ヤクソク/エピローグ


 呼吸を整え、ミユリは感覚を研ぎ澄ます。

 相手は自らと同じ、貞操管理者。

 少しでも触れられてしまえば、あっという間に絶頂させられてしまう可能性がある。

 まずは、自分の身体に触らせない。

 それが貞操管理者と交戦する場合の大前提だった。


「……そっちから来ないなら、うちからイッちゃうよ?」


「我慢のできない女は嫌われますよ?」


 先に動いたのはセナの方。

 小柄な身体を前傾させ、真っ直ぐに飛び込んでくる。

 それをバク宙でかわすミユリを見て、セナは歓喜に頬を緩めた。


「いいねぇ! 身軽じゃん! いろんな体位もできそうで妄想膨らんじゃう!」


「膨らむのは童貞の股間だけで十分です」


「にゃはっ! それ同感!」


 ミユリの着地と同時に、セナが再び襲いかかってくる。

 猫のようにしなやかな動きで、何度も執拗に手を伸ばしてくる。


(ちっ! 速い! このままじゃジリ貧。このロリ痴女。口だけじゃない)


 ミユリの見立てでは単純な身体能力なら彼女の方が上だ。

 しかし、セナの驚異的な反応速度と集中力によって、段々と彼女の身に迫りつつあった。


「……まずは、味見」


「……んっ!」


 思考による、一瞬の遅れ。

 そこに迷わず飛びつくセナ。

 距離を詰められ、耳をペロリと舐められる。


 刹那全身を駆け巡る電撃的な快感。


 たったひと舐めされただけで、心地よさに脳が痺れた。

 慌てて大きく飛び退き、距離を取るが、快感は抜けない。

 ミユリは大きく舌打ちをする。

 R.M.1のような理詰めで技術テクニックに優れたタイプではない。

 本能で相手をイカせる感覚派パワータイプ

 獣のように洗練された感度感覚で、どう相手を触れば快感を与えられるか身体で理解しているらしい。


「女が受け身でいい時代はもう終わったよ? いつまでも前戯じゃうち、渇いちゃうよ?」


「ご心配なく。立っていられなくなるくらい足元をヌルヌルのビショビショにさせてあげます」


「あはっ! なにそれ最高っ! はやくうちのことも愉しませてよっ!」


 思考を、切り替える。

 相手は、強い。

 多少の犠牲は、覚悟する。

 ある程度の快感は受け止めることにして、それ以上の快感を相手に与える。

 現時点で負けているのは、速度だけ。

 他の点では、決して劣っていない。

 嵐の中で、濡れずに前には進めない。


「心以外は、要らない……《俯瞰症化トランストリップ》」


 血流が加速するが、体温が下がる。

 上から自らを見下ろす感覚の中、ミユリは冷たい意識の中でセナを捉える。

 それはあたかも、全身がコンクリートより分厚い避妊具に包み込まれたかのよう。

 超常的とまでもいえる過集中によって、余計な感覚を全て削ぎ落とし、精神的に不感状態となったミユリは、前に踏み込む。


「へぇ? 器用なこと、できるんだねぇ?」


「愛し合ってる時に喋りすぎると、冷めるんですよ」


 一度、二度、三度のフェイントを入れてから、ミユリはセナの懐に潜り込む。

 だがその全てに反応しきったセナは、隙だらけとなったミユリのCカップの乳房を、服の上からそのまま乱暴に揉みしだく。

 衣類越しだというのに、その揉み方はピンポイントで感じる部分を刺激していて、ミユリの乳首がパキンッと聳り立つ。


「まるで、感じませんね」


「なっ!?」


 しかし、身体はビンビンに感じているが、それを全く意に介さず、そのままミユリは無防備なセナの臍の下に掌底を叩き込んだ。

 


「あはっ……」



 ミユリの放った一撃は、身体の内側からセナの全身に快感の爆発を引き起こし、一瞬意識が飛びそうになる。


 ——ドロォ。


 得体の知れない興奮の粘液が身体の芯から滲み出るのがわかる。

 脳がふわりと浮き、口からは艶っぽい吐息が強制的に吐き出される。

 それは、久しく感じていなかった、セナにとって唯一欲していた感覚。


「きっもちイィ! いいよいいよいいよぉ! 最高っじゃん! あははははははっ!」


 それはまるで夢見心地だった。

 足りない。

 足りない。

 足りない。

 刺激が、足りない。

 セナの瞳孔が縦長に細くなり、鋭い八重歯が覗き、身体中から性のオーラが迸る。


(……こいつ。快感で動きが鈍るどころか、鋭さが増してる?)


 ここぞとばかりに、続けざまに超快感を与える掌底を打ち込むが、セナは恍惚とした表情のまま、目にも留まらぬ速さでカウンターを仕掛けてくる。

 全ては避けきれず、尻と脇を揉みくだされる。

 俯瞰症化トランストリップのおかげで、意識がそれに乱されることはないが、確実に身体に快感が蓄積している。

 おそらく、もう尻と脇と胸は使い物にならない。

 俯瞰症化トランストリップが切れたら、布の擦れで絶頂を呼び起こしてしまうほど敏感になってしまっている。


(まずい。俯瞰症化トランストリップは長くは続かない。このまま殴り合いを続けても、勝ち切れない……っ!)


 互いに快感を与え合い、どちらかといえばミユリの方が有効打を与えている。

 それでも、ビシャビシャとセナの愛蜜は滝のように溢れ出てくるのに、一向にイク気配がない。

 むしろ発情と共に性的刺激の技巧が増していった。

 まさに性の狂戦士バーサーカー

 両想いの男女を、二人とも触れ合わせることなくイかせるというシチュエーションがセナの燃料となり、力を加速させていたのだ。


「はぁ……はぁ……私は、約束したんですンッ……叶うとは思わなかった……夢物語だとずっと思っていた……その約束が、やっと今、叶う寸前まで来てるんです……邪魔しないでください……っ!」


「いいねぇ、いいねぇ、その必死な表情ぉ……たまんないなぁ……濡れちゃう濡れちゃう……うちをそれ以上興奮させないでよッ!」


「ぐぅ……っ!? んん……あんっ……はぁ、はぁ……っ!」


「ほらほらァ! どうしたのぉ!? ミユリちゃん! 最初の勢いがなくなってるよォ!? もしかしてイッちゃいそうなの!? もうイッちゃうのォ!? 大好きな大好きなセイジの前でイッちゃうんですかァッ!?」


 俯瞰症化トランストリップの効果が薄まってきたのか、段々と身体の感覚が戻ってくる。


 じわじわと迫り来る快感。


 集中力が切れ、俯瞰症化トランストリップが解除された瞬間、確実に絶頂してしまう。


 せっかく再会したセイジの前で、アヘ顔マン繰り返しからの潮吹きを晒してしまうのは確定的。


 それだけは避けたかった。


 しかしセナの傑出した才能と性への狂気的な執着に飲み込まれつつある。

 人格にこそ問題はあるが、十代前半で貞操管理者試験を突破した規格外の怪物にミユリは屈しそうになる——、



「ミユリちゃああああん! 負けるなァああああ! ミユリちゃんをイかせるのは僕だけでありたい! 君は、君だけは僕以外の人でイかないでくれぇぇぇっっっっ!!!! 僕は君が、ミユリちゃんが大好きだああああああああ!」



 ——桜の花弁が、その時顔の前を舞った気がした。


(ああ、そうか。意識をんじゃなくて、ればいいんだ。私にとって、唯一切っても切り離せなかった場所に、人に、私の全てを落とし込む)


 最初は、自らの隣にいる誰かを、笑わせたいだけだった。

 今からもう十年以上も前のこと、昔から口が達者で、他人に合わせることが得意だったミユリは時々全てに疲れてしまい、本当の自分というものが分からなくなる時があった。

 そんな時はいつも、ミユリは公園の隅に一人で座り、桜の木を眺めることにしていた。

 望んで一人ぼっちの時間を過ごしていたミユリに、ある日声をかけてくる少年がいた。

 どうせ自分の整った見た目に惹かれて寄ってきた、頭のどこにでもいるような男の子にしか過ぎないと最初は思った。

 だがそのお節介な少年は何も言わずに、ただひたすらにミユリの隣りに座るだけだった。

 ちょっとは私のご機嫌とりでもしないのかと、不思議に思った彼女は尋ねることにした。


『どうして、わたしのとなりにずっと座ってるの?』


 少年は答えた。


『だってきみが寂しそうにしてたから』


 だからミユリさらに尋ねた。

 もし自分を慰めたいなら、そうする方法が別にあるはずだと思ったのだ。


『ならどうしてずっと黙っているの?』


 すると少年はそう質問の意味が分からなかったようで、不思議そうな顔をしてこう答えた。


『だってきみはもう寂しくなさそうだったから』


 その瞬間、ミユリは気づいたのだ。

 この世界には言葉を尽くさなくても伝わるものがあり、見えなくても感じられるものがあると。

 その不透明でいてどこまでも透明な感覚を共有できる相手を人は、運命の人と呼ぶのだと彼女は気づいたのだ。

 ミユリの運命の相手の名前は、大塚セイジといった。



「私の快感は、全てセイジくんのもの」


「……なハンッ!? な、なに? いきなり雰囲気が変わった……?」



 最も快感を与えられる下腹部への掌底をぴたりと止め、ミユリは中指と薬指と人差し指を一つに束ねて、一振りの槍のようにした。

 やみくもに荒々しい刺激を与えても勝ち目はない。

 一点集中。

 渾身の一撃に全てをかける。


「……貴女は可哀想な人です。いえ、むしろきっと私が恵まれ過ぎているのですね。だから祈りましょう。貴女にもいつか、全てを捧げてもいい相手が見つかることを」


「な、なにをわけのわからないことを……っ!?」


 満開の桜の花が見えた。

 ひらひらと風雅に舞い踊る、色鮮やかな春の花。

 高揚する気持ちにはどんな刺激も存在しない。それなのにそれ以上の快楽はないように思えた。


 ただ、心地良いだけ。


 そこにいるだけで、その人の隣りにいるだけでキモチいい。

 それに勝る快感が、幸福がこの世界に存在しないと確信できたのだ。



「運命にきなさい……《逝桜セイオウ》」



 感度を置き去りにして、ミユリは槍を突き刺す。

 可視化された性の脈絡が、今の彼女にはありありとみえている。


 それはまるで、王の一振り。


 傲慢で、緩慢で、それでいて決定的な宣告。

 最大出力最精密の一突きが、セナのグレイテストスポットを的確に貫く。


「え?」


 思わず漏れた声は、歳相応の震えを含んでいる。


 ——ビクン。


 得体の知れない何かが、セナの奥底で蠢いている。


 ——ビクンッ。


 鳴動は増していき、心臓を突き刺するようにして唸り声をあげる。


 ——ビクンッ!


 そしてセナは知る。

 真の絶頂というものを。



「……あああああああアアアアアアンンンンハハハハァァァァンンンンッッッッッッッッ!!!!!!!!」



 セナは盛大にイッた。

 信じられないほど、イッた。

 パァン、と頭の中で何かが大事なものが弾け飛んだ。

 間欠泉のようにありとあらゆる穴から美しい飛沫が上がる。


「あ」


 脳が処理しきれないほどの快感に襲われ、強制的にそこで意識が途切れる。

 完膚無きまでに、これ以上ないほどに至ってしまい、口から泡をブクブクと吹き白目を剥いてその場に崩れ落ちる。

 仰向けに倒れ込んだ彼女はしばらくの間、臍を中心にピクピクと全身を痙攣させていたが、それもやがて止まり、死んだように微動だにしなくなった。

 生の最果ては、もっとも死に近い場所にあるのであろう。



「これで、やっと、私は……」



 壮絶な戦いを終えたミユリは床に脱ぎ捨てられた白衣を、物言わぬ美少女となったセナの上に被せると、ゆっくりと椅子に座るセイジの下へ近づいていく。


 その足取りはまるで運命に導かれる聖女のような、たどたどしくも躊躇いのないもの。


 手足の拘束を解くと、下半身丸出しの勇者は穏やかな笑みを浮かべて、彼女の頬に手を伸ばす。



「僕、君に会いに来たんだ、ミユリちゃん」


「うん、私も貴方に会いに来たの、セイジくん」



 頬を優しく撫でるセイジの手に、自らの手を重ねてミユリはその温もりが夢ではなく本物であることを確かめる。


「だけどほんとに馬鹿な人ですね。なんでまだ童貞なんですか。馬鹿なんですか。変態ですか。捕まりますよ」


「だって僕、恋人がいるから。その人以外には童貞を捧げないって決めてたんだ。それに君になら一生だって捕まっていい」


 ずっとずっと、苦しめてしまった。

 本当は謝りたいのに、ミユリはつい毒づいてしまう。

 完全に処女を拗らせていた。


「もう十年以上も会ってないのに恋人だなんて、頭テクノブレイクしてるんですか。重すぎですよ。この変態」


「でも僕、君以外、好きになれないんだ。どうしても、もう一度だけでいいから、会いたかった。もう恋人じゃないなら、そう言われるまで、諦め切れなかった」


 だがその童貞は、すべてを許していた。

 恨み、傷み、嫉み、何も見せずに、真っ直ぐとその童貞は喜びだけを示していた。

 それもそれで、ある意味童貞を拗らせていたのだ。



「だから改めて、告白するよ。僕、君が好きだ。ミユリちゃん、僕のコイビトになってくれないかな?」


「……うん、私も貴方が好き。ずっと好きだった。セイジくんのコイビトになりたい」



 ゆっくりと瞳を閉じれば、唇の震えがほのかな温もりによって抑えられる。


 それは甘美で、静謐な、奇跡の時間。


 ついに約束は果たされ、誓いは守られた。


 これ以上言葉を尽くさずとも、瞳を開けなくとも、彼らには互いの想いが手に取るように分かっていた。



 童貞と処女は、甘い愛に、溶け消えていく。











エピローグ


 指名手配童貞となり、トウキョウシティからホッカイドウへの大逃走劇を繰り広げてからもう一年が経ち、大塚セイジは十九歳となっていた。

 最終的にホッカイドウでSeIReの人間に捕まったセイジだったが、その時点で貞操を失っていたことや、“イシザワ”という名前の繁殖省大臣の鶴の一声によって、重い罪に問われることはなく、厳重注意と半年間の特別講座受講という、男性貞操維持禁止法を破ったにしては信じられないほど軽い処分で終わっていた。


 あれから一年が経った今では、もうセイジも大学生だ。


 地元トウキョウシティの私立大学に通っていて、落単ぎりぎりの生活を送っている。

 高校の友人、三田ナオトはセイジとは違い普通にSeIReで童貞を捨てた。

 童貞を捨ててしばらくの間は口癖のように、あー俺一生赤縁眼鏡美人でしかイケないかも、と言うようになったが、それは今でも治っていない。

 一ヵ月に一回ほど会って遊ぶが、その時もずっとアカブチメガネエロイアカブチメガネエロイと呪文のように言っている。


 バイトの先輩である滝マモルはもうバイトをやめてしまった。


 大学四回生になった彼は就活を始めるかと思いきや、休学してニッポンを飛びだし世界一周の旅に出てしまったのだ。

 彼がセイジへ最後に残した言葉は、“インポが治ったので俺も運命の相手探してきます”、で、今頃どこにいるのかはわからない。

 それでも近いうちに手紙の一つくらいは送られてくる気がしている。


 マモルの姉である滝カオルは、今は新しい扉を開いたとかなんとか言って大学院で研究に勤しみ、学会発表に追われる忙しい日々を過ごしているという。


 彼女は就職せず、大学院の博士後期課程、俗にいうドクターコースに進むことにしたらしい。

 それは彼女の担当教授に修士論文が高く評価され、博士号をとることを勧められたからだと聞いた。

 来年からの博士後期課程からは大学を変え、トウキョウシティの国立大学に通うという話だ。一年後にはカオルもトウキョウシティに住んでいるということで楽しみだった。


「セイジさん、そろそろ飛行機、着陸する時間じゃない?」


「あ、うん。そうだね」


 横で夏の日差しを手で隠すようにする少女がセイジに声をかける。

 彼女の名前は富岡ミズキ。

 一年前まではホッカイドウで入院生活をしていたが、今ではこうやってハネダ空港まで出てこれるくらいには元気になった。


「お姉ちゃんに会うのちょうど一年振り? 緊張してる?」


「まあ、若干」


 富岡ミズキの姉である谷治ミユリは、今はもう貞操管理者を止めてしまっている。

 度重なる独断行動と、SeIReの方針に反する思想の持ち主と判断され、事実上の追放処分を受けてしまったのだ。

 ミユリは多額の借金を抱えていたが、それはなぜか“S.I.2”という名義から大量のお金が彼女の口座に毎月振り込まれるので、そのお金で順調に返済しているという。

 お金が振り込まれるたびに知らないメールアドレスから、『お願いします。ミユリ様。うちをあなた様の性奴隷にしてください』、というメッセージも届くというが、そちらは完全に無視しているという。

 そんなミユリは今は海外の大学に通っていて、この日が一年振りにニッポンに帰って来る日だった。


「あ、お姉ちゃん来たみたい」


 ミズキが大きく手を振る方に顔を向ければ、桃色のキャリーケースを引いて、こちらへ控えめに手を振り返す一人の少女が見える。

 前に会った時より幾分か大人びて見えるが、前に再会した時ほど変わってはいない。

 また少し伸びた黒髪には桜を模した髪飾りがつけられていて、透き通ったライトブラウンの瞳は真っ直ぐと前を見つめている。


「おかえり、ミユリ」


「ただいま、セイジ」


 合致する視線と視線。


 もう二人が隣り合う事に、特別な理由は必要なかった。


 コイビト同士なら、一緒にいることの方が当たり前。


 もうセイジとミユリに約束はいらない。



 そんなものはなくとも、二人は互いの想いを信じ合うことができるのだから。








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童貞絶滅 谷川人鳥 @penguindaisuki

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