第5話 殺し屋の独白、昏き道への洗礼

 あ、すいません。頂きます。


 酒の量が減っている? 

 よく気がつきましたね。いや、酔いが醒めてきたので、少しだけ口をつけました。見つからないように急いで飲んだおかけで、また酔いが回ってきましたね。

 そんなに怖い顔をしないでください。ほら、日も暮れてきたし、酒を飲んでもおかしくない時間帯になってきましたよ。

 素面で語れる内容でもないですから、どうか寛容に。


 ……それでは話を戻しましょうか。


 自分が訓練を開始して一年ほど経った頃、季節は再び春になっていました。春霞に煙った山林を背にして、先生はいつも通りの佇まいでした。


「あんたの訓練もこれで終わりにしようか。教えたいことはまだ残っているけど、それは実践で学びな」

「どういうことですか、先生」

「あんたは、これから殺し屋として生きるんだ。この私が一年間もあんたにつき合ったのは、そのため」

「いつか、先生は自衛のためだと仰ったはずです」

「あっはっは。あれは嘘。便宜的にそう言っただけ。……だけれど、あんたが生き延びるためには必要だということは本当さ」


 その朗らかな声音が春の生暖かい空気に霧散すると、先生は妙に真面目な顔つきをしました。それで自分の緊張を促そうとしたのです。


「聞かせてあげようか。あの日、あんたの家族が殺された理由を」


 それは自分がこれまで問いかけることのなかった、核心の答えです。


「あんたには、叔父がいるだろう」

「はい。レンヤ叔父さんです」


 レンヤ・ヨナイ。自分の父親には弟がいまして、その名前を自分は口にしました。黒い髪と瞳をしているのが、自分と叔父の血縁を示す証拠のようでもあります。

 穏やかで鷹揚な父と異なり、叔父は緻密で切れる頭脳の持ち主で、冷静沈着な人格であると言われていました。


「あんたの親父さんが死んだ後、〈天道社〉を仕切ったのがその男だよ」


 家族が死んだ衝撃と自分の境遇に思いを馳せるばかりで、会社のことなど忘却していた自分に先生は語りかけます。


「それまで兄の陰に隠れていた男が、晴れて企業の主となったんだ。親父さんがいれば叶わなかったことさ。これが、どういうことだか分かる?」


 先生の論理は簡潔過ぎて、かえって自分を困惑させました。その答えは、自分の想像の射程外に置かれていたのです。

 先生が言っているのは、まるで……。


「叔父さんが家族を殺すように仕向けたというように聞こえます」

「当たり。私は直に頼まれたんだ。こればっかりは嘘じゃないよ」


 自分は押し黙りました。まさか、会社の地位のために叔父が父を殺害しようと目論んだとは考えがたいことです。


 自分が小さい頃、たまに我が家へ遊びに来た叔父は、両親に内緒と言いつつ無表情でお小遣いをくれました。夜遅くなると、父と叔父が差し向って酒を飲み、母が忙しなくその接待をしていたものです。

 叔父は冷酷に見られることがあっても、その実質は異なるのだと、自分は子どもながらに信じていました。


「そんな、叔父さんが……」

「小細工をしたんだが、レンヤはあんたが生きていることに気づいているよ。戸籍上は死んだことになっていても、あんたが邪魔であることに変わりはない」

「自分はどうすれば?」

「私があんたを鍛えたのは、レンヤが簡単に手出しできなくするためさ。今のあんたはただの小僧じゃない。その辺の下っ端では仕留められないから、手駒のなかでも有能な奴を使うことになる。例えば、私とかね」

「はあ」

「ここからが私の考えで、大金を使ってあんたを殺すよりは、味方にした方がいいだろうとレンヤに思わせるのさ。あんたはレンヤの手先に甘んじることになるが、ただ死ぬよりも随分と得だと思わない?」


 先生は、本来は敵である叔父の懐に入って生き延びろと言っているようです。そのための能力を自分に授けてくれたのでした。

 先生に『生きたいか』と問われたとき、家族の死体を背にして自分は普通の生き方を捨てました。もはや、後戻りはできません。


 自分が首肯し、先生は笑いました。


「物分かりがいいね。あんたの殺し屋としての有用性をレンヤが見出せば、使える限りはあんたを使うだろう。どれだけあんたが生きられるか、それはあんた次第だね」

「はい」


 軽く自分は返事をしましたが、今にしてその負債を支払っているようなものです。つまり、安い金銭で酷使され、自分に依頼の是非を選択する権利は与えられないのでした。


 叔父が自分を便利に使っている間、自分は生命の保証をされます。自分は、他者を殺しつつ自身が生き永らえる道を選んだのです。

 自分が負う心理的苦痛は生命の代償です。甘受しなければなりません。


「まずは、あんたの実力を証明するために、ある男を殺してもらおうか」

「……いきなりですか?」

「不満があるの」


 咄嗟に自分は首を横に振りました。


「よし。この写真を見な」


 自分は手渡された写真に目を落としました。


「こいつの名前は、シンタ・キジマ。何回も名前を変えているから本名ではないけどね。レンヤ・ヨナイの命を狙っている人物だよ。売り込みの手土産にはもってこいの首だ」

「強いのですか」

「捨て子だったシンタを拾ったのが殺し屋でね。十二歳からは仕事にしくじって死んだ養父の跡を継いで殺しをしている。この七年間で殺した人数は軽く百人は超えているだろう。ま、生粋の人殺しね」


 自分は声もなく慄然と立ち尽くしました。先生の焦げ茶色の瞳に映る自分の姿は、あまりにも間の抜けたものです。


「シンタは〈聖別せいべつ〉の力も所有している。ま、あんたは〈聖別〉なんて知らないよね」


 先生は自分に向けて語りだしました。


〈聖別〉というのは、〈叡智〉に並ぶ特殊な能力のことである。

 先験的に有する力能である〈叡智〉とは異なる点があり、一つは後天的に得る力であること。もう一点は〈叡智〉が特殊能力を発現する異能であるのに対し、〈聖別〉は肉体が強化された人物であるという報告がされている。


 その理屈はこれも〈知性単一説〉に根差すものであった。

〈聖別〉された人物は、生死の境をさまよった経験があることが確認されている。死にかけたことでたましい・・・・が単一知性に近づき、生還すると同時に能力が分け与えられたと考えられているのだ。


 先生の説明を聞いた自分の声は震えていました。


「そ、そんなのに勝てるわけありませんよ。ただ返り討ちに遭うだけです」

「でも、同い年くらいじゃないの」

「だから何だというんですか。バカな」


 自分が失言を口にしたと気づいた瞬間、先生の身体が疾風となって襲いかかってきました。防御が間に合わず、まっすぐ左頬に放たれた先生の拳を避けるには、身を投げ出して地に伏せるしかありません。


 地面に寝そべった自分は、蹴りに備えて頭を抱えて身を丸めます。ですが、待っていても攻撃はやってきません。

 ゆっくりと自分が半身を起こすと、先生の冷笑が春の陽光に照らされていました。


「躱せたじゃないの。少しは成長したようだね」


 呆然とする自分をその場に残し、先生は踵を返します。


「三日以内に仕留めてきな。私はここで待っているから、首尾よく標的を討ち止められたら、この場所に戻ってくるんだね」


 先生の背中は、それ以上の口答えを拒絶するように素気なく遠ざかっていきました。

 自分には、この標的を殺すしか選択肢がなかったのです。これから先に歩まねばならない殺し屋としての生活の、それは洗礼でした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る