第3章 サラリーマン、単身赴任をする

 博志は祐子と同棲を始めてから1年半後に婚姻届を提出し、正式に夫婦となった。まだ20歳代だったので、同期の仲間内では早い結婚だった。西新宿での暮らしはあまりにも「シティライフ」過ぎた。2人は休日のたびに新宿の街に繰り出したし、平日でもお互いの仕事が早く終わったら新宿駅で待ち合わせて外食やショッピングを楽しんだ。博志の職場のある池袋も日本有数の大都市と言えるが、新宿に比べると規模が小さいように思える。新宿はとにかく規模がケタ違いで、毎日どこかへ立ち寄っても一生のうちに全部は回れないのではないかというぐらいの建物が立ち並んでいる。ガイド本に載っていない穴場の店もたくさんあった。こんな街が自宅から徒歩圏内にあるのだから、マンションの住人は理解に苦しむ連中ばかりだが、まだ我慢できると博志は思っていた。

 そうやって新宿を堪能していると、時の流れを忘れてしまうほどで、気づけば結婚から2年が経過していた。お互いに「子供はいらない」と思っていたわけではないけれど、まだ20歳代で若いから自分のために時間を使いたいという気持ちが強かった。その間も夫婦の営みがなかったわけではないし、どこかのタイミングで祐子が妊娠したらそのときはもっと家庭を顧みようと思っていた。しかし、祐子はなかなか妊娠しなかった。そろそろ二人も20歳代も終わりに差しかかり、もしかして身体に問題があるのかもしれないと不安になった祐子は婦人科を受診した。すると医師から、仕事などのストレスで妊娠しにくくなっているのではないかと指摘された。本気で子供が欲しいなら早めに行動に移したほうが良いとアドバイスされ、タイミング法や人工授精なども試してみたが、結果は芳しいものではなかった。そこで祐子は「妊活宣言」をし、スッパリと勤務先を退職したのである。

 博志は祐子の潔さに感心するとともに、本気で2人の子供を欲しがっていることがわかってうれしかったが、そういうときに限って博志にも想定外の出来事が降りかかってしまったのである。

 ある金曜の晩、外回りを終えて帰社した博志のもとへ、上司である大山課長がやってきた。いつもなら「北川くん」と呼びかけて自分の席まで来させるのに、わざわざ課長からやって来るとは、きっと何か良からぬことを知らせるのだろうと博志は嫌な予感がした。

「ちょっと、会議室まで来てくれる?」

 博志たちの部署がある島から5メートルほど離れたところに、簡単な打ち合わせができる程度の6人がけのテーブルがあった。いつもなら、そこで2、3分話す程度なのに、今日はわざわざ会議室に呼ばれた。良からぬ話でほぼ確定だなと博志は覚悟を決めた。

「結婚生活はどう?」

 博志が会議室のドアを閉めるなり、大山がそう話しかけた。

「まあ、順調と言えば順調ですかね。結婚前から一緒に住んでたんで、それほど目新しさはなかったですけど」

「そうか。順調ならいいんだが、奥さん、妊娠してたりしないよな?」

「え? いやあ、どうでしょうか。けっこうがんばってるんですけどね。なかなか……」

「そうか。それなら良いんだが……」

「え? いや、良くないですよ」

「あ、そうだな、ごめんごめん。いや、そういう意味じゃなくて、そのー、本社に転勤してもらいたいんだよ」

「ふ~ん、誰がですか?」

「転勤しないヤツをここに呼んでどうする?」

「え、僕のことですか。本当に転勤するんですか?」

「今日、人事部長から下りてきてね。まあ、本社への転勤だから、北川くんにとっては栄転なんだけれどさ。北川くんも来年30歳だろ? ウチはだいたいその頃に一度転勤することが多いんだよ」

「いつから、どのくらいの期間ですか?」

「それはそのときの状況次第かな。今後ずっと大阪の可能性もある。キミは大阪出身だから、故郷に帰れていいんじゃないか?」

「いやいや、僕は良いですけど、奥さんは埼玉の人なんで……」

「そう言えばそうだったな。もし奥さんが反対なら単身赴任でも構わないぞ」

「転勤は断れないんですか?」

「もちろん、それも社員の権利だからな。ただ、そうなったらどうしても会社からの印象は悪くなるよな」

「わかりました。転勤を断る理由はありませんが、妻を連れていくかどうかだけは、少し考えさせてもらえませんか?」

「よし、わかった。北川くんなら受けてくれると思ったよ。でももう来月には転勤になるから、できれば週明けに答えを出してほしい」

「もう1ヵ月切ってるんですね」

「そうだな。妻帯者だから会社の独身寮に住むわけにもいかないし、借り上げ社宅にするのが一番良いかもな。あるいは、北川くんのご実家に2人が間借りするかだ」

「それは奥さんが嫌がると思いますけど……」

「そうか。普通そうだよな」

 転勤については入社10年目までに約70%の社員が経験すると言われていたので、博志もいずれ白羽の矢を立てられるだろうとは思っていた。業界では中堅規模の会社だが、全国に支店があるので地方への転勤もあり得た。博志は将来性を買われたのか、地方の支社ではなく大阪本社への異動だった。

 この週末は祐子とサッカー観戦でもしようかと話していた。埼玉にはJリーグのチームが2つあって、そのチーム同士が対戦する「埼玉ダービー」ということで、祐子は以前から楽しみにしていた。博志も祐子と出かけられることが楽しみだったが、転勤を言い渡されて、なんとなく出かける気持ちではなくなっていた。

 自宅に帰り、祐子の作った夕ご飯を食べた。博志は、明日のサッカー観戦を楽しみにしている祐子に転勤のことを告げるのは、なんだか酷な気がしてきたので、食事中は黙っていた。2人はしゃべるときはしゃべるが、特に話題のないときは終始無言で、つけっぱなしのテレビの音がBGM代わりになることもあり、今日の博志はワケありの無言でも祐子は意に介していない様子だった。

 その後、それぞれが入浴を済ませ、ダブルベッドに二人が横並びに寝ると、祐子が「明日、どっちが勝つかな?」と試合予想について尋ねてきた。片方のチームは優勝争いをしていたが、もう一方のチームは下のほうの順位を行ったり来たりと低迷していた。

「そりゃあもう結果は見えてるんじゃない?」

 博志は祐子と知り合うまでまともにサッカーの試合を見たことがなかったが、祐子が熱心に試合を観戦するので、スタジアム観戦に同行することが増え、いつの間にか対等に話ができるまでになっていた。

「そうだよねえ。でもJ2に降格しないでほしいなあ。埼玉ダービーが見れなくなるから」

 祐子は2チームのうちのどちらかのファンというわけではなく、埼玉ダービーというカードが楽しみなようだった。

「そうだねえ。埼玉ダービーは盛り上がるもんねえ」

 博志は合いの手を入れたが、次からは当分スタジアムで観戦できなくなるかもしれないと思うと心が痛んだ。


 翌朝、祐子は興奮のあまり、平日よりも早く起きていた。試合開始は19時だから、まだまだ時間がある。試合観戦から帰ったらすぐに風呂に入って寝たいということで、祐子は洗濯物を干したり掃除機をかけたり、翌朝の食事の準備など、朝からすでに「寝る支度」をしていた。博志もトイレ掃除などを手伝っていたが、「転勤のこと、いつ言おうか」と、祐子に告知するタイミングばかり考えていた。午後は近くの小さなスーパーに買い物に出かけ、サッカー観戦に必要なお菓子や飲み物も購入した。月曜には会社に返事をしないといけないが、今日はサッカー観戦だから、実質祐子に伝えるのは日曜日になるだろうか。いや、そうしたら「なぜもっと早く言わなかったのか」と責められないだろうか。それならやはり早ければ早いほうがいいだろう。でも、祐子が鼻歌交じりに楽しそうに買い物をしている様子を見ると、今が「その時」ではないようにも思えた。

 家に帰り、観戦の準備を始める。祐子は埼玉ダービーのときは、レプリカユニフォームではなくいつもの私服で出かける。どちらかのチームに肩入れしないという意思の表れらしい。博志もどんな試合でもユニフォーム姿で外を出歩くことが恥ずかしかったので、私服だった。

 スタジアムは試合前から超満員で、応援にも熱がこもっていた。博志たちはメインスタンドのほぼ中央の席に座っていたが、隣同士で座っていても大声でないと聞こえないほどだった。

 試合は両チームがそれぞれ見せ場は作ったものの、0対0で終わった。博志は、やっぱり点がたくさん入るスポーツのほうがおもしろいよなと、スコアレスドローの結果に不満があったが、祐子は「点が入りそうで入らない、このドキドキ感がたまらない」と満足げだった。

 観客が家路に着く長蛇の列に交じって博志たちも歩みを進めていたが、前にいた男性が携帯電話で仕事の話をしていた。

「そういえばさ、オレ、転勤になった」

 博志は前の男性につられて、会社での転勤の打診について打ち明けた。

「え?」

 祐子は問いかけたが、博志は同じことは二度言わず、黙って下を向いていた。それでも、祐子の耳にはしっかりと届いていたようだった。

「なんで今言うの?」

 苦笑混じりではあったが、言葉はしっかりと博志を糾弾していた。博志は黙り続けていた。

「私もさあ、赤ちゃんできたみたい」

「え!」

 博志は問いかけではなく、驚きの声を漏らした。

「な、なんで今言うの?」

「いつ言おうか迷ってたから。ヒロくんの転勤話のついでにいいかなって」

「妊娠はついでじゃないでしょ……。で、いつわかったの?」

「昨日」

 博志が転勤の話をしづらいと思っていた横で、祐子も同じような悩みを抱えていたようだった。


 祐子は派遣社員として、スケジュールの融通が利く事務の仕事をしていた。入力作業がほとんどで、対人関係で悩むことは以前に比べると少なくなり、収入は減ったが気持ちの余裕ができた矢先の妊娠発覚だった。博志にとっても待望の妊娠で、本当なら手放しで喜びたいぐらいだったが、転勤が頭によぎったこととこのタイミングで告げられたことで、あまり喜べる気分ではなかった。

「産婦人科に行ったの?」

「ううん、検査薬だけだけど。なんかここのところ体調がおかしくてさ。風邪でもないからおかしいな、もしかしてって……」

「じゃあまだ確定したわけではないってこと?」

「そうだね。月曜日に診察してもらおうと思う」

「そっか……。でもめでたいよね。なかなか妊娠できない人も世の中にはたくさんいるけど、ゆうこりんはなんとか20代で妊娠できたもんね。本当におめでとう!」

「まあ出産するときには30歳だけどね。ヒロくんの転勤ってどこに行くの?」

「大阪」

「うそ? じゃあ私も大阪に行くの?」

「いや、出産とか事情があれば単身赴任でもいいって」

「出産もそうだけど、今後育てていかないといけないでしょ?」

「そうだよね……」

「転勤って、どれぐらいなの?」

「それはわからない。1年かもしれないし、定年までかもしれない」

「そっか……。あまり長引くようだったら、子供ができても大阪に行かないとね。それだともう埼玉ダービーが見れないね。もっと楽しんでおくべきだったな。やっぱり早く言ってほしかったな」

「ごめん。でも試合前に言っても『なんで今なの?』って言ってたでしょ?」

「そんなことわからないけど……、まあたぶん言ってたかな」

 結局、いつ言っても何かしら祐子から責められる運命だったわけだ。

「それで、どこに住むの?」

「まだ決めてないよ」

「奈良にしたら?」

「なんで?」

「奈良には私のルーツがあるんでしょ?」

「それだけの理由!? 奈良ってけっこう大阪から遠いよ」

「言っても隣の県でしょ?」

「それでも奈良駅から梅田までは1時間ぐらいかかるよ。オレの親に初めて会った後で奈良まで行ったの覚えてるでしょ?」

「そうだったっけ?」

「そうだったっけじゃないよ……」

博志は祐子と一緒に暮らしだして4年ほどになるが、その間に祐子の「天然」ぶりにも慣れてきた。ツッコミの言葉も当初は本心から出ていたが、今では半ば呆れながらもお決まりのフレーズとして口をついて出るようになっていた。

 博志は月曜日に、結論は火曜まで待ってほしいと大山課長にお願いしたが、昼前に祐子から「やっぱり妊娠してた! 安定期に入るまで安心はできないけど」とメールが来たので、午後一で「妻は妊娠していたので、単身赴任で転勤します」と意思を伝えた。


 いつもなら週末は祐子と新宿へ出かけるか、家でのんびり過ごしていたが、転勤までに1ヵ月を切っていることから、博志は関西へ家探しに出かけることにした。祐子に自腹になるが一緒に行くかどうかを尋ねると、「妊娠してるし、自分が住まないから別にいい」とあっさり断られた。

 大阪府豊中市生まれの博志は、一度は神戸や京都方面に住んでみたいという淡い憧れのようなものを抱いていた。しかし、京都は「一見さんお断り」の料亭のごとく、外からやってくる人間には冷たい印象があった。一方、ムサシファーマシーの本社ビルが大阪の西梅田にあり距離的に近いことや、単身赴任の間に自分が住みたいと思っていたエリアに居を構えるのも悪くないと思ったので、神戸方面の物件を探すことにした。

 新幹線で新大阪まで行き、そこからJRの在来線で大阪駅まで行く。そのまま電車を降りずに神戸方面まで向かってもよかったが、梅田に来るのも数年ぶりだったので、博志はいったん電車を降りて街を散策し、昼食も済ませた。

 子供のころ、両親に連れられて梅田にはよくやって来たが、どこか寂しげな印象があった。人であふれ返り、夜中になっても賑やかな関西随一の繁華街がなぜ寂しく感じられるのか、幼い博志にはわからなかったが、その感覚は30歳を迎える年になっても変わらないままだった。

 博志はJR大阪駅に戻ろうとしたが、梅田の地下街を歩いているうちに自分がどこにいるのかわからなくなった。いたるところで工事が行われており、昔通っていた道が閉鎖されていたこともあるが、もう自分は関西人ではなくなったのかなと、梅田の街に抱いた感情とは別の寂しさが博志を包んだ。

 JR大阪駅の行き先案内を見ながら歩いていたつもりだったが、博志がたどり着いたのは阪神電鉄の梅田駅だった。会社から指定された不動産店は神戸の三宮にあり、JRでなくても三宮には行けるので、博志は阪神電鉄で三宮へ向かうことにした。

 不動産店との約束の時間にはまだ余裕があったので、博志は各駅停車に乗った。程なく発車したが、阪神電鉄は駅の間隔が短くて、速度を上げきらないうちに次の駅に着いてしまうような感じがあった。梅田駅は地下にあるが、2駅ほど進むと線路が地上に出たので、しばらく車窓の風景を楽しんでいた。それにしても阪神電鉄の各駅停車は、いくつかの駅で特急や急行の通過待ちのために5分近く停車しており、風景を楽しむどころではなくなってきた。関西生まれで元来「いらち」な博志は、途中の甲子園駅で我慢できなくなり特急に乗り換えた。

 それから20分ほどで三宮駅に到着し、携帯電話で不動産店までのルートを調べた。阪神三宮駅からサンチカと呼ばれる地下街を抜け、三宮センター街を経由して、神社の鳥居があるあたりに目的の不動産店はあった。博志はなぜ商店街のど真ん中に鳥居があるのだろうかと不思議に思ったが、商売繁盛の神様でも祭っているのだろうと都合よく考えた。じきに「神戸ハウジングサービス」と書かれた不動産店の看板を見つけた。

 看板が掲げられたビルに入り、エレベーターで店舗まで行くと、50歳代とおぼしき一人の中年女性がパソコンに向かって座っていた。

「あのー、ムサシファーマシーの北川と申しますが、借り上げ社宅の件で……」

 博志は中年女性がまるで鬼のような形相でキーボードを叩いているので、おそるおそる声をかけた。

「ああ、北川さんね。話は聞いてますよ。私が担当の森です」

 森はキーボードを叩く手を止め、おもむろに立ち上がって名刺を差し出した。肩書きには「係長」と書かれていたが、店舗の中には部長も課長も、ましてや社長がいそうなスペースもなかった。「何の係なのだろう」と博志は一瞬気になったが、それよりも森の化粧が濃くて顔と首筋の肌の色がまったく違っていることのほうが気になって仕方がなかった。ファンデーションは「白塗り」に近く、しかも真っ赤な口紅を塗っていたために、その姿はまるで「おかめ」のようで、まじまじと森の姿を見ないほうが良いように思えた。

「神戸方面で家をお探しということでうかがってますが、ご家族で転勤ですか?」

 森は博志が当惑していることなどお構いなしに仕事を進めていく。

「い、いえ、単身赴任です」

「そうですか。じゃあお子様とも離ればなれですか?」

「ああ、子供はまだ妻のお腹の中です」

「そうですか。それはたいへんな時期に転勤になりましたね」

「そうですね。辞令が出てまだ間がないから気持ちの整理もできていないんですが、今月中には引っ越さないといけないので」

「ウチは御社の社員さんのお住まいをよく仲介させてもらっていますが、だいたい転勤される方は皆さんそうみたいですね」

「そうなんですか。しかも妊娠がわかったのもつい先日だったので」

「なるほど。じゃあ将来的にはご家族もこちらにいらっしゃるご予定ですか?」

「それは今のところはなんとも。まずは僕一人で住めたらいいかなと思っています」

 雑談を繰り返しているように思えたが、後になってさりげなく家族構成や住まいの希望について聞かれているのだとわかり、この森という「おかめ」はやり手だと思った。

「神戸のどのあたりに住みたいですか?」

「会社が西梅田なので、三宮より東のほうがうれしいですね」

「あ、もしかして関西に住まれたことがありますか?」

「ええ。生まれてから大学卒業までずっと豊中でしたよ」

「そうでしたか。関西のイントネーションではないから、あっちの方かと思いました。じゃあ神戸の地理的なこともご存じですね」

「うーん、なんとなくしかわかりませんけど、駅名を聞いたらどの辺かはだいたいわかると思います」

 博志は、森の「あっちの方」という言い回しが気になったが、おそらく東京のことを指しているのだろうと推測した。今日はやけに気になることが多いと、小さく含み笑いをしていると、森から矢継ぎ早に質問があった。

「沿線の希望はありますか?」

「……沿線は特にないんですけどね。西梅田に出やすいのは阪神かなと思ったりしてます」

「じゃあ阪神沿線で探しましょう。梅田まで出られるなら、特急が停まる駅が良いですか?」

「……そうですね。実は今日、梅田から阪神で三宮まで来たんですけど、普通に乗ったらなかなか着かなくて。甲子園で我慢できずに降りました」

「阪神の駅の間隔はバス停みたいでしょ? JRと違って普通で三宮から梅田まではなかなか出られませんよ」

 東京の山手線も駅の間隔が狭いが、いい勝負だなと博志は思った。

「阪神で特急が停まる神戸市内の駅は、御影か魚崎ですね。北川様はお買い物をよくされますか?」

「妻の買い物にはよく付き合わされますけど、自分一人でというのはあまりないかな」

 博志は御影という地名は聞いたことがあったが、魚崎は初耳だった。どの辺りにあるのだろうと思いながらも、森の質問の意図を図りかねた。

「お休みの日は運動とかされますか?」

「ああ、あまりしていないですね。メタボが気になり始めてはいるんですが……」

「お話を聞いていると魚崎でもいいような気がしますが、地域のブランドとか気にされますか?」

「どうかなあ。気にならないと言ったらウソになりますかね。気にしないなら大阪市内でもぜんぜん構わないわけだし」

「なるほど。それであれば御影のほうが良いかもしれませんね。魚崎もいいところですが、御影のほうが有名でしょ?」

「たしかに。じゃあ御影にしようかな」

 御影も魚崎も神戸市東灘区にある。東灘区は神戸市のなかでも最も東寄りにあり、隣は芦屋市だ。芦屋は古くから高級住宅街として全国的にも有名だが、芦屋のブランドに引っ張られる形なのか、御影も地元ではセレブの街と認識されている。魚崎も御影のすぐ近くにあるが、なぜかセレブの街という印象がない。「魚」という文字からも連想できるように、御影よりも海側にある。神戸は北側に山、南側に海があり、山からは海が、海からは山がはっきり見えるような地形だ。博志は風の噂(これもテレビだったかもしれない)で、神戸は北に行くほどセレブ感が増すと聞いたことがあった。ということは、御影と魚崎のセレブリティを分けたものは、単に位置関係だけなのだろうか。

 森が御影地域の物件を探している間、博志は祐子に「御影って知ってる?」とメールをすると、5分も経たずに「知ってるよ。神戸でしょ?」と返事があった。埼玉人の祐子でも知っているぐらい、御影の知名度は全国区なのだとわかった。ついでに「魚崎は?」とメールしたら、「誰?」と返ってきた。やはり単身赴任先の住まいは御影のほうが良いと確信を持った。東京支社の同僚たちにも自慢できるかもしれない。

 森は11軒の物件の間取り図を博志の前に広げた。博志は今度の単身赴任では可能な限り外食は控え、自炊をしようと決めていた。食べ物のニオイが充満した空間で眠りたくなかったので、ダイニングと寝室が分かれている部屋を希望していた。バス・トイレはもちろんセパレート。洗濯物が外に干せるよう、バルコニーもあったほうが良い。あと、1階はパス。

 11軒のなかで、博志の希望をすべて満たしている物件は4軒あった。そして1階だが、築浅で間取りも広めという物件が1軒あった。2階建ての2階部分の角部屋・1LDKでダイニングとリビングが合わせて12畳というアパートがあったが、玄関を開けるとそこはダイニングという間取りが気に入らなかった。

 しかし、今までの引っ越しで世話になった不動産店は、博志の希望を把握していても、めぼしい物件を出してくる確率は2割ほどだった。それが森の場合は5割近くである。関東と関西という違いはあるのかもしれないが、森の目利きは相当なものだと彼女の仕事ぶりに感心した。

「この1階の物件も含めて、今日1日で5軒全部回れますか?」

「ウチが管理していないものが1軒あるので、全部は無理かもしれませんが、残り4軒は行けます」

「じゃあ可能な限り、お願いします」

 森は自分たちで管理していない物件の内見が可能か、管理している不動産店に電話をした。すると、今日は難しいが明日なら大丈夫ということで、博志は明日の午前中に見させてもらうことにした。

 残りの4軒は森の運転する車で見て回った。それぞれオートロックの新しさや両隣の表札、ポストの状況、室内では壁の厚さを叩いて確認したり、バルコニーに出て騒音や振動の具合をチェックしたりした。森は博志の確認作業に合わせて1つずつ丁寧に説明をしてくれたが、2軒目を見終わった後に「北川様はかなり勉強されていますね。チェックされるポイントが的確ですよ」と、驚きを隠せない表情になっていた。

「じつは今回で3回目の引っ越しなんです。それまでの2回で反省することがたくさんあったので、今回はそうならないようにと思って」

「ここまでチェックされると、こちらも身が引き締まりますし、良い物件をご紹介したいなと思います」

「ぜひよろしくお願いします!」

 森とは初対面のはずなのに、前からずっと知り合いのような信頼感を持った。もうおかめのような厚化粧もまったく気にならなくなっていた。

 4軒内見したなかで、阪神御影駅から徒歩3分、築7年、5階建てマンションの4階、家賃85,000円の1LDKの物件が最も条件に合っていた。強いて言うなら角部屋が良かったが、日差しもよく当たるし、阪神電鉄の線路に近いが、電車の騒音・振動は気にならなかったので、明日の物件を見てから決定しようと思った。

 この日は大学時代の友人3名と梅田で待ち合わせをし、久しぶりに会って思い出話に華を咲かせた。3人とも関西で働いており、そのうち結婚しているのは1人だけで、子どもはまだだった。博志は東京での暮らしやもうすぐ子どもが生まれること、タイミング悪く関西に転勤になったことを話した。友人たちは博志から関西弁が抜けていることをひとしきりいじった後、「奥さんは東京の人か?」と博志に尋ね、博志が「東京じゃないけど埼玉」と答えると、3人とも「おースゲー!」と感嘆の声をあげた。何がすごいのか、東京じゃなくて「ダサイタマ」だよと返すと、「『ダサイタマ』というネーミングもオシャレに聞こえる」と言い、東京への歪んだ憧れを抱いているのではないかと博志は心配になった。

「やっぱり、あっちの人って『~じゃん』とかマクドのことを『マック』とか言うん?」

「言うよ。あと、鬱陶しいことを『うぜー』とか、やりっぱなしのことを『やりっぱ』とか」

「やりっぱ! なんや『すきっ歯』みたいやけど、あっちの人が言うとかっこええなあ」

 彼らの東京へのイメージはテレビが作り上げたものかもしれない。博志も東京で仕事をしていなければ、彼らと同じような幻想を今でも抱いていただろう。「03」の市外局番にこだわったり、東京23区在住の夢を捨てきれずに多摩地域からいきなり大都市のど真ん中に引っ越したり……。5年以上東京で過ごして、現実を知った部分もあるが、その現実が受け入れられず、いまだにテレビが描く世界が本当の東京であると信じたい気持ちもある。

「関西に転勤ってどこに住むの?」

「神戸の御影」

「またええとこに住みよるなあ」

 たしかに御影は高級住宅街だが、よく考えればそういうことを知ったのもテレビである。博志は自分がテレビっ子でなかったら、神戸市の地理や地域性も知らずに魚崎にしていたかもしれない。自分がテレビで聞いたことのある街だからという理由で御影に住居を決めようとしていることに気づき、成人してもテレビの情報がすべてだと思っている自分に危機感を覚えた。だからと言って、テレビを見ることをやめるわけではないのだけれど。

それにしても、テレビに影響されて「御影に住みたい」と思うのはなぜなのだろう。結婚してもうすぐ子供が生まれる身分だから、異性に対して良く思われたいというわけでもないし、良く思われて異性とどうかなった先に待っているのは家庭の崩壊である。御影に住みたいと思う理由を見つけられなかったので、御影以外の候補をもう一度探したほうが良いかもしれないと不安になったが、また翌週に関西に行く時間的な余裕はなく、住む場所を再度考えるのも億劫だったので、御影に絞るんだと思い直した。

 友人たちと別れた後、博志は豊中の実家に帰った。大学を卒業してから疎遠になっていた実家だが、博志の部屋は一部物置になっていたものの、そのまま残してくれていた。両親のその心遣いはありがたかったが、もう深夜に近いというのに、母・美智世の質問攻めには閉口した。もうすぐ初孫が生まれるという高揚感があるのはわかるが、「名前は決まったのか?」「おまえに祐子の世話ができるのか?」「なんだったら自分が東京の家にしばらく住み込もうか?」と、自分の息子をまだ一人で身の回りのことができない小学生と思っているかのようなくだらない質問ばかりで、博志は答える気がしなかった。しかし、名前が決まったかどうかという質問には「まだ決まっていない」と正直に回答し、「ふりがながないと読めないような変な名前だけはやめて」と懇願された部分については賛同できた。

 翌朝、昨日と同じように神戸ハウジングサービスに行くと、森がすでに車の準備をして待っていた。

「おはようございます。残りの物件はいつでも内見できるようにしてもらっているので、早速行きましょう」

 森は相変わらずてきぱきと仕事を進めていく。森の顔も昨日と同じ「おかめ」だったので、いつもこんな化粧をするのだろうと博志は納得したが、ふと森のスッピン姿を想像してしまい、すぐ首を横に振って打ち消した。

 現地に着くと、博志たちが乗っていた車と同じような軽自動車が停まっており、傍らには博志と同年代とおぼしき、若い男性が立っていた。男性と森が名刺を交換し、男性の案内で内見をさせてもらった。

ここは博志の希望ではない1階にある物件だった。しかしそれ以外の条件はこれまで見たなかでは一番良かった。博志は現在住んでいる西新宿の物件を仲介した新田不動産の新田が話していた「希望の7割が叶えば合格点」という言葉を思い出していた。2階以上という希望は、数ある希望条件のうちの1つというわけではなく、比較的大きなウエイトを占めていたが、それだけで全体の3割になるかどうかまでは博志自身にもわからなかった。

一通り見せてもらっている最中も、森は一人で細かく部屋の状況をチェックしていた。その姿はまるで他社物件の品定めをしているかのようだった。内見を終えた博志が玄関外に出ると、男性担当者も一緒に出てきたが、森はまだ室内をチェックしているようだった。

「森さんってすごく仕事ができる人じゃないですか?」

 玄関の扉が閉まるなり、男性担当者が博志に質問を投げかけた。

「たしかにそうですね。ものすごく段取りが良いし、知識も豊富な感じです」

「ですよね。あの人、神戸の不動産会社では有名人ですよ。森さんだったらどんな物件でも売ってしまいそうです」

「へえ。この物件は森さんでないと売れないですか?」

「いえいえ、ここはもう人気物件ですよ。1LDK以外にも2LDKのお部屋があるのでファミリーも多く、この部屋以外はすべて埋まっていますし、ここも今日明日には決まると思います」

 博志は男性担当者の質問に乗じて、さりげなく物件の探りを入れたが、どうやら本当に人気物件のようなので、あまり悩んでいる時間はなさそうに思えた。それにしても同業他社にも名前が轟くということは、森は相当なやり手なのだろう。博志も昨日と今日までに森の対応が不快だと感じたことはない。唯一、厚化粧が引っかかってしまうが、それが気にならなくなるほど仕事の運びはスマートだ。

 数分後に森も部屋から出てきて、男性担当者とは別れることになった。森の車で再び三宮の事務所まで戻った。博志は事務所内の来客用イスに腰掛けるなり、森に相談した。

「さっきのところが一番良いなあと思ったんですけど、1階なのがどうなんだろうというところです」

「そうですね。ただ1階とはいえ、あそこはバルコニーが面しているお庭もしっかり手入れされていましたし、大きい道路もありませんから、それほど1階というデメリットはないように思いますけどねえ」

「う~ん、それにあそこは別の会社が管理してるじゃないですか。せっかく森さんに案内していただいたのに」

「ああ、それでしたら、別にウチで契約することもできるので問題ありませんよ」

「あ、そうなんですか。森さんだったらあそこの家、住みたいですか?」

「まあ私は1階でも全然問題ないタイプなので、そういう人間からすると、よく空いていたなあという感じですけれどね」

「そっか、じゃああまり時間もないことだし、さっき見たところにしようかな」

「わかりました。では、先ほどのところに契約の旨を伝えておきますね」

 森はどこまでも手際良く、契約の準備を始めた。準備が終わるまでの間、博志は来月には自分が住むことになる家のチラシのコピーを眺めていた。築3年以内で1LDK・39㎡の広さでさらに駅近で家賃が85,000円というのは、東京23区の都心部ではなかなか考えられない価格だ。駐車場も敷地外で15,000円とあり、西新宿の駐車場が舗装もされておらず、ヘタをすれば鳥の糞が落ちてくるような場所が40,000円なのと比べると、破格の値段のように思えるが、実際は東京の価格が異常なのだろう。それでも借りる人がいるから相場が高くても成り立ってしまうのだ。

 そういう感じだと、きっと敷金・礼金も関西は安いのだろうと、チラシの敷金・礼金の欄を探したが、どこにも表記が見当たらない。まさか「時価」ではないだろうし、月々の家賃や駐車場代以外は会社が負担してくれるから、いくらであっても構わないのだけれど、はっきりとした金額だけは知っておきたかった。

 ちょうど良いタイミングで森が準備を終えて博志のところに来たので、博志は「ここの敷金・礼金はいくらなんでしょうか?」と質問した。

「関西は『敷礼』ではなく、『保証金・敷引き』とするところが多いんですよ。なので、ここに保証金50万円、敷引き20万円と書かれていますが、これが『敷礼』に代わるものになります」

 森は面倒がらずに丁寧に教えてくれた。

 なんと、ところ変われば言い方も変わるのか。できれば全国的に統一してもらいたいけれども……。博志は関西生まれだったが、関西で家探しをしたことがなかったので、東西の慣習の違いに驚きを隠せなかった。

「あと、物件にもよりますが、関東だと2~3年ごとに更新がありますよね。関西はそういう習慣があまりなくて、お住まいの物件にも更新がありません」

 今までに2回家探しをして、不動産のことはある程度知り尽くしたと思っていたが、まったくもって氷山の一角であることを痛感した。一方で、博志の疑問はたちどころに氷解され、契約手続きもつつがなく執り行われた。午前中にすべての手続きが終わり、博志は神戸ハウジングサービスを後にした。

 森とは2回しか会っていないのに、博志の頭の中には強烈なインパクトを残していた。もしずっと関西で仕事をすることになったら、今後は森にファミリータイプの家探しをしてもらおうと思った。翌日は仕事があるので、昼食を済ませると神戸の街を散策することもなく、JRの在来線で新大阪まで行き新幹線に乗って東京の自宅に帰った。神戸の散策は今後嫌というほどできるだろうから。


 転勤先の住まいが決まって、ようやく一息つけそうな気分になったが、よく考えたら転勤を言い渡されてからまだ10日しか経っていなかった。それなのにもう1ヵ月以上も経過しているような気持ちになった。住む家を決めるという作業は想像以上に骨が折れるものなのだと博志は実感した。これまでの2回の引っ越しで、どちらも不動産店に行って自分の条件に合った家を探してきた。今回は今までで最も短期間で家を決めることができた……いや、決めざるを得なかった。それなのに最も疲れが出たような気がした。今回の引っ越しはやむにやまれぬ転勤だからだろうか。いろいろと発見も多かったが、心から楽しめる家探しではなかった。間取りにはこだわったけれど、バルコニーの方角は特に気にしていなかったし、設備の新しさや周囲の環境もあまりチェックしなかった。2階以上の物件にこだわっていたはずなのに、結果的には1階の物件にしてしまった。これらは結局、家探しにあたってこだわりがないことの証左かもしれなかったが、これまでの家探しの経験から周辺環境は住んでみて気づくことのほうが多く、家探しとは結果が数年後にならないとわからないギャンブルのようだと感じた。

 祐子に転居先が決まったことを告げても、彼女はどこか上の空だった。きっと約半年後に控えている出産のことで頭がいっぱいなのだろう。エコー検査の結果、まだ10cmにも満たないとわかった名もなき胎児に、博志はすでに優先順位で負けていた。ストレスが胎児に与える影響は大きいと言われるので、祐子は極力情報をシャットアウトしているのかもしれなかったが、いざ構ってもらえなくなると、子供のように駄々をこねたくなるのであった。


 引っ越しは単身パックで行った。数年前よりも見積もりサイトが充実していたが、単身者であればそれほど価格は変わらないだろうし、以前お願いしたところのほうが安心だということで、大学卒業後の上京時と同じ引っ越し会社にした。ダンボールの数と金額が決まっていたので、引っ越し会社の営業マンは特に家にやって来なかった。ネットから申し込んで数日後にはダンボールが届いた。家電のほとんどは祐子が利用するのでそのまま置いていき、現地の家電量販店で購入した。家財道具も単身者用のサイズを購入した。持って行ったのは、布団や本類、衣類ぐらいで、むしろ上京時よりも荷物が減っていた。利用した引っ越し会社のプランは上京したときと内容が同じだったが、名称が変わっており費用は倍近くになっていた。単なる値上げの口実として名前を変えただけなのだろうと、ずるい手口に腹立たしさを覚えたが、別に引っ越し代を自分で負担するわけではなかったので、引っ越し会社にはクレームをつけなかった。

 荷物をすべて詰め込んでも、家の中はそれほど片付いたようには思えなかった。博志だけが使っていた家財道具は衣類以外にほとんどなかったようだった。

「テレビはどうするの?」

「せっかくだから別メーカーの同じぐらいのサイズのものを買うつもりだけど」

「じゃあ、戻ってきたら寝室でもテレビが見られるね!」

 博志は単身赴任への期待感などはまるでなく、祐子とお腹の赤ちゃんと離れることへの寂しさしかなかったが、祐子は博志が転勤でいなくなることがうれしいのではないかと疑いたくなるほどのはしゃぎようだった。なぜそんなに楽しそうなのかと問い詰めたかったが、浮気を疑っていると思われて関係が悪くなることも嫌だったし、もし本当に「うれしい」と言われたら二度と立ち直れないような気がしたので、祐子は寂しさを紛らわすためにあえて明るくふるまっているのだと思うことにした。


 東京勤務の最終日には、部署内で送別会を開いてもらった。他部署からも、祐子と知り合うきっかけを作ってくれた吉岡や今井も参加してくれた。

「奈良さんのことはオレに任せろ。お腹の赤ちゃんも見守っておくから」

 吉岡は祐子たちと合コンをした際に、祐子のことを気になる存在と話していた。博志のほうが祐子と早くコンタクトを取っていたため、吉岡は諦めざるを得なくなった感じだったが、その後吉岡は同じく合コンの主催者であった今井範子と付き合って、結婚した。博志は吉岡らしいエールがうれしくて泣きそうになったが、なんとかこらえて固い握手を交わした。

 土曜のうちに荷物を引き取ってもらい、博志は神戸へ移動した。出発の日、祐子は東京駅まで見送りに来てくれると思っていたが、つわりがあるというので玄関先までしか来なかった。

「出産のときは立ち会うからね」

「別に大丈夫だよ。お母さんもいるし。家のことは忘れて羽を伸ばしなよ」

 どうしてこんなにさばさばしているのか、博志は不思議でならなかった。それで実際に家のことを忘れて女の子と遊びに行ったりしたら、半殺しの目に遭わされるだろう。妊娠すると情緒不安定になって性格が変わることもあるとテレビで専門家が話していたので、これが妊婦である祐子の精いっぱいの思いやりだと考えることにした。新幹線で移動して新しい自宅に到着し、祐子に「無事着きました!」とメールをしても、「おつかれ~」としか返ってこず、博志の単身赴任を喜んでいるのではないかという疑いがやや確信に変わった。

 必要最低限の食器や家財道具、家電は土曜日のうちに購入した。家に持ち帰れるものは持って帰ってきたが、博志にとっては肝心のテレビ配送に3日はかかるということで、がっかりした。平日は配送時間に自宅にいないだろうからと次の土曜日に運んでもらうことにした。1週間テレビが見られないなんて、なんて幸先の悪い転勤だと思った。職場で新しい人間関係を築くことのストレスよりも、テレビが見られないストレスのほうが博志にははるかに強かった。日曜日も荷物の片付けなどで自炊をしようとは思えず、近くのスーパーマーケットで総菜を買って、テレビでも見ながら夕食を済ませようと思ったが、テレビがないことを思い出し、食欲が減退した。外が暗くなる前に隣人に挨拶だけはしておこうと、両隣の家のインターホンを押したが、どちらも不在なのか居留守を使われているのか、応答がなかった。

 風呂に入って、ストレッチでもしながらテレビでも見ようかと思ったが、またしてもテレビがないことを思い出し、今日は何度となく同じことを思い出していると、博志は自分がテレビに依存していることを情けなく思った。荷ほどきで体も疲れているだろうから、明日から仕事だし今日は早く寝ようと布団に入って電気を消しても、なかなか寝付くことができなかった。住む環境が変わると途端に寝つきが悪くなる博志だが、昨日は移動疲れもあってかスッと寝入ったので、きっと明日からの勤務への緊張感が高まっているのだと思った。転職したわけではないが、人生で初めての転勤である。本社の人間ともほとんど面識がなく、心境としては転職と変わりなかった。まるで転校生みたいだなと博志は思ったが、博志は今まで転校も転職もしたことがなかった。これまで寝つきが悪い夜は、祐子に寄り添って手を握ることもあったが、今は祐子もいない。無意識に祐子が寝ていた自分の右側に手が伸びていたが、当然のことながら誰もいないのでまるで暗闇で落とし物を探すように手当たり次第に布団を叩いてしまい、一人であることを思い出して虚しくてそのまま布団を握っていた。この虚しさは、祐子も一人になって不安で眠れない姿を想像することで紛らそうとした。もしかしたら、一人になっても寂しくならずぐっすり眠っているかもしれず、むしろその確率が限りなく100%に近いような気もしたが、博志のなかでは祐子も寂しがっていると思い込むことにした。今度の週末は東京に帰ろうかな、いやまるでホームシックにかかっているみたいだからもう少し先にしようかな、などと考えているうちに博志はいつの間にか眠りに落ちていた。


 翌朝、ムサシファーマシー本社では普段開かれることのない朝礼が、博志のために開催された。

「今日から新しい仲間が増えましたので、皆さんにご紹介します」

「本日付で東京西支店より異動になりました北川博志です。出身は大阪の豊中なので、本社に転勤になったことをうれしく思っています。微力ながらがんばりますので、よろしくお願いします」

 朝礼の司会をしたのは、博志が所属する部署の課長である根本泰蔵だった。朝礼後、根本は博志を連れて本社をラウンドした。各部署の部長クラスの社員に挨拶回りをし、その中には、採用面接や入社時にお世話になった人事部長の西崎駒子も含まれていた。

 人事部のあるフロアに行くと、一番奥に見覚えのあるおかっぱ頭がデスクに座っていた。

「部長、今日からウチに配属になった北川くんです」

 根本が西崎に博志を紹介した。

「ごぶさたしています」

「久しぶりやね、北川くん。あなたの東京での活躍は本社まで届いていますよ。あなたを東京勤務にした私の判断は間違ってなかったということやね」

 西崎は笑顔で博志を迎えてくれた。博志は「オレの配属はくじ引きで決めたくせに」と西崎の「判断」に大きな引っかかりがあったが、東京で培った営業スマイルで西崎の笑顔に応えた。

 一通りの挨拶を終えて自部署に戻る途中、博志は根本に10年来の質問をぶつけてみた。

「西崎部長って、いつからあんな髪型なんですか?」

「いつからなんやろうね。オレが入社したのは25年前やけど、そのときからあの髪型やったよ。ある意味、ウチのシンボルみたいな存在やね」

「おいくつなんですかね?」

「うーん、少なくとも50歳は超えていると思うけど。じつは25年前から見た目があんまり変わってないんよ」

ということは、仮に55歳だったとしても、30歳のときから55歳に見えたということか。お世辞にも今の見た目が30歳代には見えない。

「当時の写真、誰か持っていないのでしょうか?」

「ああ。言われてみればそうだね。あの人が写真に映っているところを見たことがないわ」

 西崎の若かりし頃の写真を見たところで、自分の女性に対する価値観が大きく変わったりすることもないだろうが、博志はどのような人生を歩めばあの髪型にたどり着けるのかを知りたかった。

 その日の昼食は、社内に残っている部署のメンバーで彼らが行きつけの定食屋へ出かけた。博志を含めて6名いたが、それほど待たされずに中に入ることができた。今日は博志のプチ歓迎会だからと、みんなで奢ってくれることになっていたが、メニューを見ると一番高いものでも900円だったので、奢られる後ろめたさはまったく感じなかった。博志は迷うことなく900円の定食を注文した。

 大阪にいるのだから当たり前だが、周りがみんな関西弁なのが変な気分だった。ほんの10年ほど前までは関西弁が当たり前だったはずなのに、体がその感覚を忘れているようだった。

「北川くんってどこに住んでんの?」

 係長の副島が尋ねてきた。副島は博志よりも10歳ぐらい年上だろうか。小太りの人の良さそうなおっちゃんという感じで、左手薬指にはめている結婚指輪が皮膚にめり込んでいた。

「御影です」

「へえ! あんな高級なとこに住んでるんや。すごいね。元々神戸の人?」

 副島の博志を見る目が一気に変わったことがわかる。やはり御影は高級な街という認識は定着しているようだ。

「いえ、僕は大阪の豊中出身です」

「え、そうなん? じゃあなんで御影?」

「いや、なんか、イイ感じの物件があったんで」

「ふーん」

 副島の表情が一瞬曇ったように見えた。豊中も比較的高級住宅地だと自負していたが、おのぼりさんのように御影を選んだことがばれてしまったのだろうか。副島の表情の意図を図りかねていると、博志の横にいた沢村が質問を投げかけてきた。

「御影って何線の御影ですか?」

 沢村は入社5年目と話していたからおそらく博志より年下だが、もしかしたら転職組かもしれないし、最近は見た目だけでは年齢がわからないので、博志は丁寧語で返した。

「あ、阪神ですけど」

「なんや、阪神ですか。阪急かと思いましたわ」

 なんだか、その場にいる全員が博志から視線を下に移して、「さ、食べようか」と一斉に出された定食を食べようとしているように思えた。博志への関心は阪神沿線の御影に住んでいるという回答をもって一気に冷めてしまったようだった。

 大阪出身だから、阪神間の鉄道は北から阪急、JR、阪神が走っているということを博志は子どものころから知っていたし、北に行くほどセレブな街並みという情報もテレビから仕入れて知っていたが、同じ御影でもなぜ阪神沿線だとここまでがっかりされたような感じになったのかまではわからなかった。

「阪神だと御影に特急が停まりますけど、阪急は停まらないじゃないですか」

「あ、そういう理由?」

「なんか事情でもあるんですか?」

「ううん、北川くんがこだわらへんのやったら、ぜんぜん阪神沿線でもええと思うよ」

 副島が慌ててその場を取り繕っているように見えた。

 会社に戻る道すがら、課長の根本がこっそり博志の耳元で囁いた。

「北川くん、あんまり御影に住んでるって言わんほうがええぞ」

「なんでですか?」

 博志は意味がわからずに問い返したが、根本はその理由については語らなかった。

「ざっくり『神戸に住んでる』って言っておけば大丈夫やから」

 博志は、そんな根拠のないアドバイスなど聞き入れられるわけがないと不満が残ったが、その後住まいを尋ねられると最初は「神戸」とだけ答え、さらにつっこまれたら「東灘区」と答えるようにしていた。博志と同じ神戸市東灘区に住んでいる者でない限り、「神戸」もしくは「東灘区」と答えれば、「良いところにお住まいですね」と感心された。

 午後からのオリエンテーションで、博志は兵庫県の尼崎市、西宮市、芦屋市エリアの担当になることを告げられた。豊中市出身の博志にとって、阪神エリアは地名を知っている程度で、プライベートでも訪れたことはほとんどなかった。

 勤務エリアが変わっても、仕事の内容はほとんど変わらなかった。まずは顔を覚えてもらうために、1日で可能な限りたくさんの病院を回った。

 1ヵ月もすれば、博志とウマが合う医師もわかるようになってきて、商談以外にも雑談の時間が割かれるようになった。そのうち懇意になった一人の医師が、最近芦屋に一戸建てを建てたということで、どのように間取りを検討したのか、こだわった点はどこかなど、博志は商談そっちのけで聞きたいことを尋ねた。

 横田というその医師は、博志の熱心な仕事以外の質問にも丁寧に答えてくれて、メモ用紙に間取り図まで描いてくれた。そして、今度の休日に家を見せてあげると招待してくれた。横田医師の家を訪ねる前日、博志は阪神御影の自宅で、横田医師が描いてくれた間取り図を見て、どんなインテリアが使われているのかなどを想像していた。

 博志は、横田医師には彼の自宅を見せてもらうだけだし、休日だから私服でも失礼ではないと思っていたが、当日はスーツを着て営業車に乗って自宅を訪問した。博志は関西に転勤になって、以前と同じように営業車で通勤していた。横田医師はスーツ姿の博志を見て思わず吹き出していたが、すぐに真顔になり、敷地内の駐車スペースに車を停めるように案内してくれた。そこには真っ白なベンツが停まっており、その前に白い軽自動車を停めた。絶対にぶつけてはいけないと恐る恐るバックして停車させると、横田医師から「もっとギリギリまで下がってもらわないとシャッターが閉められない」と注意された。博志は、どうしてそんな危険な真似を庶民にさせるのかと、気軽に注意をしてくる横田医師を恨めしく思った。ギアをバックに入れ直して、ブレーキペダルから足をそうっと離し、動き出したと感じたらブレーキペダルを思い切り踏んだ。そのため、車体がカクンと揺れた。横田医師は「もっと下げて」と遠慮なく声をかけてきたが、「僕が合図するから」とも言ってくれて、ようやく博志は安心してバックさせることができた。車から出ると、同じ白色の外車が縦に2台並んでいたが、明らかに軽自動車のほうがくすんで見えた。

 横田医師の自宅には目を瞠るものがあった。成功者の家とはこういうものかと、博志はため息ばかりが漏れた。間取りは5LDKだった。博志は今まで庶民の間取りしか見てこなかったからか、5LDKの間取り図を初めて見た。横田医師が描いた間取り図で何度も部屋数を数えていた。博志の今の自宅では、トイレや浴室を部屋数に入れても、横田医師の自宅の部屋数には勝てなかった。横田家は夫婦と子どもが2人の4人家族で、猫を飼っているが、まさかもうひと部屋は猫の部屋だろうかと不審に思い5部屋目の使い道を尋ねると、客間だと横田医師は答え、博志はホッと胸をなでおろした。

 家の中に入って何より成功者の証だと感じたのは、リビングとダイニングの間に階段があることだった。玄関を入り、巨大な吹き抜けになっていて、スペースがたくさんあるのになぜか螺旋状に小さくまとまった階段を上がった先にはドアがあり、そこを開けると円形の間取りで、右手にリビング、左手にダイニングがあった。廊下の先にはこれまた3階へと続く螺旋階段があり、そこにたどり着くまでのリビングとダイニングを貫く廊下はカーブを描いていた。そのカーブに沿ってほんの3段ほどだが、リビングとダイニングを分ける階段があった。そこにはドラマやCMに出てきそうな真っ白なペルシャ猫が寝そべっていた。また、ダイニングには横田医師の妻がおり、リビングには小学生とおぼしき二人の子どもがテレビゲームに興じていた。その姿もなぜか博志には上品に映った。庶民が社長にでもならない限りは到底味わえないような、上流階級の日常を目の当たりにした。

 吹き抜けを効果的に使って日光が入りこむようにし、空間をうまく使った間取りのように思えるが、バリアフリーをまったく無視しており、今の時代の間取りには完全に逆行している。万が一、自分たちが車いすの生活になったりしたらどうするのだろう。博志は横田医師への気軽さから、思ったことを尋ねてみた。

「北川さん、そんなこと言ってたら、家なんて建てられませんよ。僕はここを終の住処にしようとは思ってません。もし歩けなくなるほど老化して車いす生活になったら、そのときはこの家を売って引っ越したらいい」

 ついつい将来の自分の最悪のパターンを想像してしまう博志は、平凡な小市民の代表ということだろうか。2階にはリビングとダイニングのほかに和室があり、ここが客間なのだという。

 3階も案内してもらうと、8畳の洋室が2つと10畳の洋室が1つあった。8畳は子ども部屋で10畳は夫婦の寝室だそうだ。それぞれの部屋が1つのベランダでつながっており、ベランダではバーベキューパーティーができるそうだ。今月末もパーティーをやるけど参加するかどうか聞かれ、そのときにならないとわからないけれど、行けたら行くと博志はお茶を濁した。バーベキューにあまり良い思い出がない博志は、最初から行くつもりはなかった。

 すべての部屋を案内してもらったように思えたが、そういえば1部屋だけまだだった。横田医師に確認すると、もうひと部屋は1階にあったそうで、現在は物置に使っているとのこと。「厳密には5LDKではなく、4SLDKなんですわ」と横田医師から説明を受けたが、博志には違いがわからず4SLDKという言葉の響きが、「スペシャルなLDK」という感じがしてカッコイイと思っただけだった。

 30分ほどダイニングでケーキと紅茶をごちそうになり、「これから会社に戻りますので」とウソをついて帰ろうとした。

「日曜なのにたいへんですねえ」

 横田医師は博志の「休日出勤」をねぎらってくれたように思えたが、医師のほうがよほど不規則であることを考えると、そそくさと帰ろうとする博志への皮肉かもしれないと、額面通りに受け止めることを躊躇した。玄関先で挨拶を交わすと、ペルシャ猫を抱いて外に出て見送ろうとする横田医師を制し、営業車を運転してその場を足早に去った。横田医師の自宅にいる間、なんだかフワフワした気持ちになり、とても落ち着かなかった。自分が4SLDKの間取りに住もうとしたら、あらゆる節約を行って自宅購入に充て、祐子も子育てよりも仕事優先でバリバリ働かないといけないだろうなと、医師との格差を感じた。

 博志は日ごろ、大規模の総合病院で部長を務めている横田医師に経営のアドバイスをしている。もしかしたら博志の助言のおかげで横田医師は順調に診察できているのかもしれないのに、現実は横田医師と博志では、博志の推測だが3倍以上もの年収の開きがある。そんな横田医師から見れば低所得者の博志の助言を、素直に聞けることはとても素晴らしいことだと思う。自分が逆の立場だったら、いくら相手がコンサルティングの専門家であっても、「そんなこと言っても、オレのほうが年収高いし!」と適当にあしらってしまうだろう。博志には到底たどり着けない年収だが、横田医師ぐらいになると、あれぐらいの家を建てられるのだと認識することができた。もし将来、注文住宅を建てることになったら、大いに参考にさせてもらおう。何年後になるか、そもそも実現するかもわからないが、家に帰ってからは必死で横田医師とのやり取りを思い出し、手帳にメモを残した。「リビングとダイニングの段差はセレブの証!」というメモは何度も丸囲みをした


 生まれてから大学を卒業するまでずっと大阪で過ごしたので、梅田や難波、三宮といった繁華街に散策目的で出かけることはほとんどなかった。阪神御影周辺も駅の近くに阪神百貨店があり、最初のころは足繁く通ったが、特に何を買うわけでもなく、ウィンドウショッピングがほとんどだったので、そのうち足を運ぶこともなくなった。また、自宅近くに会社の仲間がいれば、どこかに出かけたりもするのだろうが、どうやら御影のある神戸市東灘区や西隣の灘区には、顔見知りは住んでいないようだった。そうすると必然的に休日は家にいることが増え、起きてから寝るまでほぼテレビはつけっぱなしという状態になった。関西ローカルの番組はお笑い芸人で占拠されているかのように、あらゆるジャンルで芸人が司会をしていた。博志にも関西人の血が流れているからなのか、取り立てて印象に残らない容姿の女性タレントがテーマパークでキャーキャー騒いでいる情報番組よりも、芸人の軽妙で自虐的なトークのほうが圧倒的におもしろく感じられ、外出して無駄金を使うよりも、家で笑うことでストレスを解消しながら貯金した(お金を使わない)ほうがマシだと思った。

 博志はテレビをリビングの南側に設置していた。テレビの後ろにはバルコニーに通じる窓がある。日中は明かり取りのためにカーテンを開けていたが、そうすると外を歩く通行人から家の中が丸見えだった。実際、外を歩くと窓ガラスに光が反射して家の中はよく見えないのだが、それでも家の中からは覗かれているような感じがして不快だった。バルコニーの外に剪定された植え込みがあったが、思いのほか背が低く、一般男性の身長だと博志の家の中は丸見えだった。

 洗濯物を干すときには、その視線をさらに感じることになった。通行人もアラサーのおっさんが1人で洗濯物を干す姿など、まじまじと見たいわけではなく、たまたま視界に入っただけのはずだが、目が合ってしまう気まずさが博志には耐えがたかった。さらに、春先にもかかわらず、バルコニーに出るたびに蚊に刺された。ある休日の朝に洗濯物を干していたら、視界に蚊が入ってきたので退治しようと何度も両手を叩いたが仕留めることができず、その姿を外の通行人が見ていて、目が合ったときは自分の顔が赤くなるのがわかるぐらい恥ずかしい思いをした。

 夏が近づいたころには、干していた洗濯物を取り込んでたたんでいるときに、細長いものが床に落ちたので、ポケットにペンを入れたまま選択してしまったのかもしれないと反省しながら拾おうとすると、その細長い物体が動いたので、博志は飛び上がりそうなぐらい驚いた。よく見るとムカデだった。こんな市街地にムカデなんて出るのか? 博志は生まれて初めて生でムカデを見た。体をくねらせ、たくさんの足を動かして逃げる姿はまるでモンスターだった。博志は乱雑にティッシュペーパーを数枚取って重ね、ムカデをつかんだ。バルコニーの外に逃がしてもまた洗濯物までたどり着かれたら困るので、少し残酷ではあったが、そのままトイレに捨てて3回ほど「大」を流した。気持ちを落ち着けると腰の痛みに気づいた。どうやら驚いた衝撃で軽いぎっくり腰になったようだった。

 リビングは南側にあったが、玄関と洋室は北側にあり、博志は洋室に布団を敷いて寝ていた。洋室は外の廊下に接しているため、住人が通る足音や話し声が耳障りなぐらいよく聞こえる。さらにエレベーターが博志宅の玄関から近い位置にあったため、エレベーターを利用する住人が引っ切りなしに通ったし、エレベーターを待つ間の話し声がかなり不快だった。夜から明け方にかけてはさすがに話し声はしなかったものの、足音はよく聞こえたし、静まり返っているからエレベーターが動く音さえも聞こえてきた。うるさくて眠れないほどではなかったが、休日の早朝に住人の子供が騒ぎながら廊下を走る音で目が覚めることもあったので、不快だった。いくら仕事ができる森でも、ここまでは把握していなかったのだろうか。自分たちが管理していない物件だったから、仕方がないのかもしれない。だったらせめて管理している不動産店の担当者が教えてくれても良かったのではないかと、いまさらながらに不満に思った。

 隣人への挨拶も無事済ませており、片方が父親と大学生らしき息子の2人暮らし、もう片方が母親と高校生ぐらいの息子の2人暮らしという家族構成だった。父親と息子の2人暮らしというのは、博志が今まで見たことのない家族構成だった。最初のころはどういう事情があったのだろうかと好奇心が沸いたが、普段会うことは皆無に等しく、特にトラブルもなかったので、そのうち気にならなくなった。もう片方の母親と高校生の家庭は、博志が挨拶のためにインターホンを押しても絶対に出てくれなかった。家の電気がついているのを確認してから訪問しても、応対すらしてくれなかったが、ある時博志が外出しようと玄関のドアを開けるのとほぼ同時に隣家の扉も開き、中からバブル期に流行した大きな黒縁めがねをかけた母親と、その母親と瓜二つの息子が出てきた。あまりのそっくりさに博志はしばし親子を見つめてしまったが、すぐに気を取り直して「隣に引っ越した北川と言います」と挨拶をした。親子はそろって会釈をしただけで、言葉を返すことはなかった。この時の博志は、単なる母子家庭なのだろうと思っていた。

 その後、「ムカデ事件」が起こるが、夏が近づくにつれて、博志は在宅中に窓を開けていることが多くなった。すると、それまであまり気になっていなかったが、どこかの家から毎日のように叫び声が聞こえてきた。声は2種類で、中年女性と若い男性のものだったため、親子ゲンカではないかと予想された。博志は最初、遠くの家から漏れ聞こえてくるのかと思っていたが、平日の早朝にもケンカをしているようで、その内容が博志でも聞き取れるぐらいだったので、実はこのマンションのどこかではないかと思うようになり、さらに数日後「このやろー!」という叫び声とともに、食器が割れる音と「ドンドンドン」と何かを叩く音がはっきりと博志の家の壁の向こうから聞こえてきたので、物音の主は隣の母子家庭であることが判明した。

 博志は瓜二つの親子が外に漏れ聞こえるような大声でケンカし合っていることが信じがたかった。後日、近くのスーパーでこの親子を見かけたが、とても仲睦まじく買い物をしている様子だった。しかしその日も夜中になると叫び声が聞かれて、博志は就寝のために窓を閉めたが、壁や床伝いに声が響いてきた。博志が部屋の電気を消してからもしばらくケンカは続いているようで、時計を見ると午前1時前だった。あまりにも頻繁に聞かれるので、博志は翌朝、管理人に苦情を伝えに行った。

「よく言っておきます。ご迷惑をかけてすみません。あそこのご家庭はお子さんが高校進学で引っ越してきたんですよ」

「え、高校進学ですか?」

「ええ。ここはほら、近くにN高校があるでしょう。歩いて通えない距離ではないから、この辺には結構そういうご家庭が多いみたいですよ」

「へえ。じゃあ、仕事を持っているお父さんとかはどうしてるんですか?」

「家族全員が引っ越すことはまれで、母親と子供が父親を置いてこっちに来るみたいですよ」

「それは、僕の単身赴任とはまた違った形ですね」

「ああ、ご主人は単身赴任なんですね」

「ええ、自宅は新宿にあります。でも生まれが関西なので、土地勘はあるんですよ」

 博志はさりげなく大都会に自宅があることをアピールしてみたが、生まれも育ちも関西の人間なのか、管理人にはまったく通用していないようだった。

 たしかにN高校といえば、毎年東大や京大に数多くの合格者を輩出している全国屈指の進学校である。近くにあることは知っていたが、高校受験のときにはそれほど勉強をしてこなかった博志には、わざわざ母親と一緒に引っ越してまでN高校に通わせることが信じられなかった。

「あそこはお母さんがけっこう教育ママらしくてねえ。お父さんは大学の先生とか言うてはったから、勉強させて良い学校に行かせたかったんでしょうなあ。まあ、合格したからええものの、今でもそうやってケンカしてるっちゅうことは、お子さんにプレッシャーかけてはるんでしょうねえ」

 博志が受験生の立場だったら、自分の受験のために引っ越すことなどとても考えられなかっただろう。今度生まれてくる赤ちゃんが男の子でも、そこまで勉強を強制させるつもりはなかったし、祐子もきっと教育ママにはならないだろう。ただ、結婚してから祐子の新たな一面を垣間見たように、出産後に考え方が変わることも大いにあり得るから、ここは注意しておかなければならないだろう。

 管理人はクレーム元が博志であることを伝えず、やんわりと「N高親子」に騒音を立てないように忠告してくれた。以来、親子の小競り合いはときどき続いているようだったが、大声で叫ぶことはほとんどなくなった。


 転勤してから最初の数ヵ月は長く感じられたが、関西の暮らしや本社の仕事に徐々に慣れてくると、あっと言う間に半年が過ぎ、気づけば東京に残してきた祐子が臨月に入っていた。半年の間に博志は何度か東京に帰っていたが、祐子は2週間前から産休に入っており、日々腹部の皮膚が引っ張られるような痛みと戦っていたようだ。博志は毎日気遣ってメールを送っていたが、祐子からは「大丈夫」としか返ってこず、本当にメールを読んでいるのかと疑いたくなるほど、いつも同じ漢字3文字のメッセージの繰り返しだった。

 「ホントに大丈夫?」とメッセージを送ると「大丈夫じゃなかったら連絡するから」と返ってきて、やり取りをやめたがっているような気もしたが、とりあえずメールは読んでいるようだったのでホッとした。しかし、予定日を過ぎても生まれる気配はなく、博志は1週間の休暇をもらって東京に帰ることにした。

 サプライズで突然祐子の前に現われて、祐子がびっくりして出産しても困るから、事前に帰ることを連絡すると、祐子は「お母さんが来てくれているから帰ってこなくていい」と言う。「オレに会いたくないの?」とややキレ気味になると、「じゃあ好きにすれば?」と逆ギレされてしまった。祐子は出産間近できっとさらに情緒不安定になったのだろうと博志は解釈しておいた。そうでもしないとやってられなかった、と言ったほうが正しいのかもしれなかった。

 ムサシファーマシーの規程で出産前後には夫のほうにも1週間の特別休暇が与えられていた。予定日が過ぎていつ生まれてもおかしくない状況となり、博志は土日を2回絡めて9連休にし、金曜最終の東京行き新幹線で祐子のもとへ帰った。

 日付が変わってから自宅に着くと、祐子はソファに座って、自分のお腹をさすっていた。義母は博志が来ることに気をつかってか、志木の家に帰っていた。

「ものすごく張ることもあるし、落ち着くこともあるし、お腹の中の子が蹴ってきたりするし、結局1日中疲れる」

 祐子は少しつらそうだったが、自力で歩くことはできるようで、博志が入浴を済ませた後に入れ替わるように浴室に入っていった。

 翌日の土曜日、朝から義母がやってきた。どうやら祐子と2人で出かける約束をしていたらしい。今にも赤ん坊が出てこようとしているのに大丈夫なのだろうかと心配になったが、祐子の姉・明実と祐子を出産した経験の義母が一緒なのだから問題ないだろうと、博志は2人を見送った。

 博志は日中、テレビを見て時間をつぶしたが、やはり東京のテレビ番組は大阪とは比べ物にならないぐらいつまらなかった。午後は再放送ばかりだし、東京のほうが手を抜いているのではないかと思えてしまうほどだった。テレビ好きの博志が、見る番組がなくテレビを消して本を読みだした。

 夕方になって2人が帰ってきた。祐子は相変わらず少しつらそうだったが、母親と出かけて良い気分転換になったようだ。ただ、「ケーキを食べすぎてお腹がはちきれそう」と話しており、どうして出産間近にそんな無茶をするのかと注意したかったが、これも妊婦の衝動なのかもしれないと、グッとこらえた。義母が博志の分の夕食も作ってくれ、3人で食卓を囲んだが、祐子はほとんど食事に手をつけなかった。義母が帰り、博志が入浴を済ませそろそろ寝ようとしたころに、祐子は「お腹が空いた」と言ってカップ麺を食べだした。

「ねえ、ゆうこりんさあ、出産間近の妊婦がカップ麺ていうのはまずいでしょ?」

「なんで? 先生からは別に制限されてないけど。あ、ゆうこりんって久しぶりに聞いた!」

「制限されてなくても、添加物がいっぱいだから良くはないでしょ?」

「だってお腹空くんだもん。今からアイスも食べようと思ってたのに」

 祐子はうれしそうに冷凍庫に入れていたバニラアイスを取り出した。

「お腹冷えるよ。控えたら?」

「うるさい! じゃあ子ども産むの、代わってくれるの?」

 男にはどうしようもないことを言われると、反論できなくなる。今まで何度も何度もこらえてきたが、博志の堪忍袋の緒は少しずつ切れていた。

「せっかく心配しているのに。ていうか、メールの返信もどうしてあんなにそっけないの?」

「わかりきったことを聞くからでしょ!」

「会わないと心配じゃないか!」

「いちいち返事をするのが面倒なの!」

「じゃあ電話ならいいの?」

「そういう問題じゃない!」

「じゃあどういう問題だよ!」

 珍しく博志も応戦した。口が達者な祐子と口論をするのは、まるで少年野球をしているちびっこがプロ野球選手に挑むようなものだけれど。

「返事をしなかったら、どうして返事をしないんだって言うでしょ!」

「そりゃ言うでしょ」

「そういうことが全部鬱陶しいの!」

「もうオレのこと、嫌になったの?」

「だからそういうことじゃない! こういう結末になるのが目に見えてるから嫌なだけ!」

 博志は、妊婦がカップ麺を食べるのは良くないとたしなめたかっただけだが、祐子もその辺りはわかったうえで行動しているのだろう。博志もむきになって言い返したが、このまま口論を続けても何も得るものはなく、わかっているのは悲劇的な結末を迎えることだけなので、これ以上応戦するのをやめた。

 祐子はしばらくの間、獲物を狙う野獣のように荒々しく肩で息をしながら博志を睨んでいたが、博志が何も言い返さないのを確認すると、今まで何事もなかったかのようにアイスを完食し、「さ、風呂入って寝よ」と浴室へ消えていった。博志に対してわだかまりは何も残していないようだった。

 祐子が風呂から出てきて、2人は特に会話を交わすことなく眠りについた。博志は祐子がまだ怒っていないだろうかと気になったが、横で眠る祐子を見ると少し口を開けて寝息を立てており、それがなんとなく幸せそうに見えたので、ホッとした気持ちになると途端に睡魔が襲ってきた。


 博志はいつの間にか寝入っていたことに気づかず、祐子の呼び掛ける声で目が覚めた。

「ねえ、破水したみたい」

「え?」

 博志は寝ぼけまなこで時計を見ると、午前3時だった。

「もう、まだ3時じゃないか。もう少し寝かせて」

「だから、破水したみたいだから病院に連れてって」

「え?」

 博志は破水とは実際にどんな状況なのか、まったく知らなかった。トイレのドアが開けっぱなしになっており、祐子はトイレから寝室に戻ってきたところなのだと推測された。とりあえずトイレの電気を消そうとすると、鮮血に染まっていた便器が目に入ってきた。

「ええ!? ゆうこりん、これは早く病院に行かないと!」

「だからさっきから言ってるじゃん!」

 博志は妊婦の搬送を24時間対応してくれるタクシー会社に連絡し、タクシーが来るまでの間に祐子の着替えなどを準備した。10分ほどでタクシーはやって来て、祐子とともに産婦人科病院へ移動した。

 予定外の入院のため、祐子は病院の陣痛室に案内され、助産師によるチェックが行われたが、陣痛が弱いのですぐには生まれないということだった。助産師から「旦那さんは帰ってもらっても良いですよ」と言われたが、祐子は「ヒロくん、そばにいてくれるよね?」と手を握ってきた。博志は、「助産師さんは帰れって言ってるよ」と握った手を離すと、祐子は「ひどい……」と言って博志には背中を向けようとしたが、大きなお腹で寝返りが打てないので顔だけ反対に向けていた。

 「呼び出しがあったらすぐに行くから」と言って、祐子の反応も見ずに博志は陣痛室を出て家に帰った。行きと同じタクシー会社に連絡したら、こちらから名乗っていないのに「北川様、いつもありがとうございます」といきなり言われ、驚いた。

 早朝5時ごろに帰宅すると、一気に眠気が襲ってきて布団の中に潜り込んだ。次に目が覚めた時には7時を過ぎており、博志は早く出勤の準備をしないといけないと焦ったが、今日は日曜日でさらに自分は今、特別休暇中であることを思い出したので、途中で目が覚めて損をした気分になった。

 午後になっても一向に病院から連絡がないので、気になって祐子にメールをすると「来たかったら勝手にどうぞ」と実にそっけない返事があった。博志は腹立たしく思いながらも未明の自分の対応に不満があったのかもしれないと、少し反省した。一目散に病院へ行くと、祐子は病室のテレビを見て声を出して笑っていた。

「なんかもう、今日は出てこないってさ」

 祐子のお腹から陣痛が消えてしまったようで、医師からは今は自然に陣痛が来るのを待っているが、明日になっても来なければ促進剤を打ちますと説明を受け、同意書にもサインをさせられたという。

 夜、助産師から「ここには付き添いの方の宿泊スペースがないので、お帰りいただくことになります」と言われ、助産師が部屋から出ていくと、祐子はテレビを見たまま「じゃあね、さようなら」とそっけなく挨拶をした。

「そんな言い方するなよ」

「どうせ男には出産間近の妊婦の不安なんてわからないよね」

 祐子がまるで世の中を達観した仙人のようなことを言うので、博志は「オレ、何も悪いことしてねえし」と憤ったが、それを口に出して口論になり、祐子が力んだせいで赤ちゃんが出てくるようなことにでもなれば、クリニックでの笑い話にされるだろうと思い、心の中で怒りを鎮めさせた。

 博志はいったん家に帰り、翌朝仕事へ行く時よりも早く起きて、病院に行った。祐子はベッド上で苦しそうにしており、どうやら陣痛が来始めているようだった。ただ、助産師の説明ではまだまだ弱いらしいので、陣痛を促進するためには院内を歩くのが良いと指導を受けた。祐子はフラフラになりながら立ち上がり、壁伝いに病院の廊下を歩きだした。最初、博志は祐子の後ろをついていくだけだったが、途中で助産師が「奥さんの股にお尻のほうから手を入れて、思い切り上にあげてください」と博志に手助けを求めた。博志はためらっていたが、助産師が「そうしたほうが奥さんは楽なんですよ」と言われて、意を決して祐子の股に手を入れて思い切り突き上げた。いつもの祐子なら、こんなことをする博志の胸ぐらをつかんであらん限りの罵詈雑言を吐き捨てるだろうが、今回ばかりは「少し楽になったよ、ありがとう」と感謝された。博志は今まで受けたひどい仕打ちのお返しとばかりに、思い切り何度も手を突き上げたが、祐子はそのたびに「ありがとう」と言うので、自分が大勝利を収めたかのような錯覚に陥った。

 30分ほど歩行を続けていると、祐子がさらに苦しみだしたので、病室に戻って助産師を呼んだ。だんだん陣痛の間隔が短くなっているので、そろそろ分娩の準備を始めたほうが良いかもしれないとPHSで医師に伝えていた。

 医師の指示で祐子は分娩室に連れて行かれた。助産師が博志に出産に立ち会うかどうかと聞いてきた。博志は立ち合わずに外で待っているつもりだったが、苦しそうな祐子が一瞬博志に視線を送ったときに、直感的に「これで立ち会わなかったら、一生妊婦の気持ちがわからない男と言われ続けるだろう」と頭によぎり、立ち会うことにした。祐子は今までに見たことがないぐらい苦しんでいたが、博志は手を握ることぐらいしかできなかった。

 分娩室で2時間ほど祐子は息み続け、ようやく赤ちゃんが出てきた。しわくちゃでサルのような顔をしていたが、祐子が苦労して産んだ子どもなのだと思うと、博志は自然に涙が出てきた。祐子もきっと号泣しているだろうと涙を拭きながら視線を送ると、無表情にこちらを見ており「なんでヒロくんが泣くの?」と、ついさっき出産したとは思えないぐらい冷静な口調で博志に問いかけた。

 生まれた赤ちゃんは男の子で「大吾」と名付けられた。博志は祐子の出産前に100近くの名前の候補を考えていたが、彼女の厳しすぎる審査を通過した名前はなかった。祐子は、名前の響きとスケールの大きな男子になってほしいという思いから、お腹の子が男の子とわかった時点で決めていたようだった。

 博志は、すでに大吾はスケールの大きいステータスを生まれながらにして持つことになると思っていた。それは「西新宿生まれ」ということである。日本中探しても西新宿生まれの現代人はそうそういないだろう。豊中市でも地元ではそれなりに誇れるかもしれないが、やはり西新宿は全国クラスだ。名は体を表しているなあ、祐子も良い名前をつけたなあと生まれて間もない子を見つめながら感心していた。

 とうとう自分も父親になったのだと、博志は時間が許す限り大吾を抱っこしていた。しかし今は特別休暇中でしばらく東京にいるだけで、来週にはまた大阪に戻らなければならず、大吾には頻繁に会えなくなることを考えると、子供を抱くうれしさよりも離れ離れになる悲しさのほうがすでに勝っていた。


 大吾が生まれたことで、自分は東京に戻れるのではないかと密かに期待していた博志だったが、なかなか異動の声はかからなかった。会社では半年に1回、人事考課の面談が行われるが、そのたびに博志は「そろそろ東京に戻りたい」と主張していた。

 上司の根本は、「本社から出たいと言うなんて珍しい。出世コースからはずれるかもしれない」と半ば脅しにも聞こえる言葉を交えて慰留してきたが、博志の意思は固かった。それでもなかなか人事部に思いは届かず、博志は月に1回程度、自腹で東京に帰って大吾に会っていた。



 大吾はあっと言う間に2歳になろうとしていた。博志は相変わらず月に1回のペースで東京に帰っていたが、帰るたびに大吾が博志を見て泣くので、博志は毎回ショックを受けていた。単身赴任さえしていなければ、大吾は祐子が羨むぐらいの「お父さんっ子」になっていたはずなのに……。金曜日の晩にすでに眠っている大吾のもとへ帰り、土曜の朝に大吾が目覚めると、「見慣れないおっさん」を見て泣き出し、ようやく父親と認識して慣れてきた日曜日の夕方に博志が関西に帰る……という繰り返しだった。

 祐子のほうも大吾が1歳になる年の4月に職場復帰をするという目論見があった。そのためには大吾を保育園に預ける必要があったが、新宿区の認可保育園の抽選に外れてしまい、大吾は「待機児童」になってしまった。祐子は出産前に派遣先の会社を辞め、4月までになんとか直接雇用してもらえる職場を見つけ、まずは嘱託社員から働くことになっていた。しかし大吾が待機児童になった関係で、入社日を可能な限りずらしてほしいと願い出ると、3ヵ月が限界と言われ、それ以上続くようであれば雇用を解消すると宣告された。おまけに、その年の3月に東北地方太平洋沖地震、いわゆる東日本大震災が発生し、新宿区も震度5弱を観測した。築40年以上のマンションに住んでいる祐子は、大吾とともに昼寝をしていたが、今までに経験したことのないような激しく長い揺れを感じて、マンションが倒壊するのではないかと生きた心地がしなかったという。幸い、食器や本が棚から落ちた程度で大きな被害はなく、1分以上揺れが続いたのに大吾はずっと寝ていたので祐子は将来必ず彼が大物になると予感したらしい。

 祐子は地震以降、西新宿の家にはこれ以上住めないと思うようになっていた。次に同じような地震があったらきっとこのマンションは倒壊すると事あるごとに話していた。なので、博志は大吾を連れて3人で神戸への移住を提案した。博志も家族が一緒なら定年まで関西で根を張る覚悟はできていたが、それには祐子が難色を示した。

 祐子は博志に1日でも早く東京への異動希望を出すように強く要望した。祐子はこれまで通り4月から東京で働くつもりだったようだが、無認可保育園すら空きがない状態だったので、埼玉県志木市に住む母親に日中の大吾の面倒を見てもらうように依頼したが、母親もパート勤務があり平日の3日間しか西新宿に来ることができなかった。残りの2日は祐子が面倒を見ないといけないので、フルタイムで働けない祐子はしばらく嘱託でがんばるしかなかった。

 働きだして程なく無認可保育園から空きが出たと連絡があったが、そこの月額保育料は祐子の月収とほぼ同じで、いったい何のために働くのだろうと無認可保育園に預ける意義を見いだせず、預けないほうがマシだと判断して、引き続き母親に来てもらうことにした。

 祐子のこうした現状を博志は東京に帰ってくるたびに聞かされていたので、博志も会社では真剣に異動したいと主張していたが、それでも大吾が待機児童になってから1年近くその思いは受け入れられなかった。

 ようやく博志の願いが届いたとわかったのが、人事部長の西崎駒子から直々に呼び出しがかかったときだった。

「北川くんってずっと東京に帰りたいって言うてたんやってね。転職しようとは思わなかったの?」

 まるで辞職勧告を受けるかのような「取り調べ」を受けた。

「仕事自体は楽しいですし、労働環境も良いと思っているので、今のところ転職は考えてないです」

「そう。それやったらええんやけど。北川くんは本社にとっても必要な人材というのはわかってくれる?」

「はい、必要とされてうれしいです」

「だから私が北川くんの希望を無視し続ければ、北川くんはずっと関西にいることになる……」

「マジですか……」

「ご家族を関西に呼ぶ選択肢はないの?」

「それはもちろん提案しました。ただ妻も向こうで仕事をしているので、反対でした」

「企業の多くは、そういう事情も一切考慮されず、辞令は絶対のものやけどね。でもウチは社員は宝やと思ってるから、駒のように扱いたくないわけ」

 あなたの名前は「駒子」だけど……と博志は心の中でツッコミを入れた。

「ホンマはね、北川くんを人事部に呼びたかったのよ」

「そうなんですか?」

「うん、あなたは誰とでも平等に接することができるし、人のこともよく観察してるよね」

「は、はあ……」

 西崎はいったいいつ自分を観察していたのだろうかと少し怖くなった。

「だから来年ぐらいには人事部に来てもらうつもりやったんやけど、本人は東京に異動希望を出しているし。あと、東京のお得意さんから、北川くんを担当に戻してほしいって言われてるらしいんよね」

「え、そうなんですか?」

 博志はにわかに信じ難かった。自分が東京で営業をしていたころに特別なことをしたとは思えなかったからだ。関西に転勤になったことを告げても、本気で残念がってくれた医師はいなかったように思う。

「何人かの先生がね、女性社員を担当につけろって言ってきたらしいの。でもウチには女性の営業職が少ないでしょ?」

 たしかに東京支社の営業企画部は女性が少ないというよりも一人もいなかった。

「だから、女性の担当はつけられませんと言ったら、『じゃあ前の担当だった北川くんで良い』と言うてるんやって」

 北川くん「で」良いということは、それほど熱望されていないのではとも感じられた。なぜなら、博志の後任になった社員は仕事ぶりで言えば博志よりもはるかに優秀だったからだ。しかし、その押しの強さが博志ののほほんとした性格とは180度違うため、マイペースな医師とはそりが合わなかったのかもしれない。会社側も、一人や二人ぐらいの医師であれば気にしないでおくつもりだったらしいが、「両手で数え切れないほど」にも及ぶというので、やむなく配置転換を検討し始めたのだという。

「えらく先生方に気に入られたもんよね。ある先生は、なぜ北川くんが転勤する前に一言相談してくれなかったんだと、まるで息子のように思ってくれてたそうよ」

 そう言われて博志は初めて、一人だけ慰留してくれた医師がいたことを思い出した。転勤の挨拶に行ったとき、「どうしてもっと早く言わないんだ! 娘を紹介しようと思ったのに」と、お見合いを勧められ、慌てて既婚者であることを伝えたのだった。医師はとても残念そうな顔をしていたが、その後も何度か「夫婦は3割の確率で離婚するから、君もその次のことを考えておいたほうがいいのではないか」と、不吉なことを打診されたこともあり、博志が最も会いたくない医師だった。

「ということで、北川くんは来月から東京支社に戻ってください。あとね、私が5年以内で定年になるんやけど、ぜひあなたを人事部に呼びたいし、ゆくゆくは私の後継者になってほしい」

 博志は、西崎のようなおかっぱ頭にするつもりもなかったし、彼女のような名物社員になれるとも思っていなかったが、ずっと目をかけてくれていることは素直にうれしかった。博志はどうしても東京に帰りたかったが、西崎もおそらくどうしても博志を手放したくなかったはずで、苦渋の決断だったことは博志にも理解できた。これまで博志の主張は無視されていたのではなく、議題には挙がっていたということだ。

 しかし、「あと5年以内で定年」ということは最長5年として、現在55歳と仮定すると、博志が採用試験を受けたのは10年前だから、西崎は当時45歳だったことになる。西崎は当時も今もあまり容姿が変わらないが、ようやく今なら実年齢にふさわしい外見といえ、やはり当時としては「老け過ぎ」だったように博志には思えた。


「そんなわけで、東京に戻ることになった」

「よかったじゃん! 私が関西に行かなくて済んだみたいだね」

「もしかしたら出世コースからは外れたかもしれないけれど」

「それだけ人事部長に気に入られてるんだったら、私は大丈夫だと思うよ。子供の面倒を見てくれる人が増えて本当に助かる」

「本音はそっちだろ?」

「そんなことないよ。大吾が喜ぶし」

 子供の名前を出されると、何も言い返せなかった。大吾はちょっとした会話ができるようになっていた。祐子のことは母親と認識し「お母さん」と呼んでいた。それに引き換え博志のことはいまだに「あ!」と指を差されるだけだった。見知らぬ人間が来たかのようなリアクションを見るたびに、博志は早く東京に戻りたいと強く思った。

 以降、本社での業務のほとんどは得意先の引き継ぎだった。以前に自宅にあげてもらったことのある横田医師だけは直接転勤を告げに行った。

「そうか、それは残念ですねえ。東京に引っ越すなら、家買わはったら?」

 横田医師は、惜別の念と共にマイホームの所有を勧めてくれた。

「いやあ、ちょっと東京で家を買うというのはなかなか……。先生みたいに稼いでいたらいいですけど」

「何言うてはるの。個人の稼ぎだけやったら、そら僕のほうがもらってるかもしれんけど、ウチのカミさんは専業主婦やから、稼ぎは僕のだけですよ。奥さん、働いてはらへんの?」

「今は嘱託で働いてます」

「それやったら正社員にならはったほうがいいですよ。マイホームも一戸建てやなくて、マンションでもよろしいやん」

「でもまた転勤になるかもしれませんし」

「そのときは貸したらよろしいやん。頻繁に転勤しないのなら買ったほうが絶対よろしい」

 博志の会社がどのぐらいの頻度で転勤があるのか、調べたこともなかったが、博志の周りに2回以上転勤を言い渡された人は2人ぐらいしかいない。そのわずかな可能性に怯えて買わずに行くか、あるいは横田医師の言うように転勤になったらなったで貸すか売るかすれば良いので、とりあえず買うというのも選択肢かもしれない。どちらにするかは西新宿の家に帰ってから考えれば良いと思った。

 世の中は「リーマンショック」の煽りを受けて、不景気にあえいでいた。博志の勤める会社は医療関係で景気に左右されないと言われる。たしかに他の業界に比べると落ち込みはそれほどでもないのかもしれないが、右肩上がりになることはほとんどなく、気を抜かなければ良くて「横ばい」だった。それでもまだ自分たちは恵まれているのかもしれなかった。横田医師にマイホーム購入を勧められてから、博志は自分たちにも買えるのだろうかと考えるようになった。そんな考えを持ちながら西新宿の自宅に戻ると、築40年以上でひどく汚く狭いように感じられた。自分は3年弱単身赴任だったけれど、祐子はよくこんなところで約7年間も過ごせたものだ。大吾は走り回るようになり、きっと下の階に住む老夫婦にも迷惑がかかっていることだろう。ペットの飼育禁止のマンションなのにネコを飼っていた隣人は「事件」発覚から数年後に出ていったが、新しく入ってきた隣人が小型犬を飼っている形跡があった。その隣人は「当然のことながら」入居の挨拶には来なかったという。反対側の隣人は8年間住んで、一度も見たことがなかった。途中で居住者が入れ替わっているのかどうかもまったくわからなかった。たまにバルコニーに洗濯物が干されていたので、そこから男性が住んでいると推測はできたが、女性が防犯目的で男性ものの衣類を干すこともあるというから、確信は持てていなかった。

 マンションの古さ、周辺住民との関係の希薄さなど、気づけば大都会のマンションの悪いところばかり考えてしまっていた。当初からマンション自体に不満はあったものの、新宿へのアクセスの良さが抜群ということで我慢できた。しかし、大吾が生まれ、休日でもそう簡単に出かけられなくなった。博志の稼ぎだけでは生活できないから、祐子も働かざるを得ず、フルタイムで働くなら大吾の受け入れ先の確保が先で、それが無理なら義母の助けが必要だが、毎日志木から来てもらうのも気が引けた。じゃあ同居? まさか!

正社員ではない祐子の稼ぎのほぼすべてを生活費に回していたので、貯金なんて夢のまた夢という状態で、新宿でのショッピングに使える金額なんて高が知れていた。だんだんウィンドウショッピングだけのために繁華街に行くのもバカらしくなり、新宿に行く回数が減っていた。新宿に出かけないのであれば、西新宿のおんぼろマンションで家賃を11万円も払うのは、割が合わない気がしてきた。都会の生活に憧れて引っ越したけれど、シティライフが堪能できないのであれば、マイナス面を我慢して住み続ける必要はないのではないか。フランスのパリは街の景観を守るために、マンションなどのバルコニーに洗濯物を干してはいけないと条例で定められているそうだ。それでもパリジャンやパリジェンヌに憧れる人は後を絶たない。自分が新宿に対してそこまでの憧れや愛着があるかと言われたら、正直自信はなかった。もし新宿でパリと同じように外に洗濯物を干してはいけないと条例で定められたら、博志は間違いなく新宿を離れるだろうと思った。東京に戻ってきたのもちょうど良いタイミングだったのかもしれないと、博志は本気で引っ越しを考えるようになった。博志自体はつい先日引っ越したばかりだったけれども。また一方で、西新宿を離れるのは惜しいという気持ちがあるのも確かだった。

 祐子はどう思っているのだろうと博志は本人に尋ねてみた。

「便利だけど、最近は大吾がいるから行けてないしね。近くにあるのに行けないのって結構ストレスなんだよね」

 どうやら彼女も引っ越しには前向きな考えのようだった。

「でも、引っ越すなら場所と時期は慎重に選ばないといけないよ」

「場所はそりゃあ家賃が高すぎないところとか、職場へのアクセスが便利なところとか考えるつもりけど、時期って何?」

「大吾の保育園のこと。4月に入園させるのか、途中からでも入れるように申請しておくのか。引っ越し先の自治体じゃないとダメでしょ?」

「あ、たしかに……」

 単身赴任中に大吾が生まれたからか、博志のなかで大吾のことも踏まえたプランがなかなか立てられなかった。今は祐子の母親にも手伝ってもらっているが、いつまでも志木から新宿に来てもらうわけにもいかないだろう。祐子もフルタイムで働いて家計の足しにしたいと話していたから、大吾を早く保育園に預けなければいけない。新宿区の待機児童として順番待ちをしている状況だが、なかなか声がかからない。でも、もしかしたら次が大吾の番かもしれないので、引っ越すのであれば同じ新宿区内が良いのだろうか。ただし、新宿区は全体的に家賃の相場が高めで、古めのマンションでも今の博志の給料ではとても払いきれない額のものがほとんどだけれども。そうすると新宿区よりも安い地域への引っ越しを検討しなければならないが、今度は大吾の預け先を探さなければならない。新宿区だったら次かもしれないのに、別の地域に引っ越したらまた何十人と待つ羽目になるかもしれない。

 博志は、「引っ越しってこんなに大変だったっけ?」と不思議に思っていた。今までは自分のことだけ考えれば良かったが、今度は子供のことや社会情勢も考えなければならなかった。家族を持つことの重責を身にしみて感じた。考えあぐねた結果、結局このまま西新宿に住み続けるのではないかという「マイナス思考」が頭の大部分を占めた。


 住み慣れた地域への引っ越し、通い慣れた職場への転勤だったため、博志は特に新鮮味を感じていなかった。職場へもこれまで毎日通っていたかのように、自然な流れで自転車に乗って池袋まで移動した。

 職場の同僚たちは博志の転勤を歓迎してくれた。勤務開始の週末には「お帰り会」を開いてくれた。部署は違うが同期入社の吉岡も参加してくれて、それまでの空白を埋めるかのように自分たちの近況を話し合った。

 吉岡はノンちゃんこと今井範子と結婚し、大吾より1歳年下の女の子がいた。結婚当初は賃貸のアパートに住んでいたそうだが、引っ越して1年後に家族が増えたのを機に練馬区にある中古の分譲マンションを購入したのだという。駅から徒歩15分以上かかるそうだが、築10年ほどで3LDKの2500万円程度の物件だったらしい。内装もとてもきれいで周辺の環境もそれほど悪くなく、地域の相場からも安めで、吉岡はお得な買い物をしたと自慢げだった。

「中古とはいえ、ようやくオレも念願のマイホームを持ったわけだ」

 社会人になっておよそ10年。博志や吉岡と同様に結婚して子供がいる同期や後輩たちが増えてきた。その多くが博志と同じく賃貸のマンションに住んでいるが、なかには吉岡のように分譲マンションを購入する者もいた。博志は「マイホーム」という響きが耳に心地よく聞こえ、素直に吉岡がうらやましいと思った。

「北川もマンション買ったら?」

 吉岡は酒の勢いも手伝ってか、博志に気安くマンション購入を勧めてきた。たしかに引っ越しは考えていたが、マンション購入は選択肢にはなかった。なぜなら貯金がほとんどないからだった。大吾が生まれる前は新宿で少しお金を使い過ぎたかもしれないし、大吾が生まれてからは祐子の稼ぎが少ないので、貯金ができるような生活ができていない。マンション購入にはそれなりに頭金が必要だろうから、自分たちには無理だと決めつけていた。

「まあ、引っ越したいとは思っていたところだから、また相談させてよ」

「いくらでも聞いてくれよ。的確なアドバイスができると思うよ」

 吉岡は博志に限らず、いろいろな人にマンション購入の予定がないか聞いて回っているようだった。マイホーム購入なんて人生でそうそうできることではないから、自身のサクセスストーリーを披露したいのだろう。自慢話として聞くと気持ちの良いものではないが、マイホーム購入のための経験談・アドバイスとして聞いておけば、それほど苦痛には感じないだろうと博志は思った。

 単身赴任中も博志は暇さえあればテレビを見るか、インターネットで間取り図を見ていたが、東京に戻ってからは間取り図だけでなく、その物件がどこのものなのか、価格はいくらなのかも見るようになった。関西では横田医師にもマイホーム購入を勧められていたから、複数の知り合いから言われるということは、今がその時なのかもしれないと博志は決意めいたものを心に抱いた。

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