第39話 隠ぺい

 テレビに鬼頭副総理の沈痛な顔があった。


『……政府の愛国デモ取り締まり強化に反発した、日本の明るい未来を考える研究会、通称日明研の天下大地会長、本名、沢田一郎、47歳が、一之瀬雄介、友永修造、三沢智明の会員3名と図り、総理殺害を目的に狙撃したのが今回のテロ事件です。……警察発表にあった通り、三沢は警察官の銃弾を受けて入院先の病院にて死亡。一之瀬、友永の2名は逃走中に交通事故死しています。主犯の天下は、捜査の手が及ぶに至って、犯行声明を残して自殺。治安当局は昨日、日明研の会員を一斉に拘束しました。詳細な取り調べはこれからになりますが、事実上、日明研を解体することに成功しました……』


 そこで彼は視線を上げ、声を張った。


『……使用されたライフル銃は全て回収されています。某国による暗殺などという噂もありましたが、そういった事実や政治的背景は全くございません。……日本政府は、テロには屈しない。……国民の皆様には、風評に惑わされることのないよう、冷静な対応をお願いしたい。政府も不安の払しょくを図っていく所存です。……なお、次期総選挙まで、わたくし鬼頭が民自党総裁の職につき、内閣総理大臣の重責を全うする覚悟です』


 その記者会見は、九段と小島が東名高速を走っているあいだに行われていた。刑事部の部屋で改めて会見映像を視なおした小島は、再び憤りを覚えてビデオのスイッチを切った。


「こんなことでいいんですか? 天下は殺されているし、総理を撃ったのが誰かもわかっていないんですよ。実質、犯人を見逃すことになります」


 目の前の東部に嚙みついた。


「仕方がないだろう。犯人が4人にライフルが4丁。つじつまが合っている。天下は遺書で暗殺も認めた。二階堂議員は天下会長のアリバイ証言を撤回し、捜査本部は解散した。……被疑者が全員死んでしまうと、誰の弾が総理を撃ったのかなど、裁判で争点になることもないからな」


 彼は苦いコーヒーを口にして顔をしかめた。


「盗まれたハードディスクが出てきたらなぁー」


「諦めろよ。天下だって、実行犯でなくても片棒は担いでいるんだ。犯人にされても文句は言わないだろう」


「警部も同じ考えですか?」


 小島はぼんやりと窓の外を見ている九段に迫った。


「多かれ少なかれ、組織に属するということは人間としての己の自由を捨てることだ。組織が右といえば右へ走り、黒と言えば黒く見る。……まぁー、釈然とはしないな。マスコミにでもリークするかぁ」


「何を言うんですか。この事件は早々と特定秘密に指定されたそうです。リークなんてしたら実刑ものです」


「嘘を容認すればおとがめなしで、真実を言ったら犯罪者かぁ。俺は警察官だぞ。困った世の中だなぁ」


 九段の発言に警告を与えるように、彼のデスクの電話が鳴った。彼がそれを取ろうとしないので、小島が伸びをして取った。


「はい、九段警部のデスクです」


『ん? なんだ、小島か?』


 相手は同期の柴崎しばさき警部補だった。


「なんだ、課長見習いの柴崎君かぁ」


『ウチの管内で……』彼は自衛隊の官舎内で手塚の遺体が見つかったと言った。練炭コンロを使ったもので、一酸化中毒死だ。


「えっ……うん……どういうこと!」


『総理暗殺の容疑者なんだろう? それで念のために九段警部に報告しようと思ってね』


「警部と知り合いなの?」


『僕は話したこともないよ。こっちでも九段警部は有名でね。署長が念のために連絡を入れておけというんだ』


「へー、気が利くのね。とりあえず、ありがとう」


 小島は九段警部のほおけた顔を見ながら電話を切った。


「警部、立川で自殺事件があったそうです」


「自殺ぐらい所轄の仕事だろう」


 東部が反応した。


「事件そのものの処理は済んでいるそうです。警部が有名人なので、私の同期が教えてくれたんです。……驚かないでくださいよ。自殺したのが手塚主水です」


 九段は驚くこともなく、にやついている。


「お前に声をかけてくれる男がいたのかぁ」


 明らかに小島をからかっていた。


「警部のところにきた電話です。相変わらずセクハラ親父ですね。そのうち本当に訴えられますよ。それより手塚が死んでいたんです。行かないんですか?」


「行くさ」


 真っ先に立ったのが九段だった。


「死んでいたから組対部の逮捕者に名前がなかったのですね」


 小島は、東部と共に九段を追った。


§


 部屋は官舎の5階だった。そこで手塚の遺体が発見されたのは、日明研の一斉検挙の時で、死後五日ほど経っていた。所轄での捜査は一通り済んでいて報告書を上げるばかりの状態だ、と九段を迎えた柴崎が説明した。


「……部屋は窓も玄関ドアも目張りされて密室でした。手塚は自ら睡眠薬を飲んで、練炭に火を入れたものと思われます。遺体はそこにありました」


 彼がベッドを指した。


 室内の家具はベッドとテレビとタンスだけという、殺風景なものだった。ベッドの上に黒い染みが出来ているので、遺体がそこにあったのも、死亡してから日数が経っていたのもわかる。窓のサッシの所々にガムテープの跡が残っているのは、目張りしたものを取りはずした跡だろう。一酸化炭素と死臭を消すために、今は解放されていたが、まだ強い臭が漂っていた。


「追い詰められた結果、死を選んだということか?」


 東部の安直な推理を柴崎が訂正する。


「いいえ。遺書に書かれていたのは、天下会長のあとを追うという内容でした。殉死です。使った睡眠薬の小瓶はベッドの枕もとにありました。指紋も出ています。隊には1週間の休暇届が郵送されていました」


「天下には、それほど人望があったのか?」


 九段は首をひねった。事情聴取した時の印象では、それほどの人物と思えなかったからだ。


「4月に練炭自殺なんて、暑かったでしょうね」


 小島が言った。


 そうだ。それこそが面白い感想だ。そういったことから自殺に疑問を持つべきなのだ。……九段は小島の丸い顔に目をやった。


「おかげで、腐敗がひどくて大変だった」


 柴崎は鼻の前で臭いを払うしぐさをした。


「私が連絡した時に探してくれたら、無事に見つかったのかもしれないのに……。休暇だからって、けんもほろろだったのよ」


 小島が不服そうな顔をしていた。


「休みが1週間も取れるとは、あんたが羨ましいよ。おまけに永遠の休暇を取るとはなぁ。生きてりゃ、良いこともあっただろうに……」


 九段は、手塚が倒れていた場所に向かって手を合わせた。


「警部だって1週間ぐらい窓から景色を眺めていることがあるじゃないですか。今日だってそうでしたよ」


 小島がからかってくる。


「あれは、街を見張っているんだ」


「消防士みたいですね」


 柴崎が2人のやり取りに笑みを浮かべた。


「休暇届と一緒に、恩人の初七日しょなのかを行うとか、そういった内容の手紙が入っていたそうです」


「初七日前に自分が逝っては仕方がないだろうに……」


 九段はタンスの引き出しを覗きながら言った。天下大地なら死んで間もない。手塚は初七日の意味を知らなかったのだろうか?……遺書に疑念が湧いた。


「これで、関係者は全員死んでしまったということですね」


 小島が肩を落とし、東部が眉間に皺を寄せた。


「事件は完ぺきに解決済みということで、山本副総監が喜んでいるでしょう。天下会長が計画、手塚が狙撃指導と共同で暗殺を指揮したことになる。捜査本部の結論にぴったりだ」


「国は自衛官の関与を喜ばない。きっと伏せられるなぁ」


 九段は東部の誤りをさりげなく指摘した。東部が面白くなさそうな表情をつくったが、そんなことは無視して現場の状況把握に注力した。


「やはり、ここに物は少ない。生活の基盤は、ここじゃなかったのだろうなぁ」


 九段は窓の外に広がる青空を見上げた。その爽やかさが、自死という生臭いものと、どうもそぐわない。


「綺麗!」


 洗面所から小島の大声がする。


「これ、見てくださいよ」


 やってきた小島が手にしていたのは、長さが20センチほどの陶器製の万華鏡だった。底に〝ミルキーウェイ〟という小さなシールが貼ってある。


 九段は小さな筒の中に広がる世界を覗き、小島の感動に共感してから東部に渡した。


「脱衣籠の洗濯物の下にありました。棚から落ちたのかもしれません。おかしいですよね」


「何が?」


「だって、この部屋には似つかわしくないですよ。万華鏡としてもかなり高価なものだと思います」


 東部の疑問に小島が答えた。


「クリスマスプレゼントかもしれないだろう」


「男に万華鏡を贈る女なんていませんよ。男が収集家なら別ですけど」


「なるほど。するとそれは、手塚が自分で買ったと考えるのか?」


 柴崎が東部が覗いている万華鏡を指した。


「それもおかしい。柴崎君なら買う?」


「僕なら、絶対買わないな」


「でしょ」


 小島が得意げに胸を張る。柴崎は東部から万華鏡を受け取って覗き込んだ。


「脱衣籠にあったということは、洗濯物のポケットに入っていたということだろうな。指紋採取は、……していないよな?」


 九段は柴崎に目を向けた。


「確認します」


 彼は万華鏡をハンカチにくるみ、ポケットに入れた。


「手塚には、もう一軒借りていたマンションがあります。そっちを家宅捜索しましょう。何か出るかもしれません」


「東部さん。それは無理ですよ。捜査本部は解散しています。狙撃事件は解決済みなんですから」


 小島が子供のように口を尖らせる。


「大丈夫だ。自殺事件の追加捜査ということで所轄が手続きしてくれる。なあ?」


 九段は柴崎の肩に手を置く。


 彼が少し戸惑った表情を作ったが、喜んで令状を取ると応じた。


「それから柴崎課長、もう一つ頼みがある。目張りに使われたガムテープの指紋を調べてくれ。これだけ自殺の状況が整っていたら調べていないだろう? 小島は公安に行って、ジェームズの件を確認して来い」


「警部は?」


「俺は、腹ごしらえに行く」


 本当はひとりで考え事がしたかった。


「私も行きます。ポテトとプリンの約束です」


「それは、公安から情報を取ってきた後という約束だ」


 九段は手を上げ、犬を追い払うようにひらひらさせた。


 東部らと別れた九段は、電車で新宿に向かった。車輪が刻む安定したリズムは、思考を安定させるのに役立つ。


『国民人気のアイドルグループが解散します』


 新宿駅前では、歩行者が足を止めてビルの外壁に設けられたハイビジョンテレビに見入っている。九段には関心のない話題だ。


 街の雑踏に迷い込むと、その平穏さに驚く。これがたったひと月ほど前に総理大臣を殺された国だろうか……。事件後、数日は国民も動揺していたが、犯人が死んだとわかると興奮は一気に沈静化してしまった。誰もが何もなかったように、眼の前だけを見て歩いているのだ。


 総理が暗殺されて動揺し、騒ぎ立てているのは、自分たち治安当局と一部のメディアだけなのかもしれない。そう考えると寂しく思う。同時に、トップが変わっても柔軟に生きられる国民性なのだ、という安堵もあった。


 九段はハンバーガーショップに立ち寄って、フレッシュバーガーを食べてコーヒーを飲んだ。それからポテトとプリンをテイクアウトし、裏通りを歩いて日明研の事務所があった小さなビルに向かった。


 かつてマスコミがひしめき合っていた通りは閑散としていた。彼らさえも新たな事件が起きて、萩本総理狙撃事件のことは忘れてしまったようだ。今のメディアの関心事の中心はアイドルグループの解散理由だ。


 事務所の周辺をぶらりと歩いて警視庁に戻ると、勝ち誇った顔の小島が九段の席に座っていた。


「どうした? 顔がてかっているぞ」


「ええ?」


 彼女が自分の席に戻り、手鏡を取り出して顔を覗いた。右手には京都のサービスエリアで買った油とり紙をしっかりと握っている。


「もう。綺麗なものじゃないですか」


 からかわれたのだとわかり、口を尖らした。


「ジェームズの件、聞いてきましたよ」


 お返しとばかりに、彼女が耳元でささやく。そのつやのある声に、ぶるぶると背筋が震えた。


「ほ……、ほう。早かったなぁ」


 平静を装う。下手に騒いだらセクハラだと突っ込まれる。


「私の色気をもってすれば、公安なんてイチコロです」


 小島が胸を張った。


「ジェームズの情報提供者は、情報局の山伏という次長らしいです。中々のやり手だと公安も言っていました」


「情報局なぁ」


「警部の予想通り、アメリカがらみです。情報局は捜査の進捗状況を公安に求めていて、サングラスの男の写真も提出したそうです。そうしたらアメリカの情報局関係者ではないかと、向こうから教えられたそうです。……ジェームズの表向きの仕事は貿易業で、四六時中、日本を出入りしていて、昨年、日本でスミス大統領秘書官かなにかと会っていたところを山伏次長が目撃していたそうです。マイケル・劉という別の名も使っていて、すでに出国しています」


「もう逃げたのか。……それはマイケルの名前で出国したということか?」


「まさか。ジェームズの名前ですよ。正真正銘、ジェームズのパスポートで羽田を出ています」


「なるほど。よく聞いてくれた。ありがとよ」


「それじゃ、これ」


 小島が1枚のレシートを九段に差し出した。


「なんだ?」


「フライドポテトと、プリンのレシートです」


「先食いか。チーズバーガーとアップルパイも食ったのか……」


 九段はレシートに並んだ品数に呆れながら代金を支払い、買ってきたポテトとプリンも渡した。

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