藪の中
第33話 死人花
日明研の横山は、事務所前で大地会長を降ろし、自分は月極めパーキングに車を停めて戻った。その間、およそ30分……。
事務所はまるで無人のように静かだった。
「会長、どうかしましたか? 入りますよ」
会長室のドアを開けると、日の丸の国旗に赤い
「何ですか、それは。縁起でもない」
横山の田舎では、曼珠沙華を死人花と呼んでいる。墓場によく咲くからだ。
部屋に足を踏み入れて初めて、血生臭さを感じた。
天下は背もたれの高い本革製の両袖椅子で、机に突っ伏すような姿勢で座っていた。近づくと、その喉元から真っ赤な血がしたたり落ちているのが目に留まった。赤い花は、天下の裂けた後頭部から吹き出した
横山は後ずさりしたものの、辛うじて悲鳴を上げるのはこらえた。
――ハァ、ハァ、ハァ……、荒い呼吸の音がしばらく続いた。が、そんなものは耳に入らない。最初は思考を失って、ただ呆然と見ていた。その後は、落ちつけ、落ちつけ、と自分に言い聞かせた。
気持ちが落ち着いてから、改めて遺体を確認した。膝の間にライフル銃があり、足の親指が引き金にかかっている。靴はきれいにそろえてあった。
「自殺?」
車の中での会長はいつもと変わらない様子だった。三沢の話を持ち出すまでは、いつもより陽気にさえ見えた。とても自殺するとは思えない。
室内を見回すと、金庫の扉が少しだけ開いているのに気づいた。中を覗くと入っていたはずの大金が消えている。
強盗だ!……そう判断して警察に電話をいれた。
§
通報を受け、所轄の捜査員が駆けつけた。総理暗殺事件を担当する刑事たちが動いたのは、天下が関係者のひとりだからだ。
九段と小島、東部が応接室で横山の事情聴取に当たった。遺体発見時の経緯を聞いている間に、天下の机の引き出しからワープロ打ちの遺書が見つかって、九段の元に届けられた。
「遺書があったのですか?……それには何と?」
当初、自殺に見せかけた強盗殺人だ、と主張していた横山がたじろいだ。
遺書に目を通した九段は、それを伝えるべきではないと判断した。
「今はお伝えできませんね。ただ、十分、自殺の動機になることです」
「何が書いてあるのかわかりませんが、会長は、自殺ではありません。会長は自殺するような人間ではないのです」
横山が主張した。
「そうですかねぇ。やっぱり自殺じゃないのですか? 殺人事件ということになると、1番怪しいのは、横山さん。あなたですよ」
九段は脅かした。もし彼が犯人なら、自殺だと主張したほうが都合がいいはずだ。
「横山さんの言うことが本当だとしたら、あなたが駐車場に車を止めてここに来るわずか30分程度の間に、犯人は天下会長を殺し、遺書を作って自殺に偽装し、金庫を破って金を持ち出したことになる。そんな芸当ができるとしたら、よほど内部の状況に詳しい人間です。そうは思いませんか?」
東部が推理を突き付けた。
「刑事さんの言う通りです。犯人はそれをやってのけたのです。……金庫は会長を銃で脅かして開けさせたのかもしれません。遺書だって、事前に用意しておいたら作る時間はいらない」
横山は、東部の推理を
「あんたなら、それができたね?」
九段はあえてそう言った。
「私にはライフル銃を手に入れることは出来ません」
「他のことは出来たということだね」
「……そういうことになります」
横山は一瞬言葉を詰まらせたが、堂々と九段の言葉を認めた。
「そもそも、このライフル銃はこの事務所に置いてあったものではないのかい?」
「会長は、そんなものをお持ちではありませんでした」
「天下大地は猟銃免許を持っていませんよ」
小島が言ったが、九段は無視した。そんなことは総理暗殺事件で下調べがついているから、捜査関係者は誰もが知っている。
「しかし、あの角度で下から撃てますかね」
東部が言った。
「防犯カメラですが、今日の入室の映像を見せてもらえますか?」
小島が依頼すると、横山がノートパソコンを持ってきた。それを立ち上げ、防犯カメラのソフトを開くと、彼が声を上げた。
「映像がない!」
「なんですって?」
「3月12日以降、記録されていないのです」
横山は説明した後、システムの管理画面を開いた。録画機能がオフになっている。
「設定を誰が変更したのか、わかりますか?」
小島は、横山が記録を削除してから設定を変えたのではないか、と疑っているようだ。九段は、成り行きを見守った。
「これは……」
横山が息をのみ、小島がモニターを覗く。
最後に設定が変えられたのは12日の午前10時で、天下のIDが使われていた。
「まいったわね」
小島が溜息をついた。
「横山さんが、会長のIDを使うことも可能ですよね?」
訊いたのは東部だった。
「それはできますが、私はそんなことをしませんよ」
彼は感情を害したように断言した。
IDのことなどやり取りしてもらちが明かない。……九段は話しを変えた。
「三沢智明が総理を狙撃した動機について、あるいは、それをそそのかした人物について、心当たりはないかなぁ?」
「それが会長殺しと関係があると言うのですか?」
「遺書にね、我々を裏切った萩本総理を天誅に処したと書かれているのですよ。事実上の犯行声明です」
九段が遺書の一部を横山に見せると、彼は一文字ももらすまいと、眼をむいて文字を追った。
「まさか、……今朝も車の中で訊きましたが、総理狙撃の件は三沢の独断で、会長は何も知らないと話していました」
「なるほど。言っていることと、遺書はあべこべだと言うことですなぁ。ちなみに盗まれた金は、どこから手に入れて、どのように利用するものだったのですか?」
「私にはわかりません。すべて、会長がやっていたことですから」
「死人に口なし、ですね」
九段の耳元で小島がささやいた。
「会のメンバーに聞くと、あなたが会長のブレーンだと言うのですが、違うのですか?」
東部が訊いた。
「私もそのつもりでした。しかし、今回の金の入手の件は、私は知らない」
「金庫には、いくら入っていたのです?」
「1億ほどです」
刑事たちは
「私たちの生涯収入の半分ですね」
小島がささやく。
「まじめに働くのが馬鹿らしくなるな」
九段が声にすると、東部が睨んだ。
§
総理暗殺事件の早期解決を期待する内外の圧力は、本部長の山口だけでなく、捜査本部の全ての捜査員を苦しめていた。おまけに、関係者が次々と死ぬのは、警視庁のミスだと警察庁やメディアが責めた。
「天下が使用したブレイブV15のライフルマークは、総理を撃った弾と一致しました。岐阜で盗まれたものです。指紋は天下大地と、銃砲店の店主のものがほとんどです。断片的な指紋がいくつかありますが古いもので、おそらく製造過程についたものと思われます」
鑑識課長が日明研で発見されたライフル銃の鑑識結果を報告した。
「ライフルマークが一致したからには、天下会長が総理暗殺の主犯ということになるが、二階堂議員のアリバイ証言をどう考えるかだな」
山本は目の下に隈をつくっていた。心労が頂点に達したようで、言葉にも力がない。
「11日は、二階堂議員だけでなく横山も事務所で天下と会っています。天下が総理狙撃の実行犯と考えるのには無理があります」
東部が言った。
「運転手の話など信じられるか!」
川口が感情を爆発させた。感情的な行動は己の弱さを自ら暴露したに等しい。九段は胸中、笑った。
山本が川口を無視して捜査員たちを見回した。
「遺書から首謀者は会長だとわかった。残るは実行犯が誰か、ということだ。会長は、事件当日は東京にいたアリバイがある。二階堂議員が事務所を訪ねているのだからな。彼が実行犯のひとりだというのなら、それを突き崩す何かが欲しい。
刑事のひとりが手を挙げた。
「暗殺現場にいたのは例の3人で、現場には銃が4丁あったとしたらどうでしょう。そのうちの1丁が総理を撃ち殺し、犯人はその銃を持って逃げた」
「その銃は、どうやって日明研に戻るんだ?」
都築が疑問を投げる。
「逃走用の車を隠した場所で、誰かがそれを受け取った。どうです?」
「結局、もうひとり共犯者がいると言うことか?」
「九段警部が推理したように、2人を事故に見せかけて始末した男がいたとするなら、その人物が銃を受け取った第4の男ということでしょうね」
東部が言った。
「事故とは無関係に、検問を警戒して人間と武器を分けたとも考えられますよ。ライフルを受け取った男、あるいは一之瀬らが、自分で宅配を手配した。宅配便で送れば検問にも引っかからず、ライフルは怪しまれずに事務所に届きます」
蓮見が仮説を述べた。
「4番目の男が横山の可能性もありますね」
「どの説もおかしいですよ。犯人たちは、現場にライフルを放置して逃走しました。わざわざ1番危険な1丁を持って帰る理由がありません。それに本当に1億円はあったのでしょうか? 横山以外に誰も知らないことのようです」
小島が力説する背後で、九段は寝癖で立った小島の髪の毛が揺れるのを観察していた。
「政治で影響力を及ぼすためには選挙時に配る金が必要なんだ。有力政治家とのパイプを持つ日明研なら、1億ぐらい用意していても不思議じゃないだろう。その金を盗まれたとなれば、天下が絶望して自殺する動機にはなる。ライフルは総理を撃った記念すべきものとして、あるいは捜査を混乱させようとして保管していた。……どうだ?」
都築が言った。
「資金の盗難を自殺の動機にするのはいいな。自殺の動機を強化する」
山本が膝を打つ。
「何れにしても、これで日明研がライフルを盗み出して総理を狙撃。捜査の手が及んで逃げきれないと覚悟した会長が自殺。……と、まあ組織犯罪の全容が見えてきたわけだ」
「まさかと思いますが、それで幕引きにしようと考えているのではないですよね?」
いつものように、九段は率直な感想を言った。捜査状況の感想ではなく、山本の心の動きに関する感想だ。
「私だって完璧な真実を知りたいさ。全ての悪に罰を与えるというのが私の信条だ。しかし、時間がない。早急に事件解決を発表して事態の
山本が憮然と言った。
「アメリカと民自党が?」
「今や、日本の安全神話は地に落ちた。政府は一刻も早く事件を解決し、日本が秩序ある国家だと示して名誉回復に努めたいと考えている。……その気持ちは私も同じだ。治安や秩序というものは罪を裁くことだけで守られるのではない。国民の我々に対する信頼こそが生命線だ。……総理が日明研というテロ集団に暗殺されたのは紛れもない事実。我々はその壊滅をもって、日本の安全を国民と世界に示す。ご苦労だが、みんなの力を貸してくれ」
山本が頭を下げる姿は、ひどく芝居じみていた。
「事件解決より政治ですか……」
九段は嫌味を言う。
「天下が殺されたと考えるのは、横山と九段だけだ!」
川口がヒステリックな声をあげた。
捜査本部の空気は、山本のストーリーに引きずられる。組織のトップの能力にかかわらず、トップであるという肩書は当人に力を与える。その関係は極めて微妙だ。
「党が圧力をかけてくるということは、二階堂議員をかばっているということではないのですか?」
小島が立ち上がっていた。いつの間にか九段に似て、上司に対して遠慮がなくなっている。
「どういうことだ?」
山本は面倒くさそうに訊いた。耳を傾けたのは、小島もキャリア組だという仲間意識からだろう。
「二階堂議員が天下のアリバイを偽証している可能性です。防犯カメラの記録は、機械の日付を変えておけば、偽装可能だと思います。あるいは、あの日、二階堂議員がやって来たのは事実だとしても、そこに天下会長がいなかった可能性もあります。いずれにしても、二階堂議員は偽証しており、その二階堂議員をかばうために、党が事件の早い幕引きを要求している。どうでしょう?」
「天下は現地にいて、議員が会ってもいない天下の嘘のアリバイ証言をしたと考えるのか? そこまで危ない橋を渡ると思うか?」
川口が言った。
「むしろ、二階堂議員が首謀者だとしたらどうです?」
東部の発言に、多くの捜査員が目を丸くした。
「東部まで、馬鹿なことを。……それならアリバイを偽証する動機にはなるが……。二階堂議員が総理を殺す理由はなんだ?」
「総理大臣の椅子、……ではだめですか?」
小島の発言に、九段がフンと鼻を鳴らした。声には出さないが「くだらない」と言った。
九段は、立ち上がった。まだ甘い仮説段階だが、小島と東部が暴走するので、仕方なく話すことにした。
「誰かが天下会長の口を封じたと考えたほうが素直です。天下会長の最近の言動には矛盾が多い。遺書と発言も食い違う。単純な自殺と考えるには無理があります。……総理狙撃現場には第4の男がいる。それは本物のスナイパーで日明研と別の理由、別の基準で動いている。……その証拠に、現場で発見されたライフルの指紋はきれいにふき取られていたのに、今度のライフルは店主の指紋が残っていた。店主以外には天下しか触れていないと、裁判の証拠に使ってくれと言わんばかりだ。……第4の男が銃を持って狙撃現場を離脱。その後、全ての罪を天下に着せて殺害。……そう考えるのが自然です。狙撃現場と日明研周辺を、もう一度洗い直しませんか? 何か出て来ると思うのですが」
「現場周辺はくまなく捜査したはずだ。まさか、あの強風の中で遠距離狙撃をしたというのか?」
山本が鼻で笑った。
「おまけに同じ男が天下を殺したと? それならお前の思うように天下の周辺を洗い直せ……」
山本が命じた。彼は九段の態度に苦々しいものを覚えていたが、捜査能力は買っていたのだ。九段が真実を暴くということは、当然、山本の利害と一致している。問題は、スピードだ。政府が怒り狂う前に、答えを出さなければならない。
「……五日待つ。それで新しい事実が出なかったら、丸く収めるぞ」
山本の指示に捜査員の中から冷笑が洩れた。丸く収めると本音を言ったからだが、本人は、笑われたのは九段のせいだ、と腹をたてた。捜査員がばらばらと部屋を出ていくのを、怖い顔で見送っている。
ところが、九段が椅子に座ったまま天井を見ていた。
「九段、五日だぞ」
山本の声には怒気がある。
「警部。行きますよ」
小島が袖を引くので、九段は渋々立ち上がった。
「どうして12日なのだろうなぁ」
九段が歩きながら独り言をいう。
「何が、ですか?」
「事務所の防犯ビデオさ。事件当日、二階堂議員が出入りした記録はあった。ところが翌日には録画が止められた。どうしてその日に止めたのだろうな?……天下が止めたようだから、本人はそれを知っていて当然。……なぜ、その後長期間、動かさなかったのだろうなぁ。会員が何人も死んだのだ。止まっているのを知っていたら、普通、動かすだろう。そもそも止めるのが変だが……。動かさなかったのは、自分は安全だという確信があった。あるいは自分の出入りの記録を残したくなかったからだ。警察に調べられることもわかっていた。そうした前提に立てば、天下は被害者ではなく、加害者の側にいた……」
九段は声にしながら推理を煮詰めていった。
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