第25話 捜査 ⅰ

 萩本総理が狙撃された瞬間をテレビ中継で視ていた国民は少ない。多くの国民は総理大臣の行動などに関心がないからだ。それでもわずかにチャンネルを復興記念公園のオープニングイベントに合わせていた国民がいる。


 総理が型通りのスピーチをはじめると「また同じことを話すのか」と国民が画面から意識をらしたタイミングで、フラッシュモブが始まる。


「何だ、あれは……」


 視聴者の関心が画面に戻る。


 ある者は驚き、ある者は顔をしかめ、ある者は喜んだ。


 警察官が走り出すと「放っておけよ」と興味本位の視聴者は叫ぶ。スピーカーから逃げ惑う若者の悲鳴が聞こえて、総理の声は消えた。


 ほとんどのカメラはフラッシュモブを追ったが、一部のカメラは律儀に総理の戸惑う表情をとらえ続けた。その映像の中で突然、総理の額に赤黒い染みができ、頭がのけ反るように後方にゆすぶられ、反動で前に戻った。その染みから赤黒い液体が噴出し、総理は天を仰ぐようにしてズルズルと膝から崩れ落ちた。


 総理の隣で身体の大きなSPが倒れ、反対側のSPが銃を抜いた。会場にいた人々はパニックを起こして逃げ惑うが、それは画面の隅にわずかに映るだけだ。


 画面は倒れた総理のクローズアップに変わる。その後頭部からも赤黒い血液が、こぼれたインクのように流れている。


「ケネディー大統領暗殺の映像を視たようだ」


 多くの視聴者は似たような感想を言った。


「ケネディーって、誰ですか?」


 そう訊く若者もいる。


 テレビは、同じニュースと同じ映像を一晩中流し続けた。


 世の中の意見は、警察に撃たれた男の単独テロ説と、組織的なテロ説に分かれた。何れの側にも識者という人々がいて、事件の背景や真相を解説し、凶暴な犯人像を描いた。それらの何が真実で、何が嘘なのか、解説者自身もわかってはいない。


 会場にいた水島の死について語る者は、まったくいなかった。ただ、流れ弾に当たった観客のひとりと紹介され、一般人を巻き添えにしたテロリストを非難する材料に使われた。


 翌日、全国各地で愛国デモの集会が開かれ、参加する国民が増えた。


「東亜連邦に報復を! 日本を守れ!」


 愛国デモの参加者は、口々に己の信念を繰り返し、普段なら目を背ける国民も共感を示した。


§


 萩本総理が狙撃された現場周辺は、警察によって封鎖された。主要道路や港では夜通し検問が行われ、近隣の建物は潜伏者がいないことを一軒一軒、警察犬を連れた警察官が確認して歩いた。だが、怪しい人物や車両は発見されなかった。


 夕方になって、捜査本部が宮城県警内に設置された。当初は県警の刑事部長が捜査本部長にく予定だったが、総理を警護しきれなかった県警が指揮をとることに国家公安委員会が難色を示した。結局、県警と警視庁とが合同で捜査本部を設置するという形で妥協が成立し、本部長には警視庁の山本やまもと副総監が就任した。


 山本は警視庁から刑事部と組織犯罪対策部、公安部の捜査員を連れて乗り込み、警視庁が捜査の主導権を握った。


 総理とSPを撃った弾の弾道が分析され、二つの弾は別の方角から飛んできたものとわかった。それらの物証は、犯人が3名だと示していた。


 翌朝、栃木県警や茨城県警、福島県警、山形県警、岩手県警などからも警察官が動員され、改めて現場周辺の徹底的な捜索が行われた。その結果、公園を挟む二つの山からライフル銃と薬きょうなどの遺留品が見つかった。


 山中の狙撃者の逃走経路は積雪に残った痕跡で途中まで分かったが、市道に出てからの行方は判然としない。警察やマスコミの車両によって何もかも消されていたからだ。遺留品は多かったが、ライフル銃以外、大量生産品のために流通経路から犯人を特定するのは難しいと思われた。


 捜査は意識を失った犯人の身元とライフル銃の出どころに絞られた。


 銃の出どころは、シリアルナンバーからすぐにわかった。


「ライフルは昨年、札幌、山形、前橋で盗まれたものです」


 顔の異様に長い東部ひがしべ警部補が報告すると、丸顔の沢村さわむら警部補が続いて立ち上がった。


「3丁のライフルが同時期同一の機械で製造された新品のため、総理を撃ったのがどのライフルなのか、ライフルマークの鑑定には時間がかかるそうです」


「どいつの撃った弾が総理を貫通したかなど、どうでもいい。どのみち共犯だ。容疑者の身元を特定して残りの2名を逮捕するのが先だ」


 山本のげきが飛んだ。


 捜査員たちは、まだ冷たい風が吹く街に散り、イベント参加者への聴取と不審者情報の聞き込みにあたった。


「警備部には不審者情報はなかったのだな?」


 身内の恥をさらさないよう、山本が小声で確認する。


「事前に予告や不審者の動きはなかったそうです」


 組織犯罪対策部長の川口かわぐちが応えると山本は肩を落とした。


「会場で踊った連中は何者だ?」


「インターネットで集められた者たちのようです。フラッシュモブというそうで、ネットで共感して集まった者があらかじめ決められたことをやるドッキリ番組のようなものです。一週間ほど前、集まって踊り、総理を笑ってやろうと提案する掲示板が立ったそうです。踊った連中は狙撃事件と無関係だと思いますが、掲示板を立てた人間は何らかの意図を持っていた可能性があるので、追わせています」


 山本の腰巾着こしぎんちゃくと言われる川口が腰をかがめて応えた。


「マスコミ発表の際は、総理を笑ってやろうとした、というところは伏せておけよ。いろいろあった人物だが、まだ、政府内に支持者が多い。それに、もはや仏様だからな。笑っては失礼だ」


 川口が黙ってうなずいた。


「巻き込まれた民間人だが、身元は分かったのか?」


「死んだ坊主頭の男は公安がマークしていました」


「なんだと?」


 山本の眉間に深いしわが浮いた。


「防衛省の要請で、監視対象者にしていた水島三吾、45歳。元海上自衛官の2佐だそうです。監視理由は思想上の問題ということです」


「クーデターの可能性があるということか……、犯行声明は?」


「そういったものは所持していません。監視理由の詳細は、防衛省側は答えられないということでした。ただ、総理を害するような思想の持ち主ではない、ということなので、その逆ではないでしょうか?」


「生粋の右ということか?」


「おそらく。……今日、広島の自宅を県警が家宅捜査しますので、思想的背景があれば、わかると思います」


「わざわざ総理の顔を見るために広島から来たというのか……。意識のない男との接点はないのか?」


「公安からは何の報告もありませんでしたから、無関係なのでしょう。公安が胡散臭うさんくさいいといっても、今回の事件で隠し事をすることはないと思います。もちろん我が組対部でもマークしていない顔です」


「そこは自慢するところじゃないだろう」


「ハッ。申し訳ありません」


 真面目な顔で答えてから、川口が表情を崩す。


「この事件を手際よくかたづければ、次の総監は山本副総監に間違いないでしょう」


「不謹慎なことを言うものじゃないよ」


 山本は、それまで緊張で固めていた顔をほころばせた。


「流れ弾で怪我をした女性客がいたな。容態はどうだ。暇を見て見舞いをしよう。メディアを連れて行けば、警察のイメージアップにもなるだろう」


 山本は写真の女性に眼をやった。テレビカメラに一瞬、映ったもので、降雪のために不鮮明だが、エキゾチックな容姿の美女に見えた。


「それが、不思議なことに会場から消えてしまったそうです」


「消えた?」


 失望と不信が山本の脳裏で交差する。


「県警に行方を探させています。消えなければならない理由があったのでしょうから」


「まったく、どういうことだ……」


 自分のイメージアップの目論見がふいになり、腹が立った。


§


 警視庁では、意識をなくした三沢の指紋と顔写真、DNAなどから様々なデータの照合が行われていた。そして翌日、公安部のビッグデータ検索システムが犯人のデータを二つ発見した。一つは自動車免許センターに登録された顔写真で、もう一つはハンバーガーショップの顧客情報にある顔写真と人差指の指紋データだ。それらが意識不明の犯人のそれと一致した。


 捜査本部は、犯人の1人を三沢智明と断定。翌朝、警視庁によって三沢のアパートの家宅捜索が行われた。


 同居していた内藤は、任意の取り調べに半ば強制的に引き立てられ、三沢が日明研に属していることが判明した。


 捜査線上に日明研の名前が出て驚いたのは川口だった。組織犯罪対策部内では、日明研は熱心な萩本総理支持団体として知られていたからだ。


 事件当日、内藤は派遣先のショッピングモールで働いていた。三沢の行動については、前日に電話があり、友達と名古屋に行くという連絡があった、と話した。その電話以降、何の連絡もなかったという。


 スマホの通話履歴やSNSの記録は内藤の証言を裏付けた。


 内藤は素直に事実を話しており、その言葉に嘘はないと思われたが、全てを話しているわけでは無い、というのが、ベテラン捜査員たちの心証しんしょうだった。


 取調室内には、ベテラン捜査員に混じって小島の顔がある。キャリアの立場を利用し、ビデオで証拠記録を撮るという名目で参加していた。


「三沢とはどういう関係なんだ」


 蓮見はすみ警部が厳しい声を上げた。すでに同じことを3度も聞いている。


「ルームメイトです」


 内藤は怯えたように身体を縮め、立派な体格に似合わない優しい声で応えた。


「そんなことはわかっている。思想面、経済面、いろいろと他にあるだろう」


「生活費は折半にしていました。三沢君の収入はアルバイトです。居酒屋やレンタルビデオショップで働いていました。僕はショッピングモールで働いています。今日はシフトが入っているので、返してもらえないでしょうか? シフトに穴をあけたら首になってしまいます」


「職場には俺たちから連絡しておくよ」


 刑事が怖い顔で言うと、内藤はこの世の終わりに直面したような顔をした。


「止めてください。警察に疑われていると思われたら……。もうだめだ。首になる」


 内藤が机に突っ伏して両手で頭を押さえた。


 小島は、頭を抱えるというのはこういう状態を言うのだろう、と感心しながら、仕事を失うであろう内藤に同情した。任意同行だから内藤には帰る権利があるが、なんだかんだと理由を付けられて三日は拘束されるだろうと思った。総理狙撃という大事件は刑事たちを興奮させており、取調室内は法律も常識も通じないように見えるからだ。


「僕らの思想は完ぺきに一致しています。だから同居しています」


 内藤は頭を抱えながら言った。


 刑事たちはそんな内藤の頭をつかんでカメラの方に向かせる。瞳が潤んでいた。


「なるほど。それで、萩本総理をどう思っている」


「日本国の偉大な指導者だと思います」


「それなら三沢は、何故、総理を撃った?」


「わかりません」


 内藤が激しく頭を振った。彼は日明研の思想や活動に至るまで包み隠さず説明したが、刑事たちの怒鳴り声が収まることはなかった。


「去年、彼はアメリカ旅行に行きました。それで変わってしまった」


「アメリカで、三沢の思想が180度変わるような経験をしたというのだな。何があった。聞いているのだろう?」


「それは、……わかりません。とにかく、帰ってきたら変わっていました。昔の三沢君ではなくなっていた」


 蓮見が厳しく追及すると、三沢がアメリカで人妻と不倫していた、と内藤が告白した。そうして涙を流しながら、彼は拳で机をたたいた。


「それ以外には?……」不倫ぐらいのことで、と刑事たちが納得するはずがなかった。

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