[4]名前
「――よかったなー、おまえ。いい人にめぐり逢えて。今日からおうちができるんだぞー、わかってるか?」
「俺のおかげでしょ。でもほんとによかった、住所見たらめっちゃ近いんだもん。これからちょこちょこ様子を見に伺いますね」
「ああ、いつでも遊びにおいで。その子も喜ぶだろう」
彼らは私や当の老猫以上に、嬉しそうに顔を綻ばせていた。さっきの女性が一通りの説明を丁寧にしてくれ、ケージやトイレなどの貸し出しはできますが、キャンセルせず飼う場合、必要なものはトライアル期間のあいだに購入して揃えてください、とガイドブックのようなものを渡された。
「って云われても、大変ですよね。トイレとか砂とか、けっこう大荷物になるし……よかったら僕らが買ってきて届けますよ。車があるんで」
「そりゃあ助かる。ありがとう……なにからなにまですまないね」
「ありがとうはこっちの台詞ですよ。僕ら、アパート住まいでさえなきゃ何匹でも引き取るんですが」
「おい、適当なことを云うなよ。何匹でもは無理だろ……ま、こんな調子で、好きなのに飼えないからこの活動に参加してるんですよ」
頑張っていつかペット可のマンションに引っ越そうな。そう云って、彼らは微笑んで頷きあった。その様子を見て、ああ、そういうことだったのかと、腑に落ちた。彼らは男同士だが、おそらく友達以上の関係――家族なのだろう。ふたりが自然に見つめあう姿が眩しくて、私は目を細めた。
恋が成就したかどうかは別だが、今、私が十代なら、今のこの時代なら、彼女に打ち明けることができただろうか――
「はい、あとじゃあ、ここにサインをおねがいします」
女性に云われ、私ははい、と返事をしてペンを受けとった。
既に氏名や住所などは書いたあとだったが、今度は誓約書のようなものらしい。ざっと読んでサインし、もう一枚を捲ると体重や避妊/去勢手術が済んでいるかどうかなどが記されていた。貰い受ける猫について書かれた紙のようだ。年齢・推定十二歳くらい、雌雄・メス、品種・ミックス/雑種、毛色・白――
そして、そのいちばん上の文字に目が釘付けになった。
『名前・鈴(すず)』
――涙が溢れた。たかが猫の名前なのに……ただの、偶然なのに。
「ど、どうしたんですか!?」
「えっ、な、なにか……どこか痛いんですか!? いったいどう――」
「す、すまない……驚かせてしまった。なんでもないんだ……いや、なんでもなくはないか、その……これは、この子の名前なんだね?」
「名前ですか? そうです、鈴です。今はなくなっちゃいましたけど、保護したとき首輪に綺麗な鈴がついていたんです。もともと飼い猫だったのに棄てられたかどうかしたみたいで……で、保護したときに鈴と名付けたんです」
名前を呼ばれたと思ったのか、老猫――鈴が、にゃあ、と鳴いてこっちを見上げた。私は鈴を見つめながら、独り言のように、或いは鈴に語りかけるように、云った。
「……ずっと昔、まだ若い頃に大好きな人がいたんだ……、とうとう告白することはできなかったんだけどね。その人が、鈴という名前だったんだ」
ええ、それはすごい偶然ですね、なんか素敵。女性はそんなふうに感激していたが、青年たちふたりは、違った反応だった。
「……そうだったんですか。そのくらいの時代だと、いろいろ大変なことも多かったんでしょうね……」
「……さっき独り暮らしって話されてましたけど、じゃあもしかして、ずっと……?」
「十何年か前までは親と一緒だったけれどね。そういう意味では、ずっと独りだよ」
言葉を失ったのか、青年たちはなんともいえない表情で黙ってしまったが。
「でも……これからは鈴と一緒ですね」
「そうだよ。俺たちも、ご迷惑でなければちょくちょく寄せてもらいます。美味しいお茶を持って」
ありがとう、と云おうとすると、代わりに鈴が大きな声でにゃーお、と鳴いた。
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