第4話 愛銃は誰がために

 自宅にこもって本を読む、それはナイツにとって日常の光景だった。

 すでに太陽は赤みを帯びて西の空へと下がりつつある。


 早朝に行われたカンジとの争闘を忘れたように、ナイツは書物に視線を落としている。カンジから受けた傷には応急処置を施しているが、血は止まることなく包帯に滲み出てくる。

 カンジの言葉通り、〈癒えない空白レヴィナス〉によって腹部の傷は治癒することは無いようだった。

 ナイツには、カンジから脅されたようにサンから遠ざかることしかできないだろう。


 ジアから聞かされたように彼我の力量差は明白だった。カンジの落ち着いた身ごなしは、これまでの幾多の場数から得たもののはずだ。あの風格はナイツの及ぶところではない。

 ナイツは、サンのことを諦めるように読書へと逃避しているようでもあった。


「何だか、これだけ静かな日は久しぶりだな」


 ここ最近は、この静寂を乱す存在がいたものだ。廊下の鉄製の床を踏み鳴らし、ナイツの部屋の扉を無遠慮に叩く訪問者。

 この数日間、ナイツは生活を邪魔されることなく時間を消化している。ナイツは、落ち着いた生活を満喫していた。


 だが、ナイツの指先は本の紙項をめくることなく止まったままだった。

 気乗りしない様子でナイツが目線を泳がせると、壁に空いた穴から馴染のネズミが顔を出していた。空腹のときだけ現れる都合のいいネズミに、ナイツは意図的に相好を崩してみせた。


「ああ、また来たのですか」


 ナイツは棚から箱をとり出した。それは二人が出会った夜に、ナイツに助けられた礼としてサンが持参した焼菓子クッキーだった。

 甘いものを好まないナイツは、そのお菓子を非礼ながらもネズミのエサにしてしまっていた。


「あれ、空だ。参ったな」


 箱の蓋を開けたナイツがそう呟く。

 仕方なく自身の間食用に置いてあるパンを一つまみし、ネズミに放ってやった。

 傲岸な動作でネズミがエサを咥え、再び穴のなかに帰っていく。


「あのお菓子も重宝していたものですが」


 そう言ったとき、ある考えがナイツの脳裡に浮かび上がる。


 このお菓子をナイツは気に入らなかった。他人の心を読めるにも関わらず、サンはナイツの好みが分からなかったのだ。

 サンは心が見えると言っても、そのときの思考が分かるだけで、その人物の全てが見通せるわけではないのだろう。


 ナイツは自分の内面を全て見透かされ、サンに手玉に取られて関係を築いてきたと感じたが、それは間違いだった。

 心を読めたとして、実際にどのように行動すればナイツに気に入られるかサンに分かるはずもない。結局は、サンなりに考えて行動するしかなかったのではないか。


 それにサンは自分が命を狙われている危機感があったのだ。そのときに殺し屋であるナイツと出会った。

 サンとしては、どうしてもナイツとの関係を保ちたかっただろう。

 ナイツが生きるために殺し屋にならざるを得なかったのと同じように、サンもナイツに縋らざるを得なかった。


 ナイツの胸に今まで意図的に無視していた思いが膨れ上がる。


 ヌイと戦ったとき、自身が傷つくのを恐れずに戦った思いは嘘だったのか。廃墟の暗闇のなかでサンの肩を抱きしめたときに感じた安らぎ、あれは嘘だったのか。

 自分の思いに目を塞いで耳を閉じている今の自分の方が嘘ではないのか。


 ナイツから責められても、サンは言い訳せずにそれを甘受していた。何も反論せずに去っていったサンの背中をナイツは思い返す。


「自分は何ということを……」


 サンが自身の〈叡智〉のことを打ち明けたのは、ナイツに対して誠実であろうとしからではないのか。

 サンの誠意に対し、詰ることしかできなかった自身にナイツが憤りを覚える。


 何人かに言われた。お前は変わったと。それは誉め言葉として放たれたものだったが、ナイツは素直に受け入れかねていた。

 なぜか本を読んでも気分が乗らない。

 どうやら、この失調はサンがナイツの前から消えたせいだと考えざるをえない。

 ナイツが思うよりも、サンはその人生に深く関わっていたらしい。


 ナイツの脳内で、活力あるサンの声が再生される。


『ナイツが教えてくれたおかげで、あの提出した課題で誉められたんですよ。その内容について質問されたのに答えられなくて、結局怒られたんですけど』


『私の知り合いに変わった人がいるんですよ。何ていうか、悪いことがあってもいつも通りと平然としているけど、良いことがあると不吉と感じるような人です。……え、面白い奴だって? いやだな、もう! 私の前にいる人のことですよ』


『辛いでしょうね。自分だけでなく、他の人の苦痛まで悲しめる優しい人なんですから、きっといつか報われますよ。ほら、私の胸でよければ貸してもいいですよ。……って、きゃあ⁉ ちょっと、鼻水が!』


 まったく、人間という奴は頭でモノを考えるくせに、思い煩うと胸が苦しくなるのはどうしたことだろうか。

 ナイツは手にしていた書物を落とした。


「行かないと……!」


 青年はそう呟いて外套と愛銃を手にすると部屋を走り出た。





 街へ出たナイツが細い路地に入ると、人影がその進路に立ち塞がった。


「そんなに急いでどうしたのさ。ナイツ」

「先生。どうしてここに?」


 敬愛してやまない恩師、ジアを前にしてナイツが狼狽する。予想しなかったジアの出現に、ナイツは気後れしていた。


「あんたに忠告しようと思ってね。サンを助けに行くつもりなんだろう。分かっているよ」

「あの人は、大事な友人です。助けたいのです」


 そう言うナイツからは迷いが払拭されている。かつての弟子を眩しげに見やりつつ、ジアは冷笑で応じた。


「いいの? あんたは常々、人殺しは嫌だと嘆いていただろう」

「そうですが……。今回は自分のためではない。人を守るためです」

「あんたは、殺し屋の領分を踏み越えようとしている」

「領分、ですか?」


 ナイツの問いかけに、ジアは頷いた。


「依頼を請けて人を殺すのが殺し屋だ。他人のために戦うなんて聞いたことないね」

「それでは自分が初めてになります」

「他人のために殺人の罪を引き受けるというの? 殺し屋じゃなく、ナイツ個人として人を殺す、その覚悟が、あんたにあるの?」


 ナイツは一瞬だけ言葉に詰まったが、次に発した声音はしっかりしていた。


「シンタが言っていました。自分にとって、生きるために殺すのではなく、殺すことも生きることの一部なのだと。……受け入れます」


 ジアの表情の質が変化した。常の皮肉気な冷笑に苦笑がとって代わる。


「殺し屋らしい顔つきになったと思っていたけれど、また腑抜けた顔に戻ったね。いいさ。好きにしな」

「ありがとうございます」

「何かあったら、あの隠れ処に行ってみなよ。カンジもあの場所を知っているから利用するかもしれない」

「先生、どうして自分にそこまで助言してくれるのです? カンジも自分と同じ先生の弟子だと聞きましたが」

「……さあてと、私は帰るよ。あんたも急ぎな」


 ナイツは問いを繰り返そうとしたが、諦めて開きかけていた口唇を閉じる。

 ナイツはジアの横を駆け抜けると、まっすぐにその爪先をサンの家に向けて走った。





 ナイツの足音が聞こえなくなると、ジアは静かに背後を振り向いた。


「ジア、随分とナイツに肩入れしているようだな」

「可愛い弟子だからね、当然じゃない?」


 路地の暗がりに佇む巨躯、カンジに臆することなくジアが笑いかけた。


「俺もお前の弟子だったはずだが、可愛いなどと思われていないようで光栄だ」

「私にだって好みがあるからね」

「あの貧弱な小僧の方がマシだと本気で抜かすなら、ナイツの腑抜けは師匠譲りということになるな」


 カンジは口元を歪めて笑みを見せたが、それは数舜後に掻き消えて残忍な表情が残った。


「どういうつもりだ? 酒場で俺たちの情報をナイツに流していたのも見過ごせないというのに、まだナイツに助言を与えるとはな」

「ふうん。酒場のことも知っているわけね。ちょっと油断したかな」

「ここまで俺の邪魔をされては看過することはできんな。ジア、……お前にも悲嘆が訪れることになる」

「生意気なことを言うようになったじゃないか」


 二人の言葉が止むと、急に路地は静寂に包まれた。


 斜陽も差さない路地裏で向かい合う両者の他に人影は無い。

 時間が固着したように二人は静止している。その静けさとは裏腹に、空気が帯電したような緊張感が両者の肌を刺した。


 二人が動いたのは同時。その後に響いた銃声は一つだった。

 ジアが腰の後ろの拳銃を抜くよりも早く、カンジの放った銃弾がその腹部を貫いている。

 脇腹を手で押さえたジアがたたらを踏み、壁面に身体を預けた。その手からは夕焼けよりも赤い鮮血が溢れ出て、路面に大輪の花を咲かせている。


「俺の師ともあろう者が惨めなものだ。……もはや止めを刺す必要は無いだろうな。俺の〈癒えない空白レヴィナス〉によって、お前は緩慢な死を迎えることになる」

「……腕を、上げたみたい、だね」

「当然だ。〈ハルカゼ皇国〉で活動するには相応の実力がいるからな。この矮小な都市に閉じこもり、実力者を気取るだけのお前とは違う」


 ジアは朱唇を開いたものの、それは荒い息を吐くだけで反論を発することは無かった。


「お前には感謝している。俺にこの力を与えてくれたのは、確かにお前なのだからな」


 その言葉を残し、カンジは路地を立ち去った。

 一人になったジアは、自身の血汐に塗れた手を覗き込む。

 ジアの瞳に濃厚な失望の色彩が塗られた。

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