僕と『義妹』の家族の食卓
「いけない、お兄ちゃん!晩御飯の準備しなきゃっ!」
気付けばすっかり日も暮れていて、時刻を確認すれば夜七時。完全に夕飯時だ。
色々ありすぎて飯のことなど頭から抜け落ちていた。
「お兄ちゃん、今から買い出し行くからちょっと遅くなるけど、待てる?」
「えっ、作ってくれるの?待つ待つ。待ちます」
「うむ、じゃあ美味しいごはん作るからちょっと待っててね。まずは買い物に行ってくるのだー」
この辺りの地理に疎いユキナを日が暮れてから一人で出歩かせるわけにも行かない。
僕も付いて行くと言えばユキナは嬉しそうに僕の腕にくっ付いてきた。
少々、いやかなり気恥ずかしいが、ご機嫌なユキナを見ていると引きはがす訳にもいかずそのまま近所のスーパーへと入店する。
道中買い物客や従業員のおばちゃんたちの生暖かい視線に晒されながら手早く買い物を済ませる。
「じゃあ急いで作っちゃうから、お兄ちゃんはゆっくりしてて。あ、お皿とか出しといてくれると嬉しいな」
言われた通りに必要そうな食器を用意してから、邪魔になりそうなのでさっさとリビングに引っ込んでソファでぼんやり待つことにした。
トントン、ジュージューと台所から聞こえる生活音に不思議な感傷を覚えそわそわと落ち着きを失くしてしまう。
しばらくすると美味しそうな匂いが充満してきた。
これは期待できそうだ。
「お兄ちゃーんっ!出来たよーっ!」
満面の笑みで僕を呼びに来たユキナと一緒にダイニングに向かう。
テーブルの上には二人分の料理。ご飯とメインのハンバーグと付け合わせ、サラダにスープとカットしたリンゴ。
よくぞあの短時間でこれだけのものを作ったもんだ。ユキナの手際の良さに正直驚きを隠せない。
二人向き合って席に着く。
――――そこにはごくありふれた家庭の食卓があった。
「…………あ」
僕が幼少期に欲しくて欲しくてしょうがなくて、でも手に入れることなく諦めてしまったもの。
気付かぬうちに涙が零れていた。
「お、お、お、お兄ちゃんっ!何?どうしたの?なんか嫌いなものあった?ピーマンは使ってないよ?」
「ふ、ふふふ。いや、違う。ただちょっとユキナの料理スキルに感動しちゃっただけなんだ。そもそも僕は嫌いなものが出てきたくらいでは泣かないし、ピーマンはむしろ好きな方だよ」
あたふたと、あまりに頓珍漢なことを言うユキナに笑みが零れる。
不安と心配でくもってしまったユキナも元通りの笑顔だ。
――――――――ありがとう。
言葉にはせず胸の内だけでこっそりと呟く。
「それじゃあ冷める前に食べよっか。せーの」
「「いただきますっ!」」
二人仲良く笑顔を浮かべる食事風景は、一枚の名画のごとく幸福な色に満ちていた。
***
僕の両親は控えめに言ってクズだった。
僕をこの世に生み出した感謝を示し、方々への配慮を行い、社会的に穏当ではない表現を排除して言葉を選んだ結果が『クズ』なのだ。
もし言葉を選ばなければ『犬畜生』か『腐れ外道』、あるいはもっと侮辱的な罵詈雑言を並べ立てて評していただろう。
父は自分の会社を大きくすることにしか興味の無い、人の心を解さぬ男だった。
母は色情狂だ。方々に男を作り、とっかえひっかえ、たまに家に連れ込んで乱痴気騒ぎに精を出す女だった。
もちろん僕のことなど二人仲良くネグレクトだ。
『かわいそうに…………』
当時来ていた家政婦さんは僕の面倒を見るたびそう呟いていた。
かわいそうに思うなら警察なり児童相談所なりに通報してくれればよかったのだが、自分が失職してまで助けたいとは思わなかったらしい。薄情なものだ。
今でも彼女の憐みのなかに僅かに混じった蔑みの視線が忘れられない。
物心がついてからは両親の様々な悪評を耳にした。
母に関してはおおむね事実であった――なにせ父との婚姻を続けていたのはなんと潤沢な財産のおかげで中絶費用を心配しなくて済むからだ――し、父に関しても悪評に恥じぬ悪辣で冷酷で強引な手法を好む人間だということがすぐにわかった。
僕は親に期待することを早々に止めてしまった。
だが、どうしても一つだけ。
物語に描かれる幸せな家族の食卓というものだけには、どうしても憧れを抱かずにはいられなかった。
幼いころに読んだ絵本の挿絵。
柔らかなタッチで描かれたありふれた家庭の食事風景。
母が作った料理を、父と三人で。みんな笑顔で食事をする、ただそれだけのことに酷く憧れてしまった。
『そんな無駄な時間を俺に過ごせと言うのか?随分な身分だな』
『ふうん、それはよかったわね』
一度だけ。一度だけお願いしてみた。
自分の誕生日に一度だけでいいから家族で食事がしたい。
そう伝えたとき、父は心底から呆れたように、母は毛ほども興味なさそうにそう答えた。
それ以来封印し、すっかり忘れ去っていた願望が今日、突然掘り起こされてしまった。
ユキナの手作りの美味しい食事を堪能し、一息ついたあとは一緒に洗い物。
『なんか新婚夫婦みたいだな』なんて言葉を四回ほど飲み込みながら泡まみれのスポンジで皿を洗う。
(恥ずかしい所を見せちまったな……)
ちらりと目をやればかち合うアイスブルーの瞳。
こちらをニコニコ見つめる天使の姿に思わず頬が緩み、僕はスポンジの泡がついたままの手でそっと彼女を抱きしめてしまった。
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