第11話 涙
ナイツも拳銃の発射光によってカンジの居場所を特定することはできる。問題は、その後の反撃を封じられていることだ。
この暗闇のなかで一瞬の光を頼りに、サンを盾にしているカンジだけを撃ち抜くのはナイツの技術では無理だった。
ナイツの狙撃は一流だが、超一流ではない。かつてのジアの評価がその決意を鈍らせる。
突破口があるとしたら、ナイツの〈叡智〉しかない。
〈
普段は自身への攻撃を防御するのに用いているだけだが、ナイツの使い方次第では幾通りもの応用が可能なはずだった。
「そうだ。自分以外の対象にも無力化が適用できれば……」
「どうした、ナイツ。独り言とは」
ナイツが適当な方向に拳銃を撃った。このとき、ナイツの射撃の着弾点に火花が散らなかったのを見落としたのは、カンジの不覚だった。
今の銃撃に伴う光でナイツを見つけたカンジが発砲。銃声とともに右肩から鮮血が弾け、右脇腹の皮を抉られた激痛に呼気を詰まらせてナイツはたたらを踏んだ。
「今のは効いたようだな。あまり弟弟子を苦しめるのも気が咎めるというものだ。この辺で決着にしようか」
踏み止まったナイツは荒い呼吸のまま上を向いた。その瞳は茫洋として何を見詰めているのか、彼にしか窺い知ることはできない。
「……カンジ、サンを返してもらいます。その
「ほう。この状況で冗談を放てるとは、見上げたものだ」
「自分は死ぬのが怖くて、生きるために他人を殺し続けてきました。……ですが、初めて自分の生命を失ってでも助けたいと思う人ができました。……あなたには分からないでしょう」
ナイツの声が朗々と屋内に響き渡る。
「自分は覚悟を決めました。自分は死ぬかもしれませんが、カンジ、あなたも終わりだ!」
「それはそれは。面白いじゃないか。やってみろ、ナイツ」
嘲弄の厚化粧をしたカンジの一言がナイツに降り注ぐ。
ナイツは天井に向けて発砲し、光のなかで壁に貼りつけられた二人の影法師の方角から、カンジとサンの位置を予測した。
ナイツがその方向に照準するとカンジの応射が出迎え、その頬に鋭い痛みが走る。
カンジの銃火による発光が、二人の殺し屋の姿を一瞬だけ闇から切り取る。
闇に同化しそうな暗い瞳でナイツは敵を見上げていた。カンジは、サンを片手で抱き寄せて遮蔽物にし、灰色の双眸を勝利の確信に染めている。
カンジが引き金にかけた指先に力を加え、熱狂的な殺意を帯びた銃弾が射出される。その瞬間、ナイツも同じ動作をしていた。
ナイツの指はいつも苦痛を爪弾く。相手の肉体と自身の精神を傷つけ、血を流させる協奏曲をかき鳴らすのだ。
二人が互いに放った深紅の光条が交差する。
〈
ナイツは自分に向けられた銃弾を無力化したのではない。〈
もし、銃弾がサンに当たる軌道にあればその一撃は無力化され、カンジを進路上に捉えていればそのまま命中する。ナイツには確信がないが、そうなるはずだ。
よろめいて膝を着いたナイツの視野に、激痛のせいで無数の光点が躍った。
そのとき、ナイツの聴覚が高所から液体の滴る音を拾う。
その結果は二通りあった。狙い通りカンジを仕留めたのか、もしくは目論見が失敗してサンを撃ってしまったのか、どちらかだ。
ナイツが恐るべき結末を予想したとき、苦しみに喘ぐカンジの声音が闇にこだまする。
「ふざけやがって……!」
続いて高い金属音が高鳴った。カンジが愛銃を取り落とした音だった。
それはナイツの放った弾丸がカンジを射抜いたことを確信させる福音にも似て、ナイツに安堵をもたらした。
「放して!」
サンがカンジの拘束から解放されたのか、慌ただしい足音が響く。
「小娘が! 逃がすか!」
予備の拳銃を所持していたらしくカンジが発砲するが、狙いが定まっていない。連続する発光のなかで浮かび上がるサンの姿はカンジから遠ざかる一方だった。
サンを援護するためにナイツが銃撃。その周囲に一瞬の花弁が連続して咲き、カンジは攻撃を断念する。
光に浮かび上がったカンジは、右腕のつけ根から盛大に出血していた。
動脈を損傷したらしく、カンジの血潮は瞬く間にその衣服を暗黒よりも濃厚な死の色で塗り潰している。
「勝負は預けるぞ!」
このままではサンの殺害どころではなく、自身が返り討ちにされると危惧したのか、カンジはその一言を残して通路に面する一室に姿を消した。先ほど言っていた隠し通路で脱出するつもりなのだろう。
ナイツはその後を追おうとしなかった。何よりそれだけの余力も残されていない。
全身の緊張を弛緩させたナイツが横倒しに崩れた。
「ナイツ! 大丈夫⁉」
サンが叫ぶ。ナイツは唇を動かしたが、階上のサンまで届く声を返すことはできなかった。
「ナイツ、待っていて。今……きゃあ!」
通路の手すりにぶら下がり、床に着地したサンが悲鳴を発する。
うまく受け身をとれずに身体を強打したのだ。それでもサンは立ち上がると、捻挫したらしい足を引きずって手探りでナイツまで辿り着く。
「大丈夫?」
「ああ、サン。無事でよかった。どこか怪我していませんか?」
「私は平気。ナイツのおかげだよ。それよりもナイツは……」
「いや、自分は……。それよりも、ありがとうございます、サン。あなたのおかげで、自分自身に立ち向かうことができました」
「お礼を言うのは私の方なのに」
「すみません」
「それと、あの人が言っていたことは嘘だからね」
「何のことでしたっけ」
「だから、私があの人に……。いえね、とにかく私は大丈夫なの」
「ええ。よかった。……よかった」
カンジ・ムトウは右半身を鮮血に濡らし、夜闇のなかを敗走していた。
一時、勝利は彼の手中にあったはずだが、油断と慢心がカンジの敗北を招いた。
ナイツの反撃によって重傷を負い、サンを殺害する好機を逸したカンジは、精悍な面を敗者の屈辱に塗れさせて退却している。
山奥の小道でカンジが不本意な逃走の足を止めたのは、その行く手に立ち塞がる人影があったからだ。
「惨めだねえ。〈悲嘆を従えし者〉カンジが。まさか、悲嘆に裏切られるとは」
「ジア! お前、生きてやがったのか⁉」
「まったく。恩師に対する礼儀も知らないんだねえ。私の特訓に耐えきれなくて、途中で逃げだした男じゃあ、当然か」
「違う。俺は、あのときお前を超えていた。だから、あそこを去ったのだ。訓練を続ける必要がなくなったからな」
ジアは冷笑で応じる。
「へえ、私を超えたときたか。あんたを倒した、あのナイツはそんなこと思ってもいないだろうけれどね」
「俺は負けたんじゃない。あいつに運があっただけだ」
「言い訳ばかり達者になったもんだ。昔はもう少し見込みがあったが」
カンジは屈辱に歯を噛み締めたが、続いたのは疑問の声だった。
「……ジア、なぜ〈
「ま、可愛げが無いとはいえ弟子の一人に変わりないからね。教えてあげようか」
ジアは服の裾をまくって腹部を露わにしてみせる。その白い肌には、夕刻にカンジがつけたはずの銃創が無かった。
「何⁉ そうか、お前も……」
「私の〈
ジアの表情に自嘲が宿る。
「隠喩型の〈叡智〉は多義的であり、発現形態は一つではない。能力を熟知することによってその効力を成長させることもできる。……この〈叡智〉を私は極めようと思ったのよ」
「それで、どうなったというのだ」
「〈
ジアは、それまで見せたことのない絶望の色彩を声音に乗せていた。
「私は、もう二度と医者に行かなくてもいいし、髪を切らなくても、何だったら寝なくてもいい肉体になってしまった」
「そのおかげで、俺の〈
「そう。……私がナイツやあんたのように強力な〈叡智〉を所有する人間を見つけて、殺しの技術を教えているのは、その能力で私を殺してほしいからよ」
「……」
「ま、あんたが見込み違いだったというのは、さっき分かったけれどね」
「ふん。ならば、そこをどいてその見込み違いの弟子を通してもらおうか」
首を振りながらジアは愛銃を引き抜き、カンジに突きつける。
「意趣返しか? 死なない肉体に傷をつけられて、お前も怒るとはな」
「悪いね。実は、それ以外にあんたを殺す理由があるのさ」
カンジは、目を見開いた。
「そうか。サンを守るために雇われたのは、お前か、ジア。俺達とナイツが戦うように仕組んだな……!」
「さて、ね」
「おかしいと思ったんだ、あのナイツの部屋を狙った銃撃のときから。俺達以外にもサンを殺そうとしている奴がいるわけでもないのに。……あれはナイツを焚きつけるため、お前がやったのか」
「私があんたらを始末してもよかったんだけれどね。ま、弟子同士の戦いを見るのもいいかなと考えたのよ」
カンジは想定していなかった事態に歯を噛み締める。
「それに、あんたが死ねば〈
「俺としたことが、しくじった!」
カンジの灰色の瞳が、銃口越しのジアの面に無情な人生の幕引きを見出した。
「ナイツ、しっかりして!」
サンが呼びかけても、ナイツの反応は弱々しかった。
吐息のようなか細さでナイツが言葉を紡ぐ。
「ええ、まだ生きています」
「まだって何よ。もっと生きてもらわないと困るよ」
「はあ。少し眠ればよくなりますから」
「ダメ! 目を閉じたら、そのままナイツが目を覚まさないような気がしてしまうの」
「そう言われても、眠くて」
夜気に冴えた床が冷たく、ナイツの体温を奪っていくようだった。全身に気怠さが巡り、意識が浮遊するように遠のいていく。
「お願い。ナイツ、目を開けていて」
「……すみません」
なぜかナイツが謝罪したのは、その思考が混濁しつつあるのかもしれなかった。
数秒の沈黙が訪れた。視覚が闇に閉ざされ、聴覚も無音に包まれると、ナイツには空気と床の乾いた感触しか残らない。
ふと、ナイツの頬に温かくて濡れたものが当たった。それは一度ナイツの顔に触れると、その面積を急速に広げていく。
「死なないで。ナイツ」
サンは泣いていた。サンの双眸から溢れた涙がナイツに落ちているのだった。
懇願するような一言を発した後、サンは言葉をかけることもできず、その口唇から嗚咽を漏らすだけだった。
自分のために泣いてくれる人がいるのか。
そう思って、ナイツは満足したように溜息を吐いた。
ナイツは目を閉じた。
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