第24話 暗殺

 復興記念公園オープニングセレモニーの開会を知らせる花火の音と音楽が、通気用の穴から三沢の脳に届いた。


「やっと動けるよ」


 三沢は、もはや身体の一部と化したライフル銃に報告し、雪の中から頭を出した。


 司会者らしき人物がマイクスタンドの前に立っている。その姿を見つめながら肘をたて、ライフル銃を構えた。


「それでは、萩本総理のご挨拶を頂きます」


 司会者の声がスピーカーから流れると、会場からパラパラと拍手があった。


 萩本のスピーチ開始3分後。その時に引き金を引く取り決めだ。三沢はゴクンと唾をのみ、スコープに目を当てて射撃体勢に入る。


「オリンピック、ワールドカップ、万国博覧会。今こうして地方にも元気と勇気が満ち溢れる時代になりました……」


 萩本の話が始まると、会場に座っていた若い男女が突然立ち上がり上着を脱いだ。


 ――♪セイヤセイヤ♪、♪セイヤセイヤ♪……、若者たちは掛け声をかけながら踊りだす。1人や2人ではない。上半身裸の若者は20人ほどいて、北風に立ち向かうように激しく踊り狂った。


 祭りには〝力〟がある。踊る旗に、音楽に、酒に、人々の息遣いに人は酔う。そうして実力以上の〝力〟を引き出すのが祭りだ。そして祭りは、しばしば、人の判断を狂わせてしまう。


 ――♪セイヤセイヤ♪、♪セイヤセイヤ♪――


 警備の警察官もメディアも、マイクの前の萩本も、半裸の男女に眼を奪われた。


 遠くでライフル銃を構えていた一之瀬にも若者たちの掛け声は届いた。会場で若者が踊り出すといった計画は聞いていない。一之瀬は、このアクシデントで総理がステージを降りはしないかと気をもみながら「動揺するな。計画通りだ」と自らに言い聞かせた。深呼吸をして鼓動を整え、ライフルの照準を定める。


「裸の馬鹿者を拘束しろ」


 警備責任者の伊達だて警視が無線機のマイクに向かって叫ぶと、会場周囲を取り巻くように配置されていた警察官と道路に並んでいた機動隊員たちが会場になだれ込んだ。


 踊り狂う若者たちは、ある者は羽交い絞めにされ、ある者は地面に転ばされて拘束された。時折、女性が悲鳴を上げて人々の注目を引いた。


 北の山で――ターン――と乾いた音がしたが、その音に意識を向ける者はなかった。誰もが女性の悲鳴に注意を奪われていた。


 続いて反対側の山でも――ターン――と音がし、再び北側の山で発砲音が木霊した。


 ――ターン――


 公園入口の建物付近で発砲音があって初めて、警察官が異変に気づいた。その時、萩本が宙を仰ぐように両手を上げたかと思うと、膝から崩れるように倒れた。


 ――ターン――


 どこからともなく発砲音は続き、周囲を取り囲む山々に木霊した。


 総理を守ろうとしたSPの1人も首の付け根から血を流して転倒、前列の端の席に座っていた坊主頭の観客もパイプ椅子ごと倒れた。


 警察官たちが慌てて腰の拳銃を抜いた。


 拘束されていた若者たちは警察官の手を逃れ、参列者は悲鳴を上げながら逃げ惑った。


「何があった!」


 建物内の伊達は、叫ぶだけで有効な行動ができなかった。事態が呑み込めていない。


 その時、伊達の目の前を真っ白な塊が落ちた。三沢が飛び降りたのだ。そこは、三沢が指示されていた逃走方向とは逆側だった。しかも屋根に置き捨てるはずだったライフル銃をしっかりと握っている。


 眼を血走らせた三沢は「天誅!」と叫びながら会場内を走った。


 人波が割れて、三沢の前に1本の道が開かれる。三沢は倒れた萩本に向かって引き金を引いた。


 伊達があわてて建物を飛び出した。


「あのバカが……」


 一之瀬と友永は、別の場所で全く同じことを口にした。警察官の真ん中に飛び込んだ三沢を助けることなど無理だと思った。


 2人は指示された通りにライフル銃を投げ捨てると、公園に背中を向けて離脱した。


 雪が舞い始める。大粒の牡丹雪だ。


 ライフルを構えて公園を走った三沢は、3度引き金を引いた。その1発目が会場の隅に立っていた女性の腕をかすめた。残りの2発は誰にも当たらなかった。


 逆に、SPの撃った弾が三沢の肩に当たり、警察官の撃った弾の数発が三沢の足を止めた。そのうちの1発が頭骸骨を割り三沢の意識を奪った。


§


 一之瀬は白い息を吐きながら雪の中を西に向かう。来た時の足跡はほとんど降った雪に隠されていたが迷うことはなかった。


 背後で多数の銃声がした。様々な音だ。ライフル銃のそれ以外は、三沢に向けられたものだとわかる。一瞬、足が止まったが、直ぐに歩き始めた。逃げるように、早く、強く。


 100メートルほど歩いたとき、自分の物ではない足跡を見つけた。自分より後に誰かが山に入った印だった。それは北に向かって点々と続いている。その先に人影はない。


「誰かに見られたか?……だから、どうだと言うのだ」


 一之瀬は考えることを止めて動き出し、小さな丘を越えた。そこで白い目出し帽を取り、白い防寒着を脱ぎ、白い手袋をはずしてリュックに詰めた。発射残渣はっしゃざんさが検出される可能性のあるものは焼き捨てる予定だ。


 石原解体産業で一之瀬と友永は合流した。


「よう」


 2人は片手を上げてハイタッチしたが、顔は怒ったようにひきつっていた。そうさせたのが自分なのか、三沢なのか、2人にはわからなかった。


 遠くからパトロールカーと救急車のサイレンの音が近づく。


「検問が敷かれる前に行こう」


 車の周囲には一之瀬たちのものではない足跡が残っていたが、急いで乗り込む2人はそれに気づかなかった。


「どうする?」


 エンジンをかけながら友永が訊いた。


「どうもこうもない。東京に帰るだけだ」


「三沢が口を割ったら、捕まるぞ」


「その時は諦めろ。国家のためにことを成したのだ。何も恐れることはない」


 友永がうなずいてアクセルを踏んだ。


 一之瀬がカーラジオのスイッチを入れると総理が撃たれたという速報が流れた。SPと民間人にも死者が出たと聴き、2人の良心が少しだけ揺れた。


『犯人は警察官に撃たれて意識不明です』


 アナウンサーの声が流れた時、2人はほっと胸をなでおろし、そんな自分に嫌悪した。その気持ちを互いに伝えることはなかった。


「単独犯だと思っているようだ」


 友永の言葉に、一之瀬は黙ってうなずく。車が国道に出てから、一之瀬はやっと口を開いた。


「山の中で足跡を見つけた」


「誰かに見られたのか?」


「わからない。見られたとしても、100メートルぐらいは離れていたろう」


「目出し帽をかぶっていたんだ。見られたところで気にするな」


「尾行されていないか?」


 友永がルームミラーに眼をやる。後には3台の車があった。白色の軽自動車、水色のセダン、黒色のワンボックスカー……。どの車も怪しく見えたがありふれた車でもあった。


「どうしてあんなところに人がいたのか、それが気にかかる」


「俺たちの仕事を確認したのか?」


「そうかもしれない」


「天下会長か? いや、運転手の横山だな。あいつ、少しばかり頭がいいからって参謀気取りだ」


「その可能性はあるな。だとしたら気にいらない」


 一之瀬は珍しく語気を荒げた。


「なにが?」


「俺たちに監視を付けるような天下会長がさ」


「そうだな……、それより萩本総理に命中したのは、俺の弾か?」


「わからない。撃つことで夢中だった。何発撃ったのかさえ憶えていない。当ったのは俺の弾かもしれないし、友永の弾かもしれない。でも、一番近い三沢の弾の可能性が高いだろうな」


「やっぱり、そう思うか……」


 友永がため息をついた。それで一気に緊張が解け、ゴワゴワする腰回りが気になった。


「パンツ。臭いな」


 2人は声を出さずに笑った。


 一之瀬はシートにもたれると眼を閉じた。「今から帰るよ」頭の中で妻に報告をする。しかし、脳裏に現れたのは妻ではなく、スコープ越しに見た萩本の顔だった。彼が天を仰ぎながらずるずるとくずれ落ちる。それは恨み言を言っているように感じられた。


「手塚さんの言うことが当っていたな」


 一之瀬は恐ろしくなって、自分の行動の正当性を探す。


「何が?」


「テキサスで話したことだ。俺たちは、本当にオズワルドになった」


「ああ、歴史を変えたんだ」


 未来を修正するために、私腹を肥やすあんたには天誅が必要だったのだ、と一之瀬の理性が脳内に宿った萩本に向かって言った。


 友永がバックミラーに眼をやった。黒色のワンボックスカーが後ろにいた。ボンネットにピンクの唇が描かれていてよく目立つ。運転しているのは若い女性だ。いかれたヤンキー娘だろうと思った。


「手塚さんは、こうなることを予想していたのかもしれない」


 一之瀬がダッシュボードから取り出したのは3人の財布とスマホだ。計画書の指示通りに、身元が分かるものは置いて行ったのだ。


 一之瀬は自分の財布をポケットに入れ、友永のものは友永に渡した。


「まさか……、優秀なスナイパーだけど、占い師じゃないぞ」


「そうだな」


「形見になるのかな……」


 三沢の財布とスマホはダッシュボードに戻した。


 一国の首相を撃って歴史を変えたはずだが、一之瀬に充実感は無かった。


 友永が運転する車は東北自動車道を南へ向かう。その100メートル後方には唇を描いたワンボックスカーがぴったり着いていた。


 友永が怪しんだ。


「ずっとブラックのワンボックスにつけられている。唇が描かれている奴だ」


 一之瀬は身をよじって後方の車を見た。友永の言う通り、ワンボックスカーが続いている。ナンバープレートはリアウインドウが曇っていて読めなかった。


「マリリンモンローの唇かな? 警察じゃなさそうだ」


「ああ。マスコミの可能性はある。そうなら東京まで連れて行くわけにはいかない。様子を見てみよう」


 友永がアクセルを踏んだ。後続車がナビシステムで機械的に走っているなら離れるはずだった。


 デジタルメーターがどんどん大きな数字を表示する。ワンボックスカーもスピードを上げ、離れるどころか接近した。


 ルームミラーにドライバーの顔がはっきりと見える。目元の美しい女性で、友永に向かって手を振っていた。バイバイ、と女の唇が動いた。


「なんだ、あいつ? 気味が悪いな」


 友永がアクセルを踏み込んだ。


 エンジンルームの温度が上がり、バイエル酸が溶けはじめて電子回路の一部を破壊した。


 2台の車の間に距離ができ、ルームミラーの中でワンボックスカーは点のように小さくなった。友永の車は加速したが、ワンボックスカーは逆に減速したのだ。


「尾行じゃないようだな。マニュアルの車が珍しくて、ついてきたんだろう。もう諦めたようだ」


 後方を見ていた一之瀬の声は冷静だった。


 追尾する車がなくなっても、長い下り坂で友永の車は加速を続けている。


「飛ばしすぎるなよ。覆面パトカーに捕まったら面倒だ」


 一之瀬は心配になって注意したが、友永は応えない。ただ唇を震わせている。


「どうした?」


「勝手にスピードが上がっているんだ。ブレーキも効かない……」


 友永は顔をひきつらせてハンドルを握りしめ、急なカーブに挑んだ。車をコントロールするのに必死だった。


「サイドブレーキを!」


 一ノ瀬は思わず叫んだ。


 スピードメーターが時速150キロを表示する。エンジンルームから火が出て、ボンネットが吹き飛んだ。車はスピンしながら側壁に激突、燃料タンクから流れ出したガソリンに火が付いた。


 黒煙がどんよりとした空に向かって舞った。数台の車が止まり、消火器を手にしたドライバーが降りた。しかし、火勢が強く、車には近づけなかった。黒色のワンボックスカーがその横をゆっくりと通り過ぎる。ハンドルを握った女性の唇から白い歯がのぞいた。


 東北自動車道は閉鎖され、消防自動車のサイレンが鳴り響いた。


 事故車は燃え尽き、残ったのは金属ばかりになった。中から焼死体が二つ発見された。

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