第10話 暗闇に高鳴る悲嘆の足音

「リュウゾウとイビ。名うての殺し屋を退けた男とは思えないな」


 扉をくぐった男の姿を見て、カンジがそう言った。

 サンは涙ぐんでその男を視野に映す。とても殺し屋という肩書にはそぐわない風貌をしている陰鬱そうな表情の青年だった。


「ナイツ!」

「勝手な真似をしてもらっては困る」


 カンジがサンを抱え上げて盾にし、彼女を引きずってナイツと距離を置こうとする。


「観念してください。……カンジ、残っているのはあなた一人だ。サンを解放してくれれば、自分はあなたの命など必要としません」

「慈悲深いことだな。残念だが、その情けはお前よりも弱い奴にしか効力を持たない。そして、俺はお前に負けることなどない。よって、無意味な説得だ」


 カンジは徐々にナイツから遠ざかる。

 カンジが目指しているのは階上へと続く階段だった。

 建物内は吹き抜けになっていて、二階に当たる部分は壁に沿って通路が設置されている。通路には幾つかの扉があるが、いずれも使用されることのない空き部屋である。


「上へ逃げても無駄です。自分はこの隠れ処に住んでいたことがある。ここの内部は知悉しています。逃げ場などありません」

「奇遇だな。俺もここに住んでいたことがある。お前よりも随分と昔のことだろうがな」

「あなたもここで?」


 そう言いかけると、カンジは白檀の拳銃をナイツの方に向けて射撃する。ナイツは〈叡智〉を使ったが、カンジの狙いはその隣にあった配電盤だった。

 数発の鉛玉を打ち込まれた配電盤が火花を発し、その機能を停止させる。


 照明が落ちて屋内は闇に閉じ込められた。

 視覚を封じられたナイツは、その聴覚でカンジの動向を探る。

 鉄を打つ甲高い男が鳴っているのは、カンジがサンを連れて階段を駆け上がっているからだろう。


 二階に達した足音は、サンがもがいているせいか不規則だった。一階の床は混凝土こんくりーとだが、吹き抜けを囲む二階の通路は鉄製の造りをしている。どれだけ優秀な殺し屋でも、物音を立てずに移動することはできない。

 だが、その騒々しさがナイツにとっては不利になった。


「ナイツ。余裕ぶったことを後悔するのだな。俺の方がお前よりも、ここの使い方をよく知っている。そうでなければ、お前は易々と俺を二階に行かせなかったはずだ」


 ナイツは暗闇のなかで首肯するしかなかった。

 通路で高鳴る足音は屋内で反響し、その位置を特定する手がかりとはなりそうにない。しかもカンジはサンを盾にしているため、下手に発砲することもできなかった。


「こういう仕掛けがあるのを知っていたか?」


 金属音が響くと、何かが床に落とされた振動がナイツの足に伝播する。

 恐らく階段を落下させる仕組みがあったのだろう。ジアが隠れ処とするだけあって、周到な仕掛けが施されてあった。


「ここには二階から地下通路へ脱出する経路や、地下倉庫から地上に避難できる通路が隠されている。俺は自力でそれらを見つけたが、お前はそうではないようだな」


 図星を突かれてナイツは返答に窮する。屋内に響き渡るカンジの声は、その居場所を察知する手助けとはならなかった。


「最後の助言だ。この小娘、サンはもう立派な女だぞ。車内では存分に楽しませてもらった」

「ナイツ! こんなの……う!」

「サン! どうしました?」


 サンの声が途絶え、ナイツの精神を揺さぶった。


 リュウゾウによる裂傷、イビによる打撲に加えて疲労がナイツの思惟を妨げる。また、サンが辱めを受けたという言葉は、真偽によらずナイツの心理を揺動させていた。

 暗黒のなかで一人だけ佇み、見えもしない瞳をさまよわせているナイツは、拳銃を持っているだけの人形のようなものだった。


 突如、一瞬だけ閃光が闇を裂き、銃声がその場の音響を席巻した。

 カンジが放った弾丸は見当違いな場所で火花を咲かせたが、銃撃に伴う発光マズルフラッシュでナイツの位置を知るには充分だった。

 二回目の射撃はナイツのすぐ横に着弾する。慌ててナイツが退避し、それまで立っていた空間を風切り音が通過。

 ナイツを仕損じた弾丸が壁に当たり、悔しげに瞬間的な朱の色彩を放った。


 逃走するナイツに姿なき嘲笑が浴びせられる。


「避けたな。やはり飛来物を知覚できないと〈叡智〉は発現できないか、それとも心理的動揺が影響しているのか。いや、その両方かもしれないな。何にしろ、〈叡智〉を使用できなければお前に勝ち目はない」


 漆黒の幕を割って光が炸裂し、影絵のように浮き立ったナイツに向けて弾幕が張られた。ナイツは横転して緊急回避したが、逃げ遅れた左大腿部を撃ち抜かれて苦鳴を上げる。


 ナイツは片足を引きずりつつ上方へ照準するが、サンの顔が脳裏をよぎって指先の動きを止める。サンがいるため反撃に転ずることができず、これでは無抵抗のままになぶり殺されるだけだろう。


「どうにか打開しないと」


 ナイツはそう言ったが、それは言葉以上の意味を持たず、有効な考えがあるわけではなかった。逃げ惑いながら錯綜する思考を静めるのが精々だ。

 不意にナイツへの銃撃が止んだのは、カンジが弾倉を交換しているからだろう。数秒の沈黙がナイツに与えられた休憩時間だった。


 再び銃火が閃き、弾丸の群れがナイツを襲撃する。カンジはナイツの動きを見切り始めているのか、その射撃は正確さを増していった。


「どうした。ジアから教わったのは逃げ足だけか」


 カンジの挑発にもナイツは応じる余裕がなかった。

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