僕と人魚姫の憂鬱

中間テストの結果が返却され、学園の生徒たちは悲喜こもごもな様子だ。

もちろん僕も『義妹』たちも何ら問題ない成績を収めている。

剛も中里も無事に赤点を回避したようで、感謝の言葉が送られてきた。

剛には期末もよろしくと言われたが返答の代わりに蹴りを入れておいた。


今日は珍しく一人での帰宅となってしまった。

二人の『義妹』は僕抜きで仲良くデートして帰るらしい。

仕方ないのでゲーセンに寄って帰るかと学園を出ると、ここのところ度々みかけるどんよりオーラの背中を見かけた。


「しずく先輩……もしかしてテストだめでした?」


声を掛けるとふるふると力なく首をふる。


「…………絶望」


そう言って右手を見せてくる。

その手には包帯が巻かれていた。


「え、怪我したんですか……もしかして結構ヒドかったり?」

「……………………一週間」


ふむ、全治一週間ではなく、水泳が一週間できないってことだろう。

となるとそこまでひどい怪我ではないようだ。


「あー、捻挫っスか?」

「うん…………踊り場で……踊って……落ちた」


――――ギャグかな?


「もしかして赤点回避出来てはしゃいで怪我しました?」

「…………うん」


アホだな。

思わず脱力してしまった。

先輩はこの世の終わりのような表情で黄昏ている。

このまま放っておいたら風化してしまいそうな趣だ。


「まあ……元気出してください」

「泳ぎたい……ぐすん」

「気晴らしに家でも来ます……って言いたいところなんですけど、今日ユキナもひまりも居ないんすよね」

「…………ぐすん」


しおしおと、このまま枯れ果ててしまいそうな先輩に苦笑しかでない。


「先輩……よかったら僕と寄り道しませんか?ドーナツとか食べません?」

「…………いいの?」

「いいっすよ」

「……寮帰っても一人…………何もすることない…………行きたい」

「よしじゃあ行きましょう」


先輩を連れて移動する。

向かった先は以前に剛から教えてもらった個人でやってるジャズ喫茶。

BGMを楽しむこの店なら無口な先輩でも気まずい思いをしないだろうという配慮だ。

それになぜかやたらとドーナツが旨いらしい。


店内は他に客はおらずセンスのいい音楽だけが静かに流れていた。

注文を済ませてしずく先輩を観察する。

今にも泣きだしそうな表情でジッと何もない机をみつめている。


「ひまりちゃん…………嫌われちゃう」


ああ、なんだ。

てっきり泳げないことでこんなにへこんでるのかと思ったら。

ひまりに嫌われることを恐れているのだ。ひまりの苦労をムダにしたことを悔いているのだ。


「ひまりは先輩のこと嫌いになったりしないですよ」

「でも……ムダにしちゃった」

「先輩はちゃんと赤点回避したでしょ。ひまりはきっと喜びますよ。んで、怪我したことを心配します」

「でも……」

「僕はひまりの兄ですよ。僕が保証します」

「…………そう?」

「そうっス」

「……そう」


すこしだけ持ち直したようだ。

丁度良く届けられたドーナツを二人でぱくつく。

確かに評判通りにやたらと旨い。

でもなんでジャズ喫茶の推しメニューがドーナツなんだろ。

カフェだからドーナツがあるのは不思議じゃないけど、推しメニューって聞くとなんかモヤる。


「そういや先輩って寮暮らしですけど実家はどのあたりなんスか?」

「実家は……北陸…………遠い」

「へぇ。ご両親とか心配してないんスかね」

「パパとママは小さい頃に死んじゃった……今はおじさんの家」

「あー、すんません」

「いい……おじさんは子供がいる……だから迷惑……」


ああ、彼女がやたらと無口で自己肯定感が低いのはそのあたりが原因か。

そのおじとやらに迷惑かけないよう縮こまって生きてきたのかもしれない。

幼少期の彼女が必死に身を小さくして日々を過ごす姿を思えば涙がこみあげてくる。


「じゃあ僕と一緒ですね」

「……めぐる?」

「うちは先輩のご両親と違ってクズ親でしたけどね。親が死んで伯父から迷惑だから関わらないでくれって言われちゃいましたよ」

「…………」

「僕たち子供は親も親の死ぬ時期も選べないんだから、偉そうな顔して大人やってるなら面倒くらいちゃんと見ろって話っスよ」


ユキナたちのおかげで随分薄まっていた怒りが燻ぶってしまった。

ちょっとばかし気まずくなってしまい困っていると天使からのメッセージが届いた。


『お兄ちゃん、しずく先輩といるの?じゃあ晩御飯は一人分多めに作っておくね。ユキナたちは先に帰って待ってるから』


店に来る途中でユキナに送ったメッセージへの返事だ。


「先輩、ユキナ達が先輩の分も晩御飯作って待ってるらしいです」

「……でも…………また迷惑」

「じゃないですよ。とりあえず家に行きましょ」


会計を済ませて店を出る。

家に向かって歩く道すがら先輩は少し迷うような躊躇するような態度だ。


「私はつまらない……無口無表情……泳ぐ以外何もできない……胸もぺったんこで体までつまらない……」

「先輩はつまらなくないですよ。見てて面白いですし、表情も結構わかりやすいです」

「でも……ぺったんこ……」

「いや、長身スレンダーで顔も美人じゃないっスか。うちのユキナとひまりに負けない美人ですよ」

「つまらない……」

「そんなことないですよ。ユキナもひまりも先輩といると笑ってるでしょ。先輩といると楽しいんですよ」

「…………そう?」


放っておけないこの先輩を精一杯肯定して元気づける。

ユキナが僕にしてくれたようにはうまくできないけど、それでも僕なりに先輩の味方だと伝える。


「僕は先輩のこと好きですよ。ユキナだってひまりだってそう思ってます。僕は先輩が好きで一緒にいたいって、そう思ってます」


――――――――チリイィィィィィィン。


その瞬間、どこからともなく鈴の音が、聞こえた。


油断していた。先輩は年上だから無意識に『義妹』にならないと考えていた。

そうだよ。『義妹』があるんだから『義姉』や『義母』だってあるだろうよ。

そっと先輩をみればこちらをじっと見つめている。


「…………手続き……してくる」


それだけ言って歩いて行く先輩の耳は真っ赤になっていた。

先輩はおそらく僕の『義姉』になってしまうのだろう。

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