オズワルドの亡霊

第12話 カルカノM1938

 ――ターン……ターン……、カルカノM1938ライフル銃の乾いた発砲音がテキサスの空に響き渡る。カルカノM1938は、射撃場にあるライフル銃の中では一番古いイタリア製の軍用ライフル銃だ。


 そこは日系三世のブルース・高木が管理する射撃場だった。彼はエアコンの効いた室内から4人の日本人が熱心に射撃をする姿を新聞片手に見ていた。


「さすが、日本人だ。休みもせずに黙々と練習するものだな。しかし、あんな古いライフルを使うとは物好きだ」


 数日前に65歳の誕生日を迎えたばかりのブルースは、日本人の勤勉さに感心すると椅子に座って新聞を読み始めた。しばらくしてから、自分の身体の中を流れているのも日本人の血だと思いだし、にやりと笑った。


§


 射撃場の4人は日明研のメンバーだった。手塚が指導し、一之瀬、友永、三沢の3人が懸命に学んでいた。手塚以外は20代の若者だ。


「銃にはそれぞれ癖がある。女と同じだ。とにかく、銃に慣れろ。優しくそっと引き金を引け」


 手塚は、肩幅に足を開き両手を後ろに組んだ姿勢を保ったまま、何度も似たようなことを言った。


 時々手にした双眼鏡で百メートル先の的を見ては、新たな指示を出した。それに従い、3人は射撃姿勢を変えるだけでなく、ライフル銃も様々なメーカーの物に持ち替えた。


 一之瀬は唯一の既婚者だった。ライフル銃を構え、引き金に指を掛けると精神が研ぎ澄まされ、一方で全身のエネルギーが腹の底に集まり熱いかたまりとなるように感じていた。塊はギュッとどこまでも凝縮し、点のような核をつくった。


 一之瀬はかつて、その核を見た記憶がある。刀鍛冶かたなかじが日本刀を打ち出すときの、人間と炎が一体となるエネルギーがそれだ。金槌を打ち下ろすように自然にまかせて引き金を引くと、銃弾は的に向かって飛んだ。そして標的の端に命中した。


「カルカノで中てるとは、腕を上げたな」


 滅多に褒めない手塚が褒めた。


「ありがとうございます。千発以上も撃ちましたから、ずいぶん慣れてきました」


 一之瀬は真面目な顔で応えた。


「カルカノM1938は古い軍用ライフルだ。名称通り、1938年製だからな。しかし、その銃は歴史を変える力を持っている」


「どういうことでしょうか?」


「そのライフルがケネディー大統領を暗殺したのだ」


「そうすると自分は、リー・オズワルドということですね」


 一之瀬が笑った。


§


「オズワルドがケネディーを暗殺して、世界が変わったのですか?」


 三沢は、オズワルドもケネディー大統領暗殺事件もよく知らなかった。そんなことより、ライフル銃を手にして学んだのは、人類は武器を手にしたことによって世界を支配し、歴史をつくってきたという事実だ。これからも強い武器を持った者が世界を支配するだろう。


「自分は歴史家じゃないからよく分からないが、冷戦が長く続いたのはそのためだと聞いたことがある。軍需産業と取り巻きの政治家たちは、冷戦構造を変えたくなかった。ケネディーの死で冷戦体制は続き、軍需産業は長く潤った」


「軍需産業のために冷戦が守られたということですか?」


 武力こそが唯一神聖な力だと信じる三沢にとって、手塚の話は不愉快だった。力はもっと神聖なものであるべきだと思う。戦いの歴史に、汚れた金の話が持ち込まれるのは面白くない。


 世の中には正義と悪しかなく、その二つは暴力という境界線で区切られている。そこに金の入り込む余地などあってはいけないのだ。自分は正義の側で拳をふるう。それが、三沢が引き金を引く理由だった。


§


「オズワルド、ダメじゃないですか。世界を悪い方に変えている」


 友永が言った。


「確かに、オズワルドは世界を悪い方向に変えた。変えさせられたという方が正しいだろう。ケネディーが生きていたらベトナム戦争はもっと早く終わり、ソ連のアフガン侵攻もなかったかもしれない。しかし、忘れるな。オズワルドは失敗したが、我々は失敗しない。今日の訓練は、いつか世界の流れを変えて新しい歴史をつくるための試練だと思え……」


 手塚が時計に目をやる。


「ヨシ、休息にしよう」


 4人はライフル銃を置き、テーブルを囲んで熱いコーヒーを飲んだ。


「冷戦が終わると世界中に余った軍隊と武器が溢れた。平和のおかげで人口が増え、世界の経済格差が広がった。結果、戦争は減ったがテロは身近になった。一方で、中国、東亜連邦共和国は人口と経済力をてこに軍事力を強化している。……とはいえ、世界の未来を変えるために大規模な戦争をはじめようという馬鹿な権力者はいない。強すぎる武力はショーウインドウの花だ。核兵器など、どれだけたくさん持っていようが使えはしない。……逆に我々の力は微々たるものだが、世界中で起きているテロを見ろ。現実の戦いは、小さな武器で地道に行われる。政治を動かすのであれば、我々の力は決して小さくない。我々の力で歴史をつくれるなんて、こんなに素晴らしいことはないではないか」


 手塚がプラスチックのコーヒーカップを掲げ、自衛隊では成しえない世界と未来への干渉を夢見て熱く語った。半分は天下の受け売りだ。


「それで自分たちは、何を撃つために訓練しているのでありますか?」


 友永が軍隊口調で訊いたのは、手塚の長い演説を終わらせるためだ。友永にとって、目の前にあるのは未来でも東亜連邦やアメリカでもなく、胸がむかつくような日本国の現在だけだった。眼の前に立ちふさがる全てのものを葬り去りたいと思っている。


「自分も標的は聞いていない。しかし、お前たちが気にすることはない。日本の未来は、天下会長がしっかりと見定めている。我々は会長を信じ、会長の命令に従えばいい。スナイパーは理由など考えず的だけに集中するのだ。的に感情移入しては射撃技術があっても外してしまう。銃に慣れるのと同時に、自分の感情をコントロールする技術を身に着けろ。一旦銃を握ったら、感情を捨ててマシンになれ」


 手塚が言葉を切って3人を見回した。男たちは口を真一文字に結んでうなずいた。


「今から的を人型に変える。ただの的じゃない。顔があり目がこちらを見ている的だ。その視線に打ち勝ってトリガーを引け。ライフルはブレイブV15がいいだろう。猟銃としても普及しているから、馴染んでおいて損はない。さあ、始めよう」


 4人はテーブルを立った。


 手塚が標的を変えて戻ってくる。新しいそれは、小学生ぐらいの子供の姿をしていた。


「順番に撃ってみろ。頭を狙え」


「ハイッ!」


 3人は、それぞれの的に向けて照準を合わせた。


 点数が表示された無機質な的ならばゲーム感覚で気楽に撃てるが、たとえ写真でも人の頭を狙うとそうはいかない。実際、子供の顔をした的には誰もあてることが出来なかった。


「子供に当らないのは的が小さいからじゃない。お前たちの脳が、本能的に子供を守ろうとしているんだ。そういう意味ではお前たちは正常な人間だ。しかし、それでは任務を全うすることは出来ないだろう。……戦場は狂気の世界だ。子供を子供と思っていてはいけないのだ。引き金は感情で引くな。理性で引くんだ」


 そう言う手塚自身、戦場を経験したことはなかった。


 手塚は的まで足を運ぶと、子供の的に拳銃を縛り付けて戻った。


「あの子供は少年兵だ。紛争国には、あんな子供は山ほどいる。気持ちを真っ白にして任務に集中しろ。対象が何者かではなく、自分が何をすべきかを考えろ。これは自分の心との勝負だ。ビビったら負けだ」


 手塚は男たちの背中を平手で打って歩く。叩かれた者の表情は引き締まり、子供の的を撃ち抜いた。


「もう一度」


 手塚が的から銃を外した。


 子供を撃った経験をもつ3人の脳は、痺れることなく的を捕えた。

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