第7話 根っからの野心家

 山伏が企画した四カ国首脳会談が北京ぺきんで開かれ、予定通りの成果を収めた。合同軍事訓練への道筋がついたのだ。


 帰国した萩本総理は、津村官房長官と外務省、防衛相の関係者を官邸に呼んで会談の状況を報告した。すべては自分の思惑通りに進んでいると……。そこに山伏が顔を出したので、津村官房長官だけを残し、他のスタッフを退出させた。


「総理、お疲れ様でした。首尾はいかがですか?」


 山伏には遠慮がない。その顔にも成功を確信している自信が見られた。


「おお、山伏君」


 萩本は唇を結び、表情を厳しくした。怒っているわけでも不満なわけでもない。むしろ逆だ。今回の計画にかける意気込みを表したつもりだ。


「君の予想通りだ。中国も反対しなかった。すべてクリアだよ。この計画には日本の運命がかかっている。私は腹をくくっているのだ。日本の未来と平和のために、よろしく頼むよ」


「承知しました。では、さっそく次のステップに入ります」


「そんなに慌てることはないだろう。夕食ぐらい、一緒にどうだね」


 萩本は席を立とうとする彼を制した。たまには仕事抜きの話をしたいと思った。


「お誘いいただくのは光栄ですが、作戦は時間との勝負です。タイミングを逸しますと、いつどこから横やりが入らないとも限りません」


 山伏の茫洋ぼうようとした顔についた小さな瞳がギラギラしていた。戦略家の、いや、野心家の眼差しだ。体裁ていさいつくろう官僚のそれではない。だからこそ、彼の計画には信頼が持てた。


「なるほど、君の言う通りだ。口では勇ましいことを言っていても、いざとなると怖気づいて何も変えたくないと言いだす連中が多いのは事実だ。私もそれには手を焼いているよ」


 萩本は日頃の悩みを話した。山伏が首を傾げた。泣きごとは聞きたくない、とでもいうように。


「私は政治生命をかけて合同軍事訓練を実施する。それを成してはじめて、日本国は第二次世界大戦で失った独立自尊の精神と国体を取り戻し、世界の信頼を勝ち取ることができるのだ」


 改めて信念を吐露とろすると、山伏の表情から緊張が消えて茫洋としたものに戻った。


「計画成就のあかつきには、夕食をおごってください」


 彼はそう言い残して退出した。その背中を萩本は頼もしく思い、津村は不安を持って見送った。


「彼は珍しい」


 萩本は、山伏の才能をそう表現した。


 津村が困惑しているのがわかり、萩本はほくそ笑む。同じ政党に所属していても、2人は派閥が違えば世代もひと回りほど違う。普段の意思決定を見ていても、若い萩本のそれを、高齢の津村が理解していることはほとんどなかった。


「何が、珍しいので?」


「わかりませんか? 彼は官僚らしくない。動きが早いですよ」


「なるほど。それはわかりますよ」


 津村が小さくうなずいた。


「ほとんどの官僚は、自分の仕事を確実に行うために時間をかけることが多い。ミスを恐れて小さなことにこだわり、言葉遊びを繰り返す。しかし、山伏は違う。まるで最前線の兵士のようだ。敵を倒すために全精力と知恵を絞り、時間を無駄にしない」


「私はそこが気に入りませんな」


 津村が座り直し、背もたれに体重をかけた。


「ほう。津村さんは、私と違った感想を持たれている」


 萩本は両手を広げるようにして、あえて驚きを全身で表した。


 津村が顔をしかめるのを見て、長年官僚に良いように操られてきた年寄りにはわからないだろう、と心の内で笑った。


「津村先生も5年前のことはご存じのはずだ。彼がいなければ、あの中国を割ることはできなかったと思いませんか?」


「確かに山伏は優秀です。しかし、彼は両刃の剣。力を過信し、目的のためなら世界を嵐の中に引きずり込むのにも躊躇しないだろう。日本にとっては危険な存在だ」


 萩本のこめかみに青筋が立った。津村が、山伏のことを取り上げながら、実は自分のことを批判している、と察した。


「外交は力ですよ。軍事力の背景の無い外交は無力。戦争を前提にしない軍事力なら、博物館に並べればいい」


 萩本は断じた。


「確かに、20世紀までの外交には軍事的な背景が要った。しかし今は21世紀。武力だけではうまくいかない。それは、あの時のロシアが証明している。……外交に必要なのは、諸外国と連携して圧力を作り出す純粋な政治力ではないかな? あるいは……」


「他にもありますか?」


 萩本の眉間にしわが寄った。この愚か者が、と津村をさげすんだ。


「世界中が共感する理想、それを生み出す創造力……、と言ったら笑われるでしょうな」


 津村が自嘲気味に笑った。そこで不毛な議論を終わらせたいと考えているようだった。逃がしてなるものか、と萩原は思った。


「ああ、ベルリンの壁が壊れて以来、世界中で国家が壊れ続けた。世界中の国民が共感するのは、わがままな個人。国家の平和など、酒の肴にもならない」


 あえてぞんざいな口を利いた。


 津村の表情が一瞬、険しくなったが、すぐにいつもの顔に戻った。


「地球は狭くなりましたな。だから、こんな面倒なことが起きる」


 萩本が総理だと思い出したのか、その口調が遠慮ぎみなものに変わった。

だからといって萩本は態度を変えるつもりはなかった。むしろ強く出た。


「人が増えすぎたのですよ。時には間引きも必要になる」


「紛争が人減らしの必要悪だと?」


「人間の出生率は男が高い。それは命をして戦うためだ、と私は考えているのですが、違いますか?」


「問題は、ということです。本来の敵は自然であり、猛獣であり病だった。人類ではない」


 津村が学生にでも説くように話した。


「ああ、確かに猛獣や自然災害と戦って男は減っていたのだろう。食料を得るのも簡単ではなかった。しかし、産業革命以降、人類に敵はなくなった。この小さな地球上に人口が90億。もはや、人類の敵は人類でしかない」


 萩本はあえて言い放った。津村が恐怖するのを期待した。しかし、違った。彼の顔に失望の色が浮かんだ。


「戦うならば、環境問題に立ち向かうべきではないか? それこそが90億人の共通の敵だ。長年政治の世界に身を置いてきた年寄りの私が、こんなことしか言えないのは情けないのだが、萩本総理、あなたはまだ若い。熟慮に熟慮を重ね、国民を正しい道に導いてほしい」


「津村さんは甘い。むしろ地球環境を守るためにも、間引きが必要なのだと思いませんか? 今、国民が望んでいるのも、足踏みを繰り返す熟慮ではなく、突破する力。日本国に富をもたらす決断力なのですよ。それを感じませんか?」


「恐ろしいことを口にするのですな」


「政治は感傷ではできない。時には非情にならなければならない。それが国を守るために必要なことだし、国のリーダーの使命だ……、と教えてくれたのは、津村さんをはじめ民自党の諸先輩方だ」


「国民を犠牲にしてまで、とは誰も言っていないはずだが」


「国民は死んでも新たに生まれるが、国は一つ。失ってからでは手遅れになります。だから私は、総理として断固たる決断をするつもりです」


「萩本君。失われる命が君自身や家族のものでも、そのように考えるのかね?」


 津村の顔色が変わっていた。


「野党のようなことを言うのですな。国の立場から言えば、国民は部品にすぎない。国の繁栄のために国家は部品を増やし育てる。壊れたら入れ替える。私自身、内閣総理大臣という国家の部品にすぎない。……だからといって、自分の存在しない世界に何の意味がありますか? 家族を守ることも私の大切な役割だ。個人の立場から言えば、国家は私の夢をかなえるための道具にすぎない」


「国家は夢をかなえる道具と言うのか……。私は、地球も国家も国民も、全てをバランスよく守る道を模索する。そうした気持ちで政治をやってきた。まして、国民を新たな戦争に巻き込むなど……。決してあってはならないことだ」


 津村が語気を荒げていた。


「甘い、甘い。白か黒。立場を鮮明にしなければ、人はついてこない。バランスなど、坊主か学者の言うことだ。……いや、失礼。津村さんの実家は会津の寺でしたな」


 してやったり!……萩本は、そんな気分で、声を潜めて笑った。

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