第四章 早朝、殺し屋の部屋から

第1話 某夜、闇に飲まれた一室にて

 天井から吊るされた粗末な電球が、その室内の光源だった。

 椅子に座って机上に身を乗り出した三人の人物は、肉体の前面を微かな光に照らされ、背面を濃厚な闇に溶け込ませている。


「たかが小娘一人を殺すのに、イビ達四人を雇うなんて贅沢なものよねえ」


 机上に置かれた酒瓶を呷った女性が言った。二十代前半で、砂漠を埋め尽くす砂色の頭髪と泉水のような水色の瞳を有している。整った眉目をしているが、陰惨な表情が彼女の印象を美女から粗野な女性へと変貌させてしまっていた。


 イビ・ソ・パルルクトス。〈砂礫されき妖豹ようひょう〉という異名を持つ女性の殺し屋である。南部のアークナル十二王国協同体を拠点に活動し、若いながらも確かな実績を上げて名望を高めていた。


「黙りなよ、イビ。てめえのバカ面だけじゃなく、間抜けな声まで我慢しなけりゃあならねえってのか。勘弁だぜ、小生は」

「しょうせい? いい加減その薄気味悪い一人称は止めてくれる? あんたみたいな痩せっぽちがイビに勝てると思ってんの」

「小生の好みは二十歳未満の女の子だ。それ以外の女や男なんざ解体する価値も無いが、死にたいというのなら、あえて止めやしないよ」


 そう言って、細い影がイビに向き直った。


 背の曲がった痩せすぎた長躯の男だった。色の悪い肌から骨が浮き立ち、その輪郭を鋭角的にしている。銀色に染めた長髪と暗い青の瞳を有する三十代中盤らしい男の面貌は、目も鼻も唇も全てが細かった。


 リュウゾウ・オカ。刃物を愛用する猟奇殺人者であり、身体各所には多数の武器を仕込んでいる。十代の女性を殺害し続けて指名手配され、逃亡資金のために殺人を続ける男だ。

〈少女の血を呑む凶刃〉という悪名がつくほど執拗に若い女性を狙い、犠牲者の遺体を損壊させるのが趣味だった。


「変態野郎を一人減らした方が世の中のためになるのかな? イビ、無償労働は嫌いだけど」

「てめえの死体は肉屋の前に捨てればいいのか。肉屋が豚と勘違いするかもしれねえ」

「おい、それまでにしておけ」


 第三者の声を横合いから浴びて、睨み合っていた両者は口を噤んだ。

 イビとリュウゾウを牽制した男は、均整のとれた長身を悠然と椅子に傾けている。三十過ぎの外見からは信じられない風格の持ち主で、その容貌は暗い色調を帯びていた。邪魔にならない程度に伸ばした灰色の頭髪と同色の瞳が映えている。


 カンジ・ムトウ。ハルカゼ皇国でカンジの裏社会での令名は高く、イビとリュウゾウですら彼の意思を無視して口論を続けようとはしなかった。

 もしサンがこの場にいて、カンジの風貌を見たとしたら驚くだろう。メグの依頼のためにナイツが不在の際、サンを尾行していた人物に紛れも無かった。


「俺達は同じ目的のために集められた。その目的を達成するまで内輪揉めは止めてほしい。サンを守るために雇われた敵がいるとの情報もあるからな。協力しなければならない」

「イビ、分かったわ」

「……小生も異論ない」


 カンジが満足したように頷き、机上に置かれた一枚の写真に目を落とす。


「標的、サンの様子は変わりないか。イビ」

「そうねえ。あれからほとんど外出していないし、今まで通っていたあの男の家にも、まだ行っていない」

「リュウゾウ。この前の銃撃のことで進展はあったか」

「いや。分からんね。何せ手がかりが一つもないものだからね」

「そうか」


 数日前、カンジらの監視下にあったサンがある男の部屋を訪れた際、何者かがサンを狙撃したのだった。

 カンジは仲間の暴走を疑ったが、その疑惑はすぐに晴れた。依頼主に確認しても、カンジ以外の三人の他に人物を雇うことなどないという。

 カンジらの他にもサンを狙う存在がいるのか不明で、四人は慎重にならざるをえなかった。サンの監視と、彼女を襲撃した人物の調査を並行させることに時間を費やしている。


「さっさとサンを殺した方が手っ取り早いんじゃないの」

「軽率に行動を起こして事態を公にしたくない。依頼主もそれを望んでいる」

「だから、面倒になる前に殺せばいいんだって」


 イビが血気も盛んに言い募った。リュウゾウはカンジに面と向かって意見するほど豪胆ではないものの、その思惑はイビと一致している。

 所詮、彼らは寄せ集めの仲間で、その結束力など簡単に瓦解する。その危惧を抱くカンジがどうにか二人を納得させようと苦慮していた。


 そのとき、部屋の扉が叩かれる音が響く。

 この三人に来客などいるはずもない。驚いてはいても臆することなく、イビとリュウゾウが扉の両脇に忍び寄る。カンジが無言で合図を送り、イビが扉を開いた。


 呼吸を合わせたイビとリュウゾウが侵入者に武器を突きつけようとしたが、それよりも速く銃口を押しつけられて二人は息を呑んだ。


「あらあら、小娘一人を殺すには御大層な顔触れだわ。有名な〈砂礫の妖豹〉と〈少女の血を呑む凶刃〉、それにそっちは〈悲嘆を従えし者〉、カンジ・ムトウとはね」


 突然の闖入者、ジアは両手に持った拳銃を二人に照準した姿勢で言った。


「ジア……! お前、何のつもりだ?」


 ジアが第三の手を持たなかったため、難を逃れたカンジが拳銃を向けつつ問いかける。


「知り合いに忠告しに来たのが悪いことなの?」

「忠告だと? とにかく銃を下ろせ。二人とも、下がるんだ」


 まずカンジが率先して銃をしまい、ジアもその誠意に免じて武装を解いた。ようやくイビとリュウゾウが表情を弛緩させて息を吐く。


「カンジ。この女が誰か小生に教えてくれないかね」


 ジアは勝手に座って机上の酒瓶に直接口をつけていた。


「あの、それ、イビのなんだけど……」


 イビの控えめな抗議を黙殺してジアは喉を鳴らす。


「とにかく、お前らも座れ。この女は俺と旧知の間柄で、ジアという名前だ」


 その名を聞いて二人が畏敬を帯びた目線をジアに注いだ。裏社会で生きる二人にとって、ジアの名は不吉な響きを携えてその耳朶を震わせる。


「よろしく。あんたらの自己紹介は要らないよ」

「俺もそうする気はない。ジア。忠告というのは、どういう意味だ」

「あんたが久しぶりに皇国から帰ってくると耳にしたものでね。その仕事の内容にも心当たりがあってさ。サンという小娘を殺すつもりなんだろ」

「ふん」

「答えなくてもいいよ。それよりそのサンを始末するときに、邪魔になる男がいるからね」


 カンジは関心を引かれた目をジアに向ける。


「サンが度々訪ねる男がいるのは知っているだろう。あれ、実は私の不肖の弟子でね。ナイツという名前に聞き覚えはあるかい」

「ナイツ……。あの男が〈夜の沈黙ナイツ〉だと?」


 カンジは吟味するようにその人名を口ずさんだが、若いイビはナイツのことを知らないようなので説明してやる。


 かつて〈悪魔の落とし子〉と呼ばれたシンタ・キジマの血によってその手を罪で汚したのを嚆矢として、それ以降多くの人物へと冥府の招待状を届けている男。

 ナイツが殺害した人間の名簿は、多量の鮮血によって彩色されている。

 無頼者から閨秀漫画家、暗殺者までナイツが殺めた存在は多岐に渡り、その罪状の分だけその陰影を濃くしているのだ。


「シンタ・キジマは運で倒せる相手ではない。甘く見ないことだ。……サンを守るために雇われたというのは、ナイツのことかもしれん」

「あの陰気野郎が同業者だとはね。それなりに有名な奴なら、イビが殺してもいいんだよ。わざわざ教えに来てくれたんだから、お姐様に遠慮はいらないんでしょ?」

「そうね。ここで殺されるなら、それまでの教え子ってことさ」


 イビの気炎をジアは冷笑で受け流す。


「男なんて、どうでもいいね。小生は、あのサンで楽しみたい。可愛い子だ」


 リュウゾウの双眸に陰湿な光が宿っている。


「まあ、待て。ジア。なぜ、そのことを伝えに来たんだ」


 酒瓶を空にして机上に打ちつけたジアが席を立った。扉を開けて半面だけ振り向いたジアはカンジの疑問に答える。


「言っただろう? 昔馴染みに忠告するためだよ。あんたらへの餞別もかねてね」

「俺が、ナイツ如きに後れをとるとでも?」


 カンジの殺気の込められた視線を浴びる背中が、しなやかに扉の奥に消えていった。

 イビとリュウゾウの瞳が向けられるのを自覚したカンジが口を開く。


「ナイツはそれなりに実績のある殺し屋だが、シンタ・キジマを相手に大金星を挙げて以降は小物しか殺していない。我らの障害にはならんだろう」


 空になった酒瓶を逆さにして残った水滴を舐めとったイビが口を開く。


「へえ? 彼女に任せているから?」


 その先をリュウゾウが引き取った。


「ヌイなら、ナイツに負けないというのかね」


 その言葉にカンジは迷いなく首肯した。

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