四つの影が手を伸ばす先 第3話

 家の中に入ると、黒で統一された服装で五人の男女が佇んでいた。皆、悲しげな面持ちで、家の中はいつもより暗く感じた。


 一人の女性が僕たちをまじまじとみたあと、僕たちを家に入れてくれた男性に視線を向ける。


「洋一郎、その子達は?」

「あぁ、母さんのお友達だよ。よく電話でこの子たちとの話を聞いてたからわかったんだ。その時の母さんは、ほんとに楽しそうだった。」

「そう…。お母さんはこの家で少なくとも一人じゃなかったのね。」


 僕は家の中にいる人たち全員に頭を下げ、周りを見渡した。今までに何度もおばあちゃんと談話したテーブルは壁の端によけられており、今はその場所に木製の棺がひっそりと置かれている。


 僕たちは、家の中をゆっくりと足を進めた。


 棺の中では白いふかふかの布団のような布の上でおばあちゃんが目を閉じていた。とても安らかな顔で眠っているようにしかみえず、亡くなっているとはにわかに信じられない程に綺麗な顔だった。


 背中越しに静香と海月の啜り泣く声が聞こえる。隣にいる拓馬は左手の拳を握りしめていて、涙を必死に堪えているのだろうと分かった。


 僕も最初はそのつもりだった。

 出来ることなら涙をみせずにおばあちゃんとお別れをしたい、そう思っていた。


 思っていた、はずだった。


「ごめん…おばあ…ちゃん、僕…無理だ」


 溢れ出る涙を拭い棺の中へと目を向ける。 おばあちゃんの姿を前にしても、亡くなっていると思えなかった。固く結ばれた口から何泣いてるんだい。と声が聞こえてきそうな程に。


 ゆっくりと腰を下ろし、棺の傍に近寄った。


 「おば…あちゃん…」


 皺の多く入った手が胸の前で結ばれており、僕はゆっくりと手を伸ばした。以前触れた時に温もりのあったその手は、氷のように冷たくなっていた。


「おばあ…ちゃん、約束…守るから。小太郎の世話ちゃんと…するからね。だから…安心して。天国から僕たちのこ…と見守っててね。」


 何度も言葉に詰まりながらも、お別れの言葉を言い終えることは出来た。僕が声を発する度に誰かの泣き声が大きくなった気がした。そのあと、拓馬、静香と続き、最後は海月がお別れを言う番だった。


 静香に背中を擦られていた海月は、ゆっくりとおばあちゃんの元へと足を進める。棺を前にして一度立ち止まり、大きく息を吸い込んだようにみえたのも束の間、膝から崩れ落ちた。


「ごめん…ね。おばあちゃん、本当にごめんね。………何も…何も出来なかった。ごめん…なさい。」


 後ろからみる海月の肩が震えていた。小さな声が次第に大きくなり、泣き叫ぶ声に変わった。あまりにも痛々しいその姿を、ただみている事は出来ず、僕は海月の元へと咄嗟に歩み寄った。


「……海月、落ち着いて。」

「いや…っ、離して!おばあ…ちゃんに、私は謝らないと…駄目なの!」


 海月は誰よりも取り乱していた。

 おばあちゃんの死を告げられてからというもの、ずっと謝罪の言葉を口にしている。もしかしたら、昨日おばあちゃんの家に自分が訪れていたら、また違った結果になっていたかもしれないと自分を思い詰めているのかもしれない。


 その姿は、僕の涙腺を更に緩めた。


「大丈夫…だから。大丈夫、大丈夫。おばあちゃんにお別れをちゃんと言おう。そんなに悲しむ姿を、おばあちゃんだって…天国からみたらきっと悲しむ…よ。」


 細い身体を抱きしめながら、僕は言った。胸元で泣き叫んでいた海月は、やっと、こくりこくりと小さく頷く。


 それから程なくして海月は落ち着きを取り戻し、おばあちゃんへの別れを告げた。


 スーツ姿の男性は僕たち全員に目を配らせると「ありがとう。」と呟き、その言葉に胸が張り裂けそうになった。


 これが僕にとって人生で初めての経験だった。まだ十六年しか生きていないというのも理由の一つにあるのかもしれないが、幸いなことに今まで身内の人が亡くなることはなかった。


 普段当たり前のように話して、笑って、泣いて、目の前にいることが、生きていることが、当然だと思っていても、大切な人との別れは、ある日突然やってくるものなのだろう。


 人はいつか必ず死ぬ。

 不確定なことばかりで予測すら出来ない人生だが、一つだけ断定出来ることがあるとすれば、それなのだろう。


 そんな当たり前のことを、僕は今日身に沁みて分かった。

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