第13話 ブルースの血脈

 射撃場の裏に、1階がレストランで2階に客室が6室並ぶモーテルがあった。経営者は射撃場の管理人のブルース・高木で、妻のアンナと2人で切り盛りしていた。


 射撃場に客があれば、ブルースは射撃場にいなければならないから、レストランは実質アンナひとりでやっているといえた。もっとも場所が田舎だから、食事をするためだけにレストランに客が来ることは滅多にない。日明研のメンバーのように、長期間の射撃練習に来る客のためにあるようなものだ。


 朝から晩まで的を撃ち続けた日明研の男たちは、空に明るい星が瞬いてから訓練を止めた。それにあわせてブルースが射撃場の照明を落とす。すると文明の陰に隠れていた数々の星がひょっこり現れ、群青色の空は青や白、黄色といった冷たい光を放つ星々で埋め尽くされた。


「天の川は、本当に川のようだな」


 一之瀬は空を見上げた。東京と異なる夜空に感動を覚えた。隣で三沢が見上げた。


「東京じゃ、こんなに星は見えませんからね」


「文明の輝きに比例して星が消えていく。それが寂しいからとLEDのイルミネーションで通りを飾り、それがまた星を減らす原因になる。勝手なものだな」


 男たちは疲れた瞳をしょぼしょぼさせながらレストランに足を運んだ。


「やりすぎは体に良くないヨ」


 レストランのドアを開けると、アンナが片言の日本語で言った。茶褐色の肌にグレーの瞳を持ったアンナはポーランド系アメリカ人とプエルトリコ人のハーフで、50歳を過ぎていると本人は言うのだが、30代に見えた。


「日本人は凝り性だからね」


 ブルースが日本人を弁護する。


 一之瀬は夫婦の会話に耳を傾けながら、壁に掛けられた写真のうちの一つに眼をやった。黄ばんだ古い写真で、若い高木夫婦の背後になじみ深い雪をかぶった山がそびえている。


「富士山ですね」


「ハネムーンで日本に行った時の写真ヨ」


 アンナとブルースは親子、いや老人と孫にさえ見えるが、夫婦だったのだ。改めて驚きを覚えながら、写真とアンナ、それからブルースの萎びた顔に目をやった。


「その時初めて祖父母の国に立ちました」


「ブルースは、三世なのヨ」


「なるほど。苦労されたのでしょうね」


 一之瀬が言った。


「苦労したのは祖父母と両親だけだよ。戦争中は収容所に入れられたからね。今でも東洋人は差別されるが、黒人に比べたらまだマシだ。面倒なことも多いが、そんなことをいちいち気に病んでいたらどこにも住めない」


 ブルースがニコニコと人のいい笑みを浮かべる。一之瀬は、なるほどとうなずいた。


「自分の立つ場所で懸命に生きることが大切だ。そう思えばこそ、こんな田舎でもやっていける。……右隣の写真に写っているのが祖父母と両親と叔父夫婦だよ。子供は私と従弟のマイケル」


 話しながら、ブルースがキッチンに立って肉を焼く準備を始める。


 一之瀬は、隣の写真の前に移動した。


「みなさん、ご健在ですか?」


 モノクロ写真には、真っ黒に日焼けした老夫婦を囲んで2組の夫婦と小さな男の子が写っていた。叔母という若い女性が赤ん坊を抱いている。老夫婦は日本人の顔をしているが、叔父という男性の顔は明らかに白人の血が混じっていた。兄にあたるブルースの父親とは全く似ていない。


「祖父母はとうの昔に神に召された。親父もだ。生きているのは母親だけだよ。サンフランシスコの施設にいる。叔父夫婦はフロリダの保養所で悠々自適の生活をしている。80歳過ぎても元気なものだ。……従弟いとこのマイケルは香港で貿易商をやっていて世界中を飛び回っているよ。権力志向が強いアーミーナイフのような男でね。頭の回転がシャープで先も読める。そうして何でも切ってしまうんだ。謎も解くが、信頼までも……。所詮、アーミーナイフはナイフだ。他人を傷つけるだけで誰も幸せにしない……」


 彼は感情を殺しているようだった。それから、陽気な作り笑いを浮かべた。


「……もし日本で見かけたら、たまには顔を出すように言ってくださいよ。なあ、アンナ」


「マイケルは、仕事のできる男よ。のんびり屋のあなたとは違うのよ」


 アンナは笑みを浮かべてブルースの偏見を指摘した。


「叔父さんはハーフだね? 叔母さんはスペイン人?」


 一之瀬が遠慮して訊かなかったことを、友永が口にした。


「叔父は祖父の子供ではないのですよ。祖母が収容所にいるときに看守にレイプされてできた子なのだ。祖父はそんな叔父も父と分け隔てなく育てた。叔母は日本人とスペイン系のアメリカ人のハーフでね。叔父と似たような身の上らしい。おそらく、そんな2人の出自がマイケルの性格にも影響したのだね」


 ブルースの声が沈んだ。


 彼の琴線に触れたと知った友永が顔をゆがめていた。見かねた一之瀬は、隣の写真のことを訊いた。


「お子さんは3人? みんなかわいい」


 それは少しだけ新しい写真だ。高木夫婦と小さな子供が写っている。


「長女のリンダと長男のジョン、末娘のジェーン。みんないい子ヨ」


 アンナが説明した。


「ジェーンはMITを卒業してからジェームズの仕事を手伝っていて、香港にいる。ジョンはボストン大学を卒業し、ワシントンだ」


 ブルースの焼く肉が、香ばしい匂いを発した。


「それはすごい。みんな賢いのですね」


「リンダは、ニューヨーク大学をでるとマンハッタンで優雅に暮らしているヨ。もうじき30歳の誕生日ヨ」


 アンナが陽気に言った。


 日明研の4人が席に座ると、ブルースが焼きたてのステーキをテーブルに並べた。アンナが冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し、ブルースに向かってテンポよく投げ渡す。


「また肉かよ」


 友永が溜息をつく。


「ここはアメリカだヨ。しかもカーボーイの街、テキサス」


 アンナが笑った。


「そうそう。ここは自由の国アメリカだ。肉を食うから女が強い」


 ブルースがアンナに向かってウインクを投げ、胸のポケットから写真を取り出した。


「子供たちだよ。一昨年のクリスマスに撮ったものです」


 クリスマスツリーの前に3人の子供たちが並んでいる写真だった。がっしりした体格のジョンの両側で2人の美女がほほ笑んでいる。


 娘たちはアンナと同じ栗色の髪とグレーの瞳をしているが、日本人の血が混じっているためか、とても親近感の持てる容貌をしていた。


「頼もしい子供たちですね。ご結婚は?」


 一之瀬は質問しながら写真を隣の手塚に渡した。


「アンナと違って奥手のようでね」


 ブルースは嬉しそうだ。結婚してくれない方がいい、とでもいうようだった。


「もうじきクリスマス。皆さんと一緒に祝えないのが残念ヨ」


 アンナがお世辞を言った。


 一之瀬が、いつまでも写真に見入る手塚に気づいた。


「どうかしましたか?」


「いや、ちょっと知り合いに似ていたもので」


 手塚はそう言うと三沢に写真を渡した。


「こんな美人の知り合いがいるんですか。今度紹介してくださいよ」


 友永が、三沢の手にした写真を覗き込んで言った。


「お前に紹介できるような人じゃない」


 手塚の硬い声に、友永が顔をゆがめた。

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