第2話 それが真実ならば危うくて

 弁護士殺害の仕事を遺漏なく済ませたナイツは、上辺だけのトウコの労いを受けとり、解放された休日を過ごしていた。

 しかし、宵の口になってジアから誘いの連絡を受け、ナイツは仕方なく酒場に赴いた。


「ナイツ、あんたもいい顔になってきたね」


 酒場に到着したナイツを目にしてジアが開口一番にそう言う。


「はあ。トウコさんにも似たようなことを言われました。自分には心当たりがないのですが」

「鏡には映らないことだってあるからね。自分じゃあ分からないだろうさ」


 ジアは笑って横の席を叩いた。ナイツがその席に着き、ウイスキイを注文する。

 顔馴染だけあって、すぐに酒杯が目の前に置かれた。ナイツは酒杯を取ると、ジアのそれと自身のそれを打ちつける。

 しばらくは世間話が続いたが、酒杯を空けるにつれて表情の緩んだジアが話題をナイツの私生活に向ける。


「そういや、あの娘とは上手くいっているの?」

「あの娘?」

「サンのことよ。随分、懇意にしていたみたいじゃないの」


 サンの名前を聞いて、ナイツの面が翳りを帯びる。


「別にそのような関係ではありません。それに、ここ数日会っていませんし、これからも会うことは無いでしょう」

「ふうん。あんたが会わないというのは別として、サンの方はなぜ会おうとしないっての?」


 ナイツが口をつけようとした酒杯が揺れる。その表面に浮いていた水滴が卓上に落ち、透明な花が咲いた。

 酔っているとはいえ、ジアの思考は明晰さを保っているのにナイツは内心で舌を巻いた。


「実は、先生がこの前にお話しされたように、サンは生命を狙われていたようでした。サンには〈叡智〉があって、他人の心を読める力を使って自分を利用しようとしていたのだそうです」

「何らかの理由でその事情を明かして、サンは会おうとしなくなったというわけね」

「はい。サンを狙っていたのはヌイでした。あの〈唯神論者〉です」

「ヌイ・ケラステミーアがサンを狙っていた?」

「そうです。ですが、ヌイはサンの生命を諦めましたし、もう自分がいなくても彼女に危険は無いでしょう」


 ジアは酒杯に口唇をつけたままナイツを横目にした。ナイツも無慈悲にサンと距離を取ったわけではないのだ。


「でも、気になるね」

「何がですか?」

「私が聞いた話では、サンを狙っているのは別の人物たちだったのだけど」

「は⁉ それではヌイとは別口の存在が、まだサンを狙っているかもしれないと?」

「いや、別口かは分からないよ。ヌイがそいつらの仲間だったということも考えられるし」


 ナイツの双眸が細められた。


「先生、そのサンを狙う他の人物について聞かせてください」

「本当はよくないのだろうけど……、まあいいか。私が知っているだけでも、他に三人が残っているよ」

「サン一人を殺すために三人?」

「それだけ万全を期しているのだろうね、依頼主は。それでサンを狙っているのは、イビ・ソ・パルルクトス、〈砂礫されき妖豹ようひょう〉と呼ばれる女殺し屋。そしてリュウゾウ・オカ、〈少女の血を呑む凶刃〉という猟奇殺人者ね」


 ナイツは押し黙った。少女一人を狙うには過剰な戦力と言わざるを得ない。


「ま、この二人は戦闘に関して非の打ちどころはないのだけれど、人格的に問題があってね。単体では殺しの依頼を完遂するのが難しいだろうねえ」

「人格的に問題というのは?」

「イビは南部の〈アークナル十二王国協同体〉出身で、殺し屋と言っても反政府主義の武装集団で活動していた女だよ。注意力の無い女で任務中によく失敗をしていたらしい」

「よく、それで生き延びられたものですね」

「その生き延びている理由が、本人の能力の所以でしょ。決して無能な女ではないんだね」


 ジアは酒杯を傾け、その中身が空になっていることに気付いたようだった。店員にお代わりを頼もうとしたが、目敏く察知していた店員が酒で満たされた容器を差し出す。

 上機嫌で礼を言ったジアは、芋焼酎で唇を湿らせると先を続ける。


「リュウゾウというのは、少女だけを狙う連続殺人犯だよ。殺しを専業にしている人物ではないけど、逃亡資金を得るために荒事の依頼を請けることもある」

「少女だけを狙う……」

「その点を見込まれて、今回の依頼に加わったのだろうね。ただ、こいつは単なる猟奇殺人者だから、殺しの仕事を一人で行うのは難しい」

「つまり、その二人の司令塔となる人物が存在するというわけですか」

「そういうこと」


 横を向いたナイツの瞳にジアの真剣な顔が映った。


「もう一人の男、カンジ・ムトウというのがサンを狙う一味の首魁と考えていいだろうね」

「カンジ・ムトウ……」

「ハルカゼ皇国では一線級の殺し屋として名を馳せている、通称〈悲嘆を従えし者〉。この男は実績でも実力でも、さっき説明した二人を手駒として扱うに十分な人物だ」


 ジアが手放しで他人を称賛することは稀有なことであった。ナイツが奇異の思いを禁じえないでいると、その内心を見透かしたようにジアが含み笑いを漏らす。


「滅多にないことだと思っているんだろ? ま、当然かな。……カンジ・ムトウは私が殺し屋に仕立て上げた男だからね」

「先生が?」


 思わずナイツの声が高くなった。自分の声に驚いたように眉根をしかめると、ナイツは周囲を見回す。運よく人目を引くことはなかったようだ。

 ジアの言葉通りならば、カンジはナイツの兄弟子ということになる。


「カンジ・ムトウはどのような人物なのですか」

「なーに? 張り合おうっての?」

「そういうわけではないですが……」

「ふふん。能力に関しちゃ、あんたじゃ話にならないと思うよ。まあ、射撃はあんたを贔屓ひいきしてやっても、やっと互角くらいか。格闘は、あんたよりも弱い奴の方が少ないのだから、分かるだろ?」


 酒杯を握るナイツの手が震えた。意図せず力が入ったらしい。


「頭が切れる奴でね。敵の前に姿を現すのは、自分が勝てると確信したときだけだっていうし。カンジと事を構えるのは楽じゃあないだろうね」

「参考までに伺っただけです。敵対するつもりなんか……」

「そっか。カンジに狙われたら、サンが冥府の門を潜るのも時間の問題だね」


 一息で残りの酒を飲み干したナイツが、酒杯を卓上に叩きつける音が響く。その音は先ほどのナイツの声よりも大きく酒場の音響を満たした。

 周囲から怪訝な視線を注がれるナイツの横でジアが声を張り上げる。


「まったく、飲み過ぎだよ。酔って手を滑らせるなんてさ」


 その一言で酒場の空気が再び弛緩した。

 ジアに助けられたことにも気づかないように、ナイツの瞳は酒場ではないどこかを見詰めていた。

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