第9話 妖豹、暗夜を駆ける
ナイツ達を乗せた車両が隠れ処に到着した。
ヌイが車を停車させ、ナイツが車外へと出る。
「ありがとうございました」
「私はサンのためにしただけだ。お前から礼を言われる筋合いはない」
「……神は、もう少しあなたに愛想を持てと告げはしないのですか?」
「さあ、神はそう仰ったかもしれないが、私が聞き逃したのかもな。だが、一理ある」
ヌイが次に発した声音は、常よりも一段高かった。
「じゃあね、お兄さん。とっても楽しかったです」
「やっぱり、いつも通りでいいです」
「……フッ。すまないが、この先は一人で行ってほしい。カンジとは短い間とはいえ 仲間だった。裏切っても、彼と戦うことまではできない」
「ええ。ここまでしてもらえれば充分です」
ヌイは微笑を漏らすと、車両を発進させて森のなかに去っていった。
隠れ処を振り向いたナイツの面には緊張が貼りついている。
まず先に停めてあった一台の車両を調べた。確かに、この車はサンを乗せていたものに違いない。
隠れ処の照明が点灯しており、どうやらサン達はあのなかにいるようだった。
ナイツが建物に近づくと、扉を開いた人影がある。車両の音を聞きつけて出てきたのだ。
ナイツは、カンジ達が乗ってきた車両の陰に身を潜めた。顔を出して慎重に覗き込むと、長身の女性が月明かりに照らされて歩み寄ってくる。
「ちょっと、リュウゾウなの? ナイツは始末したんでしょ?」
イビが応答のないことに不審を覚えたのか立ち止まって四方を警戒する。その手に連射型の散弾銃を持ち、視線を周辺に巡らせる姿に隙は見当たらなかった。
「リュウゾウじゃあないようね? ナイツ、どこに隠れているの!」
恐るべき勘の良さでナイツの存在を知覚したイビが、ゆっくりとナイツが潜む車両に接近してきた。イビの危険を察知する嗅覚は一級だと認めるしかない。
「ふっふっふ。隠れる場所なんてそこしかないじゃん。とっとと出てきなさいよ」
ナイツが盾にしている車両を見つめてイビが言い放つ。
このまま様子を窺うか迎撃するかナイツは悩んだが、その最終的な決断はイビが下した。
〈砂礫の妖豹〉の二つ名を有するイビが、その名に恥じぬ身体能力を発揮して跳躍、ナイツが身を隠す車両の屋根に着地する。
「死んじゃいな!」
笑声を上げてイビが散弾銃を下方に向けて連射する。
ナイツは〈叡智〉を発現させて銃弾を防いだ。無力化された弾丸がナイツの肌に触れる手前で落下する。
それを視界に映したイビが宙返りし、車を挟んでナイツの反対側に降り立った。一瞬前までイビがいた空間を、ナイツの放った銃撃が朱の光条で切り裂く。
イビが息も荒く口を開いた。
「イビにはあんたを殺す算段がついているのよ! 覚悟を決めたら⁉」
「そういうわけにはいきません。サンを返してもらいます」
「ふん、あんな苦労も知らないような小娘のために命を捨てるなんて物好きだね!」
「あなたにサンの何が分かるというのです⁉」
「親の金で好き勝手暮らしている無能な小娘のことなんか、弟たちのために子どもの頃から銃を撃ってきたイビに分かるわけないじゃん⁉」
イビが散弾銃を車の窓に押しつける。その状態で銃を連射し、砕かれた窓の破片がナイツに襲いかかった。
予測できなかったその砕片までは無力化できず、ナイツの顔を微粒子となったガラスが打ち据え、鋭利な一片がナイツの頬に裂傷を刻んだ。
「おっと」
イビの指先に空虚な手応えがあった。円筒形をした散弾銃の弾倉を装填し、イビは車を回り込む。
思わぬ攻撃に動揺していたナイツを射線に捉えると、イビが散弾の雨を浴びせかける。
〈夜の沈黙〉を発現させたナイツに数多の弾丸は届かない。
しかし、ナイツは目眩を覚えたように身体を揺らめかせ、車体に肩を預けた。
その様子を目にしたイビが口元を歪め、ナイツは慌てて拳銃を連射する。イビは即座に車体の陰に隠れて攻勢をしのいだ。
「やっぱりね! カンジの言った通り!」
「何のことです?」
「カンジが言っていたよ? その強力な〈叡智〉には反動があるはずだって。で、精神力を消耗するんでしょうねえ」
ナイツが押し黙ったのは、言外にその指摘を肯定しているようなものだった。
〈夜の沈黙〉は銃弾を始めとする飛来物を無力化するが、その強力な〈叡智〉は精神力を大きく摩耗させる。
一瞬だけの使用ならば問題ないが、それが散弾銃のような広い面積を攻撃するものや、機関銃のように多くの弾丸を射出する場合には多大な精神力を消費するのだった。
「あんたの弱点を発見!」
イビが再び跳躍し、車体の屋根を踏み台に空を翔ける。ナイツの銃弾が地上からの流星となってイビを追うが、その身を害することは無かった。
身体を回転させて着地したイビが散弾銃を発砲。何とか反応したナイツが能力によって銃弾を無力化するが、目眩を覚えて車両に背中を打ちつける。
嗜虐を帯びた表情のイビだったが八発の装弾を打ちつくし、またしても弾切れとなった。もどかしげにイビは腰へと手を伸ばすも弾倉は残っていない。
「ちィ! しまった!」
イビが散弾銃を投げ捨てる。ナイツは呼吸を荒げながらもイビを見据えた。
「残弾も把握できていないとは、〈砂礫の妖豹〉の名折れでしょう」
ナイツの挑発を浴びてもイビは冷笑を浮かべている。イビは腰の後ろから大型の自動拳銃を取り出した。
「別にイビの優位は変わらないもんね。あんたこそ、この暗闇で動くイビに攻撃を当てられると思ってんの?」
言葉が闇に溶ける前にイビが疾走へと移る。
ナイツは銃撃を始めたが、身を屈めて鋭角的に進路を変えつつ疾駆するイビを捉えることはできなかった。
あっという間にイビがナイツへと肉薄。イビが握りしめた拳を突き出す。
横っ飛びに回避したナイツが一瞬前までいた場所へとイビの拳が打ち込まれた。その拳は車両の扉を歪ませ、破砕したガラス片を飛び散らせる。
その隙を突いてナイツがイビを照準。
イビは即応し、車両の扉を開いて盾とした。その表面に何発もの銃弾が穴を穿つ。
銃撃の隙を突いてイビが扉の陰から飛び出した。ナイツは射撃して足止めを試みるが、イビの突進を止めることはできない。
「うわッ⁉」
イビの突進を受けてナイツが弾け飛ぶ。数回転して仰向けに寝転がったとき、回る視界のなかでナイツが銃を向けようと腕を上げた。
その腕をイビが膝で押さえ、もう片膝をナイツの胸に押し付ける。左手で喉元を固定され、無防備となったナイツを撲殺しようとイビが拳を振り被る。
その拳が振り下ろされる寸前、イビが動きを止めた。
「何なの? この音?」
イビは上体を揺らめかせると、ナイツと距離をとるように車両まで後退した。よろめいて車体に身体をぶつけたイビは、頭痛に耐えるように頭を押さえている。
その様子に心当たりがあったナイツは迷わずにイビを狙った。だが、イビも一流の殺し屋だけあり、即座にナイツへ銃口を向ける。
イビの拳銃が立て続けに火を噴き、ナイツの足元に弾丸が着弾。土煙を噴き上げてその視界を阻害する。
ナイツが怯んだ隙を突き、イビは車両の反対側まで逃げた。
「何だっての、この耳鳴りは?」
突如、動揺するイビの左肩から鮮血が弾けた。さらに右胸に受けた衝撃とともに血を噴出させ、イビが車両に背中を預けた。
「チクショー……! まさか?」
イビの悪態と同時に、夜の暗幕を割って死闘の舞台に第三の人影が出現する。
「〈砂礫の妖豹〉も、ここが死に場所になるらしいな」
道化面を被った人物、ヌイ・ケラステミーアが闇を纏って佇立する。
「な! ヌイ、あんた裏切ったの⁉」
「……私は、カンジとは仲間だったが、一度も顔を合わせなかったお前とは仲間ではないと判断した」
「こんのヤロー……!」
ヌイは駆け寄ってきたナイツへと首を巡らせる。
「不甲斐ないな、ナイツ。心配だから様子を見に来てみれば、案の定か」
「すみません、ですが助かります」
「繰り返すが……」
「サンのためでしょう。分かっています」
ヌイは頷くとイビに向き直る。
「観念するのだな」
「ふん! あんたらなんかにイビは負けないよ」
それが虚勢ではない証拠に、イビは一歩目から最高速に乗ってナイツとヌイの視野を眩惑する。雑草をはためかせて颶風と化したイビに二人が発砲するが、
「ナイツ!」
呼びかけるとともにヌイが移動し、ナイツもヌイと反対方向に駆け出す。
二手に分かれたナイツとヌイのうち、イビはナイツを標的に選ぶ。拳銃でヌイを射撃しつつナイツに殺到した。
拳を揮ってナイツを瞬く間に後退させる。
体術でナイツを圧倒するが、イビもさすがに肩と胸の傷を無視できない。荒い息を吐いて動きに遅滞を生む。
イビの拳を受け流したナイツが、その衝撃で仰向けに倒れ込んだ。イビは追撃をかけようとするが、その背中に数発の銃弾が食らいつく。
「クッソぉ……」
歯を噛み締めたイビが力尽き、ナイツの横に倒れ込んだ。
危ういところで難を逃れたナイツが上半身を起こしたとき、ヌイが近寄ってきた。
「何とか無事のようだったな」
「ええ、おかげさまで」
「私が手助けできるのは、ここまでだ」
「感謝します」
ヌイは頷くと、暗黒に閉ざされた道へと踏み出していった。
ナイツは去っていくヌイの後ろ姿を見届けると、懐かしく佇む隠れ処に近づいた。
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