第40話 捜査 ⅵ

 総理及び水島暗殺と、日明研のメンバー5人の死の真相解明を九段は諦めてはいなかった。柴崎警部補に捜索令状を取らせ、手塚のマンションの家宅捜査に入った。あくまでも手塚の自殺事件の関連捜査という建前だ。従って、柴崎と所轄の鑑識係が立ち会う。


 マンション内は整理整頓がいき届いていた。官舎の部屋も綺麗に片付けられていたが、マンションはそれ以上に清められている。ざっと見渡したところ髪の毛一本落ちていない。


「手塚という男は、こんなに奇麗好きだったのかなぁ」


 リビングに足を踏み入れた九段は感心し、いやむしろ疑念を深めて首をひねった。


「そんな男性もいますよ。私は違いますけどね」


 九段の行動を監視していたはずが、すっかり手下と化した東部が言って、手がかり探しが始まった。


 九段と東部はリビングで手塚の痕跡を探し、小島と柴崎は寝室を調べた。


「近所の聞き込みでは女と同居していたはずですが、その痕跡がありません」


 そう言う小島はコソ泥のように、タンスをかき回している。


「どういうことだ?」


 九段はパソコンやタブレットなどの情報端末を捜したが見つからない。


「スペースには余裕があるのに、女物の衣類や雑貨がありません」


 タンスを調べ尽くした小島は、クローゼットの中に頭を突っ込んで調べはじめる。


「同居ではなく、通っていた恋人がいたのかもしれないな」


 東部はそう言ったが、九段は違った。


「それならあきスペースもないはずだ。そのスペースにはまるピースを探せ」


「やはり女ですか?」


「確かに女の可能性が高いが、まだ限定するな。ライフル、天下、一之瀬、三沢、ジェームズ。ピースはたくさんある」


「手塚もゲイですか!」


 驚いて頭を上げた小島が、棚板に頭をぶつけた。九段は、あえて王美麗の名前を出さなかった。


 ライフルの盗難、総理狙撃、三沢たちの事故死、天下と手塚の自殺と、一連の事件にジェームズ・坂東の率いている組織が関与していて、美麗もその組織の一員だと推理している。事件関係者の中にあがる女性は彼女ひとりだ。ならば、ここではまるピースも美麗ではないか?……が、予断は禁物だった。


「万華鏡の指紋はどうでした?」


 九段は、おっちょこちょいの小島を目の隅で追いながら、頼んであった調査の結果を柴崎に尋ねた。


「あれも拭き取られていたそうです。小さな断片がいくつか見つかったそうですが、個人を特定するには不十分だそうです」


「そうですか、それは残念だなぁ」


「でも、ふき取られたということに意味がありますね」


 小島が言った。


「ああ、他殺の可能性が強くなったということだ。目張りに使われたガムテープは?」


「指紋は、残っていたロールからも目張りに使われた側からも手塚のものがいくつかでました。しかし、粘着面からは発見できなかったそうです。普通、端の部分の裏側には残るそうなのですが、そこにあったのは手袋痕だそうです」


「手袋痕! 手袋をして目張り作業をしたということですね。それって他殺ということよね?」


 小島の声が裏返った。


「そうとは限らないさ。手塚が手袋をしていたのかもしれない。目張りは内部からされているんだ。完璧な密室だ。解剖の結果にも不審な点はなかった。署としては自殺として発表する予定だよ」


「警部、あんなこと言ってますよ。密室は偽装ですよね?」


「そうだな。推理小説では掃除機や糸を使って外側からガムテープを張るなんてトリックもある。……部屋は5階。ガラスを割って誰かが助けに来ることを想定する必要がない。出入り口は玄関ドアだけだから、遺体の発見者は、必ずドアを外から開ける。開けられてしまえば、ドアのガムテープがしっかり貼りついていたのかわからない。一旦内側でガムテープをしっかり張りつけ、それからドアを開けて外に出るだけでも、再び密室に近い状態はつくれるだろう」


 九段は話しながらキッチンに移動した。


「しかし、署長は自殺と決めてしまっています」


 柴崎の報告に、東部が顔を曇らせる。


「結論を急ぐんだな」


「昨晩は警視庁やら警察庁から次々と連絡があって、上の方はバタバタと対応していましたから、何らかの圧力があったのかもしれません」


 どうやら結論を出したのは警察庁らしい。……九段は考えながら、冷蔵庫を調べ、電子レンジに目を移した。


「鑑識さん」


 九段が呼ぶと、柴崎もやってきて空っぽの冷蔵庫を覗いた。


 寝室で指紋採取をしていた鑑識係が勇んでやって来て言った。


「死を決意してか、綺麗に拭き掃除をしたようです。まともな指紋がありません」


 九段は鑑識係の言葉を聞き流した。自殺を前にしたからといって、マンションと官舎の両方を掃除する男などいるはずがないと思っている。


「これ、見てください」


 古い電子レンジを指す。それはピカピカに磨かれていた。


「部屋中のもの全てが綺麗に磨かれていますよ」


「後ろです。ネジ」


 鑑識係は棚から電子レンジを降ろすと、手に取ってぐるりと見回した。


「おっ、修理をした痕跡がありますね。ネジ山に傷がある」


「指紋、お願いします。外は無くても中には修理した人間の指紋があると思うので、それもよろしく」


「内部、ですか?」


 鑑識係が目を丸くした。


「ええ、内側のほうが重要です」


 九段は強い口調で言った。すると鑑識担当者は、黙ってネジを外し始めた。


「こっちの方が似つかわしくないか?」


 寝室に移動し、九段は言った。小島たちが集まってくる。


「何が、ですか?」


「万華鏡だよ。置いておくなら、官舎よりこっちの方が良かったと思うぞ」


「デザイン的にはそうですね」


 小島が同意した。


「どうして官舎に置いたんだろうなぁ」


「きっと、こっちには置けなかったんですよ。あの万華鏡は、ここに来る女とは別の女にもらった。それなら置けないでしょう?」


 東部が言った。


「二股ですか? いやらしい」


「女のプレゼントじゃないと言ったのは小島だぞ」


 九段は、小島を笑った。


「万華鏡は、以前付き合っていた女の持ち物かもしれない。男は、付き合った女の思い出は捨てられないから」


 東部が見解を修正する。


「私なら、さっさと捨てちゃいますけどね」


「25歳の処女が何を言う」


 九段は笑った。それから慌てて口を閉じた。


「もう、みんなの前で変なことを言わないでくださいよ。セクハラです」


 案の定、小島が口を尖らせた。


「なるほど。小島の顔も面白いが、東部の推理も、たまには面白いところをつくなぁ……」九段は強引に話を変えた。「……しかし、それでは指紋をふき取った理由が説明できない。昔の女の指紋をふき取る必要などなかったはずだ」


 九段は部屋の中を歩き回る。そうすると考えがまとまりやすい。


「小島、処女なのか?」


 ――パン!……、訊いた柴崎が頬を殴られた。


 九段は耳をふさいだ。自分が殴られたような気がする。


「俺の想像では、万華鏡はこの部屋から官舎に移動したのだと思う……」


 とばっちりが来る前に話し始めた。


「……万華鏡は女が大切にしていた。何らかの事情があって女は手塚を殺す。しかし、手塚がここで発見されては、自分の存在が明るみになる。そこで手塚を官舎に運び、ここは万が一の場合を考慮して痕跡を消した。とても用心深いやつの行動だ。万華鏡は、女から手塚へのではないかなぁ」


「はなむけですか?」


 柴崎が首をひねる。


「女は手塚を愛していたんだろう」


「痕跡を徹底的に消すなんて、スパイ映画みたいですね」


 小島が九段の推理を笑った。


「信じられないなら……」


 九段はバスルームに移動して、排水溝を覗いた。


「思った通りだ。髪の毛1本のこっていない。手塚はスキンヘッドじゃないだろう? 下の毛だってあるはずだ」


 綺麗にふきとられた排水溝を鑑識担当者が覗き込んだ。


「入念に掃除がされていますね」


「ああ。強い薬剤を流したのだろうな。痕跡を消すためだ。掃除機を見てみろ。俺の見たところ、おそらく新品だ。古いのは持ち去ったのだろう。そこまで徹底する必要があったということだ」


 九段たちの調査で不審な点が見つかっても、所轄署はその日のうちに手塚の死を自殺と発表した。手塚が日明研の会員だったことや、天下を追うといった遺書があったことは伏せられた。そうしてすべてが終わったように思われた。


 自殺という発表にふてくされていた小島のパソコンに、柴崎から鑑識結果のメールが届いた。電子レンジの背面や内部から出た指紋が、満金豚会で採取された王美麗のものと思われる指紋と一致し、万華鏡の指紋の断片も王美麗のものの可能性が高いというものだった。


「たいへん!」


 小島が、ぼんやりと夜景を見ている九段のもとへ駆けた。


「警部、手塚と同棲していたのは王美麗です」


「そうか……」


「えっ。驚かないんですか?」


「ああ、何となくそんな気がしていたんだ」


「もう。警部ったら、サイコパスですね」


「暗殺現場から消えた王美麗。その後の東北道での不思議な事故と警察病院での医療機械の故障。……マイクロ波のような電磁波を操作する力があれば、なんとか出来そうなことだ。そして中を開けられた電子レンジ。……電子レンジ内の指紋が全てを教えてくれると考えていた」


「なるほど。一之瀬と友永、三沢、手塚。4人を殺したのは王美麗ですね。逮捕状を取りましょう」


「そっちは事故と自殺で解決済みだ。政府も今更事件をほり返されたくないだろう。手塚の件は殺人と知っていて自殺にした可能性さえある。天下の場合と同じだ」


「せっかく獅子が目覚めたのに。やんなっちゃう」


 小島が鼻を鳴らすように言った。それから九段に詰め寄った。


「警部。もっと早く目覚めてくださいよ」


「俺は低血圧なんだ。目覚めるのには時間が掛る。で、お前に頼みがある。公安に当たって、王美麗と一致する出入国者の指紋をみつけてこい」


「えぇー、またですかー」


「おそらく王美麗はアメリカ人で、別な名前で入国しているはずだ。小島も真実が知りたいだろう? ポテト二つでどうだ」


「エッ、王美麗は香港人じゃ?……パスポートは香港の正規のものだったと公安が報告していたじゃないですか」


「パスポートが正規のものというのは間違いないだろう。だが、王美麗はただの中国人じゃない」


「それはマフィアの情婦なんですから。……もう、仕方がないですね。明日、行きますよ」


「今からだ」


「ええー、もう21時ですよ。お肌が痛みます」


「小島、刑事だろう。真犯人を逮捕したくないのか?」


「事件が終わったと言ったのは警部ですよ。それに公安の人は、帰っちゃいましたよ」


 小島が抵抗する。自分が帰りたいのが見え見えだ。


「いるさ。あいつらは24時間、モニターを睨んでいるよ。明日の朝、答えを持ってこい。おそらく技術系高学歴のアメリカ人だ。そう多くはない。指紋から追いかけたら、すぐに見つかるはずだ。場合によっちゃ、出入極管理法違反で押さえられる」


 肩を落として公安部に向かう小島の背中に、声を掛けて送り出した。


 翌日、九段が出勤すると小島が机に突っ伏して寝ていた。情報を引き出すのに深夜までかかったのに違いない。


「おはよう」


 持っていた朝刊で彼女の頭を軽くたたいた。


「ああ、警部、……おはようございます」


 小島は姿勢を変えずに右手を掲げた。一枚のメモ用紙が握られている。それを受け取って目を通した。


「ジェーン・クワハラ、アメリカ人。よくやった。行くか、腹が減っているだろう」


 小島がのそりと立ち上がった。


 彼女の顔に生気が戻ったのは、ハンバーガーショップの席に着いてからだった。


「出国記録はないそうです。よく分りましたね。アメリカ人だなんて」


 彼女はそう言いながらハンバーガーを口に運んだ。


「訓練された組織がなければ、手塚のマンションから短期間で王美麗の痕跡を消すことは出来ない。それができるとすれば四カ所の銃砲店から、いともたやすくライフルを盗んだジェームズの組織だ。王美麗もその組織の一員だと考えただけだ。それならアメリカ国籍の可能性が高い」


「電子機器を利用して人を殺したから技術系の高学歴ということですね。でも、どうして仲間だと考えたんですか? 王美麗も殺されている可能性があったと思いますが……」


「もし、王美麗が仲間じゃなかったら、マンションで手塚と心中したように見せかける方が簡単だろう。わざわざ手塚を官舎に運ぶリスクを犯す必要などない」


「王美麗はCIAですか?」


「外国の諜報機関のことは分からないが、CIAではないと思うなぁ。間接的とはいえ日本の総理を殺したんだ。CIAには寝返る外国人エージェントもいれば、データを公表するメンバーもいる。もう要人を暗殺出来る組織じゃない。ジェームズが率いるのは、比較的新しく組織されたものだろう」


「へー、すごい推理ですね。論理的というには少し甘い気がするけど、公安と組対部がたどり着けなかったところが見えてきましたね。さすがは眠れるジジイだわ」


「誰がジジイだ。年寄りをいじめるな」


 九段は小島の視線を外してミルクを口に運んだ。


「論理で足りないところは、刑事の勘で補うんだ。公安部は総理暗殺の視点だけで追いかけていたから、マフィアの情婦と決めつけていた王美麗の正体に近づけなかった。膨大なデータを持っていたところで、使い方を知らなければ宝の持ち腐れだ」


「警部がたどり着いたのも手塚が死んでからですけどね」


 小島が、九段の鼻先に指を突き付ける。


「おまえ、口が悪くなったな。誰に似たんだ」


 鼻先の小島の人差指をぺろりと舐めた。


「キャッ!」


 その悲鳴は、周囲の客の視線を集めた。


 九段は朝刊の活字に目を落として知らんふりを決め込み、小島はぺこぺこと頭を下げて詫びた。


「まったく……」


 小島が半分怒りながら、仕事の話を始める。


「ジェーン・クワハラは出国していませんが、どうやって探すんですか?」


「それは、これから考える」


 九段はフレッシュバーガーをミルクで胃袋に流し込むと立ち上がる。小島が慌てて追った。


 皇居の堀端の桜はほとんど散っていて、花びらが水面を絨毯のように覆っている。そんな景色を楽しみながらジョギングする男女の姿も多い。その中を不機嫌な顔で歩くのは九段と小島ぐらいだった。


 2人は情報局を訪ねた。山伏への面会を申し込むと、鋭い目つきの中年男性が出てくる。


「警視庁の刑事が、私に何か?」


 山伏の硬い声を聞いただけで小島は委縮したが、九段は違った。落ち着いた声で要件を切り出した。


「実はジェームズ・坂東という男の件で伺いました」


「ほう、それは公安の方が詳しいのでは?」


「ええ。ジェームズ個人については公安に聞けばよいのですが、ジェームズと萩本総理の関係については山伏さんの方が詳しいと思いまして……」


「総理とジェームズが? 2人に面識はないはずです」


「なるほど。総理がジェームズに撃たれたとしたら、その動機は何でしょう?」


「ジェームズに? 日明研とかいった団体の連中に撃たれたと聞いていますが……」


 山伏が首を傾げた。顔は相変わらず怖い表情のままだ。


「ジェーン・クワハラ、もしくは、王美麗という女の居所をご存じありませんか?」


「知らないな」


 山伏の態度には取りつく島もない。


「では、質問を変えます。アメリカ政府が萩本総理を排除するメリットは、何かあったのでしょうか?」


 その質問に山伏は表情を変えた。


「馬鹿なことは休み休み言いたまえ。まるで三流週刊誌のような発想だ。警視庁の眠れる獅子のうわさは聞いていたが、あなたのような方だったとは……。もう少し、その能力を国のために使っていただけませんかな」


 山伏はそう言い捨てると事務所の奥に消えてしまった。


「警部、怒らせちゃダメじゃないですか」


 小島が九段の袖を引いた。


「そうだな。どんな質問をしても、まともには応えてくれそうになかったが……」


 2人は情報局を後にした。

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