第7話 夜の沈黙があなたに訪れぬよう
「社長。緊急の報告が」
そう言ったのは、トウコ・カゲヤマだった。
社長室に入ってくるなり、そう告げた秘書の顔が惑乱と焦燥にさざめいているのを目にし、レンヤ・ヨナイはその先を促した。
「配下にしている情報屋によりますと、ナイツらしき男が街で人を殺したと」
「どういうことだ?」
「殺されたのはリュウゾウ・オカという殺し屋で、その男ともう二人の殺し屋はある女性を狙う仕事を引き受けていたそうです。それをナイツが妨害しているとのことです」
「バカな……! なぜ、そのようなことをナイツが」
「それに殺し屋が狙っていた女性はサン・トウゴウという名前です」
「サン……、確か、それは?」
「はい。例の依頼の対象です」
レンヤは困惑のために二の句が継げないようだった。
「警察にはこの情報は漏れていませんが、如何致しましょう?」
みだりに内面の動揺を露呈させることのないトウコが戸惑いを隠せず、レンヤに判断を委ねていた。レンヤは罵詈雑言を苦労の末に飲み込み、社長の威厳を保つことに努める。
「ナイツの現在地は把握しているのか?」
「いえ。支給している携帯電話の位置情報によると車両で移動しているようです。ユウツゲを抜けるところまでは確認できましたが、それ以降の足取りは掴めていません」
「ナイツに連絡をとれ。あいつの意図を知っておかねば」
「はい。直ちに」
「それとジアにも連絡しろ。場合によっては、ナイツを始末する必要があるかもしれん」
指令を与えられて落ち着いたトウコは辞儀を返して退室した。
「どういうつもりだ? ナイツめ」
レンヤは一人になった室内で吐き捨てた。肉親の情などない。ナイツは使える手駒だが、いざとなれば排除するだけだ。
レンヤ・ヨナイは暮れゆく斜光を背にして腕を組んだ。
ナイツは、ヌイ・ケラステミーアが運転する車両の助手席に座っている。
隠れ処への道筋は一度しか見ていないが、大まかな位置は覚えている。ジアの隣で惚けたように見ていた、後方へ過ぎていった光景が記憶に焼きついている。
道順よりも心配なのは、サンの安全だった。カンジやイビがサンに危害を加えていないか、ナイツは危惧している。
「心配そうだな、ナイツ」
「……当然でしょう」
「気持ちは分かるが、焦らないことだ。カンジは慎重な男で、事を急ぐようなことはしない」
「そうだといいのですが」
そう言いながら、ナイツは先ほどのことを思い返す。サン殺害を強行しようとしたイビを制止し、連れ去るように指示したのはカンジだった。
暗くなった車内で、巧みに左手のみで操縦環を操作しつつヌイが口を開く。
「道はこのままでいいのか? そうは言っても、当分は一本道だが」
「ええ。このまま進んでください」
すでに天空は夜へと衣装替えを行い、太陽もその王座を月へと譲っていた。
車外の暗黒を切り裂くように車の照明が前方を照らしていた。整備された混凝土の道路がその明かりのなかで遥か遠くまで続いている。
ナイツが乗るこの車両はユウツゲの市街を出ており、都市国家間を結ぶ幹線道路を走行していた。道路の片面は草原になっていて、その反対側は岩山がそびえている。
「ヌイ、あなたは……」
ナイツが言いかけたとき、いつでも所持することを義務づけられている携帯電話の呼び出しが鳴った。ナイツは端末をとり出して応答する。
「はい。自分です。今は忙しいので、後で電話してください」
「そういうわけにもいきません。社長が立腹です」
無線から流れたのは、トウコの味気ない声音だった。
「ナイツ。この事態を説明してください。何をやらかそうとしているのですか?」
「絶対に叔父には迷惑をかけません。ただ、友人を助けるだけです」
「サン・トウゴウのことですか? 彼女を狙っていたリュウゾウ・オカを殺害したのは、あなたですね。戻りなさい。指示に従わねば、それなりの対応をせねばなりません」
トウコは状況の全貌を把握しておらず、その発言には困惑が纏わりついていた。
「それはできません」
「特別な理由もなく同業者の仕事を妨害するなど、この業界では通用しません。どうか、社長に手荒な選択をさせないでください」
「大事な友人を助けることが、特別な理由に該当しないとするなら、自分がこのまま殺し屋を続ける理由がありません」
「何ですって?」
「自分は〈
電話越しにトウコが驚愕する気配が伝わる。
ナイツは、レンヤが保有する非合法な戦力のなかでは最下位の位置づけに甘んじている男だ。
裏社会におけるナイツの評価も必ずしも高いとは言えず、シンタ・キジマ相手に大金星を上げてから、その実績は一流には届かないものに留まっている。
ゴロツキや女流漫画家など三十名以上を殺害しながらも、結局は一都市の二流の殺し屋。それがナイツだった。
そのナイツが、これほど放胆な言動をとるのはトウコの予想の射程外にあったのだろう。
続くトウコの声音には、困惑しながらも事態を収拾しようという意思が込められていた。
「……分かりました。社長には私から待つようにお願いします。ですが、どれだけ引き延ばせるかは保証しかねます」
「それで充分です」
ナイツは一方的に無線を切った。
「お前自身も問題を抱えているようだな」
「大した問題ではありません。自分たちのような存在は、みんな何らかの悲しみを背負っているものでしょう」
「そうかもしれないな」
ヌイが頷く。
そのまま車内を静寂が満たしたが、それを嫌ったようにヌイが言葉を紡ぐ。
「先ほど、何か言いかけたようだったが?」
「ああ。なぜ、自分に手助けしてくれるのです?」
「サンの生命を助けるためだ。サンを助けようとしているお前を助けることで、サンのためになるのだったら、私は助力を惜しまない」
ナイツがヌイの横顔を盗み見る。ヌイの表情は凪いでいるようにその感情を窺わせない。
「サンを助けるというのも、神の声を聞いたからですか」
「……いや。私はこれまで二度、生命を助けられたことがある。子どもの頃、病弱だった私の生命を神に救われたのが一度目。そして先日、お前に殺されそうになったとき、再びサンに生命を救われた」
言葉を紡ぐヌイの顔が敬虔な信者のそれに変貌していく。
「生命の恩は、生命をかけて報いたい。私がこの世界で生きることを許して下さった神にも、そしてサンにも」
それは狂的だったが、神から授けられたものではなく、紛れもなくヌイ自身の言葉だった。
「……どうやら、あのときあなたを撃たなくて正解だったようです」
「お互いにな」
そのやりとりを最後にしてヌイは黙り込んだ。
ナイツも口を閉ざして窓外に目を馳せる。
隠れ処に到着するのは深夜になるだろう。それから短時間でサンを救出しなければ、ナイツも責任をとらなければならない。
だが、サンを救ってナイツも無事に済む保証はない。敵の殺し屋があと二人も残っており、ナイツとサンが生きて帰れる可能性も低いのだ。
困難を目前にしつつ、ナイツは窓の外の闇を眺めた。
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