[2]真っ白な老猫


 帰りは、来たときに通ったのと違う道を選んだ。紅葉が綺麗だったので途中、大きな公園のなかを歩く。アスファルトの上を歩くより、積もった枯れ葉がクッションになるのか、脚も楽なようだった。

 しばらく進むと、なにやら箱のようなものが積まれていて大勢の人が集まっていた。なんだろう、と思い近づいていって、わかった。犬猫の譲渡会をやっているのだ。保護された野良たちの里親探しというやつだ。子供を連れた家族や、若い女性たちが並べられたケージの周りに陣取って、笑顔で中を覗きこんでいる。愛想のいい仔犬がいるのか、きゃんきゃんと吠えている声が聞こえた。

「――ようこそ! 犬と猫、どちらをご希望ですか?」

 遠巻きに眺めていたつもりだったのだが、私に気づいた女性が近づいて、そんなふうに声をかけてきた。

「ああ、私は……偶々通っただけなんだけどね。でも、可愛いね。昔は家に猫がいたこともあるんだけど、もうずっとなにも飼っていなくてね」

「あら! 飼った経験がおありなんでしたら是非協力していただきたいです。引き取り手がみつからないと、そのうち殺処分されてしまうんで……そんな不幸な子を一匹でも少なく、いえ、ゼロにしようっていうのが私たちの活動の目的なんです」

 熱心に誘われ、私はケージのひとつに近づいた。このあたりは猫ばかりが集められているようだ。傍では小学生くらいの子供が名前考えてもいい? と嬉しそうな表情で親に尋ねていた。どうやら仔猫を貰い受けることに決まったらしい。

「あの仔はおうちができたようだね」

「ええ、やっぱり生まれて三ヶ月くらいの仔を希望される方は多いので、早く決まっちゃいます。おとなになってる子のほうが意外と飼い始めは楽なんですけどねー、歳のいってる子はあんまり遊ばないから愛想がないと思われちゃって、なかなか貰い手がつかないんです」

 話を聞きながら、私は並んでいるケージに沿って歩いていた。そして、ふとその真っ白な猫と目が合い、足を止めた。

 ちょん、と行儀よく坐ってこっちを見ているその猫のケージの周りには、誰もいない。

「……この子が、今日このなかでいちばんの年寄り猫です。たぶん十二、三歳くらい、人間の年齢にすると七十歳くらいだそうです。……この子は可哀想だけれど、今日里親さんがみつからないと、もう――」

 殺処分、か……可哀想に。だけど、そのほうが楽だったりしないのか? どこも痛いところはないか? 生きていくのが辛くはないか? 私はその老猫をじっと見つめながら、心のなかでそんなふうに話しかけた。

 すると、猫はすくっと四つ脚でケージの端まで寄ってきて、私に向かってにゃあと鳴いた。

「あら、めずらしい。滅多に人にお愛想しないんですよ、この子」

「へえ、気に入られましたね!」

 ケージの向こう側から若い男が話しかけてきた。同時にさっきまでべらべらと話していた女性は、他の家族連れのところへ行ってしまった。

「こういう言い方は失礼かもしれないですが、どうです。歳の近い者同士って感じで、のんびり一緒に過ごしてやってもらえませんか?」

 背が高く、体付きもがっしりとしたスポーツマンタイプのその青年は、そんなことを私に向かって云ってきた。なんとも憎めない、人懐こい感じのする笑顔だ。私もついつられて笑顔になり「そうだね……うちは広さだけが取り柄で、日当たりのいい縁側もある。この子にはいい住処になるかもしれない」と答えた。

「そりゃあいいですね! えーっとですね、里親を希望される方にはいちおう、トライアル期間ってのがあるんですよ。つまり一週間から十日ほど試しに飼ってもらって、やっぱり無理だとか、先住猫と相性が悪かったーなんてことがあった場合、キャンセルできるんです。なんで、まずは気楽に連れて帰ってみませんか」

 それならいいかもしれない。少なくとも、私が仮に飼っているあいだはこの猫も殺処分されることを免れる。問題がなければそのまま飼えばいいのだし、もしもなにか具合の悪いことがあったとしても、他に貰い手がみつかるまでくらいなら、預かることはできるだろう。これも縁だ。

 些か衝動的ではあったが、私はその真っ白な老猫の里親となる手続きを進めてもらうことにした。だが。

「――えっ、独り暮らしなんですか……。近くにお子さんかお孫さんとか、どなたかいらっしゃらないです?」

「私は天涯孤独で、偶に訪ねてくるのは仕事関係の人間くらいなんだが」

「うーん、それは……困りました」

 なんでも、里親となるには独居でないこと、病気で臥せったときや旅行中など、確実に面倒をみてくれる存在があること、という条件があるのだそうだ。ペットホテルなどは空いていない可能性があり、病気のときなど連れていくことすら困難だったりするからだめなのだと。

「そうか……せっかく年寄り同士うまくやっていけないかと思ったが、残念だ。しょうがない」

「本当にすみません……こちらからおねがいしたことなのに」

 振り返ると、白猫が小首を傾げてこっちを見ていた。

 ――ごめんな、連れて帰ってやれなくて。私は少々がっかりしながらその場を後にしようと歩き始め、まだ遠くない耳に届いた声に苦笑した。

「あれ……あのおばあさん、引き取ってくれなかったの?」

「おばあさんじゃないよ、おじいさんだよ――」

「え、嘘! おばあさんだったでしょ?」

 いつものことだ。服装などで判断した人からは先ずおじいさんと呼ばれたり、近くで顔を見た人にはおばあさんと呼ばれたりする。どちらも正解で、どちらも間違いなのかもしれない――私の心と躰の性は、一致していないのだ。

 このことは誰にも話したことはない。話せるようなことだとは思えなかった。私は、私がただおかしいだけなのだと思っていた。だから誰にも打ち明けることなく、ずっと胸の奥にしまい込んで鍵をかけていたのだ――彼女への秘めた想いと一緒に。

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