四つの影が手を伸ばす先 第2話

 しばらく他愛もない話しをしていると、窓越しにスーツ姿の男性と目があった。向こうが僕をみつめてくるので、思わず会釈をした。僕が頭を下げたことで他の三人も家の方へと視線を向ける。


 家の扉が開いたのはそのすぐ後だった。


「やぁ、もしかして母がよく僕に話してくれていた四人組ってのは君達のことかな?」


 おばあちゃんの家から僕たちの元へとゆっくりと歩みを進めてきたのは、細身の男性だった。丸眼鏡をかけており、年は40代くらいにみえた。一瞬首を傾げてしまったが、すぐに母というのはおばあちゃんのことで、四人組が僕たちのことを指すのだろうと思った。意識してみると、眼鏡の奥にみえる優しげな目がどことなくおばあちゃんに似ている。


「あっ…こんにちわ。おばあちゃんにはいつもお世話になってます!」


 僕が咄嗟に立ち上がると皆も立ち上がり、同じように頭を下げた。スーツ姿の男性はうっすらと微笑み、視線を上に向けた。頭上には木々や葉が生い茂り、空を見ることは出来ないが、更にその向こうに広がる空を見据えるかのように遠い目をしてる。


「やっぱりね。聞いてた通りほんとにいい子達そうだ。もう…母のことは聞いたのかい?」


 ぽつりと、放たれたその声は川のせせらぎに掻き消されそうな程にか細い声だった。その声を拾い上げ、胸の中に落としている内に、なんとなく口調に違和感を感じた。どこか含みのあるような、胸の中で何かがつっかえるような。


 その違和感はすぐに胸騒ぎへと移り変わり、僕は咄嗟に口を開いた。


「あ…あの。もしかしておばあちゃんに何かあったんですか?」


 鳥のさえずりが止まった。代わりに突如吹き抜けた風が木々を揺らし、葉擦れ音が大きくなった。森のアーチに出来た隙間から木漏れ日が差し込み、さながら光のカーテンのようなものが、僕たちと男性の間を隔てた。


「昨日、亡くなったんだ。心臓発作だったそうだ。」


 ひらひらと、揺れ動く光のカーテンの向こうで男性が言った。僕は、その言葉で一瞬にして内臓まで凍りつくような悪寒が走った。気を抜けば倒れてしまいそうな程に、足がぐらぐらと揺れる。頭が真っ白になった。


 おばあちゃんが亡くなった?

 嘘だ。あり得ない。だって一昨日まであんなに元気そうだったじゃないか。


 何度も、何度も、男性の放ったその言葉を理解しようと、呑み込もうと、努めてはみたが、無理だった。何か悪い夢でもみているんじゃないか、こんなの現実な訳がない、そう思えば思うほど、おばあちゃんの顔が頭に浮かんだ。あの、優しげな、陽だまりのような笑顔を浮かべる顔が、沢山の思い出と共に頭の中を走馬灯のように駆け巡る。それに、意識を向けている内に、ここにきてやっと、目元から涙が溢れ落ちた。最初の涙が頬を伝い地に落ちると、次々とそれに続いた。


 その瞬間、僕は思い出した。

 何のために僕は今日ここに来たのか。


 おばあちゃんが僕に放った言葉を。


「頼まれたんです…。私の方が…お迎えは早そうだか…ら小太郎をお願いねって…。」


 出来るだけ伝わるようにと、精一杯振り絞ってはみたが無理だった。胸の中から湧き上がる感情が、頬を伝う涙が、僕の舌を阻害する。


「そうか…。母はよっぽど君たちのことを信じてたんだね。小太郎を我が子のように思ってたはずだから。」


 本当におばあちゃんが亡くなった。僕に小太郎を託した時に、自分はもうこの世を去るということを分かっていたのだろうか。死期が迫った人は自覚出来るというのは本当だったんだ。


 おばあちゃんの笑った顔が目に浮かぶ。知り合ったばかりの僕たちに優しくしてくれて、気さくに話しかけてくれたおばあちゃんの姿が涙で滲んだ先にぼんやりと浮かんだ。


 川のせせらぎに混じって皆の啜り泣く声が鼓膜に触れる。きっと僕と同じように胸にぽっかりと空いた穴を埋めるように涙を流しているのだろう。湿った土の匂いがした。両足で立つ力すら失った僕は、足元にある地面を気付けば握りしめていた。


「中に入るかい?」


 その時だった。おばあちゃんのような温もりのある声が鼓膜に触れて、僕はゆっくりと顔をあげた。


 男性は僕たちを見回したあと、悲しみと喜びの狭間のような笑みを浮かべる。


「母は幸せ者だよ。君たちのような若い子にまで別れを惜しんでもらえて。今日の午後には母は火葬場にいく。だから…お別れを言うなら今しかないからね。母もきっと喜ぶと思うし、僕からもお願いするよ。」 


 僕は手についた土を払い、服の袖で目元を拭った。


「お願い…します。お…ばあちゃんにお別れを言いたいです。」


 言い切ったあと、拓馬と静香をみると目を真っ赤にしてただ頷いた。海月は地面に頭をつけ、張り裂けるような声で泣き叫んでいる。痛々しい程に、その姿からは悲しみが溢れていた。


 僕は海月の傍にいき、腰を下ろした。

 肩にそっと手を置いて、「海月、お別れを言いにいこう」と言った。


「な…にも、何…も出来なかっ…た。」と、ただそう呟く海月を、僕はゆっくりと起こした。男性は手のひらを家の方へと向けており、僕は海月を寄り添うような形で家の中へと足を進めた。

 

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