第4話 依頼は憂鬱を伴って

 高層建築物の立ち並ぶこの大通りは、都市で随一の経済中心区だ。


 背広を着た勤め人の流れに逆らってナイツが辿り着いたのは、数多く林立する摩天楼の一つだった。〈天道社てんどうしゃ〉という企業の本社がここである。

 慣れた様子でナイツが〈天道社〉の玄関を潜り、遊歩廊ロビーに待機する受付の女性に話しかけた。それから数分後、ナイツは高い階層に位置する会議室に通されていた。


 そこでナイツを出迎えたのは、三人の先客である。

 二十人は座れる広い会議室の奥に座る壮年の男。その横に慎ましく控える若い女性。それと壁に寄りかかり、窓から注ぐ朱色を帯びた斜陽を受ける女性だった。


「ナイツ、ご足労をかけました」


 ナイツにそう呼びかけたのは男の横に控える女性だった。二十代中頃で、紫紺色の頭髪と碧眼を有する犀利さいりな細面の人物である。

 細めのスーツを着用する彼女の名は、トウコ・カゲヤマ。〈天道社〉社長の首席秘書を務める女性であり、その地位に相応しい事務能力と忠誠心を持ち合わせる稀有な人材だった。


「至急の依頼が入りまして。対応できるのは、あなただけだったのです」


 トウコはそう言ったが、最初から自分に任せるつもりだったのだろうとナイツは分かっている。飛び込みの依頼を割り振られるのは、ほとんどナイツだった。


「ナイツ。頼めるな」


 ことさら威圧するわけではないものの、有無を言わせない口調でナイツに確認するのは壮年の男である。

 レンヤ・ヨナイというのがその名前だ。四十代後半にして黒い頭髪に白いものが目立つが、その黒い瞳には野望に満ちた覇気があった。

 この男こそ〈天道社〉の社長であり、ナイツのような存在を使って非合法の仕事を請け負う裏社会の実力者だった。


 ナイツにとっては血縁上の叔父に当たり、唯一の肉親となる男だ。その叔父が雇い主としてナイツを使役しているのである。

 その血の繋がりは温もりを欠き、ナイツの庇護となる関係ではない。むしろ、双方にとって忌まわしいものでしかなかった。


「はい」


 叔父の問いかけに言葉少なに応じる。ナイツには、最初から拒否という権利は与えられていない。


「ナイツ、緊張することはないよ。今度の標的は虫けらみたいなもんだからさ」


 横合いからそう言い放ったのは、もう一人の女性だった。

 ジア。彼女の名前を知る者は、多分の畏怖と少量の敬意をその声に含ませて呼びかける。

 ジアは、背中まで流れる金色の巻き毛と焦げ茶色の瞳を有する美貌の女性だった。上下を濃い灰色のパンツスーツに身を包み、目元には淫靡なまでの色香を湛えている。

 今、その表情は悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


「なぜ先生までいらっしゃるのです?」

「お顔を見られて嬉しいですくらい言いなよ。可愛げのない。ちょっと用があって本社に来たら、あんたが向かっていると聞いたんでね。久しぶりに会ってやろうかと思ったわけよ」

「久しぶり、ですか。先生とは四日前に会ったばかりですよ」

「そうだったっけ」

「酔い潰れていたから……」


 ジアと会話するナイツの態度は敬意を保っているものの、他の人物に対するときと比べ気安いものとなっている。

 社長のレンヤですらジアの扱いには細心の注意を払うのに、ナイツとジアの両者には気の置けない雰囲気があった。


 それもそのはずで、ナイツに殺し屋としての基礎を教えたのは、このジアだった。失われてしまった家族の次に長い時間を、ナイツと共有したのが彼女である。

 ナイツがジアを先生と呼んだのも、その名残だった。


 トウコ・カゲヤマが咳払いをし、二人の意識を自身に向けさせる。


「ナイツには、早速仕事の詳細を聞かせたいのですが、よろしいですか」

「はいはい」


 ジアが肩を竦ませて口を閉じると、トウコが手元の書類綴じに目線を落とした。


「それでは、今回ナイツに頼みたいのはある男の暗殺です。その男はタヒコ・オオスギ。日雇いの仕事と賭博で生活している、まあ、ありきたりなゴロツキですね」


 ナイツは自分が始末するに相応しい標的だと自嘲する。トウコは静かな口調で説明を続けた。


「複数の香具師やしの賭場に出入りしていて、有名な男らしいです。いい獲物カモとして。その賭博で作った借金が無視できない金額に上っているそうです」

「変な話だね。普通なら借金を取り立てようとするんじゃない」


 ジアが疑問を発すると、トウコが資料からジアへと無機質な瞳の焦点を移す。


「もちろん香具師の親分達は取り立てようとしましたが、タヒコは上手く逃れ続けているようです。それで業を煮やした香具師の一人が、見せしめのために彼を殺してしまおうと思いました。損益の惜しさを苛立ちが超えたというわけでしょうか」

「ふうん。なるほど」

「ただ、タヒコを殺すとしても自身の部下を使っては、他の香具師にも借金があるため余計な諍いを生むかもしれない。そこで依頼人は、第三者である弊社に話を持ち込んだという次第です。そのため、依頼人の名前はナイツには伏せさせてもらいます」


 特にナイツは反応することもない。


「現在、依頼人の手下がタヒコの潜伏先を捜索中です。行方が掴めれば近く連絡があるでしょう。ナイツはヒカリヨに向かって待機していてください。報告があれば私から通達します」

「ヒカリヨ、別都市ですか」

「そうです。そうは言っても隣の都市ですから、鉄道を使えば二時間はかかりません」


 遊興都市として名高いヒカリヨは、夜の無い都市でも知られている。

 同盟を結んでいる都市の間には鉄道や高速道路が整備されていると言っても、この時間から移動するのは億劫ではあった。


 必要なことは言い終えたというふうに、トウコは口を閉じてレンヤを見やった。

 依頼の説明には興味無さそうで、ジアの臀部を視線で撫でていたレンヤはそれと気づいた。その目をナイツへと移動させる。


「そういうわけだ。ナイツ、頼んだぞ」

「遺漏なく済ませます」


 レンヤは頷いて立ち上がると、会議室の出口に向かった。忠犬のような素早さでトウコが先に扉を開けて社長を通す。

 二人が去った室内に残された師弟は顔を見合わせた。


「そうそう。ナイツ、今夜、空いている? 誰も相手してくれないのよ。一人で飲むのは寂しいんだよね、私」

「いや……」


 つい先ほど殺しを命じられた男に向ける言葉とは思えない。普段でさえ陰鬱なナイツの表情をさらに翳らせるものでも、ジアにとっての殺しとは日常の一つに過ぎないのだろうか。

 殺し屋の師であるジアの酷薄さを受け入れがたいナイツは、やや鼻白みながら答える。


「仕事が終わってからは、予定はないですが……」


 そう言いつつ、ナイツは部屋に置いてきたサンのことを思い出した。

 まさか、まだ部屋に残っているとは思えないが、サンの気がかりな言葉のこともあり、とてもジアと酒を飲む気分にはなれなかった。


「それじゃあ、つき合いなよ」

「すいません。今日、自分はちょっと……」

「うん? ははあ、そうだった。あんた、人を撃った夜は一人で酒杯を傾けるのだっけ。気取りやがってさあ」

「別にそういうわけではないですけれど」


 ジアが笑って出口に向かう。扉から出ようとしたところを、思い止まったように半身を振り返らせる。


「変な酒の飲み方をして身体を壊しなさんなよ」


 そう言い残してジアは姿を消した。

 妙な心配のされ方をしているな、そうナイツは思った。

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