魂の歌

第16話 決行

 水島は東バタン大島の上陸予定地に無事、到着した。しかしその時刻は、計画より10分も遅れていた。海が荒れていたからだけではない。島周辺に設置された機雷やレーザーセキュリティーが予測以上に多く、水島の行く手をはばんだからだ。


 目的地点の波打ち際にたどり着くと、水中スクーターやフィン足ひれを波よけブロックの隙間に隠し、慎重に急傾斜の岸壁を上った。


 事前に頭にたたきこんでいた基地の衛星写真と目の前の景色を比べ、自分の位置と目指すべき建物を確認した。ウイルスを拡散する場所に居住区域が選ばれたのは、散布時刻が深夜だということと、そこなら防御対策も軽微だと推測されたからだ。


 孤島の基地なので地上の警備は甘い。おまけに昨日は東亜連邦共和国では正月にあたる春節で、多くの兵隊が酔いつぶれているに違いなく、基地内を移動するのは容易だった。


 水島は宿舎にたどり着き、背中のボンベをおろした。


 ボンベは2本が並列した形で、片側は酸素ボンベで、一方はウイルス溶液が入っている。そのウイルスは鳥インフルエンザウイルスから作られていると聞いていた。鳥しか来ない孤島だから、鳥インフルエンザが適しているのだと理解している。


 3階建ての宿舎はエアコンが効いているらしく、窓はすべて締め切られていた。ガラスの一部をカットしてから、自分がウイルスを吸い込まないように酸素ボンベのレギュレーターをくわえた。


 ウイルス溶液を注ぎ込む。それは床に落ちるとすぐに気化した。


 ヨシ。……ボンベが空になったのを確認し、切ったガラスを元通りにはめ込んだ。一連の作業を、水島は熟練した職人のようにこなした。


 ホッと息をつき緊張を解放する。


 ヨシ!……胸の内で己に気合を入れてレーダー施設に向かう。


 レーダーのアンテナは、鉄骨造の建物の屋根に乗っていた。レーダーから伸びているケーブルが建物内部につながっている。建物内に関連機器が設置されているのだろう。


 当初はアンテナだけを破壊する予定だったが、建物ごと破壊することにした。建物が壊れれば、内部の設備本体も破壊できる。酸の設置個所は増えるが、レーダーの機能を長く止めるには確実な手段だ。


 水島は、建物の北側と西側の基礎部分に当たるH鋼8カ所にバイエル酸をセットした。それがH鋼を溶かしたら、建物もレーダーの鉄塔もバランスを崩して倒壊する。セットしたバイエル酸の4カ所に発火装置を埋め込み、受信機を取り付ける。それらの表面に断熱樹脂を塗ってカモフラージュした。


 全ての作業を終えるのに、計画より10分ほど時間を要したが、誤差の範囲内だ。


「誰かいるのか?」


 上陸地点に向かって移動していると歩哨ほしょうの声がして、目の前を懐中電灯の光が流れた。


 見つかったか?……光につかまらないように向きを変え、一番近い岸壁から海に身を沈めた。


 水面から目を出して覗くと、陸地にある灯りは一つだけだった。歩哨は仲間を呼ばなかったようだ。相変わらず「誰かいるのか?」と鶏のような高い声で繰り返しながら、岸壁をゆっくりと見回っている。


 水島は一旦沖に移動し、サンゴ礁に沿って上陸地点に戻った。予定時間より25分ほど遅れていた。


§


 現地時間午前3時30分。〝かいりゅう〟は水深250メートルの海底から浮上を始めた。合流時刻には早かったが、万が一にも水島を待たせることがないように、吾妻勇気が浮上を急いだのだ。


 予定地点に到着した〝かいりゅう〟は、潜望鏡とレーダーアンテナを搭載したドローン上げた。


「相変わらず、荒れている」


 勇気はモニターに映る激しい波のうねりを見つめた。その後ろには難しい顔をした河本が立っている。水島の出発時に操艦ミスの理由を問いただして無視されてから、ずっと機嫌が悪い。


 水島は水中を移動して戻るし、収容も海中で行う計画だから水面に人影を探す必要は無かった。吾妻は、水島が〝かいりゅう〟を見つけて外殻を叩くのを待てばよかった。それなのに海面に注目してしまうのは、人間が視覚に頼って生きているからだ。


 流れの速い海中で潜水艦を見つけられるのだろうか?……訓練時には、水島はそれをやって見せた。その時も勇気には信じられなかったが、今回は実践だ。どんな不測事態が生じるかわからない。おまけに海は時化しけている。水中スクーターを使用しているとはいえ、時化た海を正確に移動できるものだろうか?


「戻ってくるか?」


 河本が口を利いた。


「その確証がなくて、幕僚本部は作戦を立案したのですか?」


 勇気が応じると、河本は黙った。


 隣に立った伊東が吾妻の袖を引いた。反抗的な態度をとるなと言っているのだ。


「方位フタマルサン、船舶。照射レーダーから東亜連邦軍です。距離60キロ」


 レーダー担当の吉村よしむらが高い声で言った。〝かいりゅう〟の乗組員の内、勇気を含む15名は女性で、吉村はその内のひとりだ。


「ヨシ、監視怠るな。水島2佐も、そろそろ戻ってくるはずです」


 時計に目をやる。ちょうど合流時刻だった。


「モーター音、探知できるか?」


 勇気が副長の伊東に眼をやる。ソナー員の村田むらたか川内が水中スクーターの音を聞きとっているころだと思った。


 伊東は勇気の顔を見ながらゆっくりと首を横に振った。


「本艦をロストしているかもしれない。アクティブソナー打て。クジラだ」


「よほど近くにいない限り、反射は期待できませんよ」


 伊東が応えた。


「水島2佐のほうからこの場所に来てくれますよ」


「では、1発だけ打ってみましょう」


 村田がボタンを押すと、キュゥーン・キュゥーウンという切ないクジラの歌が艦内に木霊こだます。その間、わずか10秒。同じ音が海中を走っているはずだった。


「どのくらいまで届くのだ?」


 河本が訊いた。


「本物のクジラの歌は3000キロ届いたという研究がありますが、水島2佐の聴音機の性能は悪い。3キロが限界です」


 吾妻はその歌が水島に届くことを願った。


「東亜連邦艦接近。距離40キロ。速力30ノット」


 クジラの声を発してから10分経過しても水島からの打音はなかった。代わりに敵が近づいた。


「東亜の設定領海外に移動しましょう」


 伊東が進言した。


「だめだ。水島さんを拾えなくなる」


 時間は刻々と過ぎる。


「東亜連邦艦、距離20キロ。音紋識別。艦は駆逐艦レッド・シー01ぜろわんです」


 船の発するスクリューやエンジンなどの音から、その船が特定された。対潜水艦能力の高い駆逐艦だ。艦内の緊張が高まった。


「見つかったのか?」


 河本が訊いた。


「まだまだ距離があります。ピンも打たれていません。それはないと思います」


 勇気は答え、潜望鏡から送られてくる映像に目をやった。東の水平線は白みを増して星が消えかけていたが、西側は群青色が濃く、星々が輝いていた。


 じりじりと時間だけが過ぎる。


「水中スクーターのスクリュー音は、まだ聞こえないか?」


 伊東が訊く。


「ありません」


「レッド・シー01、15キロ」


「帰艦が30分も遅れています。トラブルがあったとしか思えません。一旦、離脱しましょう」


 伊東が進言しても、勇気は動かない。しかし、出発前に水島が言った言葉を思い出していた。「あなたは60名の命を預かっている。臆病でいい」……それは自分を捨てて行ってもいいという水島の優しさだ。「自分は覚悟を決めましたよ」……とも言った。


 だからこそ、自分は水島を助けたいと思う。


「レッド・シー01、10キロ」


 ドローンから送られてくる映像にレッド・シー01の影があった。


「領海外に退避しましょう。我々が沈んでは元も子もありません」


 伊東が強く主張すると、河本が勇気を睨んだ。監察官は現場の指揮に口をはさむことはできないが、その目で伊東を支持すると言っているようなものだった。


「おちつけ。〝かいりゅう〟がステルス艦だということを忘れるな。まだ、大丈夫だ」


 それは副長と同時に、自分に対して冷静になれ、勇敢になれ、と励ました言葉だ。


「レッド・シー01、5キロです」


 その声には焦りが見えた。


「艦長、東亜連邦を甘く見ては……」


 河本が作戦に口を出すそぶりを見せる。勇気が横目でにらむと、彼は言葉をのみこんだ。


「やり過ごしましょう。潜望鏡、アンテナ下ろせ。無音潜航150。海流に流されろ」


 勇気は命じた。その場を離脱することが、河本の顔を立て、恩を売る手段でもあった。


 もし、レッド・シー01のソナー担当者の耳が良かったら、スクリューを回しただけで気づかれる距離だ。〝かいりゅう〟は、その腹の中に海水を集めて自重を増やし、水深150メートルの海中に向かって静かに沈降、魚群に紛れた。

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