野心家たち

第5話 純朴な野心家

 山伏剛太やまぶしごうたは午前5時きっかりに目覚めた。それは自宅でもホテルのベッドでも同じだ。ひとりのときも、誰かが隣で寝息を立てているときも……。


 昨夜は、中国大使館の秘書官をしている男性と飲んだ。山伏は総理府情報局の次長をしていて、世界各国の要人と酒をみ交わすのも仕事の内だ。


 食事の後、秘書官を六本木にある馴染みのクラブに連れて行って飲ませ、若いホステスをあてがって帰した。自分は雨宮佳乃あまみやよしのとホテルに泊まった。彼女とは10年の付き合いになる。山伏にとって彼女は、性のはけ口ではなく良き相談相手だった。相談といっても答えを求めるわけではない。話を黙って聞き、同意の言葉をもらえばそれで良かった。


 ベッドの中でテレビのスイッチを入れる。朝のニュースを確認するのはいつもの日課だ。そうした行為に佳乃は慣れているから、遠慮はしない。


 画面に、ロシア大統領と握手を交わす萩本鏡道はぎもときょうどう総理の精悍せいかんな顔が映った。


「これで一歩前進した」


 山伏はつぶやき、短い首を縮めて微笑んだ。


「そうなの?」


 佳乃の声がした。目覚めたばかりなのだろう。声が沈んでいる。


「ああ、萩本総理の実力が広く世界に知れ渡る。北極海ルートの安全が確保されたら、横浜や北海道に貨物船が押し寄せることになる。今は、どこの国でもトップが首を縦に振れば無理がまかり通ってしまう。大統領と話がついたのは良い前兆だ」


「それはそうね。民主主義も形ばかりになったもの。そうなのでしょ?」


 彼女が言葉と一緒に甘い吐息をつく。


「世界各国の多くのポピュリストたちが、経済格差が引き起こした社会の分断を利用して国家の指導的な地位を占めることが多くなった。彼らは自国第一を主張し、他国を自国の発展の障害と位置付けることで、社会の多数を占める弱者の支持を取り付けた。そうした票集めを民主主義というのか、どうかにかかっているな」


 権力者は自分の支持基盤を確固たるものにするために、愛国教育を促進し、不利益なニュースを報じるメディアに対して裏に表に圧力を強化した。そうして勢いを増した民族主義の流れは、EUや中国の分裂、中東やアフリカでの内戦を引き起こし、世界の政治と経済は、世界大戦さえ生じかねない危機的状況を迎えている。……そうしたことは胸に収めた。


「選挙をするだけ無駄ということ?」


「無駄ではないさ。選挙で信任を得たというのが今の政府の正統性の根拠だ。……民主主義は、市民の中に広い視野で政党の政策を検討するという意志と能力がなければ、地域エゴとポピュリズムに陥るという欠陥を持っているのだよ。……その欠陥を政治家は利用している。近隣諸国の軍事的脅威を指摘して危機感をあおったり、甘い経済対策や福祉政策を打ち出したりするのがそれだ。現金をばらまいてご機嫌をとることさえする。……日本だけじゃない。古来、組織を固めるのは外部に敵をつくるのが一番簡単な手法だし、人間の脳は都合の悪いものから目をそらす悪癖があって、甘い香りの政策が持つ将来のリスクを疑うことが少ない。〝今〟を乗り越えなければ未来はないと、自分をだますことさえする」


「そうね。私もそう思うわ」


 彼女の返事に山伏の口は軽くなる。


「萩本総理も同じ手法で政権を取り、〝万民団結〟〝改革一路〟をスローガンに、経済成長と国際的地位の向上を国民に約束している。一方では、自分の政策に反対する勢力はアナーキストだ、テロリストだ、と断じて攻撃することで、党内ばかりか野党の反論も抑えている。事実でさえフェイクだという一言でスルーできてしまうのだから、もはや敵なしといえるだろう」


「それで?」


 彼女は過去のことは尋ねても、未来のことは尋ねない。訊いても山伏は話さないとわかっているし、訊かないからこそ、山伏が安心して自分のところに戻ってくるとわかっている。だから山伏は、彼女といるのが心地いい。


「総理と私は、アメリカと組んで台湾を核に、中国沿岸部の分離独立を成功させた。その流れに沿って内陸部の自治区の独立運動の機運は高まっている。もはや、中国を恐れることはない。日本国内の政治基盤は安定していて、次期衆議院選挙の心配もない。萩本総理は更に高みを目指すだろう」


「そういうことね。ステキ……」


 彼女の柔らかい唇が山伏の耳たぶをはさんだ。


 極秘裏に台湾とアメリカ政府との中に立ち、東亜連邦共和国の分離独立を成功させた山伏は、萩本の絶大な信頼を得ていた。その信頼を背景に局長の土崎昇つちざきのぼるを差し置き、ロシアとの平和交渉やアジア防衛構想に取り組んでいる。独立した東亜連邦共和国が独裁国家化して軍事力強化に動いたのは想定外だが、大きな中国のままであるよりはましだ、というのが世界各国の率直な意見だ。


 日本の進む道は、東亜連邦共和国の暴走を利用し、周辺諸国の利害の一致をうったえて東亜連邦包囲体制をつくりあげ、その領袖りょうしゅうとして日本の優位を確立することだった。


 テレビには、にこやかに微笑む萩本総理の顔がある。


「この人のために、私は働くよ」


 山伏は口にして、自分の気持ちを確かめた。


「それほど素晴らしい人なの?」


「私が仕事をすると、世間は総理の暴走だと言い、総理がメディアにたたかれる。しかし、総理はそういった批判を意に介すことがない。我々官僚の独走は民主主義の否定に見えるが、そうでもしなければ日本を変えられないという信念があるからだ。その信念に、私は守られ、好きなように動くことができる」


「今日は、機嫌がいいのね。普段は無口なのに……」


 佳乃が身をひねり、覆いかぶさるようにして山伏に唇を重ねた。


 それもこれも仕事が順調だからさ。……山伏は胸の内で答えた。彼女の豊かな胸の重みを感じる。彼女の背中に腕を回し、その手を臀部に下げていく。それだけで彼女は身体を開いた。準備万端整ったというのだろう。それから2人は1時間ほど愛しあった。


 シャワーを浴びた後、窓際に立って眼下に広がる景色を見つめた。その先にアフリカにつながるユーラシア大陸を思い描く。


 その日、山伏は事務所の応接室でくつろぎながら、タブレットのメモに【インド、ミャンマー、タイ、インドネシア、フィリピン】と文字を並べた。それから【装備コスト、GDP】と課題を挙げ、最後に【ウイ……】と書いて手を止めた。


 次のステップはアジア防衛協定を成立させることだが、それには古くからの同盟国であるアメリカ合衆国が難色を示している。これまで通り、アメリカに忠実な日本であることを望まれているのだ。


 だが、アメリカの経済成長に限界が見え、国際政治上の影響力が低下しているいま、いつまでもアメリカとべったりでいることにはリスクがあった。日本はアジアの盟主としての地位を取り戻し、アメリカと対等な存在になるべきなのだ。それは萩本総理と一致した考えだった。


 アジア防衛体制構築の過程で自衛隊の装備を強化し、活動範囲を広げて周辺諸国に恩を売りながら武器も売る。アジア地区の兵器や装備品をアメリカ製から日本製のものに切り替えていく算段だ。アジア諸国の兵器が日本製になれば、軍需産業が育つ。それを日本国の経済発展の柱の一つにする。そうして量産化が進めば兵器の単価が下がり、国内的には軍事費が抑制され、国防費の増加に口やかましい国民も黙るだろう。それが山伏の描くアジア戦略であり、日本復興計画だ。


 手始めとして、日本、中国、ベトナム、フィリピンの四カ国首脳会談を萩本に提案してある。


「ヨシッ」


 己を叱咤しったするように声を張り、立ち上がって与党の幹事長室に向かった。

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