第28話 天下大地
九段は小島と日明研の事務所に向かった。長い顔の東部が同行している。彼は山本副総監から九段の監視を命じられていた。
3人は応接室へ通され、天下と萩本総理が握手している写真を見せつけられた。他にも数人の民自党議員と並んだ天下の写真がある。
「警視庁にはかわいらしい刑事さんもいるのですな」
天下が目じりを下げ、小島がむっとする。
「それで、私に何かご用ですか?」
その質問は、あまりにもとぼけたものに聞こえた。
「三沢智明のことはニュースでご存知だと思ったのですが?」
小島がふくれっ面で訊いた。
警察は総理狙撃メンバーの1人が三沢だと発表したが、三沢と日明研の関係は発表していない。しかし、ネットの中の者たちは、三沢が日明研に所属していることを調べだして、殺害動機の推理合戦に盛り上がっていた。事務所の前にはマスコミや野次馬も集まっており、天下が何も知らないはずがなかった。
逆に、総理暗殺を批判するために集まってきそうな政治団体の街宣車がないのは、天下の日明研がそれを抑える力を持った存在ということだ。
「三沢?……ああ、総理を撃ったという。……全く困ったことをしてくれたものです。あいつは、私の言うことを理解していなかったようだ。萩本総理こそ日本の未来を拓く男だと、事あるごとに言い聞かせていたのに……。まったく無念です……」
天下の話しぶりは、芝居じみている。まるで大根役者だ。
「……私の指導不足で、まったく申し訳ない。それで何か?」
彼は萩本と握手をする自分の写真を見上げながら煙草に火をつけた。
「昨年、こちらの会の一之瀬雄介と友永修造、手塚主水が一緒に、アメリカで長期滞在していますね。目的はなんでしょうか?」
「私は会員の個人的なことに、口を挟みませんよ。おおかたラスベガスにでも遊びに行ったのではないですかな」
「三沢の持っていたライフルが、北海道の銃砲店から盗まれたものだったのですが、その辺の事情について心当たりはありませんか?」
「わが研究会は、日本国の未来を案じる者たちが、政治家の先生がたのために働く政治組織です。暴力は使いませんよ。よって銃を取り扱う連中との交際はないし、面識さえない。まして盗みなどという
天下は小島を威圧するように身を乗り出した。
「……は、犯人を知っているのですか?」
小島の視線が泳いだ。
九段は助け舟は出さない。人は困難の中でより早く成長すると考えている。途中から話を引き取るのは面倒だから、というのがどちらかといえば主な理由だったが……。
「まさか。これから探すのですよ。我々は警察と違って物証などいりませんから、仕事が早いですよ」
天下は小島が動揺したのを見て、満足げに微笑んだ。
「参考までに、三沢と最後に会ったのはいつでしょう?」
小島の動揺に耐えかねたのだろう。東部が訊いた。
「さあ、全く記憶にありませんな」
「一之瀬さんと友永さんとは、いつお会いに?」
小島が訊くと、天下は煙草をくゆらして考えるしぐさをした。
「一之瀬とは3月10日に会いましたな。友永は、……まだ、はねっかえりの小者なのでね。思い出せませんなぁ」
「3月10日、一之瀬さんとはどんな用件で?」
「広報誌の作成ですよ。彼らが何か?」
「行方を探しているのですが、会長から連絡は取れませんか?」
「私にもわからないが……」
天下は事務所の電話を取ると短縮番号を探して押した。
九段は彼の行動に驚いた。天下ほどの大物が、小島の依頼を簡単に引き受けたからだ。……てっきり、いたぶって遊ぶものだと思ったが、どういう考えだろう?
「一之瀬ですが、出ませんな」
天下は頬を緩ませて受話器を小島に向けた。端末が圏外にある、というメッセージが鳴っている。
友永の携帯番号は短縮ダイヤルには入っていないらしく、わざわざ名簿を開いて電話を掛けた。
「どいつもこいつも出ませんな」
天下が受話器を置いた。
「お手をわずらわせて申し訳ありません。ちなみに会長は、3月11日はどちらに?」
東部が訊くと天下は鼻で笑った。
「私のアリバイですか? ここにいましたよ。午後1時すぎに二階堂先生が来られました。総理が撃たれたのは、先生と話をしていた時です。党の方から連絡があって、先生もたいそう驚かれておりました。先生が来られたことは防犯カメラの記録もあるはずです」
天下は机の上のノートパソコンを取って手慣れた様子で操作し、3月11日に二階堂が出入りする記録を映した。
「日付を変えるとか、可能なのですか?」
東部が訊くと、天下が顔をしかめる。
「事務所の防犯カメラで納得できないのなら、先生を訪ねてみるといい。しかし、その時はそれ相応の覚悟を持って訊くことですな。私のために先生の時間を使ったとなれば、私もそれなりの礼をしなければなりません」
天下の話は
九段は、やれやれと思いながら話を引き取った。
「私どもも、これで飯を食っていましてね」
彼のぎょろりとした視線をいなして腰を上げた。東部と小島が慌てて九段を追った。
事務所を取り巻くマスコミを押し分けて車に乗り込む。
「天下のアリバイは完璧ですね」
小島が言った。
「それはどうかな。議員が事務所に来たからといって、天下と会ったとは限らないだろう」
九段は後部座席であくびをした。
§
九段たちが事務所を訪れた日の夕方、天下のもとに二階堂から電話があった。
『総理を撃ったのは、天下会長の所の若者だそうじゃないですか』
彼は不機嫌そうだ。
「どうもそのようで、……申し訳ありません。しかし、これで二階堂総理誕生ということもあるのではないでしょうか?」
『まさか、天下会長はそのために萩本総理を……』
彼の声が上ずっていた。
「とんでもありません。私のあずかり知らぬことです。まったく、若いものときたら思慮分別がない。私も指導に苦慮していたのですよ」
『そうか。それならいいのだが。警察の方は心配しなくていい。ちゃんと話しておきましたよ』
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。迷惑ついでにと言っては何ですが、マスコミの方もお願いいたします。騒がしくて仕事が手に付きません」
普段は人通りの少ない通りに
『何とかしよう。しかし、そっちは別料金だ』
二階堂が遠くで笑った。
「チョコレートを5個ほど、党とは別に先生宛に届けさせます」
天下は電話を切って煙草に火をつけた。
「タバコはひかえてください。医者に減煙を勧められています」
天下の前に横山が立った。
「つい、いらいらしてな。二階堂め、総理の椅子が空いて喜んでいるくせに、それをネタに金をせびりやがる」
「その図々しさが無ければ、政治家は務まりません」
「全くだ。世間と感覚が真逆だから、日本が良くならないのだ」
天下は自分のことを棚に上げて断じた。それもまた論客の資質だ。
「マスコミが会長のコメントを求めていますが」
「彼らが欲しいのは真実ではなく話題性だ。生きるための
フゥーと、天井に向かって紫煙を吹きあげた。
「……何を言っても無駄だが、黙っていて認めたと思われるのも
「承知しました」
横山が頭を下げるのを見て、この男をそばに置いたのは正解だった、と自分の人を見る才能に満足した。
帰宅すると、調布の天下の自宅周辺にも報道陣が集まっていた。
「マスコミという連中ものん気なものだ。我々が指向するのは常に未来だ。忘れるな」
天下はスモークガラス越しに居並ぶカメラを眺めながら、横山に
横山は強引に報道人の中を突っ切り、車を門内に入れた。玄関ドアを開けたのは天下の妻の康子だった。天下より10歳も若いのに、いつも顔色が悪い。
「変わったことはないか?」
天下が訊くと、康子はうなずいた。
テレビのワイドショーが総理暗殺事件を追及している。それはまるで警察のようだ。たった今、自宅に着いた自分の車の映像が映ると、天下は笑った。
「見てみろ。こいつら車だけの映像にどんな価値を見出しているのだろうな」
「スポンサーに売る時間を、ありあわせの映像で埋めているのです。非生産的なことです」
横山が応えると、天下はその表現を喜んだ。
リビングで天下と横山が酒を酌み交わしていると康子が蒼い顔でやってくる。
「横山さんを借りていいですか?」
いつも体調の悪い康子は横山にマッサージをしてもらうことが多い。医者は更年期障害と診断したが、認めたくないようだった。横山に全身を揉んで筋肉をほぐしてもらうと気分が良くなるらしい。彼に性的関心があるのだろう、と天下は見ている。
「いいともよ。横山、すまないな」
天下は横山に妻を託す。結婚して20年。すっかり妻の座に居ついた彼女の相手をするのは何かと大変だった。政治家やマスコミのほうがよほど扱い易い。時折、天下は夢想した。横山が、康子を引き取ってくれたら、どれだけ楽だろう、と。
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