマを見て、ニルは複雑そうな顔をする。
「その人、なんてお名前、ですか?」
「……ジゼル」
「ジゼル、さん」
そう呟いて、唐突にニルはソファから立ち上がる。
慌ただしく部屋を出ていったかと思うと、少し後、眼鏡をかけて戻ってきた。
「どうです? あたま、よさそうに見えません?」
「……」
「ロマさんは、かしこい女のひとがすきそう」
「……そういうわけじゃない」
「似合って、ますか? ムラムラしてきません?」
「しない」
「むぅ」
つまらなさそうに、ニルは再びロマの膝に頭を置く。
「そのジゼルさんが、どうしたんですか?」
「ああ……ジゼルは、その村でクネウムについて研究していたんだ。本人は世界崩壊を止めるため、と言っていたが――」
ロマはそこで言葉を止める。
ちらりとニルを見た。
「――まあ、そういうことだ」
「消えた、んですね」
「俺の目の前でな」
ニルとロマの視線は合ったまま、けれど、見ているものは違うようだった。
「俺は、あの人を救えなかった」
ロマの顔に愁いはない。何を考えているのかわからない表情。
「色んなことを、教えてもらったのに」
ニルは口を開かない。
「見ていることしかできなかった」
ロマの目は虚空を見ている。
虚無を瞳に映しているようだった。
「ロマさん」
ハッとして、ロマはニルを見る。
「わたしは、消えないよ。まだ、あなたに何も返せてないから」
「……すまない。こんな話をするつもりじゃあ、なかったんだが」
「いいんです。ロマさんに、また少し近づけた、ような気がします」
ニルは微笑んだ。そっと手を伸ばして、ロマの頬に触れる。
「ロマさんは、たくさんのことを知っています。そして、たくさんのことを背負ってる……そんなふうに、最初、見えたから」
ざらついたひげの感触を楽しむように、頬を撫でる。
ニルは起き上がって、自分の膝をポンポンと叩いた。
「今度は、わたしがひざまくら、してあげます」
「……それは、いらない」
「あれ?」
二人は、笑った。
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