第5話 情熱と殺意の収束点
以前、サンの課題に必要な本を探すため一緒に書店を訪れ、その帰りにサンを家まで送ったことがあった。
あのときと同じ夕暮れの余光が、焦燥を帯びたナイツの横顔を照らしている。
記憶を頼りにナイツが街並みをうろつき、サンの住居である高層住宅に辿り着いた。
ナイツは慣れない様子で高級そうな玄関から
室内からの応答がなく、焦ったナイツは身を翻して通りに戻る。サンはただ外出しているだけかもしれない。だが、どうしてもサンの無事をナイツは確認したかった。
ナイツが当てもなく路地を走ってサンを探していると、遠くで女性の悲鳴が聞こえたように思った。それが幻聴であっても、ナイツはその現場に向かうしかない。
高い建築物の壁面に両側を挟まれた横道にナイツが踏み入ったとき、そこで探し求めていた人物を見出した。
あのときナイツから去った、華奢な後ろ姿だった。
「サン!」
「ナイツ⁉」
ナイツの声に振り向いたのは、紛れもなくサンだった。
恐怖と驚愕を混合させて振り返っているサンの肩越しに、異様な男が立ちはだかっている。
銀色に染めた長髪を背中に垂らし、濁った青色の瞳をしている。三十代中頃で痩せている男であった。
背の曲がった長身の足元までを包む黒い外套を着用し、不健康な白い肌が対照的でもある。その手には、男の瞳にも似た鈍い輝きを放つ短刀が握られている。
「そいつから離れて!」
警告を発してナイツが駆け寄るが、サンは足が竦んでいるのか棒立ちのままだった。
「ナイツ? あれが……。誰だろうと、小生の邪魔をするな!」
喚いた男が左手を袖口に隠し、再びそれが現れると指の間に三本の刃物を挟んでいた。男が手を一閃、光条と化した三本の短刀が直線的にナイツめがけて宙を走る。
鋭利な切っ先の一団が迫るも、ナイツが〈叡智〉を発現させると慣性を殺された刃物が呆気なく地に落ちた。
「クソ! おい、小生に近づくな!」
男がサンを盾にしようと猿臂を伸ばしたが、その手よりも速くナイツは相手を間合いに捉えていた。
走りながら拳銃を抜き放っていたナイツは、その銃身で刃を打ち払う。ナイツの手が翻り、銃床が突進の勢いを乗せて男の鼻に叩き込まれた。
鈍い音を上げて倒れた男を一顧だにせず、ナイツはサンに向き直る。
「怪我はありませんか」
「ナイツ、ありがとう! 私、不安で……」
「とにかく逃げるのが先決です」
サンを促して逃げようとするナイツだったが、先ほどナイツが路地に入ってきた道から新手が現れ、その進路を塞いでいる。
乾燥した砂漠色の頭髪を有し、整った顔立ちではあるが殺伐とした表情がその印象を損なっている。女性にしては長身で、その右手に提げた自動拳銃も大振りのものである。
砂色を基調とした迷彩柄の衣服で上下を包んでおり、その姿と異名からナイツは女の正体に思い至る。
イビ・ソ・パルルクトス。〈砂礫の妖豹〉とも呼ばれるサンの生命を狙う殺し屋の女性だろう。
ということは刃物を手にする長身の男が、〈少女の血を呑む凶刃〉リュウゾウ・オカのはずだった。
イビの砂漠に湧いている泉のような瞳が、苛立たしげにナイツとリュウゾウに注がれる。
「リュウゾウ。勝手な真似をしないでよ! カンジが怒ってんじゃない!」
「うるさい! 小生はそこのサンを解体したいんだ。カンジみたいに、のんびりしていられないんだよ。この火照りを冷ますためにね!」
「まったく、この変態野郎は!」
鼻血を垂らしてリュウゾウが立ち上がり、イビに反駁していた。刺客同士の不和に乗じようと動いたナイツにイビが銃口を突きつけ、その目論見を牽制する。
「動かないでよ。あんたがナイツね。予定が狂ったけど、こうなったら仕方がないし、ここで二人とも片づける」
イビの宣言に万事休すことになったナイツだが、遠方から投げられた第三者の声が事態を急変させた。
「止めろ! イビ、女を連れてこい!」
「え? わ、分かった……!」
動揺したイビの隙を突いてナイツが銃を照準する。
一流の刺客だけあってナイツの殺気を嗅ぎとったのか、イビは敏捷に反応した。
イビがその場で跳躍。ナイツが見上げるほどの高さまで宙に翔け上がり、さらに空中で壁面を蹴って勢いをつけると、回転しながらナイツの背後に降り立つ。
イビの常人離れした身ごなしにナイツが息を呑む。イビの特異な運動能力は、〈
かつて敵対したシンタ・キジマと同じく、イビは死の淵をさまようことで異常な身体能力である〈聖別〉を獲得した人物だったのだ。
着地したイビが遅滞なく拳銃をサンに向ける。サンを庇うように進み出たナイツの気が逸れた隙に、イビはリュウゾウに協力するように目配せした。
去就を決めかねていたリュウゾウがイビに応じ、ナイツへと飛びかかる。続けざまに刺突を放つリュウゾウを持て余し、ナイツは後退した。
格闘の不得手なナイツがリュウゾウの相手に手間取り、サンへの意識が疎かになる。
リュウゾウの刃に左腕を切りつけられ、そこから飛び散った血汐が壁面に細かな紅の花弁を咲かせたのは、背後で起きた悲鳴を聞いたナイツが反射的に振り向こうとしたからだ。
「リュウゾウ。あんたは、そいつの足止めをしておいてよ」
ナイツ視線を向けた先には、失神しているらしく身動きしないサンを肩に担いで走り去るイビの姿があった。
「待て!」
ナイツが叫ぶ。
「おい、小生も助力したのだぞ!」
ナイツの膝裏を蹴って転倒させ、リュウゾウがイビの後を追った。左腕の負傷に眉をしかめつつ、ナイツもそれに続く。
細い路地から出た車道に、一台の黒塗りの車両が停まっていた。その後部座席にサンを押し込め、イビも乗り込む。
遅れて到着したリュウゾウがその車両に縋りついた。閉じられた扉を叩き、上擦った声を張り上げる。
「サンは小生が殺すんだ。小生も乗せろ!」
喚き立てるリュウゾウに運転席から拳銃が向けられる。それを握る灰色の頭髪と瞳を有した長身の男、カンジ・ムトウが冷厳に言い捨てた。
「お前が犯した失敗の責任をとれ。ナイツを殺せれば認めてやる。奴を殺して、あらかじめ教えておいた隠れ処に来い」
カンジの眼光に気圧されたリュウゾウが後退すると、にべもなく三人を乗せた車両が発進して遠ざかっていった。それを見送るリュウゾウの目に憎悪が滾っている。
左腕から血を滴らせてナイツが駆けつけるも、すでに手遅れだった。
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