第11話 無邪気な野心家

〝日本の明るい未来を考える研究会〟は、沢田一郎さわだいちろうが日本国の未来を憂える人々を集めるために創設した政治団体で、20年以上の歴史がある。会員数は公称100名ほどだが、実際に活動しているのは18名にすぎない。


 沢田は会を設立後に名前を天下大地あまのしただいちと変えて会長に就任した。団体は寄付金と会報の広告料、定期購読料などで運営されていて、集まった資金は経費として使用されるほかに民自党の政治家に献金されている。そこは、権力を望む亡霊たちを引き寄せる魔窟でもあった。


 天下の趣味はゴルフで練習は欠かさない。自宅にはパットを練習するための芝の庭とバンカーに模した砂場もあり、暇さえあればゴルフ練習場に通っている。


 ゴルフ練習場は大人の社交場のような側面もあって、見知らぬ客が声をかけてくることが珍しくない。腕に自信のある者が、スタンスがどうの、グリップがどうのと、天下のフォームに口をはさむことも多い。その日もそうだった。


 ――カキーン――


 ドライバーショットの音は良かった。が、ボールはぐんぐん曲がっていく。


「すばらしい。よく飛びますな」


 勢いよくスライスしたボールを陽気に褒める男は珍しい。馬鹿にされたと思いながらも、天下は怒る気持ちになれなかった。


「ボールも私に似てへそ曲がりのようだ」


 天下は苦笑してみせる。


「とんでもない。あなたの国を思う気持ちはまっすぐなものです」


 自分のことを知っているらしい。……天下は自分を褒めた男に注目した。年齢は50歳前後で背丈は自分より頭一つ高く筋肉質の身体は獣のようだ。顔は彫が深く、普通の日本人には見えない。外国人の血が混じっているのだろうか?


「突然声をかけ、失礼しました。私はジェームズ・坂東ばんどう。日系アメリカ人です。あなたの顔はメディアで見知っていましたので、天下会長と知ったうえで声をかけさせていただきました。実は私、ジェームズ・ボンドの親戚でして……」


「ジェームズ・ボンドの親戚とはスゴイ!」


 天下は〝007〟の大ファンだ。胸が躍った。


 ジェームズと名乗る人物は、牧師のような真面目な表情を作りながらも、芸人のような馴れ馴れしさで天下の懐に飛び込んだ。


 天下はジェームズの声に耳を傾けた。すると彼が声を潜め、自分はアメリカの情報機関に属していて、日本国内で働くエージェントを探している、と言った。


 天下は英語が解せなかったが、エージェントという言葉はハリウッド映画や大リーグ関連ニュースでよく耳にするので知っていた。


「エージェントには世界平和のために働いてもらいます。もちろん、報酬も払われるし、武器も供与されます」


 天下は報酬や武器にもかれたが、それ以上にエージェントという言葉の響きに顕示欲が刺激され、ものの3分で「引き受けましょう」と返事をしていた。


「それで、私は何をすればいい?」


「あなたの部下を鍛えておいてほしい。力が必要になった時に、いつでも使えるように。資金は都度、提供します」


 とんとん拍子に交渉が進んでいく。


 ジェームズが、ゴルフバックのポケットから五つの札束を無造作に引っ張り出してベンチに並べた。まるで手品を見るようだった。


「テキサスで私の知り合いが射撃場を経営しています。そこに4人ほど派遣しなさい。期間は2週間。彼らが帰国後、仕事が成功した暁には、別に桁違いの報酬を払いますよ」


 ジェームズはそう言い残し、風のように立ち去った。


「私にも運が回ってきた」


 天下は札束に頬ずりをしてゴルフバックに押し込むと、予定より早く練習場を引き上げることにした。


 正面玄関で手を挙げると、駐車場に停まっていた黒色の高級車が動き出して天下の前に止まる。運転しているのは背が高く青白い顔をした横山陸男よこやまむつおだ。彼は東都大法学部をトップクラスの成績で卒業した天下の運転手であり、秘書であり、参謀だった。法律に詳しいだけでなく、政界、経済界に限らず、絶えず様々な情報を収集していて、天下に有益な情報やアイディアを提供している。


 政治家との連絡には賢い男が必要だと考えていた天下は、横山にその役割を担わせて上場企業の社員並みの報酬を与えていた。


 横山は自分の信念を貫き通すために日明研に身をゆだねていると話すが、実際はプライドが高すぎて就職に失敗していた。それを天下が拾ってやったのだ。将来は、民自党から国政に押し上げ、日明研の看板にするつもりだ。


 天下は彼にゴルフバックを預けて後部座席に乗りこんだ。それをトランクに積んだ横山が運転席に座ると振り返った。助手席にあるのは〝日本書記〟と〝小六法〟


「いつもより早いようですが、体調でも悪いのですか?」


「いや、私は健康だよ。気分の問題だ」


 込み上げる笑いが止まらない。それを隠すために背もたれに体重を乗せて目を閉じた。旨い話が転がり込んできたものだ。そう思うと口元が緩むのを抑えきれない。


「何か、御用はありませんか?」


 横山がルームミラーを通して見ていた。


「あくまでも、たとえばの話だが、アメリカの情報機関から協力要請があったら、どうすべきだと思うかね?」


 念のために彼の意見を聞いておこうと思う。


「アメリカが、に、ですか?」


「おお、そうだ。過去、CIAが右翼団体や政党に資金提供していたのは有名な話だ。あの時のようなことが行われたら、ということだ。会の運営も決して楽ではない。アメリカの資金的援助があるなら受けるべきだろうか?」


 ミラーの中の横山の眉間にしわが寄った。


「それは止めるべきではないでしょうか。組織の純粋な志が損なわれかねません。武士は食わねど高楊枝、といいます。志を全うするためには外部への依存は避けるべきです。……CIAによる資金提供は戦後のごたごたした時代のことです。今とは違います。コンプライアンスが叫ばれて久しいのです。……それにアメリカは、日本の同盟国ではあっても、かつては敵でした。これから永遠に味方でいる保証はありません。……同盟締結後も、自動車貿易摩擦、スーパー301条項発動、ロシアのガス田やイランの油田開発といったエネルギー政策に口を挟み、日本の成長を妨げたこともあります。アメリカも最終的には自国の利益を優先するのです。判断を誤って国を売るようなことになっては、会長の名声に傷がつきます」


 例えを交えた彼の説明は丁寧で、天下にもよく理解できた。しかし、と思う。今は活動資金も重要だ。


「そうか……」


 そう返しただけで、再び目を閉じた。


 横山の理屈はわかる。しかし……と再びジェームズの人懐っこい顔を思い出した。彼の提案は天下の欲望に沿っていたし、天下の政治信条に反するものでもなかった。


 横山は賢いが、まだ青い。日明研がエージェントになることに彼が賛成しないのなら、昔のように自ら交渉すればいいだけのことだ。敵を欺くには、まず見方から、だ。……そう、秘密を作る自分を正当化した。


「私は必ず天下を取るよ。その時お前も代議士だ」


 そう話す天下の口元を、じっと横山が見ていた。


 その後、天下は4人のメンバーを選び、ジェイムズが指定したテキサスの射撃場に送り込んだ。


 ジェームズはメンバーの中に、陸上自衛隊で狙撃手を務めている者が混じっていることにはいい顔をしなかったが、天下は自分の意志を押し通した。彼は将来、横山と共に自分の片腕になると確信していた。

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