僕と人魚姫のインターハイ

八月の初頭、僕らは家族で某県にある競泳用の競技場にやって来ている。

今日はしずくのインターハイだ。


県大会にも僕らは応援に行ったのだが、どうやら僕らの高校は強豪校だったらしく危なげなくメドレーリレーで優勝を果たし、

しずくをはじめ数名の部員が個人種目でもインターハイの切符を手にしていた。

そのときのしずくの泳ぎっぷりはもう凄かった。

全員同じ泳法で泳いでいる筈なのに彼女一人だけが全く次元の異なる軽やかさで泳ぎ、僕の目には人魚姫がダンスしているようにしか見えなかった。

自身の持つ高校女子の記録にせまるタイムを叩き出した彼女はインターハイへの意気込みを地元紙のインタビューでこう答えていた。


「私は楽しく泳いだだけ。タイムも記録も勝手にあとからついてくるもの。

でも……リレーは頑張りたい。みんなと一緒に楽しく泳いで絶対に勝ちたい」


天才肌らしい彼女の回答に、水泳部員たちは揃って苦笑したらしい。


「しずくちゃん頑張ってね」

「しずくさん、ファイトです」

「あーしらがしずしずのこと応援してるからね」

「しずく……ちゃんと見てるからな」


予選を好成績でパスして迎えた決勝の朝、ホテルを出て会場へ向かうしずくに僕らは口々に声援を送った。


「ん……楽しく泳いでくる」


いつもより少し意気込んだ様子で、でも欠片も緊張を見せずに彼女は笑って歩いて行った。


迎えた決勝戦、しずくは個人競技で人魚姫のダンスを披露して当たり前のように優勝してしまう。

そして迎えたメドレーリレー。

最初は背泳ぎ。

緊張故か僅かにスタートで出遅れてしまった我が校の選手はそれでもこれ以上離されないように懸命に泳いだ。

次は平泳ぎ。

伸び伸びとしたその動作に反した気迫で必死に先を行く選手に追いすがる。

そしてバタフライ。

水沢先輩はパワフルに泳ぎ、一人二人と追い抜いて順位をあげた。

しずくの出番がやってくる。

芸術のような美しい飛び込みを披露したしずくはそのまま踊るように、遊ぶように軽やかに水と戯れる。

ぐんぐんと伸びるその泳ぎでどんどん前を行く選手たちを追い抜いて行った。

しずくの前には残り三人。

前を行く三人は横一線で、しずくはじわじわと差を縮めていく。


「しずく、いけっ!!」

「頑張って~!!」

「もう少しです!!」

「そのまま追い抜いちゃえ!!」


彼女には聞こえていないだろうに、僕らは必死で声をあげる。


残り二〇メートル、一〇メートル。

四人がほぼ横一線に並び、そして――――。

タッチの差であった。

ほんの僅か一瞬、しずくは三人の選手に遅れてゴールした。


四位。

全国の強豪校が集まるインターハイでこの成績は間違いなく素晴らしいものだ。

だけど、しずくのこのリレーに対する意気込みを知る僕たちは重い落胆の息を吐き出すばかりだった。


「お兄ちゃん。しずくちゃんのとこ、行こっか」


表彰式を終えて、僕たちはしずくのもとへと急いだ。

褒めてやりたかった。頑張りを称賛したかった。そして何より落ち込んでいるなら慰めたかった。

しずくたち水泳部員は競技場の裏手に集まっていた。


「みんな何で泣いてるの?」


悔し涙を流すリレーメンバーの中にあって、しずくは一人笑って平然とそんな言葉を口にした。

部員たちは唖然とした様子でしずくを凝視している。


「私はみんなと泳げて楽しかった。みんなは楽しくなかった?」


問えば口々に楽しかったと答が返る。


「ん。私もすっごく楽しかった。多分今までで一番楽しく泳げた。みんなと泳げてよかった。ありがとう。

タイムも順位もあとから勝手についてくるもの。ただのオマケ。ただのオマケでこの楽しかった思い出を滲ませたくない。

今日、この会場で、たくさんの選手たちの中で、一番楽しく泳げたのはきっと私たち。

だから、一番楽しく泳いだ私たちこそが、実質優勝」


それはとんでもない暴論であった。

しずくの無茶な理論に部員たちは呆然と顔を見合わせ、それから泣きながら笑った。

泣きながら抱き合い大笑いする少女たちの頭を、しずくは大人っぽい笑みを浮かべて優しく撫で続けていた。


夜、ホテルの僕の部屋にしずくがやってきた。

部活の遠征中に男の部屋に行くなんて問題になると思うのだが、ちゃんと顧問の許可が出ているらしい。

『義妹』だからオッケーなんだとか。

この『義妹』って概念はホント便利だ。


「今日はお疲れさん。個人の優勝おめでとう。あとリレーもよく頑張ったな」


しずくは何も言わずに僕の胸へと縋りついてきた。


「楽しかった……すごく楽しかった……でも、でも……………………優勝じだがっだぁ……」


しずくは泣いていた。

彼女だって悔しかったのだ。

じゃあ夕方のアレは強がっていたのだろうか。

多分、それは違う。

彼女はただ、大好きな仲間たちに笑って欲しかっただけなのだ。

自分と泳いだあの時間を良き思い出だと思って欲しかっただけなのだ。

ああ、不器用なこの少女が愛しくて愛しくて仕方がない。


「みんなと……一番になって……笑い合って…………それで、今まで……いっぱいいっぱいありがとうって……伝えたかったのに……」

「きっとちゃんと伝わってるさ」

「つたわってる?」

「ああ、伝わってるさ。頑張ったな」

「ん。頑張った」

「悔しいな」

「うん…………うん…………悔しいよぉ…………」


僕はこの不器用で仲間思いな『義妹』が泣き止むまで、いつまでも彼女を抱きしめ続けた。

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