第42話 道

 総理府情報局の山伏はデイル・ハドソン中将と会うために米軍横田基地内の司令部を訪ねた。会うのは7度目になる。


「今回は貴国にすっかりやられてしまいました」


 挨拶もほどほどに、山伏は要件に入った。


「どういうことだね? 私には君の言うことがわからない」


「東亜連邦に広がったウイルスですよ。あまりに都合よく広がり過ぎています。しかも、ウイルスは聞いていたよりも強力です。あなたが提案した内容とはずいぶんと様相が違っている」


 山伏が暗に抗議すると、彼は意味がわからないといった仕草をした。


「ウイルスのことなら情報部の管轄だ。私にも正確なことは分からない。萩本総理の件は残念だった。君の悔しい気持ちもわかるが、早く忘れた方がいい」


 彼の返答は、山伏には虚ろなものに聞こえた。


「そうはいきません。日本の代表である総理が暗殺されたのです」


「そう。彼は国の代表であり、国民の代表ではなかった。国民の代表ならば、もう少し違った選択をしたのかもしれない」


「日本のトップを馬鹿にするのですか?」


 思わず、きつい口調になった。萩本の判断は山伏の判断でもあったからだ。第一、ウイルスの話を持ち掛けたのはハドソン中将なのだ。それを今更、手のひら返し……。梯子はしごをはずされたような苛立たしさがある。


「おや。日本のトップは天皇陛下ではなかったのかね?」


 ハドソン中将の嫌味に、山伏は応える用意がなかった。


「短期間で代わる総理だ。スペアも沢山いるでしょう? それに比べれば天皇陛下に代わる存在はいない。私は間違っていますかな?」


 ハドソン中将は日本の権力の二重構造を指摘、山伏を困惑させた。


「日本が専制君主制に戻るべきだと?」


 問い返すと、彼は両手を広げて驚きを表し、そして否定する。


「私には他国の政治に口をはさむ権限などない。……ただし、我が国の理念は自由主義と民主主義だ。日本が専制君主制に向かうならば、アメリカ政府は日本国民の自由と民主主義政治の維持のために圧力をかけるだろう。……私が言いたいのは、貴国はわかりにくい国だということだ。自由と統制、理屈と情緒、本音と建前。……表と裏の使い分けが極端過ぎる。……時代が変わり日本国憲法の治世下になっても、日本人の心には大日本帝国憲法のごとき行動をとる。それが論理的合理主義を尊重する文明国に育った私には、ご都合主義にしか見えない……」


 彼は、残念だ、とでもいうように首を振り、言葉を続けた。


「……国民が政治のことを考えるのは選挙の時だ。あとは経済と自分の楽しみのことしか考えない。政府もそれを良しとし、民主主義の何たるかを教育しない。……選挙が白紙委任状になっている状況は、私の理解する民主主義とはずいぶんと違ったものだ」


「西洋文明と東洋文明の違いでしょう」


 山伏は苦し紛れに、日米の民主主義の違いの理由を文明に求めた。


「ならば、東亜連邦、中国、韓国などと貴国の理解は深まるのかね?」


 彼が痛いところを突いてくる。


「残念ながら同族嫌悪的感情が働いているようです」


「その情緒的発想が外交には邪魔なのではないか? 感情を乗り越えないと、両者ともに墓穴に落ちる、いや、墓穴を掘ることになる。我が国がその墓穴掘りを手伝うことはできないのですよ」


「感情云々うんぬんと言われるが、アメリカにおいても国内の人種差別を乗り越えられてはいないでしょう。日本が近隣諸国との民族問題に揺れるのと同じだと思うが、私の誤りでしょうか?」


「その答えは、貴国が移民を受け入れるようになればわかる。それに向き合う覚悟なく、多民族の共存と平和を論じたところで机上の空論だよ」


 彼の青い瞳が輝いている。


 山伏は反論を飲みこんだ。秩序と公平性において日本が勝っているという思いはあるものの、それが小さなコップの中でのそれにすぎないと指摘されれば、確かにそうだとうなずかざるを得ない。


 山伏は話を変えた。


「貴国の情報部門は優秀でした。確か、ジェームズ・坂東といいましたかな? 本名はマイケル・高木。日系三世アメリカ人……」


 ジェームズの名が出たところでハドソン中将のこめかみに血管が浮いた。それを山伏は見逃さなかった。


「……すでに帰国したようですが、今度、日本に来ることがあるようなら、拘束せざるを得ない。そのことは承知おき願いたい」


「その男がどうかしましたか?」


 ハドソン中将がとぼけた。


「優秀なスナイパーとしてマークしています。テキサスに射撃場まで所有した根っからのガンマンなのでしょう。警視庁内にもそのことに気づいている九段という刑事がいます。彼はジェーン・クワハラという女性にも興味を持っていましたよ。この情報は私からのサービスです。これ以上、日本国内で好き勝手をすることのないよう、ガンマンに伝えてください」


「なるほど。胸に留めておきましょう」


「今回は、貴国が東亜連邦と向き合うつもりがないということがわかっただけでも収穫でした。中国を裂いた時のような協力関係が維持できなかったことが、残念でならない」


 山伏は負け惜しみを言った。


「中国は自滅したに過ぎない。我々は、それにほんの少しだけ手を貸したが、それは軍事ではなく政治ですよ。東亜に対して萩本総理がしようとしたこととは全く異なる、というのが我が国の見解です。我が国が望むのは、世界秩序の安定と平和……。昔のように我が国一国で世界をコントロールしようなどと、傲慢な考えは持っていない。どこかの国と心中する気持ちもない。我々が責任を取る相手は、世界ではなく3億人のアメリカ国民なのです。そのためには、力も使うが謙虚でもある。相手がだれであろうと、有益な提案には耳を傾ける理性を失ってはいませんよ」


「謙虚な国が、他国へウイルスを持ち込むのですか?」


「それは貴国の決断だ。そうして動くからには自ら招いた結果の責任を取る。それが世界の常識……。叩かれるのが嫌なら、我々のアドバイスに従うか、あるいは、じっと殻の中に閉じこもっているべきなのですよ」


 山伏は、辛抱強く彼の話を聞いていたが、はらわたが煮えくり返っていた。それを察したのか、ハドソン中将の瞳に怯えが見えた。


 山伏は怒りを直接的な暴力に訴えるほど愚かではなかった。


「我が国は、長年貴国を信頼して軍事力の強化に努めてきた。そうして萩原総理は、自分の足で立とうとした。途端、貴国は梯子を外した。そもそも、それが当初からのアメリカ情報部の思惑ではなかったのか?……実行した責任は我が国にあるとしても、二カ国間の信頼関係が損なわれたとは思わないか?」


 それはもはや恨み言だった。


「何度でも言おう。我が国は、求めに応じて実験用のウイルス・サンプルを提供したに過ぎない。情報部からの報告によれば、自衛隊が意図的に、我が軍を戦闘に巻き込む行動に出る計画があるということだった。まさかそれは、ミスター山伏。……あなたの計画ではないと思うが、全く遺憾いかんなことだ。日米間の信頼関係に傷をつけたのは我が国ではないと断言しよう」


 山伏には返す言葉がなかった。


「これは個人的な見解だが……」ハドソン中将の態度に余裕が生まれていた。「……日本の平和主義は世界から理解されていない。軍事力を持って世界の平和と安定に貢献するのか、あるいは、軍事力を捨てて武力の無い世界のはんをつくってみせるのか。……どちらにしても覚悟が問われているのだ。……街中に無防備な自動販売機を置く日本社会が、血で血を洗う国際社会に生半可な意思と武力で臨もうなど、甘えとしか言いようがない……」


 青い瞳が山伏を射た。


「……真っ赤な世界の色に染まるのか、真っ白な日本の色に世界を染めるのか……。〝わびさび〟それは日本人の中にしかない心だろう。日本人が日本人であることをやめることはないと思うが、何れにしても、それを決めるのは日本国民自身だ。私は日本国民が日本人らしい決断する姿を見てみたいですよ」


 ハドソン中将が席を立った。


 山伏には語るべきものが残っていない。苦い会談だった。


 米軍基地を後にした山伏は、靖国神社に立ち寄ると決めて公用車を先に返した。


 靖国神社には、テロの凶弾で倒れた萩本総理の霊が英霊としてまつられる予定だった。一方、によって命を落とした水島三吾元自衛隊員の霊が祀られることはない。


 境内の葉桜はこれから迎える真夏の暑さに備えて輝いていた。


「俺は何をしてきたのだ」


 山伏は自分の思い上がりを怒った。傲慢さを、無力を呪った。英霊の前ではあったが、気持ちが穏やかになることはなかった。


 ジェームズに操られて命を落とした日明研の4人の男たちにもすまないと思う。彼らは自分の立てた作戦を止めるために利用されたのだ。


 山伏が踏みつけてきた霊に向かって手を合わせていると、隣に背の高い青年が立った。何かに押されたような気がして思わず彼の横顔に眼をやった。優しげな眉や丸い頬に幼さを感じた。


 青年は両手を合わせて真剣に祈りをささげている。その横顔には神々しいものがあった。こんな立派な青年がいる一方、国のことなど忘れて享楽にふける若者もいる。ネット上で毒をまき散らす若者もいる。どちらが青年らしい青年なのだろう?


 一陣の青い風が吹く。


 山伏は、自分の思い違いに気づいた。隣で手を合わせる青年だって、カラオケにも行けばナンパもするだろう。夜の街で酔いつぶれ、他人に迷惑をかけるかもしれない。人間は目の前にあるものに縛られ、自分に都合良く解釈し、甘い理屈をつけて歩んでいるだけなのだ。そうやって自分もここまで来た。


 祈り終えた青年と視線が合って慌てた。


「若いのに感心ですな。大学生ですか?」


 ありきたりな言葉で困惑を隠す。


「あ、ハイ……」


 青年は緊張しているのかシャイなのか、言葉が短い。それもまた青年らしい。


「どなたかご親族の方でも祀られているのですか?」


「いいえ。ただ、自衛隊にいた父が他界したものですから」


「そうでしたか……」


 若くして父親を亡くしたと知り、同情を覚えた。父親の収入なしで大学生活をおくるのは大変だろう。彼を励ます言葉を探しながら、肩を並べて鳥居に向かう。


 大鳥居が西日に輝いている。


「しかし、こうして参拝されている。お父さんも喜んでおられるでしょう。まだお若いのに感心だ。おいくつですか?」


 再び同じようなことを口にして、自分が老いたことを実感した。


「18です。この春、上京したばかりです」


 若いわけだ。……山伏は自分が18のころを思った。やはり上京し、右も左もわからずに苦労したものだ。


「それは何かと心細いでしょう。困りごとがあったら、私に連絡してください。多少のことなら、お役にたてるでしょう」


 名刺を出して青年に渡した。


 彼が名刺に目をやり首を傾げた。総理府情報局次長などといった部署や肩書が、どういったものか見当もつかないに違いない。


「君の名前は?」


「田中空といいます」


「田中空さんね。良い名前だ。では」


 2人は大鳥居をくぐり抜けたところで別れた。


§


 その日、山伏が情報局に戻ることはなかった。それどころか電話連絡さえない。情報局は慌て、彼の居所を捜した。彼は多くの秘密を知っているからだ。


 数日後、花村が愛人の雨宮佳乃を探し出したが、彼女もまた、山伏と連絡が取れないと言う。縁の薄い親族に代わって、土崎が捜索願を出した。

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