第五章 殺し屋はみな悲しい

第1話 殺し屋ナイツ

 サンがナイツの部屋を去ってから数日が経過した。その間、ナイツは特に変わった様子もなく日常を過ごしている。

 その女性は、ナイツの人生のごく短い期間だけを彼と共有しただけだ。ナイツが未練を感じるほどのつき合いがあったわけでもない。


 断りもなく家に押しかけて一方的に話題を提供したり、ときには無言でナイツの読書を横目にしたり、そして必ず数杯のお茶を飲んで帰っていくだけの女性だった。

 ナイツにとって一過性の関係が終わっただけであり、彼の生活に支障を来すはずもない。

 ナイツは、誰にも邪魔されない静かな日々を取り戻していた。





「社長。弁護士を対象にした依頼の件について、ナイツから完遂したとの報告がありました」


 そう言ったのはトウコ・カゲヤマだった。紫紺の頭髪と碧眼を有する二十代中盤の怜悧な顔立ちをした女性である。〈天道社〉社長の首席秘書を務める、優れた実務処理能力と忠実の権化。


 本社の社長室で革張りの椅子に腰かけた中年の男が、トウコの差し出した報告書を受けとって小首を傾げる。


「何だと? あれは一昨日だかに来た話だろう。あのナイツが、もう対象の処理を済ませたというのか」


 疑惑の色調でその声を染めた男の名前は、レンヤ・ヨナイ。〈天道社〉という企業の社長でありながら、非合法の依頼を請けて裏社会に幅を利かせる存在であった。

 四十代半ばほどの年齢に似合わず、元は黒かった頭髪の半分が白くなっている。その黒い瞳は思慮深さと覇気を同居させていた。それがレンヤの外見である。


「はい。部下に確認させたところ、あの弁護士は確かに亡くなっております」

「ナイツにしては、やるじゃないか」

「報告の際に顔を合わせましたが、どうもナイツの様子が変わっていると思いました」

「ほう。どういうことだ」

「今までの甘さが消えているようです。ジアに似てきました」

「やっと、あれも使えるようになったか。……あのとき、仕損じたと聞いた直後は冷や汗が出たものだが、上手く引き込んで手駒にすれば、安上がりで便利な奴だ」

「はい。依頼料の半分以上を社の利益にしても、文句も言わずに雑用を任せられます。貴重な人材です」

「だが、不要になればいつでも切り捨てられる。ジアには感謝すべきかもしれん」


 社長よりも細部までこだわる神経質な頭脳を持つ秘書は、一抹の不安を言語にする。


「ジアはなぜナイツを助けたのでしょうか。彼女の目的が掴めません。注意するに越したことはないでしょう」

「お前も心配性だな。そうでなくては俺の秘書をさせられん。お前の気が済むようにしろ」


 社長に忠誠を捧げる若い秘書は頭を下げて踵を返した。

 トウコが退室すると、レンヤは乾燥した溜息を吐く。

 レンヤはナイツの叔父だった。謀略に頼って先代の社長である兄とその家族を排除したとき、ナイツも亡き者となるはずだった。


 しかし、ナイツは生き伸びており、ジアの訓練を経てレンヤの前に現れた。容易に手出しできなくなったナイツを、ジアは手先として使うように進言したのだ。

 ナイツは、レンヤが手を回して家族を殺害したことを知っている。そのおかげで、『いい叔父さん』を演じる必要もなくなったが、その冷えた血縁関係がレンヤには煩わしい。


 トウコが言及したように、ジアがナイツの命を見逃したばかりか、手間をかけて殺し屋に仕立て上げた動機は分からない。

 だが、現在までレンヤにとって不利益は生じていない。積極的にナイツを処理する理由がレンヤに見出せないのも事実だった。


「ま、急ぐことはあるまい」


 レンヤ・ヨナイは、そう独語した。

 レンヤにとってナイツなど取るに足らない存在で、彼が頭を悩ませるべき問題は他に幾らでもあるのだった。





 ナイツの雰囲気が変わった。それはナイツに関わる人物が等しく抱いた感想だった。

 元から陰鬱な表情をしている男だったが、さらに拍車がかかって陰惨を極めた面相になっているという。

 ジアなどはナイツの変貌ぶりを楽しんでいて、薄ら笑いを浮かべて次のように評した。


「へえ。それらしくなってきたじゃないの」


 殺し屋としては甘さと繊弱さが目立つ男だったが、殺伐さを増してからは仕事を実行するまでの躊躇が消え、迅速かつ確実な働きを示した。


 ナイツの変化はここ数日間で劇的に進んだもので、その契機を知る者はいない。

 それはナイツ自身にも当てはまり、彼は自分の豹変を自覚していないようだった。周囲から注がれる奇異の目を、不審げに眺め返している風情がある。


 ナイツは、殺し屋という肩書が似合うようになってきていた。

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