第6話 合同軍事訓練計画

 山伏は、四カ国首脳会談実施案の与党の合意を取り付けた。政府案を、官僚が与党の合意を取らなければならないのだから、この国の政治制度は効率が悪い。そんなことを考えながら津森つもり官房長官のもとに足を運んで、合意が取れたことを報告した。


「誰も総理と君のやることには口出しせんよ」


 それが官房長官の返答だった。それなら根回しなど不要にしてくれ。……胸の内でみついた。


 事務所に戻った山伏は、パン!と手を打つ。そうして注目を集め、部下に指示を出す。


「首脳会談の開催を急ぐぞ。各部門ごとに企画の詳細を固めろ。中国、ベトナム、フィリピン、三カ国首脳周辺の情報収集も強化しろ。特にアメリカとの関係を見逃すな」


 それからデータを分析する2人の部下を別室に呼んだ。


 高村俊之助たかむらしゅんのすけはベテランで、官僚意識が強く使いにくい部下だった。手続きや組織内の力関係にこだわりすぎ、臨機応変ということを知らない。とはいえ、官僚組織内部の人間関係や事務的な手続きには秀でている。従来の基準なら優秀な官僚だ。


 花村祐樹はなむらゆうきは帰国子女で、良家の御坊ちゃまのようなおっとりした様子をしながら、時々野生動物のような勘を働かせる人間だ。官僚制度にしばられることなく、若者らしい自己主張をする。納得できない仕事はやりたがらず、プライベートを重視して仕事振りもマイペースだ。報告も少ない。上司として使いにくいのは高村と同じだが、若いだけに教えがいはあった。いつかは日本のためになる若者だと期待し、辛抱しながら仕事を教えている。


「メインテーマは合同軍事訓練でいいですね」


 高村が、抽象的な指示を再確認した。


「軍事面が露骨にならないように配慮しろ。経済連携と環境問題を絡め、アメリカと東亜を刺激しないように考えてくれ。アメリカは同盟国だが、姑のような国だ。口をはさむ隙を作るな」


「関係国への経済支援が必要なんですよね?」


 花村が訊いた。上司に向かって、ほぼため口を利く。以前は注意したものだが、今では山伏の方が慣れてしまって違和感を覚えなくなっていた。とはいえ、彼がこのまま官僚としてやっていくのは難しいだろう、と思う。よほど大きな実績をつくるか、強力な後ろ盾を得なければ。


「外交に取引材料はつきものだ。金以外の材料があるなら、それに越したことはない。日本のふところもさみしいからな」


 高村が苦笑する。


「アジア防衛協定に、東亜の東バタン基地は目障りですね」


 花村の声に刺激され、山伏はタブレットの地図に目を落とした。バタン諸島のはるか東海上、沖ノ鳥島との中間あたりに人工的に作られた島がある。東亜連邦共和国が資源調査を理由に隆起した浅瀬に研究施設を作ったのが3年前で、それを2年間で拡大させて軍事施設に変えた。今では小さな島になり、東亜連邦はそこも領土だと主張している。東バタン大島、……小さくても大島とはなんの冗談か……。


「防衛協定に参加する国も、アメリカも思いは同じだ。俺はその問題を解決するつもりだ」


「どうやって?」


 高村と花村が山伏に視線を向けた。


「そのための合同軍事訓練だ」


「具体的には何をやろうというのですか?」


 若い花村は、遠慮がなかった。しつこく疑問を口にする。


「日本は少子高齢化でじり貧になるのが確実だ。弱ってからでは東亜にも対抗できない。だから、今やるしかない」


「それはわかりますが……」


「合同訓練は、東亜連邦軍を動かすのが目的だ。そのために自衛艦を東バタン基地に接近させる。形式的には通過するだけだが、東亜連邦軍は面子にかけて防衛行動をおこすだろう」


 山伏は、若い花村を教育するつもりで丁寧に計画を説明した。


「それなら、沖ノ鳥島にミサイル基地を建設すれば十分ではないですか?」


「そんなことをしても東亜軍は出てこない。おそらく外交的な戦略にでる。中国や韓国を引き入れて、基地建設を批判してくるだろう。世界からは軍備強化を図っているとみられ、日本は孤立しかねない。経済制裁、……たとえば食料輸入を絶たれたりしてみろ。中国や東亜に食糧を依存している日本はそれで終わりだ。アメリカから多くを輸入するには、太平洋を渡るための膨大なコストがかかるし、アメリカは足元を見て高値を吹っかけて来るに違いない。ここまではいいか?」


「はい」花村がうなずいた。


「東バタン問題に頭を抱える国は多い。南沙なんさと東バタンで南北の海上輸送ルートを遮断される可能性が高いからだ。そこだけを取り上げればフィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、中国、韓国、ロシア、オーストラリアなどの国々と日本は利害を共有している。合同訓練中に攻撃を受けたら、それらの国が味方になるだろう。中国がこちら側にいれば、これまで通りシナ海を利用した輸送も可能だ」


 花村がうなずく。


「攻撃を受けた自衛隊は専守防衛の呪縛じゅばくから解き放たれる。反撃し、東バタン基地を制圧する。それが合同訓練の真の目的だ」


 短い静寂があった。


「言うのは簡単ですが、始めた戦争の出口はありますか?」


「あの基地は本国から遠く、本格的な戦闘になれば補給が間にあわない。一方、自衛隊が攻撃を受けたら沖縄のアメリカ軍も動く。今は議会の反対があって積極的に動けないでいるが、同盟国が攻撃されたとなれば遠慮なく動けるだろう。自衛隊が東バタン基地を制圧したら、すみやかに講和に持ち込む。東バタン基地撤去だけなら、東亜も妥協できるだろう。米国情報部の見解も同じだ」


「中国が東亜連邦の支援にまわる可能性はありませんか?」


「その可能性はゼロではないが、中国は独立した東亜を憎んでいる。日米に対抗することはないと思うが、……高村、どうだ?」


「確かに山伏さんの言うとおり、今なら近親憎悪が強いので大丈夫だと思います」


 高村の同意に、山伏は満足した。


「合同訓練に中国を加えるのは、東亜との敵対関係を明確にさせるためだ。敵にさえならなければ十分。……万が一の場合のことを考えて保険も掛ける」


 山伏の言葉には、どこまでも自信が見られた。


「保険ですか?」


「これは、建前上は独立した裏の作戦だ。米軍と協議の上、国力をぐ作戦を実行することになっている」


「経済封鎖ですか?」


「経済封鎖は効果が出るまで時間がかかる。第一、今や世界経済は一つだ。大国を経済的に叩けば、それはブーメランのように戻ってきて自国にもダメージが及ぶ。大国に対する経済封鎖は、もはや戦略的意味がない」


「それではどうやって?」


「アメリカはウイルスで対応できると考えている」


 山伏は情報局員として横田のアメリカ軍基地に出入りしていた。軍事関連の情報を共有するのが目的だが、何かと先行するアメリカ情報部の情報を取得するためでもあった。そういった関係で、司令官のデイル・ハドソン中将と懇意になり、ウイルスの提供を打診されていた。


「まさか、……生物兵器は国際条約違反ですよ」


「アメリカは兵器や捕虜の扱いで条約違反を犯してきたことでも有名だ。それぐらい覚えておけ」


 高村が言った。


「私だって無茶をするつもりはない。使うのは新型のインフルエンザウイルスだ。炭疽菌やボツリヌス菌を使うわけじゃない。感染しても数日間、高熱が出るだけで死に至ることはないらしい。殺傷能力のないバイオセーフティーレベル2のウイルスだから生物兵器禁止条約に抵触するものではない」


 山伏はゆっくりと説明した。


「4億の東亜国民の内1割でも寝込めば、1割強の経済活動が低下するということですね」


「ウイルスがインフルエンザなら、ジュネーブ協定も気に掛けることがない、ということですか……。釈然としませんが……」


 武器が弱ければ攻撃ではないという山伏の理屈に、花村が首を傾げた。


「花村は納得できないかもしれないが、世界の国々はぎりぎりのところでしのぎを削っている。日本としても少ないチャンスを生かさなければならない。それからこれだ」


 山伏は、ポケットから取り出したゴルフボール大の灰色の塊を花村にほうった。

 受け取った花村は、塊の柔らかな感触を確かめ、こねくり回してから高村に手渡した。高村は臭いをかぎ、塊を千切った。


「粘土ですか……、C4爆薬?」


「酸だよ。バイエル酸というものだ。そこにおいてみろ」


 山伏はガラスの灰皿を指すと、高村が千切った半分を置いた。


 卓上にあったライターを手にし、塊に火を近づける。塊の一部がジワリと溶けだして液体に変わる。


「これは120度で溶ける。溶けるときに自ら発熱し、一層激しく溶ける。こうして溶けて初めて酸としての力を発揮する」


 山伏が溶けた液体に十円玉を放り込むと、それはあっという間に溶けた。やがて液体自体も蒸発し、灰皿には十円玉の半分ほどの銅の塊が残った。


「金属の半分も、空気中に溶けたのですか?」


 高村が目を細めた。


「銅はどうでもいい……」つまらないダジャレを言った。笑ったのは山伏自信だけ。「……少し酸の臭いが残るが、外だったら臭いを感じることも無いだろう。溶けない限り無害だから、飲み込んで他国に持ち込むのも簡単だ」


「これを飲み込むんですか? 私は嫌ですよ」


 高村が手にした残りの塊を眺めて眉間にしわを寄せた。


「高村にやってもらおうとは思わない。……特殊部隊が基地施設に仕掛ける計画だ。簡単な発火装置で遠隔地から好きな時に施設を破壊することができるし、証拠も残らないというわけだ。第一弾のインフル作戦、第二弾のバイエル作戦による施設破壊で、基地は機能不全に陥る。第三弾が四カ国合同軍事訓練だ」


「なるほど……ハリウッド映画のようですね」


 山伏はちゃかす花村を睨んだ。


「東亜は張り子の虎だ。外に向かっては軍事と経済で虎の姿を見せているが、内部には民族問題、経済格差問題、官僚の内部腐敗、多くの問題を抱えている。足元を崩せば、張り子の虎は内部から崩壊する」


 山伏には強い確信があった。


「我々はアメリカがウイルスをばらまくのを待って、東亜の衰弱後に合同訓練というトラップを仕掛けるわけですね」


 高村が灰色の小さな塊を見つめた。


「いや、……アメリカが世界の警察の看板を下ろして久しい。昔のように、全てをアメリカに任せるというわけにはいかない時代になった。ことはアジアの問題だ。日本がアジアのリーダーであることを示すためにも、我々が先頭に立たざるを得ないだろう」


 山伏は腕を組んだ。


「自衛隊にやらせるのですか?」


 花村が表情を険しくした。


「そうだ。アメリカは、ウイルスとの交換に条件を付けてきた」


「自衛隊にやらせろ、と?」


「そうだ」


 小さくうなずいた。


「最初の作戦は潜水艦を使うことになる」


「潜水艦に領海侵入をさせるということは、専守防衛を捨てるということですね?」


 花村が顔をゆがめた。


「花村は以前、戦争を回避する仕事をするためにここにいると言っていたな」


「はい。今の時代、軍事的な競争は人類の無能を証明するだけだと思うのです」


「無能なのだ、人間は。……全く学ばない。手を変え品を変え、勢力争いを続けている。俺たち官僚だって同じだろう? みんな出世争いに血眼だ」


 高村が真顔で言った。


 山伏は驚いた。彼が自分たち官僚を〝無能〟だと言ったことに。以前の彼なら、自分は〝選ばれた者〟だと言っただろう。


「出世争いはともかく、国際法上、人工島に領海は認められないし、今回の作戦は日本のシーレーンと近隣諸国の海洋権益を守る立派な防衛行動だ。最初に手を出したのは、基地をつくった東亜だからな。我々は、拡張主義国の基地の排除という純粋に防衛的な行動をとるだけだ」


「国際法はともかく、東亜連邦は東バタン大島を自国の島だと主張しています。発見されたら領海侵犯を理由に攻撃してくるでしょう。……あ、なるほど。それが基地制圧の口実にもなるわけですね」


 高村がトンと、手を打った。


「東亜にも日本にも、それぞれの正義がある。それによって国際法の解釈も違っている」


「万が一、潜水艦が沈んだら、ウイルスの作戦はどうなるのです?」


「2段構えだよ。ウイルスがなくとも作戦は成功するはずだ」


おとりなのですか、潜水艦は……」


 高村が言葉をのんだ。


「まさか、私は悪党ではないよ」


 山伏は席を離れた。病気でもないのに何故か吐きそうだった。

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