第3話『うらない』
何かを望んで無駄なことをするよりも、何も望まずに全てを受け入れてしまった方が楽ではないだろうか。
信じていた幻想と、ままならない現実。そこにある違和感も絶望も全ては間違いであったことにして、ただそこにある現実こそが真実なのだと思い込んでしまえばいい。
どうせ全てを失う時は、必ず訪れるものなのだから…
この呪いのような諦観は、絶望と隣り合わせの感情で心を蝕む。
占星術に興味を持ったことがある。
天空の星の並びと自らの運命が連動していると考えるのは、いまいち根拠が薄くて懐疑的ではある。
それでも、自らの意志の届かない何かが自分に大きな影響を及ぼしているかもしれないという事実は否定できないし、何だかロマンチックではないか。
にわか知識で知人に星占いを披露して、ちょっとした話題の糸口としていた事がある。
そんな中で、そこそこ親しくなった人がいた。
「あなたの適当な占いが嫌いなの。」
カナエは僕にそう言った。
「それは自分でも分かるよ。誰よりも占いなんて信じていないのは自分なのだと思うから。」
「…だからなのかな。」
暫く考えるようにしてからカナエはつぶやいた。
「信頼してみたいと思えるのは。」
「何を。」
「あなたの『うらない』、その裏の無い言葉?」
カナエがどう思って何を言いたいのか、僕にはよく理解できなかった。それでも、僕に占って欲しいという願いを断る理由は特になかったので、いつもの様にマニュアル通りの見立てをして、僕なりの言葉でそれを伝えた。
カナエは何か言いたそうにしながらも、黙って僕の言葉を聞いていた。
そんなことが何度かあったりしたが、そのうち僕も占星術への興味は薄れて行き、カナエと関わる機会もなくなっていた。
久しぶりにカナエから連絡をもらった。
また僕に占って欲しいというので、僕は断ろうと思った。
最近は全く星占いなどしていなかったので、今さら人に披露できるほどの見立てを出来るとは思えなかったからだ。
「占星術じゃなくてもいいから。『うらない』をお願いしたいのだけど、とりあえず話だけでもできたら嬉しい。」
そう言われて、出来ないことは直接断れば良いだろうと思った。
久しぶりに会ったカナエは以前とどことなく印象が違う気がした。
具体的にどこかと考えてみたが、以前の彼女についてあまり覚えていることがなかった。
「もう、占いはしていないんだ。」
あらかじめ断っておこうと思ってそれを伝えた。
「それは知っているのだけどね。」
そう言いながら、カナエは少し考えてから話し始めた。
「最近始めた事業がそこそこ順調でね、一度お礼を言いたいと思っていたの。」
「何についてのお礼なのかよくわからないけど。」
戸惑う僕の感情など置き去りにしたまま、カナエは一方的に話を続けた。
「あの頃は何をやってもうまくいかなくて、限りなくへこんでいた時期だった。だからあの頃関わった人には本当に申し訳ないと思っていて、あなたはその中の一人で、今思えばすごく特別で感謝している事があるの。」
その頃のカナエは経済状況の傾きや、それに伴う様々な理不尽に心がついてこれなくなっていた。
そんな時は、ただじっとしているしかないのだということをカナエはその時に知った。
力不足で半端な努力は事態を悪化させるだけだった。頑張れば何とかなると信じていたカナエにとって、そんな状況はとても辛く、何も出来ない自分自身に絶望する感情は心を腐らせる。
藁にも縋る想いで買い求めてしまった有難い御守りが、ふと目に止まった。
通常であれば、ささやかな笑顔をくれるはずの開運グッズすら憎しみの対象のように感じられた。
何も保証なんてしてくれないくせに…
求めても仕方のない何かを求めてしまう、そんな弱い心がさらに憎かった。
しかし間もなく、占星術的大イベントがあるという時期にカナエはあるきっかけで様々な状況を立て直す糸口を掴むことができた。
その時期にそういったイベントがあるという事実を教えてくれたのが、あの『うらない』だった。
別に何かするべきだとか言われたわけではなかったし、具体的なアドバイスなど何一つなかったのだけれど、ただそういう事があるという事実を教えてくれていた。
「あなたは、私の開運時期を言い当ててくれた。」
そう言われて、僕は戸惑いを感じた。もし、そのことで何か感謝をされているのだとしたら見当違いだ。
「多分、偶然だと思う。」
カナエには、何をどう言えばどう伝わるのだろうか。不安が押し寄せてくる。
「そうかもね。」
さらりとそう言うカナエは、可笑しそうに笑った。
「あなたならそう言うと思ってた。」
それから取り留めもない話をして打ち解けた頃にカナエが言った。
「また、『うらない』をしてくれないかな。」
真剣に期待をするようなカナエを見て、彼女の中で僕の星占いが必要以上に重たい意味を持っているような気がして警戒を覚えた。
「もう、無理だと思う。」
「そっか…」
そう言いながら、何かを決意したようだ。
「残念だけど、星占いは諦めるね。」
思いの外、簡単に引いてくれてほっとした。
「そのかわり、あなたに忠誠を誓いたいな。」
唐突な申し出に僕は面食らう。
「好きなんだ、そういうの。」
フリーズしたままの僕にカナエはたたみかけてくるので、ますます混乱した。
「そういうのって?」
「お姫様と騎士の物語。」
「それで、僕は何をすればいいのかな。」
「別に、何も。私はその騎士に憧れていたの。」
そう言うとカナエはいたずらっぽく笑った。
カナエは、そのお姫様と騎士の物語について簡単に話してくれた。
そのお姫様は呪われていて、辛い運命を背負っていた。
そんなお姫様には、常に彼女を守りその呪われた運命から救おうとしてくれる騎士がいた。
騎士はどんな困難にも立ち向かい、そのお姫様を何度も危機から救ってくれた。しかし、最後はその命と引換えにお姫様の呪いを解いて消えてしまう。
呪いが解けたお姫様は運命の王子様と出会い、末永く幸せに暮らしました。
そんなお話。
「君の伝え方には偏りがありそうだ。普通は幸せを掴むお姫様に憧れるようなストーリーなのではないかな。」
「そうかもしれない。きっと私はその騎士に恋をしているのかも。」
カナエは楽しそうに語った。
「そんな恋しい騎士を苦しめるお姫様は嫌い。だって、騎士の猫写は酷いものなの。まるでお姫様の呪いを解いて消えてなくなるためだけに存在しているようなキャラクター。」
呪いの一部かと思えるようなその醜い騎士が消えてなくなった時は、それがこの物語のハッピーエンドである事を誰も疑わないだろう。
「予定調和の物語が憎くて仕方のなかった時、私はその騎士に自分を重ねたのかもしれない。だけど、私は犠牲者になるつもりはない。多分、その騎士はそう思っていなかったから。」
それも面白いかもしれない。
物語が伝えてくれるのは、単純なストーリーだけではなくて、それを受け止めた人の感情が導き出した事実なのだと思う。
「そろそろ帰るね。」
話が一段落した頃にカナエはそう言ってお会計を済ませてくれた。
「運命とか信じているわけではないのだけれど思うことはあるの。」
カナエは、特に何の感情もなく言った。
「その引力に引き寄せられて軌道に乗ってしまったらね、必ずまた戻って来る事になる。ハレー彗星みたいに。」
カナエの考えを理解するには、僕にはカナエという人についての情報があまりに不足していた。
「それは、75年後だとしても?」
僕がそう言うと、カナエは楽しそうに笑った。
人の人生というは、星の描く軌道ほど単純なものではない。
しかし星からしてみれば、その軌道は人如きの重さで進める道程ではないと言うかもしれない。
次にカナエと合う機会があるかは分からないが、カナエが僕の騎士として呪いを解いてくれる日がいつか来るのかもしれないし、一生来ないのかもしれない。
僕も運命とかは信じていないが、何かに希望を感じる気持ちが自分にもあったのだと気付いたのは意外だった。
旅に栖む chatora @urumiiro
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