020 小柳和菓子店と総司と美味しい大福と。

 タタタタタ、と傘を打ち鳴らす雨。

やがて足下に、無数の水溜りを作り出し、車道を走る車が水飛沫を散らかしながら、何処かへと去っていく。

 暦の上では秋であるにも関わらず蒸し暑い日々を洗い流していく。


「雨の度に秋が深まっていくんだろうな」


 アウトレットで購入した有名スポーツブランドのスニーカーが、徐々に雨に濡れて染みを作り広がっていく。それに負けないくらい、デニム生地が水気を吸って重たくなっていて、どうにも気が滅入る。


 普段より時間がかかったものの、約束の時間に間に合った。

 昔ながらの曇りガラスの引き戸を開ける。


ーーーガラガラガラ...


 身体を半歩だけ店内に入れて、外の通りに向かって傘についた水滴を払っていたら、背中越しに声を掛けられた。


「いらっしゃい、総司...随分と雨足が強いようだね。いまタオルを持ってくるよ」

「あ、オバチャン、今着いたよ。

 タオル助かる、ありがと」


 結局、それなりに濡れてしまっていた俺を見たオバチャンが再び奥にタオルを取りに戻って行った。

 小柳和菓子店に後少しで到着する!...ってタイミングを狙っていたかのように、背後から走ってきた3台の黒塗りのリムジンが、側溝から溢れていた雨水を盛大に撥ねた。

 バシャ、バシャ...バシャッと3連発をモロに喰らってしまい、びしょ濡れに...。

 勿論、走り去る車達に文句を言ってやったさ。


黒い三連星ジェット・ストリーム・アタックかよ!!』


 雨の音に掻き消されて聞こえちゃいないだろうがな...そもそも走行中の車に乗ってる人に聞こえる訳ないか。


「お待たせ。ほら、ちゃんと拭かないと風邪ひくよ。旦那の服を貸してあげるから奥で着替えておいで」

「え!?いいの?助かるけど...」

「いいんだよ。使わずにタンスにしまってあるより、誰かに着てもらった方が良いに決まってるよ」


 少しだけ、元気の無い声でオバチャン...香澄さんはそう言った。



 香澄さんの旦那さんは...。


「ただいま〜!あれ?総司じゃないか!久しぶりだなぁ、元気にしてたか?」


 うん、めっちゃ元気。

 結婚当初はスラッとしたイケメンだったんだけど、香澄さん愛が強すぎて、香澄さんの作る和菓子を食べまくってしまい、見見みるみるうちに立派なぽっちゃりに。

 香澄さんも香澄さんで、注意するもののアイラブユーな言葉と共に美味しそうに食べる旦那を止める事は出来ず、今の状態になってる。

 お互いにラブラブなんですよ、この夫婦。


 で、さっき服を貸すくだりで香澄さんの元気が無かったのは、100%罪悪感。でも、いいんじゃない?夫婦仲も良好なんだから。

 言っておくけど、ダメージ凄いからね?俺。


「あ、武史さん、こんにちは。

 すいません、濡れちゃったんで服借りますね」

「おう、どんどん持ってけ。あ、でも俺の服を着て帰ったら奥さんが〈バシッ!〉痛ッ!?」

「余計な事言うんじゃ無いよ、アンタ!言ったろ、総司は嫁さんに捨てられたって!」

「あっ!ごめんごめん!総司もスマンな」

「あはは、あははは...お気になさらず...」


 トボトボと奥の部屋に着替えに向かう。

 武史さんもだけど、香澄さんも。夫婦揃ってデリカシーなんて言葉は存在しない。


『やはりーーー』

『そうさねーーー』


 奥の部屋に上がらせてもらい、着替える為に扉を閉めようとした時、小柳夫妻の話し声が聞こえた気がしたが、さっきのやり取りの事だろうと、さっさと閉めて服を着替え始める。



「すいません、お待たせ...あれ?武史さんはどうしたの、香澄さん?」


 着替え終わって部屋から出たら、武史さんが見当たらない。


「ん?旦那は呼び出しさね。役所職場で何かあったみたいだね。何とも忙しいもんだよ。

 さて、お茶でも淹れようか」

「あ、お茶は俺がやるよ。新作大福を用意してて」

「そうかい、じゃあ頼んだよ」


 高校進学と共に始めたアルバイト先の小柳和菓子店の事は、お茶っ葉なんかの物の配置まで分かってる。

 初めてやるアルバイトという仕事にこの店を選んだ理由は幾つかあるんだけど、やっぱり1番はこの店の和菓子が美味しかったから。


 まだ俺が小さい頃、施設の卒業生と名乗る男の人が大福を手土産に訪れた事があった。

 その男の人は俺たち子どもを呼び集めて、言った。


『仲良くみんなで、分け合って食べるんだぞ』


 当時は子どもの人数も多かったから、ちゃんとした和菓子を食べれる機会なんてあまりなくて。

 みんなで、おいしいね、うれしいね、って。

 半端に残った大福は言い付け通りにみんなに行き渡るように、年長の子が切り分けてくれて。

 そんな幸せな思い出を忘れないように、こっそり内緒で和菓子の包装紙を大事にとって置いて。

 働ける年齢になったら、自分で買ってみんなにプレゼントしよう、そう子供心に決意して。

 でも、みんな考える事は一緒だったみたいで、卒業していった兄さんや姉さん達は、必ず、初任給でこの小柳和菓子店の大福を買って来てくれた。みんな、あの男の人の真似をして、仲良く分け合えよ、ってカッコつけるのが、俺の育った施設の〈優しい伝統〉となった。


 俺もアルバイトが出来る年齢になった時、この店で働きたい、働かせて下さいって暖簾をくぐったのが、とても懐かしく感じてしまう。

 頑張って高校3年間アルバイトを続けて、高校、アルバイト、そして、施設を同時に卒業した。

 それから、大学は少し遠い地域だったので頻繁には来れなかったけど、月に1回は必ず顔を出していたし、今でもそう。

 なんだかんだで、小柳和菓子店は、俺にとって大事な帰る場所の1つで、香澄さんも武史さんも、引退した先代の店主で香澄さんの父親の辰爾たつみ師匠も。


 大事な大事な、家族なんだ。


 掛け替えのない、大切な家族宝物なんだよ。


 もう、決して失いたくない、大切な、な。




 ピィィーッと、火にかけた薬罐やかんに呼び戻されるまで、懐かしさと、チクリと刺さった棘のような痛みに、思いを馳せていた。




 

 




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る