安楽死請け負い医・グレイガーデン

三河葵

安藤隆 男性・21歳のケース①


 ――現状日本において安楽死は合法化されず、特に本人の意思により安楽死に加担された場合、未遂であろうと委託殺人罪として問われるのが基本になる。


 つまり、「死ぬ権利は絶対的に認められない」のだ。


 ――


 某県のY町。やや郊外に位置しているだけに田舎な印象は拭えないが、電車の走行音は充分に響き、住宅街の密集する中で飼い犬の鳴き声が夜な夜な聞こえるという意味では、閑静と断定させるのは悩ましいだろう。

 その街並みの中にて、日付が変わって二時間経過した深夜の町を男は足を不規則に進めていた。素朴な住宅街、少し近い電車の走行音、見慣れた景色と環境音に対して煩わしさを感じていたもの、今夜はそう気に障る事も無かった。「慣れた」というよりは「どうでもよくなった」と、アレはそういうものという無機質な感情が日に日に増した結果、周囲への無関心が強くなっていた。

 彼、安藤あんどうたかしは、世間に対して疲れていた。齢二十一にして人生に躓き、悲観と諦観の入り交じったその表情は、彼を知る人が見れば死相の浮かび切ったものになっている。尤も、それを気取られた試しすら一度も無かったが。


「……はあ」


 その帰路の中、八度目の溜め息が零れる。安藤にとって帰る家というのは酷く息苦しく、圧迫感に苛まれる環境でしかない。自身に降って湧いた失敗をきっかけに、次第に家での会話も著しく少くなっていた。こんな人間相手に言葉も交わしたくないに決まってる。だから家族を避けてわざと真夜中の時間を選んで帰宅している。それが今の安藤が送っている歪な生活状況だった。


「…………なんで俺生きてるんだろ」


 この呟きも通算にして十四回目。億劫な作業を繰り返す様に、気力の抜けた声が空気に馴染まず消える。だけど、その怠惰と無為な日々の終わりも近い。今は細い糸に引っ張られながら、ある場所へと足を向ける。


 ――


 どのタイミングかは思い出せないけど、大学で聞いたことのある異様な情報を頼りに、安藤は街の外れにある少し広い公園へと到着していた。

 ……午前一時半から二時の間、場所の指定は無し。その時間帯に電話ボックスに入ると、呼び出し音が鳴るという。その電話に出ると、安楽死を請け負う人間が現れる。だが呼び出しの回数は一度きり、それを受け取れなかったらまた後日となる、らしい。実の所、安藤にとってもはっきりした情報を持っていないし、心境も半信半疑。スマートフォンで調べようと見つからない都市伝説の範疇として存在しているだけに、聞き覚えている方法すらも虚実は不明である。

 だけど、安藤にとっての蜘蛛の糸はもうそれしか無かった。万一を考えて離れの場所まで尋ねたんだ。この時間なんだ、人が寄り付くのも滅多極まりない。

 窮屈で息の詰まる現状、自分で自分を期待する事すらも面倒。こんな無為な時間を過ごすくらいなら死んだ方がマシだ。手間暇を惜しんでも果たしたい願いの為に、狭い箱の中で安藤は息を呑んで報せを待つ。


 じりりり――


 がちゃんっ!


 本音を言えば本当に鳴ると思わなかった。でもなにかが頭を過ぎる前に、反射によって受話器を乱暴に外して耳に当てる。


「も、もしもしっ!」


 ぶつ。つー、つー……


「…………え?」


 切られた。単語のひとつすら拒否するノイズ音が無常に、短く耳に滑り込む。 ……なにかの間違いだ、安藤はそう信じて暫く受話器に耳を充てるが、つー、つー、と無機質な音階が一定に流れるだけ。


「…………なんなんだよ! ふざけんなよっ! クソっ!!」


 三十秒、石像の様に佇んでも耳に届く音階は変わらない。何処か逆撫でされてる気がした安藤は、乱暴に受話器を戻す。

 ……結局、自分はくだらない噂話を信じて時間を無駄にした。怒りの余り思わず頭を掻き毟りながら電話ボックスから身を出した時だった。


「え……?」 


 自分の記憶が確かなら、この周囲には人の一人どころか犬猫の一匹すらいなかったはずだ。なのに、電話ボックスの隣に設置されたベンチに誰かが腰を掛けたまま缶飲料を口に含んでいる。缶の色味も黒でまみれているのを見るにコーヒーか、と気の抜けた観察を行いながらも、安藤の心臓は早鐘のまま治まらない。


「こんばんは」


 フードで覆われた事で顔ははっきりと現してないもの、その体格から青年だろうと想像していた安藤にとって、主が女性である事は予想外だった。……立ち上がった彼女は女性にしてはやや背高で、風体も相まって怪しい世界の住人にも見える。年齢も定かではないが、雰囲気で察するなら自分より上、杜撰に見立てるなら二十代から三十代と推測する他ない。

 そんな不審な女性だが、恐らく安藤にとっては今一番会いたい人間の可能性がある。それでもまだ、不安定な精神状態が気持ちを焦らせる。


「な、なんなんだあんたは!?」

「っと、少し落ち着いて。と言われてもこんな姿だから信じられないと思うけど、まずは私の話を聞いてくれる?」

「話……?」

「貴方はこんな時間に、その電話ボックスに入った。そうよね?」

「それがなにか?」

「もしもの話だけど、貴方が人生に行き詰まって死に救いを求めているって言うなら、私は貴方の味方になる人間よ」

「味方……? ……じゃあもしかして、あなたが……」

「安楽死請け負い医、グレイガーデンよ」


 ……噂は本当だった。驚く事に、半ば嘘とも思えたその存在が目の前にいる。全身をに纏った黒スーツの上に、羽織った白のパーカーによって異質が強調される。フードによって伏せがちの顔は概ね隠されているが、覗かせた瞳は安楽死を請け負うと口にしたにも関わらず、丸く優しい印象を受ける。安藤にとっては、それが返って気味の悪い印象を与えていた。


「まずは話を聞いてくれてありがとう。後はまあ、長話になっちゃうし、一度場所を変えてもいい?」


 彼女は口角を柔らかく釣り上げたまま、温和な声調で案を持ち掛ける。


 ――


「さ、外していいわ」


 場所を知られない為、という名目で目隠しされてから約五分。歩を促されていく内に外気を横切る感覚は薄れ、鈍い扉の開閉音を背にした事でどこかの屋内へと案内されたと安藤は理解していた。

 ……大丈夫だろうか? 今更になって不安を覚えていたが、それは彼の願望に添ったものとは違う。ひょっとしたら、自分の探していた人物を名乗る別人で、むしろ望まれていない展開になるのでは? 舞い上がって先走った気持ちに後悔を感じながら、彼は両目を覆っていた目隠しを解く。


「てきとうに寛いでいいからね」


 不意に視界を遮った光のせいで目を眩ませるが、次第に移された光景は、安藤の想像したものとは幾分か違っていた。どこかのオフィス内にて黒服の強面に囲まれている。なんとなしにそう想像していた結果、黒服の大挙が無い点以外は概ね実現した光景が広がっていた。むしろフロアの一室内だろう空間内に設置された洗濯機と乾燥機の存在が目を引いてしまう。この生活感はなんなのかと気になっていた安藤をさて置き、彼女はソファに手の平を向ける。

 ……別段悪意は無いようだ。安藤は若干の警戒心を保ったままソファに腰をかける。思いの外質感の良い心地良さに思わず気の抜けた声を発してしまうが、すぐに姿勢を戻す。結局のところ、現状目の前の女性の存在がなんなのかは未だ分かっていないのだ。なんて心持ちを一切気にする様子を見せず、グレイガーデンと名乗った女性は、カップに注いだ湯をスプーンでかき混ぜている。


「ちょっと待ってね。今温かい飲み物を用意してるから」


 あの公園と比べれば遥かに灯りが整った場所にも関わらず、一向に衣類と姿を変えない目の前の女性は、傍から見ずとも不審と思えるだろう。その筈なのに、どうにも自身に対する対応が妙に親身であることに、疑問を浮かべてしまう。安藤にはいまいち彼女の意図がまだ見えてこない。


「んー……こんなところね。はい、どうぞ」


 出来上がる前から匂いで気付いていたが、グレイガーデンは右手に握ったホットココアの注がれたカップを安藤に差し出す。やや低めのテーブルを挟んで、お互いにソファに身体を落ち着ける光景はなんだかシュールというか、安藤には困惑に近い感情が渦巻いて離れない。


「熱いかもしれないから気を付けてね」

「はあ……あの」

「なに?」

「本当に、あなたが格安の費用で安楽死をさせるっていう……?」

「ええそうよ」

「請け負い医、って事は医者でもあるんですか?」

「うーん、薬を扱うから便宜上名乗ってるだけね。それに、この見た目で医者って無理があるでしょ?」

「まあ……ちなみにあの名前って本名なんですか?」

「そんなまさか。こんな悪辣な仕事をするんだから、別の名前よ」

「ですよね」

「そういうこと。あ、グレイガーデンって呼ぶの長いし気も引けるでしょ? グレイでいいわ」

「グレイ、ですか」


 話せば話す程、安藤のイメージから半歩ずつ離れてく。安楽死を与える裏稼業染みた仕事人と大まかにでも捉えていただけに、こうもフランクな会話を広げられると困惑も一層増してしまう。反応に困った事もあって、安藤は息を吹きかけてからココアを口に含む。


「……美味しい」

「それは良かった。じゃ、それ飲んで落ち着いたら軽く問診票書かせて」

「問診票を?」

「まあ、厳密には簡単な履歴書みたいなものだけどね」


 まさか安楽死を求めに来た人間に問診票とは。つくづく自分の想像の範疇を超えてくる人だなと感心半ばにしながらも、やはり疑問になる。


「あの、俺は安楽死したくてここに来たんですよ? なんで問診票なんか」

「なんでって、貴方を知りたいからよ」

「これから死ぬ人間を知る必要なんて」

「知る必要はあるわ。 ……自殺を選ぶ人間の大半はね、真面目な人とか心の優しい人間よ。普通の人ならストレスの元を排除しようとするものよ? それこそ、人を殺してでも、とか」

「…………」

「でも、貴方はそれを選ばなかった。優しい証拠よ」


 ホットココアを飲み干したグレイガーデンは、安藤の隣に座るなり、頭を撫でる。

 当然、自分より一回りは年齢が上の女性に撫でられるのは抵抗はある。なのに、ぽんぽんと優しく叩くそれには図らずも安心感を感じていた。なんとも優しい手触りに、安藤は微かな琴線を揺らしを誤魔化しきれない。


「でも、自殺なんて褒められたものじゃないですよ……」

「世間的にはね。もし貴方が自殺を選んだとしたら、世間は同情と怪訝を向けるでしょう。或い電波を通して、やはり自殺は良くない事だと話題ニュースネタにもされるでしょうね。貴方の事をよく知らない誰か達がね」

「…………っ」

「でもね、自殺はした人間ではなく追い込んだ環境こそが悪因だと私は思っているの。自殺したからという単純な理由で知らない貴方を否定するのも、されるのも嫌なの。だから、貴方がどんな理由で心を病ませて、どんな環境で心を潰したのか、私は貴方を理解したいの」

「…………」

「貴方はよく我慢した。よく耐えた。よく頑張った。けど、もういいのよ。大丈夫、私は貴方の味方よ」


 …………自分を否定する素振りが無く、むしろ受容すらしている。自殺を決めてきた人間を見てきたからか、グレイガーデンの口から零れる言葉は、安藤の心を揺らすには充分過ぎた。


「グレイさん、俺、おれ……!」

「うん、うん」


 彼女からの詮索は無い。ただ、顔を伏した男の頭を静かに、優しく撫で回すだけ。声色と口元の沈み方を見るに、安藤のまだ見えない背景に寄り添ったものが原因なのは明白だった。

 彼女は否定しない。グレイガーデンはなにも言わずに、子どもをあやす様に頭を軽くさすり続けた。

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安楽死請け負い医・グレイガーデン 三河葵 @aoi007

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