第2話 殺し屋の独白、喪失と出会い

 自分が家族を失ったのは、一八歳になって半年ほどしてからでした。ちょうど、サンと同じ年頃でしたか。


 自分は大学に通っていて一人暮らしにも慣れてきたときです。春の長期休暇の際に実家に戻りました。

 やはり自分のような人間でも郷愁に駆られるものでした。

 春というのに肌寒い一日で、朝早く電車に乗って昼になってから実家に到着した自分は、急いで玄関をくぐりました。


「ただいま」


 声をかけても返事はありませんでした。その日は休日で、母は無論のこと、妹と父も家にいるだろうと思っていたのです。

 三人揃って出かけたのかと、落胆しながら台所の扉を開けました。そこで見出した光景を生涯忘れることはないでしょう。


 昼食の最中だったのだと思います。食卓には食べかけの食事が置かれていました。ですが、席に着いている人影はありませんでした。三人とも床に倒れていたのです。

 母は椅子のすぐ横に倒れていました。恐らくは最初に殺害されたのでしょう。胸から血を流していて、無表情の額に穴が空いていました。一発目でほぼ即死していたのに、念を押して止めを刺されたのです。


 食卓から離れた扉の手前で俯せになっているのが妹でした。半年前と髪型を変えて、後頭部でまとめられた長髪が血に染まっています。逃げ出そうとしたときに背後から撃たれているようでした。顔を覗いてみると、恐怖の色を浮かべていました。


 一六歳の女の子が怖かったろう。友人や、ひょっとしたら恋人とともにしたかったかもしれない昼食を、妹は両親とともに過ごすと選択していたのです。

 優しい女の子だったが、その判断は間違っていた。初々しい彼女の姿態は蕾のまま花開くことなく凶弾が散らしていました。


 襲撃者が狙っていたのは、〈天道社〉の社長でもある父の命だったのでしょう。なぜならば、仰向けに倒れ伏している父には数発の弾丸が撃ち込まれていましたから。

 胸に二発、頭部に三発も銃弾を送りまれた父は、死んでも苦悶の顔をしていました。


 倒れていた位置的には、妹を逃がそうとして立ち塞がったようにも見えるのですが、これは自分の買い被りかもしれません。ただ、そう思いたい。


 三人は自分が帰る数分前に殺されたはずです。その新鮮な血臭と死臭が、自分の鼻を突きました。それでも自分はその不快感を振り払って家族の身体を揺さぶりました。

 自分は父と母、それに妹のことを呼んでいたと思います。もちろん誰も応えることはありませんでした。


 恐慌に陥った自分が家族の死体を乱暴に揺すり、手に付着した鮮血に息を呑んだときです。自分が入ってきた扉に、いつの間にか顔を布で覆った男が立っていました。


「あ、ああ、あの……あ」


 自分は腰を抜かして、言葉ともいえない声を喉から押し出すだけでした。

 その男は右手を自分に向けました。その手に拳銃が握られていて、その男が家族を殺したのだと直感しました。


 何の躊躇もなく、男は発砲します。ポン、という間抜けな音がしたのは、拳銃に消音器が装着されていたからでしょう。

 自分も家族と同様に死ぬはずでした。


 しかし、……この先の話を聞いても笑わないでくださいよ。


 銃から放たれた銃弾は、自分の顔の直前で停止したのです。高速回転している弾丸が目前の空間で静止し、床に落ちました。

 その男は驚いたように銃を連射しましたが、全ての弾丸は地に落ちました。

 サンは知っているでしょう。〈叡智〉のことを。

 自分にもそれが備わっていると知ったのはもっと後のことですが、〈叡智〉を発現できたのはそのときが初めてでした。


「どうしたの?」


 女性の声がして、もう一つの人影が現れました。男の背後から自分を覗きこんでいます。その人物も頭部を隠していましたが、男よりも背が低くて、やはり女性のようでした。


あねさん、あのガキ、銃が効かないんです」

「へえ?」


 姐さん、と呼ばれた女の手が男から拳銃をもぎとり、その銃口を自分に向けて撃ちました。一瞬で慣性を殺された弾丸が床に落ちて高い音を響かせると、女は目を丸くしました。


「本当だ。あんた、〈叡智〉持ちなの」


 それが自分への問いかけであると気づいたのは、女が距離を縮めて自分を見下ろすように立ちはだかったからでした。


「聞いているじゃないの。何とか言いな」


 驚きと恐怖で喉が塞がり、喋ろうとしてもできなかったのですが、女が何のことを訪ねているのか理解できなかったので返答のしようもないのです。

 平凡な大学生だった自分が、〈叡智〉のことを知る由もありませんでした。


「駄目だね、こりゃあ。それにしても変わった〈叡智〉だわ。隠喩いんゆ型発動なんだ。……ここで死なすには、惜しいかもしれないねえ」


 その女は瞳に思惟の働きを宿して数秒を黙り込んでいました。ようやく結論に辿り着いたとき、彼女は悪戯っぽく双眸を細めました。


「あんた、死にたくないよね。生きたいかい?」


 予期しない質問に自分は戸惑いましたが、本能が首を縦に振らせました。


「よし」


 女が頷いて男を振り返ると、二人のやりとりを眺めていた男が硬い声音を押し出します。


「姐さん、どういうつもりだ」

「こいつの〈叡智〉は貴重でさ。使い道がありそうなんだよ。それに先がちょっと楽しみでね」

「だけど、見られちまったぜ。生かしておくわけには……」

「なーに、こいつもこっち側にしちまえばいいのさ」

「冗談じゃねえよ。見逃したら、俺の命がないんだぜ」

「どっちにしろ、死体がもう一つ必要だね」


 女が手にした拳銃を男に突きつけました。


「そんなバカなことあるか!?」


 その男が絶叫してから数分後、女は四人分の死体が残る家に火を点け、近くに駐車していた車に自分を乗せました。


「これで、今までのあんたは死んだことになる。これからは死んだ存在として生きていくんだよ。別人のあんたとしてね」


 それが自分の家族が失われた日です。それと同時に自分が生き延びるために苦痛を選んだ、殺し屋としての生の始まりでした。


 ……はあ。こんなに話をしたのは久しぶりで、喉が渇いた。

 話の続ける前に、お茶のおかわりを容れましょうか。

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