第8話 隠れ処への来訪者
「懐かしいな」
かつてナイツがジアに訓練を受けた隠れ処の前に立ち、薄青色の襯衣に黒の背広を着こむカンジ・ムトウが珍しく感慨を込めた呟きを漏らした。
「どうかしたの?」
「いや。何でもない。女をあのなかに運び込め」
イビの問いには答えず、カンジが指示を下す。イビは素直に従ってサンを乗せた車両へと歩み寄った。
気炎の盛んなイビだったが、ここ数日のカンジとのつき合いと、先ほどリュウゾウへ示した威厳から、自然とカンジの下につくことを受け入れているようだった。
「はい、お嬢ちゃん。おとなしく来なよ」
すでにサンは意識を取り戻していた。後ろ手に縛られて猿ぐつわを噛まされているが、まだ怪我もせずに生きている。
「んー! んー!」
イビの手から逃れようとサンが足で抵抗し、苛立ったイビがサンの脚を押さえつけて引きずり出した。荷物のようにサンを肩に抱え上げ、廃墟に歩み寄るカンジに続く。
カンジが扉に手をかけると、施錠されていない扉は錆びた軋りを上げて開かれた。勝手知った様子でカンジが壁の端子を操作して照明を点け、室内が明かりに満たされる。
床に投げ出されたサンが苦痛に呻くのを無視し、イビがカンジに問いかけた。
「どうして、こんな山奥まで来る必要があるの。あの場で殺してもよかったじゃない」
「騒ぎにならないようにと、依頼主の意向だ。この辺に死体を埋めれば、まず発見されないだろう」
自身の末路を聞かされてサンが顔を蒼白にした。
「リュウゾウを待つの? 奴が来る前に殺したら、うるさいよ、あの変態野郎は」
「あれを待つ必要はない。一時的な関係とはいえ仲間と協力できないような奴は目障りなだけだ。臆面もなく現れやがったら、リュウゾウも殺してこの山の肥料にしてやる」
淡々とそう告げるカンジを横目にするイビは、内心にうすら寒いものを感じる。イビが我意を通していれば、その言葉は彼女に向けられるものだったはずだ。
カンジは、この廃墟を目にした際の感動に比較すれば塵にも満たない感情でサンを見下ろした。カンジの掌が白檀で装飾された拳銃を掴んでいる。
カンジの銃口が冷然とサンを照準した。
「それでは、これで仕事の大半は終いだ。痛みを感じさせないだけ、俺はリュウゾウよりも親切だな。運が良かったと思ってもらおう」
全然同意できないサンが猿ぐつわの奥で悲鳴を発し、拘束された身で逃げようともがく。
そのとき、屋外で響いた車の駆動音が三人の耳朶を打った。
素早くカンジとイビが視線を交わし合う。
「リュウゾウかな?」
「もしかしたら、ナイツかもしれん。イビ、見てこい。どちらでも殺して構わない」
イビは頷き、車中から携帯していた散弾銃を持ち直す。
「ああ、少し待て。ナイツについて話しておく」
「血液型とか?」
「黙って聞け。ナイツは〈叡智〉持ちだ。それも珍しい隠喩型のな。ヌイの話によると、ナイツの能力は銃弾や飛来物を無力化するものだ。だが、隠喩型の〈叡智〉は多義的で応用が効く。つまり、厳密には発現する能力を特定できない。戦闘に入ったら、直接殴るか切るかで攻撃するのが賢明だ」
イビは要領を得ない様子で聞いていたが、最後の一言で笑みを見せる。
「ただし、奴の能力にも欠点はある。今朝、確かめたが、ナイツは自身が知覚していない攻撃は防げないはずだ。それに……これは俺の予想だが、もう一つ弱点はある」
カンジは灰色の瞳の奥にナイツの顔を見ているのか、遠くを眺めるように双眸を細めた。
「あの強力な〈叡智〉には弱点があるはずだ。恐らく精神力を消耗するに違いない」
「精神力?」
「使いすぎると疲弊するのではないかということだ。ここに来たのがナイツだとしたら、そいつで試してみるといい」
顎でイビが持つ散弾銃を示し、行けという風に手を一振りする。
イビはサンに向けて冷ややかに笑い犬歯を覗かせると、足早に扉をくぐっていった。
ナイツの名前を聞いたサンの面に喜色が刷かれたのを見て、カンジがその前に屈み込んだ。サンの猿ぐつわを外し、その顎に指先を当てて顔を上向かせる。
「随分と嬉しそうだが、ここに来たのがナイツとは限ら……」
その語尾をかき消して銃声と怒号が静寂を破った。
「なるほど。あの陰気な男がリュウゾウを倒したか。だが、イビはそう容易くはないぞ」
「ナイツは負けない。信じているから」
「あの男が来た途端に威勢がよくなったな。死体をここに転がせば、諦めもつくか」
「……本当は不安なんでしょう。ナイツがジアさんの弟子だから。あなたと同じで」
カンジが口元を痙攣させた。
この小娘が、なぜ自分とジアの繋がりを知っているのだ。その疑問がカンジの胸中に芽生えて、サンの挑発的な口調が苛立ちの花を咲かせる。
サンの瞳が妖しげな光を帯びていることに気づき、瞬時の放心から帰ったカンジはその頬を張った。
「気味の悪い女だ。考えてみれば、外の戦闘が終わるまで待ってやる理由もない。今、その戯言がお前自身の寿命を縮めたことになる」
威嚇するようにカンジが愛銃を掲げてみせるが、これまでと異なりサンは動じることなく彼を見返している。
サンの様子を虚勢と受け取ったカンジが、その頭部に銃口を押しつける。
カンジは気がついた。いつの間にか外が静かになっている。
カンジとサンは揃って出入り口に視線を注ぐ。
黒と灰色の瞳がそれぞれ異なる思い、期待と苛立ちを含ませて見守るなかで扉が開かれた。
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